第一条 到着の気配 9
「とりあえず聞き込みだな」
レインは健全な方法で責めることにしたらしい。
広場を見渡すと、露天や屋台には主に子供や若い男女が集まっており、広場を取り囲むようにして営業している食堂には比較的年齢層の高い人たちが集まっているようだった。食堂からは広場で遊ぶわが子を見ている親もいるのだろう。温かな視線を感じる気がした。
「んじゃ。とりあえず食堂に行くか。ここでガキんちょに声をかけても怪しまれるだろ。まずは親を責めようぜ」
「シア先輩。僕、お肉が食べたいな」
急に眼を輝かせたレインがするっと近寄ってくる。
いつも寄ると触ると「臭い」だの「うざい」だのと騒ぐくせに、こんなときだけは調子が良い。
「自分の分は自分で出せよ」
「えー。そんなこと言わずに、ね?」
「ね? じゃねぇよ。おんなじ給料だろうが」
レインはつっと距離を取ると、眉を寄せて胸を張る。
「うるさいな。俺は仕事に必要な本を買うので精いっぱいなんだよ。良いから肉。とりあえず肉。肉食わせろ。じゃねぇと寝起きのはしたない姿を広間に投影すんぞ。男性の通常反応だって言っても、こんなところでオープンにされるのは恥ずかしいだろうな。あー、先輩の真っ赤な顔が浮かぶなぁ」
「お前な……だったら俺だって投影するぞ。おんなじような恥ずかしいものをな」
「投影できるならどうぞ。俺はそんな姿を無防備にさらしてなんかいないし、そもそもシアに正確な投影が出来るとも思わないし」
レインは華奢な杖を袖口からちらりとのぞかせた。
緑と青のマーブルがきらりと光った気がする。「ここに記録しています」と言わんばかりだ。
確かに自分の赤銅の杖にはレインのあられもない姿など記録していないのだし。だからと言ってこのまま引き下がるのもなんだか間違っている気がした。
「考えんな、考えんな。熱が出るぞ」
楽しげに笑うレインの姿に、ため息ひとつで折れることを決めたシアは、店は俺が選ぶとばかりにシンプルな装飾の一件へと足を向けた。
はたして食堂は大衆向けのものだった。
壁に張られた膨大なメニューはこの地域特有の癖字で書かれており、シアには読みにくいことこの上ない。それでもレインよりは読めるだろうと適当に注文しようと店員を呼びつける。
シアが口を開こうとした瞬間、横からレインがいつもと違って人懐っこい笑みを浮かべて声を上げた。
「お姉さん。僕、辛いのがダメなんだけど、お薦めって何ですか。できればお肉がいっぱい食べたいんですけど」
レインの口から出てきたのは、流暢な現地語だった。
思わずレインの顔を見ると、口角が得意そうに持ち上がる。「驚いた?」とでも言っているようだ。
驚いたさと心で返してシアは口を噤んだ。
レインが直接やり取りができるなら、口下手なシアが話すよりよっぽどうまく事が運ぶだろう。
「やだよ、お姉さんだなんて。あたしにはあんたくらいの娘がいるんだよ。まったく、そんな言い方どこで習ってきたのさ」
「シア先輩が、年上の魅力的な人には「お姉さん」って呼ぶべきだって、ね。シア先輩」
突然振られたシアは焦りを隠してゆったりとうなずいて見せた。寛容な先輩。この場ではそれが役割だろう。
「あらま、なかなかに旅慣れた先輩のようさね。じゃぁ、先輩にアグランっていう鳥の煮込みとブライナッツっていう香草焼きを食べさせてもらったらいかが。白パンよりはちょっと固めの茶パンがお薦めよ。出来ればオルバーンのサラダを付けるとさっぱりしてたくさん食べられるよ」
「アグランってあれ? 僕チーズ大好きなんです。じゃあお姉さんのお薦めので。シア先輩?」
「あ、ああ。じゃあそれに果実酒を一つこいつに。俺にはベンダービールを」
「おや、ホントに旅慣れた兄さんだったんだね。すぐに持ってくるよ」
店員は慣れた様子でテーブルを抜けて行くと、カウンターでグラスを二つ掴んで戻ってきた。
レインがグラスを受け取ろうとするのを小声で止めて、ひとつだけグラスを受け取る。不思議そうに見やるレインに視線で「任せろ」と合図を送った。現地語を仕入れていても、こういうことは情報誌には書いていないのだろう。
シアはビールのビンを受け取ってグラスにビールを注いだ。レインの前に果実酒が注がれるのを待って、店員にはビールの入ったグラスを渡す。自分はビール瓶を直接手に持った。
「わかってるねぇ。んじゃ、これはサービスだ」
店員が出したのは小皿に入った茶色のペーストだった。
「うちの地方で取れる土の味噌なんだよ。独特の風味がたまらないよ」
グラスとビンを合わせて乾杯すると、早速レインがペーストにトライする。なめた途端に顔をくしゃっとゆがませてテーブルに突っ伏した。
それを見た店員は楽しげに笑い「こっちの彼にはダメだったみたいだね」と言いながら、自分はうまそうに茶色を口に含む。
シアもそれにならって指で味噌をつまんだ。
「へぇ、結構苦みがきついんだな。果実酒よりはビールに合うみたいだぜ。次はビールで試してみろよ」
「ん……」
レインはきゅっとグラスを傾けて半分ほどを飲み干した。
あまり酒には強くない彼は、既に頬を染め始めている。
「兄さんたちはどこから来たんだい?」
「ヴィッカリー。水路の町です。ご存知ですか」
シアは店員に席を勧めたが、彼女はやんわりと断って盆の角をテーブルに押し付けた。
「ああ。一度だけだけど、行ったこともあるよ。うちの娘がヴィッカリーの学校に通ってるんだ。向こうで刺繍職人の家に下宿しながらね。ちょうど、ほら兄さんの長靴にあるような伝統刺繍の工房なんだ」
「アグダネルですね。神殿にも分室がある」
一瞬、場が凍った。
レインがちらりとシアに視線を送ってくる。反応したのは「神殿」という単語だろう。
「あんたたちは、神殿の人かい?」
「ええ。水路の町の公務員ですから、水路検査ばっかりしていますけど」
レインがにこやかに答えると、店員はあからさまに息を吐いた。さらにレインが何かを言いかけると、店の奥から声がかかる。
店員はカウンターに行き大柄な白髪頭の男と何やら話していたが、神妙な顔でうなずいてから皿を受け取り戻って来る。
「ごめんよ、あんまり油売ってると怒られちゃうんでね。ビールありがとさん」
店員がさっと皿だけを置いてテーブルを離れるのをシアは視線をやらずに確認した。レインは早速料理を取り分けているが、意識は店の奥、店主と店員のやり取りに向いているのがわかる。皿を受け取るタイミングでレインに声を掛ける。レインは小さな帳面を開いて指先で一枚を切り取った。手早く書きつけたのは魔法陣だった。
「増幅させるか?」
「上手くやれよ。調査第二種補則「不可知」展開要請。展開後調査第二種補足「ゲイン」要請」
「了解。任せとけ」
小声でやり取りをした後、シアは杖ではなく指先でレインの書いた陣をなぞりゆっくりと文字と陣だけを浮かび上がらせた。レインの描く陣はいつだって芸術クラスの構成だ。持ち上げると綺麗に空気に溶け込み広がっていく。これならよほど敏感な魔法使いがこの店に居ない限り、陣が発動したことすらわからないだろう。店に陣がなじむのに時間はかからなかった。すぐにシアはまっすぐに聴覚をカウンターに向ける。
これでシアは気づかれることなく、遠いカウンターの声が拾えるのだ。繊細な感覚魔法はシアの不得意なものの一つではあるが、若き相棒の仕込みのたまもの。聴覚系と視覚系の増幅魔法だけは自信がある。
「彼らはなんだって?」
「ヴィッカリーから来た魔法使いだってさ。でも、アレの調査に来たわけじゃないんだって。水路調査員だって話だよ」
「だとしても、あまりかかわらない方がいい。魔法使いだって言うだけで危険じゃないか。まぁ、法律家で無いだけましだが」
「……でも。噂じゃあの人たちはアレを家出だって片づけてるそうじゃないか。せっかく他のところの人が来たのに」
「めったなことを言うもんじゃない。あの人たちがそう言うなら、そうなんだろう」
「でも……」
「とにかく。彼らは公務員なんだろ。あの人たちとも同じ考えかもしれないし、あの人たちに繋がりがあるかも知れない。めったなことを漏らして私たちがこんなことを話していると知られたら、何をされるかわかったもんじゃない。良いかい、黙って過ごすんだ。でないと、リラも危ないんだよ。一人娘だろう。危ない橋は渡るんじゃない」
「……そうね。居なくなった子たちには……悪いけど」
「もう、手遅れさ。あとはこれ以上被害が広がらないように祈るだけだ」
「……そうね」
「大丈夫だ。昨晩青年団が確認してきたんだ。もう、井戸は閉じられてる。いいかい、忘れてしまいなさい」
レインは不服そうに耳飾りをいじっていた。レインには声は聞こえない。
かいつまんで内容を話すと、綺麗な眉が一層寄せられた。
「あの人たちってのが気になるな」
シアのつぶやきにレインは眼だけで肯定する。
「……コスカスなのか、他の誰かなのか。ただし「公務員」だから「同じ考え」だというのなら、あの人たちってのも公務員だ」
「アレってのは失踪事件のことだろ。で、村の人たちは少なくとも失踪事件を家出とは思っていないし、上がそういう判断をしていることに不満を感じてる。これって……レインはどう取る?」
スプーンを動かして最後の一かけらを口に放り込んでから、レインはふっと息を吐いた。
「まだわからない。俺はもう一つ、井戸ってのがすっごく気になる。攻めるならそこからじゃないか。何せ俺たちは水路調査員だからな」
シアは伝票を持って立ち上がった。
ならば早速井戸を調べてみるべきだろう。