プロローグ
案件ナンバー1
「アンジェラ地区アバナ村 金糸と悪魔の井戸」
プロローグ
夜道には気をつけろなんて言われたことがない。
都会の人たちにとって夜道は恐ろしいものなのかもしれないけれど、こんな山奥の村では夜道というほどの道など無い。家と家の間の隙間を道と呼ぶこともあるけれど、その隙間はいつだって誰かの目にさらされているのだから。
夜道も昼道も変わりは無いということ。
いつだって安全でいつだって危険だ。
それは外見に恵まれなかった自分にとっても同じことだった。女であるだけで同じ危険にさらされる。
ウィリーはたっぷりの赤毛をきつい三つ編みにして背中に垂らし、家路を急いでいた。予想外の雨に降られたため、服も髪の毛も水を含んでいてとても重たい。そばかすだらけの顔は既にシャワーを浴びたように濡れていたし、人よりも大きな体の表面で水滴が新たな飛沫を生み出している。
くるぶしまでの粗末なブーツには泥水が満ちていて、歩くたびに不快な音を立てていた。
家には幼い弟妹たちが待っている。もしかしたら兄の方が早く家に着いているかもしれない。兄の帰宅が早ければ、こんなに遅くなったことを激しく叱責されるのだ。
ウィリーは重たい脚をさらに激しく動かして泥をはね上げた。
その時、間後ろに重たい気配を感じた。
雨越しに感じる重たく冷たい気配。次の瞬間、ウィリーの背中はぱっくりと裂け、赤い線を描きながら体が地に落ちる。
雨音がウィリーの異変をかき消した。不思議と痛みは無い。
何者かはウィリー顔を覗き込み、少しだけ首を傾げたように見えた。あいにくの夜道。顔は見えないが、わずかな光に輝く金色の髪が優しく光る。それはやがてウィリーから離れると先へと進んで行った。
それの先にはウィリーの家がある。まだ学校にもいっていない幼い子供たちがいる家が。兄が家に帰っていることを祈りながらも、動かない体に怒りが湧いた。
キュイナはとても賢いの。アントンはとても優しくて、ホーリーはこの村で一番の美人になる。ポティは食堂顔負けの料理の腕前。マルは一番幼少ながらも一番の正義感。きっと素敵な大人たちになるはずだから。
だから行かないで。
だから辿り着かないで。
遠ざかる金糸に願う。
ただ体がどんどん冷えて行くのだけを感じながら、ウィリーは涙を流した。