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盲目の代償

第十二階層【凍結せし銀嶺】の主が倒され、ダンジョンの深層へと続く巨大な大理石の扉が開かれた。


その先へと続いていたのは、果てしない砂の海──前人未到の第十三階層【灼熱の極大砂漠】だった。


「ついに新階層が開放されたぞ!」


「一番乗りを果たして、砂漠の秘宝と巨大ギルドの仲間入りを果たすんだ!」


氷雪の危機を乗り越えた街は、一転して新階層攻略に挑む大勢の冒険者たちでごった返していた。世界中から一攫千金を狙う猛者が集まり、熱気と興奮が街の空気を焼き焦がさんばかりに充満している。


そんな熱狂の渦中で、『荒獅子の牙亭』の厨房は連日連夜、戦場のような忙しさを極めていた。


「レニ、特製梅酢ダレとすりおろし生薬、二十ガロン分の仕込み完了したぞ!」


「ありがとう、お兄ちゃん! 私は『青の保冷魔導ボトル』の冷やし込み魔法回路をチェックするね! 冷たすぎず、でも火照った体を優しく鎮める温度設定……よし、完璧!」


ルークとレニは汗を拭いながら、巨大な仕込み台と魔法鍋の間を忙しく行き来していた。


二人がいま作っているのは、前回の極寒用『黒の保温ボトル』と重厚な熱々生姜焼き弁当ではない。砂漠という全く異なる地獄に挑む冒険者のためにゼロから考案した、『陽の保冷特製弁当』だ。


「普通の脂身の多い豚肉や牛肉じゃ、砂漠の熱風に晒された瞬間に脂が酸化して、数時間で腐敗が始まる……だから脂身の少ない豚赤身肉を極限まで叩いて叩いて、柔らかくするんだ」


ルークが巨大な木槌で肉を叩き伸ばすと、レニがすかさず特製の秘伝ダレを絡めていく。熟成させた果実梅酢、柑橘の絞り汁、そして発汗作用と内臓の働きを助ける十数種類の生薬スパイス。酸味で肉質を究極まで柔らかく分解しつつ、強力な殺菌効果で猛暑の中でも絶対に傷まない『特製スパイス梅生姜丼』だ。


合わせるスープも、ドロリとした熱々の豚汁ではない。香ばしく煎った麦茶を出汁に混ぜ合わせ、鉱物塩分とクエン酸を黄金比率で溶かし込んだ『冷製塩麦茶スープ』。


「よし! 極寒の地には【熱を閉じ込める黒のボトル】、砂漠の地には【冷気を保つ青のボトル】。間違えないように看板に分かりやすく書いて並べなきゃね!」


「おう! 冒険者たちの命がかかってるからな。一品たりとも妥協はしねえぞ!」


だが、その熱気のすぐ裏側──。


『荒獅子の牙亭』の目と鼻の先に巨大な店舗を構えた王都の大手外食チェーン『金豚の金貨亭』の奥部屋では、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる男たちが舌なめずりをしていた。


「クハハハ! 聞いたか? 荒獅子の牙亭の裏情報を掴んだぞ。あそこが爆売れさせた秘密は『真っ黒な重厚ボトル』と『極濃の生姜焼き』だ。あいつら、いまや黒いボトルを並べて大儲けしてやがる!」


店主の男は、牙亭の仕込み風景を遠目から盗み見たスパイの報告を受け、勝ち誇ったように卓を叩いた。


「よし! 我が店も王都の工房に圧力をかけて『黒の保温ボトル』を何千本と緊急製造させろ! 中身は一番安いギラギラの豚脂肉を濃い目の醤油ダレで炒めたやつと、グラグラに沸騰させた味噌豚汁だ! 牙亭の半額以下で売り出せば、新階層に焦るバカどもは一網打尽だぞ!」


彼らは、レニとルークが「氷雪用(黒の保温)」と「砂漠用(青の保冷)」を冒険者の行き先に応じて厳格に分け、カウンセリングしながら販売しているという真実に、何一つ気づいていなかった。


ただ「牙亭で黒いボトルと生姜焼きがバカ売れしている」という表面的な記号だけを呑み込み、これから冒険者たちが突入する先が「極寒の地」から「灼熱の砂漠」へと180度変化していることすら顧みなかったのだ。


翌朝。仕入れと準備を終えた両店舗の前で、対照的な光景が広がった。


『金豚の金貨亭』の店頭では、呼び込みの威勢の良い声が響き渡る。


「いらっしゃい、いらっしゃい! 荒獅子の牙亭とまったく同じ『黒ボトルの極濃・熱々生姜焼き弁当』がなんと半額以下! 並ばずに買えるよー!」


新階層開放に心を逸らせる中堅冒険者たちが、吸い寄せられるように群がっていく。


「おい、マジかよ! 牙亭は長蛇の列だし、あっちで黒いボトルが半額なら買いだろ!」


「浮いた金で高級なポーションが買えるぜ! これを持って【灼熱の極大砂漠】の一番乗りを目指すぞ!」


冒険者たちは疑うこともなく黒いボトルを買い叩き、そのままダンジョンの大穴へと走っていった。


一方、『荒獅子の牙亭』のテイクアウト窓口では、レニとルークが一人ひとりの冒険者に丁寧に問いかけていた。


「いらっしゃいませ! 冒険者さん、今日攻略に向かうのは第十二階層の『氷雪エリア』ですか? それとも新しく開放された十五階層の『砂漠エリア』ですか?」


「俺たちは新階層の【灼熱の極大砂漠】に挑むつもりだ!」


「それなら、こちらの『青の保冷ボトル付き・砂漠特注梅生姜弁当』をお持ちください! 冷たすぎず、砂漠の熱風で疲れた胃腸をしっかり守ってくれますからね!」


「青いボトル……? 氷雪のときに有名になった黒いボトルじゃないのか?」


「はい! 砂漠で黒い保温ボトルの熱々スープを飲んだら熱中症で倒れちゃいますし、普通の肉の脂は暑さで腐敗してギトギトになっちゃうんです。砂漠には、砂漠の過酷さに勝つための『特別なごはん』があるんですよ!」


「……! どこへ行くかまで考えて作ってくれてるのか! 命を預ける価値があるぜ、ありがとうな!」

レニたちは冒険者の目的地を一つずつ確認し、その手でしっかりと「命を守るお弁当」を手渡していった。


数時間後。第十五階層──【灼熱の極大砂漠】。


頭上からは太陽の熱線が容赦なく突き刺さり、見渡す限りの黄金の砂が蜃気楼を描く灼熱の地獄。吐く息すら熱風となり、着ている鉄の鎧は太陽光を吸って火傷しそうなほど熱を帯びていた。


安さに目が眩み、『金豚の金貨亭』でパクリの【黒ボトル(氷雪用)】を買って突入した中堅パーティ「赤き疾風」の面々は、セーフティエリアの岩陰で息も絶え絶えに崩れ落ちていた。


「あ、暑い……喉が焼き切れる……! 飯を食って体力を回復しないと……!」


リーダーの剣士が、汗で滑る手で黒いボトルのキャップを開けた。


その瞬間──シュウゥゥゥゥッ!!


「ぐああっ! 熱熱熱っっっ!? なんだこの滾る熱湯スープはーっ!?」


爆発的な湯気とともに吹き出したのは、グラグラに煮えたぎる激熱の豚汁だった。


「バカかあいつらは!! こんな猛暑の砂漠で、なんで沸騰したスープが出てくんだよ!! 飲めるかこんなもん! 熱中症で死んでしまうわ!」


さらに、別の隊員が悲鳴を上げながら弁当の木箱を開けた。


「ひ、ヒッ……! 肉の脂が暑さでドロドロに溶けて、全体が不気味な油みずになってる……! 匂いも酸っぱい……おい、これ完全に腐りかけてるぞ!!」


『金豚の金貨亭』は、「大ヒットした黒ボトルと生姜焼き」という外見だけをコピーしたため、「過酷な現地で冒険者の体がどうなるか」を何一つ計算していなかったのだ。


熱風の中で水分の補給もできず、腐敗の始まったギトギトの肉を前にして、安売り弁当を買った冒険者たちは次々と腹痛と脱水症状で絶望の淵に叩き落とされていった。


だが──そのすぐ横で。


「全隊、脚を止めろ! メシだ! レニとルークが仕込んでくれた【砂漠特注弁当】を開けろ!」


バルド率いる『銀翼の大剣』五十名が、清涼感あふれる【青の保冷ボトル】と、防腐効果のある竹の葉で包まれたお弁当を開く。


カチリとキャップを外すと、涼やかな麦の香りと、キュッと食欲をそそる梅酢とスパイスの爽快な香りが砂漠の熱気を吹き飛ばした。


ごくっ、ごくっ……!


「う……うまいっ!! 冷たすぎない、五臓六腑にスッと染み渡る最高の涼しさだ!!」


さらに竹の葉を開き、梅とスパイスが絡んだ肉を口に運ぶ。


「す、酸っぱい……! いや、酸味のあとにスパイスの辛みと肉の旨味がガツンと来る!」


「猛暑で食欲が消え失せてたのに、一口食ったら唾液が溢れて、いくらでも腹に入るぞ!」


「肉が一切傷んでねえ! 梅酢と生薬スパイスで完璧に殺菌されてやがるんだ!」


一口食べるごとに全身の細胞にエネルギーが充填され、闘志の炎が激しく燃え上がっていく。


ライバル店のギトギト腐敗弁当を前に倒れ込んでいた冒険者たちは、その圧倒的な香りと隊員たちの歓声に、血の涙を流しながら叫んだ。


「お、俺たちが買ったのは偽物だったんだ……! 本物の『牙亭』は、行く場所に合わせて弁当を作り分けてたんだ……!!」


バルドは空になった青いボトルを掲げ、倒れ込む者たちへ向けて豪快に言い放った。


「ハハハ! 当たり前だ! レニとルークの料理はな、ただのレシピの真似事じゃねえ! 『どんな地獄からでも生きて帰す』っていう職人の魂なんだよ! 形だけ真似した浅はかな偽物に、あの二人の想いが負けるわけがねえだろうが!!」


「「「うおぉぉぉぉぉっっっ!!!!」」」


勢いを取り戻した『銀翼の大剣』は、そのまま砂漠のボスを過去最速の記録で粉砕。


そして──数日後。


命からがら帰還した冒険者たちを待っていたのは、地獄のような報復劇だった。


『金豚の金貨亭』の店頭には、砂漠で全滅しかけ、命を落としかけた数十名の冒険者たちが殺気立った表情で押し寄せていた。


「店主を出せぇぇぇっ!!」


ドガンッ!! と重厚なドアが蹴破られ、店内に怒号が轟く。


「ひっ……! な、なんですかあなた方は!?」


青ざめる店主に対し、全身砂まみれで激怒した大男が店主の胸ぐらを掴み上げ、壁に叩きつけた。


「てめえらの作った『パクリ腐敗弁当』のせいで、俺たちの仲間は砂漠で重度の熱中症と激痛に苦しみ、遠征は台無しになったんだよ!! 殺す気だったのかああっ!?」


「ひ、ヒィィッ! わた、私たちはただ、牙亭と同じものを提供しただけで……!」


「嘘をつくな!!」


そこへ、ギルドの憲兵隊とともに現れたのは冒険者ギルドの最高責任者と商人ギルドから派遣された役員だった。


「『金豚の金貨亭』店主。貴様らは見た目だけを真似し、過酷な環境に挑む冒険者の安全を一切考慮せず粗悪品を売りつけた。これは重大な契約違反であり、悪質な業務上過失危害罪に該当する」


「な……そんな……!?」


「本日をもって、貴店の営業許可を永久に取り消す。さらに、被害に遭った全パーティへの多額の慰謝料支払い、および粗悪品の製造責任として、巨額の罰金を科す!」


「そんなバカな……! 王都の本部からの投資金が……全財産が吹き飛んでしまう!! 助けてくれえええっ!!」


店主の悲痛な叫び声も虚しく、彼は憲兵隊によって縄で縛られ、引きずられていった。店は即座に差し押さえられ、看板は破り捨てられて跡形もなく解体された。粗悪なパクリで利益を得ようとしたライバル店は、哀れにも破産と全財産没収という最悪の破滅を迎えたのだった。


本物の「技術」と、冒険者の命を想う「心」。


それを証明してみせた『荒獅子の牙亭』の名は、ダンジョンの深層開拓史における絶対的な信頼の証として、末永く語り継がれていくのだった。

読んでいただきありがとうございます!

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