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初の日替わり弁当

薄暗く、ひんやりとした湿気が肌にまとわりつくダンジョン地下三階。


いつもなら、魔獣の気配におびえながら、石のように硬い黒パンや干し肉を冷たい水で流し込むだけの憂鬱な休息時間のはずだった。


セーフティエリア(安全地帯)の岩陰で、Bランク冒険者『紅蓮の牙』のパーティーが無言で腰を下ろしていた。


「……おい、リーダー。本当にその木箱の飯を食べるのか? 完全に冷め切ってるぞ」


「ああ。レニちゃんは『冷めてから食べてくれ』って言ってたからな……」


リーダーは意を決して、四角い木箱の蓋をパカッと開けた。


その瞬間――。


ふわり……。

殺伐としたダンジョンの空気の中に、異質なほど芳醇なニンニク醤油とキノコ出汁の香りが弾けた。


「「「っ!?」」」

パーティー全員の鼻腔が同時にくすぐられ、激しい落雷を受けたように体が硬直する。


「な、なんだこの香りは……!? 冷めているのに、なんでこんなに香りが立つんだ!?」

リーダーは震える手で木箱に添えられた木の匙を握り、敷き詰められた鶏そぼろとふわふわの卵、そして出汁の染み込んだご飯を一度にすくって口へ運んだ。


モグ……。

「――っ〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!」

リーダーの瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。


「り、リーダー!? 毒でも入っていたのか!?」


「バカ野郎、逆だ!! 逆だよ!! 美味すぎるんだよちくしょう!!」

リーダーは泣きながら叫んだ。


「冷めているのに……冷めているからこそ! キノコ出汁の優しい甘みと、鶏そぼろの旨味がじわ〜っと口の中に広がっていくんだ! 卵もふわっふわで、戦いの緊張で固くなってた胃袋が、優しく抱きしめられてるみたいだ……!」


「嘘だろ! 俺にも食わせろ!」

仲間の戦士が待ちきれずに、大きな唐揚げを一つ掴んで口に放り込んだ。


カリクッ!!!

静かな迷宮の空間に、信じられないほど軽快でジューシーな音が響き渡る。


「なっ……冷めてるのに、なんでこんなに柔らかいんだ!? 肉汁が……冷たい衣の奥から温かい肉汁がジュワッと溢れ出てきやがった! ハニーマスタードの甘みと酸味が最高すぎて、今日の疲れが全部吹き飛んじまうぜ!!」


「おにぎりもすごいわ……! 冷めてるからお米の一粒一粒が出汁を吸ってて、噛めば噛むほど味が湧き出てくる……!」


彼らは無我夢中で、貪るように『魔法の箱』の中身を平らげていった。


殺伐とした地下迷宮の中で、彼らの周囲だけがまるで暖かな陽だまりのような幸福感に包まれる。


しかし、その悪魔的な香りは、セーフティエリア全体へと容赦なく拡散していた。


ゴクリ。


少し離れた場所で、いつも通りカチカチの干し肉を噛みちぎっていた別のパーティーの冒険者たちが、一斉に激しく喉を鳴らした。自分たちの手にある、消しゴムのように味気ない肉片と、目の前で繰り広げられている黄金色の宴。そのあまりの格差に、彼らの理性が限界を迎える。


「お、おい!『紅蓮の牙』のリーダー!」

一人の大男が、干し肉を床に叩きつけるようにして詰め寄ってきた。


「なんなんだよその匂いは! ダンジョンの中でそんな美味そうな飯、どこで手に入れたんだ!? 宮廷の仕出しにしても、そんな香ばしい匂いは聞いたことがねえぞ!」


「そうだ! 頼むから教えてくれ! 俺たちの干し肉が、さっきからただの靴底にしか思えねえんだよ!!」


周りの冒険者たちも、血走った目で集まってくる。


『紅蓮の牙』のリーダーは、お弁当の最後のひと口を名残惜しそうに飲み干すと、満足感に満ちた顔でニヤリと笑った。


「知りたいか? これはな、最下層の『荒獅子の牙亭』って店で売ってる『おべんとう』ってやつさ。これがあれば、ダンジョンの暗闇だって最高の特等席に変わるんだよ」


「最下層の店だって!?」


「今すぐ戻るぞ! 帰還の魔道具を使うんだ!!」


色めき立つ冒険者たち。


迷宮の中で生まれたこの小さな奇跡は、またたく間に地下階層を駆け上がり、冒険者たちの常識を覆していくのだった。



「おい、聞いたか? 『紅蓮の牙』の奴らがダンジョン深層で、信じられないくらい美味い『箱詰めの飯』を食ってたらしいぞ」


「ああ、噂になってるな。干し肉じゃなくて、冷めてもサクサクの唐揚げと、黄金色の卵のご飯だって。それを持ってたおかげで、探索の疲れが一瞬で吹き飛んで、討伐記録を更新したって話だ」


翌日。ギルドの酒場や掲示板の前は、朝から晩までその話でもちきりだった。


噂は瞬く間に最下層から上層へと駆け上がり、高ランク冒険者たちの間でも「まさか」という疑念とともに広がっていった。


「馬鹿な。ダンジョンの中で宮廷料理を凌ぐ飯だと? そんなもの、魔法の保存容器でも使わなければ不可能だ」

高級レストランの並ぶ上層街で、ある高ランクパーティーの魔術師が鼻で笑う。


「いや、それが本当らしいんだ。それを持ってるだけで過酷な迷宮のストレスが完全に消えるってんで、今じゃ一部の連中の間では『最強の精神安定剤』って呼ばれてる。なんでも、最下層の新しくなった『荒獅子の牙亭』とかいう店で、毎朝限定で売られてるらしい」


「最下層の店……? あのドブスープで有名だった、あのボロ酒場か?」


冒険者たちが顔を見合わせる。しかし、噂を裏付けるように、ダンジョンから帰還する者たちの鞄からは、ほのかにニンニク醤油と、食欲をそそる奥深い出汁の香りが漂っていた。


「……おい、明日の朝、試しにその店に行ってみようぜ。もし本当なら、次の長期遠征の飯は全部それで決まりだ」


「ああ。乗り遅れるなよ。もう街の商人や、門番の騎士たちまで朝から並び始めてるって話だからな」


噂が噂を呼び、雪だるま式に膨れ上がっていく熱狂。


そして翌朝。


『荒獅子の牙亭』のテイクアウト窓口の前には、開店前から長蛇の列が出来上がっていた。


「レニちゃん、おにぎりセットを6個! 仲間がこれ無しじゃダンジョンに潜りたくねえって泣き言言いやがるんだ!」


「こっちはお弁当15個だ! ギルドの長期遠征部隊の分もまとめて前払いで買う!」


「はいはい、順番に並んでね! お兄ちゃん、そぼろと卵、どんどん炒めて!」


「おうよ! この氷結魔導冷蔵庫と新型三連コンロがあれば、何百人分でも余裕で仕込んでやるぜ!」


ルークお兄ちゃんは、ピカピカに輝く厨房の中で、神がかった手際で大きなフライパンを振るっていた。新型コンロの圧倒的な火力のおかげで、鶏そぼろは一瞬で旨味が閉じ込められ、卵は冷めても固くならない絶妙なふわふわ感を完全にキープしている。


お弁当の箱を詰めるたび、ニンニク、醤油、そしてキノコ出汁の香りが窓口から街の通りへと溢れ出し、その匂いに誘われて、さらに新たな客が吸い寄せられていく。


夕方、ひと段落ついた時間帯。


新調されたカウンター席で、冷えたエールをゆっくりと飲んでいたAランク冒険者のゼクスさんが、窓の外に今なお続くお弁当の残りを求める人々の行列を眺めながら、ぽつりと呟いた。


「……レニ、お前は本当に恐ろしいな。店の中を綺麗にするだけでなく、ついにこの街の……いや、冒険者たちの『生き方』そのものを書き換えてしまったな」


「ふふ、ゼクスさん。美味しいものは、どこで食べたって美味しいですから!」

下級冒険者のボロ酒場から始まった『荒獅子の牙亭』。


「お弁当とおにぎり」という無敵の保存食を手に入れた私たちは、最下層の小さな窓口から、この街全体の胃袋を優雅に、そして確実に支配し始めていたのだった。


早朝の『荒獅子の牙亭』。ピカピカに磨き上げられた厨房で、ルークお兄ちゃんが今日仕込むお弁当の準備を進めていた。


その隣で、レニが仕込み台の野菜を小分けにしながら、ふと思いついたように顔を上げる。


「ねえお兄ちゃん! 今の『そぼろと唐揚げのお弁当』もすっごく大人気だけど……毎日来てくれる冒険者さんたち、そろそろ違う味も食べたくならないかな? もっと種類を増やしてみない?」


ルークは包丁を止め、顎に手を当てて「うーむ」と唸った。


「確かに……毎日過酷なダンジョンに潜る奴らにとっちゃ、食事だけが唯一の楽しみだからな。同じ味が続くと贅沢な悩みで飽きが来ちまうかもしれないな。よし! じゃあ今日から記念すべき『初の日替わりお弁当』を作ってみるか!」


「うし、何作るんだいレニ?」


「冷めてもふっくらジューシーで、一口食べたら白飯が止まらなくなる……『特製ハンバーグ』で!」


二人はさっそく試作に取りかかった。


「冷めても柔らかい」を実現するため、レニは挽き肉の合わせ比率を細かく調整し、隠し味に細かく刻んだソテーオニオンと、キノコ出汁の旨味を練り込んでいく。


丸めた肉種をフライパンに並べると、ジューッ……! という弾けるような音とともに、肉汁の香ばしい匂いが厨房いっぱいに広がった。


「おお!めっちゃいい匂いだな!」


じっくりと焼き上げたら、仕上げに特製のデミグラスソースを絡める。煮込まれたソースがグツグツと肉に纏いつき、艶やかな深みのある褐色へと仕上がっていく。


ツヤツヤのデミグラスハンバーグを中心に、出汁の染みたふっくらご飯、そして冷めてもふわっふわな黄金色の玉子焼き。完成した一箱は、まるで木箱の中に収まった小さなご馳走だった。


そして開店の時刻。ガラリとテイクアウト窓口を開けると、朝日の中にすでに何人かの冒険者たちが並んでいた。

レニは身を乗り出し、パッと弾けるような笑顔で声を張り上げる。


「はい、いらっしゃい! 今日は特別だよ! 『荒獅子の牙亭』、記念すべき初の日替わりお弁当の登場ですっ!」

通りを行き交う冒険者たちが「日替わり……!?」と一斉に足を止める。


「今日のお弁当は……『特製ハンバーグ弁当』! 冷めてもふっくら柔らかいお肉に、特製の濃厚デミグラスソースがたっぷり! これを食べて、今日も一日ダンジョンで元気に頑張ってね!」


ふわり……。

レニの呼びかけと同時に、窓口から焼き立ての肉汁の甘みと、奥深いデミグラスソースの甘辛い香りが一気に街道へと流れ出した。


「な、なんだこの匂いは……!? ハンバーグだと!?」


「ただでさえあの唐揚げ弁当で飛ぶかと思ったのに、新しいメニューが出ただと!?」


「レニちゃん! 俺にそのハンバーグ弁当をくれ! 4つ、パーティー全員の分だ!」


「ズルいぞ、俺が先だ! レニちゃん、こっちにも5箱頼む!!」


初の日替わりメニューの衝撃に、窓口の前は瞬く間に大混雑。仕込んでいた『特製ハンバーグ弁当』は、飛ぶような勢いで売れていき、あっという間に完売してしまった。


数時間後――ダンジョン地下四階のセーフティエリア(安全地帯)。


薄暗く湿っぽい岩陰で、運良くハンバーグ弁当を手に入れたBランク冒険者パーティーが、息をのんで木箱を囲んでいた。


「よし……開けるぞ……」


パカッ。

蓋を開けた瞬間、冷え切ったダンジョンの暗闇の中に、閉じ込められていた肉の旨味と濃厚なソースの香りが爆発した。


「「「うわあああぁぁぁ……っ!!!!」」」

匂いをかいだだけで、戦いの緊張でこわばっていた彼らの胃袋が、強烈にキュッと収縮する。


「見てくれよこの肉の厚み……! 冷めているのに、デミグラスソースがツヤツヤ輝いてるぞ……!」

リーダーが震える手で大きなハンバーグを箸で割り、口へ放り込んだ。


モグ……。


「――っ〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!」


「う、うますぎる……ちくしょう……っ!! 冷めているのに、なんでこんなにふっくら柔らかいんだよ……!? 噛んだ瞬間に、閉じ込められていた肉汁とデミグラスのコクがじゅわ〜っと口いっぱいに広がりやがる……っ!」


「おにぎりだけじゃない……ハンバーグもこんなに冷めて美味いなんて……! 出汁の染みたご飯と一緒に食べると、疲れなんて一瞬でどこかへ飛んでいっちまうだろう…!」


いつもはクールな仲間の魔導士も、ボロボロと涙を流しながら無我夢中で木箱にすがりついた。

たった一箱のお弁当が、暗く過酷な迷宮の中に、暖かな太陽のような幸福感をもたらしていた。


夕方、完売した窓口の奥でルークが汗を拭っていると、カウンター席に座っていた常連の冒険者が、羨ましそうに声をかけてきた。


「おいおいルーク、窓口の持ち帰りだけずるいぞ! 店の中でもそのハンバーグを食べさせてくれよ!」


「あはは、もちろんだよ! 今日から店内メニューにもハンバーグを追加するからね!」


レニがニコニコしながら黒板のメニュー表を書き換える。するとルークはニヤリと不敵な笑みを浮かべ、フライパンを握り直した。


「ちなみにだ……店内で食べる奴らには、さらに特別なサービスがあるぞ。+銀貨1枚で『とろ〜りチーズ入りハンバーグ』に変更可能だ!」


「「「チ、チーズ入りだと……!?」」」

店内にいた冒険者たちから、地鳴りのような歓声が上がった。


「頼むルーク! 俺のハンバーグにチーズを入れてくれ!」


「こっちもだ! 焼きたてのハンバーグからチーズが溢れるところを見せてくれぇ!」


ジューッという音とともに、熱々の鉄板に乗せられて運ばれてきたハンバーグ。


冒険者がナイフとフォークで真ん中から割ると――


とろ〜っ……!

黄金色に輝く濃厚なチーズが、熱々の肉汁とともに溢れ出してきた。


「――っ〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!」


「う、うまぁぁぁい! 焼きたてのお肉の旨味と、濃厚なチーズのコクが合体して、口の中が完全に天国だ!!」


「お弁当で持っていく冷めても美味いハンバーグ」と、「店内でしか味わえない熱々のとろけるチーズハンバーグ」。


初めての『日替わり』という挑戦は大成功を収め、『荒獅子の牙亭』は今日もいっぱいの笑顔と歓声に包まれるのだった。

読んでいただきありがとうございます!投稿が遅くなることが多々あると思いますが、完結はさせたいと思います!もしよろしければブクマ登録と評価お願いします!

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