夢の少女
そう、いつだって同じ夢。そこでは私は黒髪の、青白い顔をした痩せぎすの少女で、街角で煙草を売っているのだった。凍てつく風がお古の肌着を通して素肌に直接突き刺さる。灰色の街は少女の傍らをただ通過するだけで、誰も立ち止まらない。
両親は毎日出稼ぎと称してパチンコに行き、帰ってくると景品の煙草を少女の頭の上に撒き散らす。降り注ぐ紙箱の角が少女の頭や、頭を庇っている両の手の甲をコツン、ゴツンと乱暴に弾き、それを眺める私の心にも、小さなささくれを残す。
――ほら。これをやるから、飯代くらい自分で稼いで来い。
少女は俯いたままそれらを拾い集め、篭に入れてふらふらと立ち上がる。もう数日、水以外に何も口にしていないのだ。
そして少女はまた路傍に佇む。篭の中身は一向に減らない。
『現代版・燐寸売りの少女、と言ったところかしら?』
夢の話を最初にしたとき、ローザはそう呟いた。葉巻を売っている、というところが少し、ユニークだけれど。
『夢占では、葉巻には大人への脱皮という意味があるのだそうよ』
ローザは白磁のティーカップに口を付ける。このカップもソーサーも、舶来品を扱っているお父様が手に入れたものだ。お母様が病で亡くなってからは、お仕事で不在のお父様が戻ってこられるまで、私とローザがこの屋敷を守っている。
『ほら葉巻って、大人にならないと吸ってはいけないでしょう。それが封も開けずに篭の中に残っているというのは、貴女が内心、自分の幼さを気に病んでいるという表れではないかしら』
ローザはふんわりと上品に笑む。親友だもの、二人で過ごす日々はまさに蜜月だった。賢いローザは、何でも教えてくれる。
『そんなものかしら』
私もカモミールティーを啜る。暖かさが全身に広がってゆく。
昼はローザと、夜は見知らぬ少女と。その生活の落差はまるで、王様と乞食の物語を一人で演じているような感じだ。
でも、どんな悪夢もいつかは終わる。少女は平穏を手に入れた。私達は、あの気に食わない大人たちの鼻を明かしてやったのだ!
あんな男、父親なんかじゃない。少女の父は少女を犯した。酒に酔って彼女を腕ずくで押し倒し、無理やりに征服した。
あんな女、母親なんかじゃない。少女の母はそれを見ていた。そして酷く汚い言葉で、自分の夫ではなく、傷ついた彼女を責苛んだ。
私はそれをずっと、少女の目で見ていた。それはどんな映画よりも残酷で、卑劣で、薄汚い情景だった。父親が眠りこけ、母親が家を出た後、私は彼女に働きかけた。ここを出て、逃げましょう。
その声が聞こえていたのかは分からない。けれど何度も呼びかけるうちに彼女の虚ろな瞳に僅かな光が灯り、そして私は少女の肉体を動かし、箪笥にあった僅かな現金を盗んで彼女を走らせた!
こんなこと、私じゃなかったら出来なかっただろう。私はこの世界が私の夢に過ぎないと知っている。夢の中なのだから、私は何だってできるのだ。
そして少女は今、自分ひとりの力で小さな生活を紡ぎ始めた。相変わらず貧しいことには変わりないけれど、少女の瞳には利発的な輝きが生まれつつあり、私も彼女を見守ることが楽しくなってきた。
『どうしてあんな夢を観るのかしら』
そうねえ、私の髪の毛を梳りながらローザは、鏡の中で首を傾げる。彼女はいつだって私の長いブロンドを、お姫様みたい、と愛でてくれるのだ。
『貴女が恵まれすぎているからじゃないの、メグ』
そうかもしれないわね、私は先日巴里から取り寄せたばかりの口紅をひく。素敵な色、ローザが頬紅をはたいてくれると、鏡の中の私は幸福そうに笑う。薔薇色の頬に桃色の唇、本当にお姫様みたい。
『メグ、そろそろ貴女も恋を知る年頃になったのではなくて?』
『私はローザがいれば、それでいいわ』
『ふふふ、まだ赤ん坊なのね』
ローザ、私の姉妹であり親友。愛しい人。私達はいつまでも二人、この広い屋敷で幸せに暮らすのだ。勿論、いずれは恋をしてみるのも悪くないかもしれない。例えば、あの無口な新聞配達の少年――
『あら、それはだぁれ?』
『ローザだって知っているでしょう?』
『私? 私は知らないわ』
そうして意味ありげに微笑む。ローザったらもう、知らんぷりをして―― でも、私に恋はまだ早すぎる。いずれ時期が来るだろう。
――見つけたぞ
少女がドアを薄く開いた瞬間、父親はその隙間に膝を捻じ込んだ。押し広げられたドアと玄関の壁との間で、ドアノブが少女の腹部に食い込む。男の太い脚に遮られて、扉を閉めることすら叶わない。
――こんなところにいて。俺から逃げたつもりか?
父親は酒臭い息を吐いて少女の部屋を蹂躙する。土足で踏みにじられた米袋が裂けて、サラサラと白い流れが血のように溢れる。
――立派な生活してるじゃないか、え? 流石は俺の娘だ。
なにが俺の娘、よ。父親ぶらないで。私は心の中で悪態を吐く。少女は玄関先で時間を止められたまま、ガタガタと震えている。今にも溢れそうな涙。こんな男、どうせ金の無心に来たんだから渡して帰しなさい。そしてまた引っ越せばいいだけのこと。私は少女を励ます。あのときだって、逃げ切ったじゃないの。
――ところで、
父親が少女の胸倉を掴んで頤を引き寄せた。
――なかなかいい女になったじゃないか。
その瞬間、私は少女の肉体を支配した。
殺せ、こんな男、殺したって問題ない、これは夢なのだから。
少女になった私は、流しに置いてあった包丁を取り上げた。
振り上げた手が男に阻まれる。舌打ちされ、腹に熱い痛み。蹴られたのだ。胃の中身が逆流しそうになるのを抑え、両脚で踏ん張る。
――なんだお前、俺に逆らう気か? おい、メグミよう。
頬を張られ、涙が出た。血の味を噛み締める。
どうしてあの男は私の名前を知っているの。
夢よ、きっとこれが私の夢だからよ。
押さえつけられ、私はもがく。お行儀なんてこの際言っていられない。跳ね上げた足にぶよぶよした感触があり、男が呻いた。逆上した男の両腕が、私の首に延びる。ぐにゃりと視界が歪んだ。
怯んじゃダメ、目が覚めればこの痛みも忘れるわ。
こんな男、どうせ夢なんだから。
そう、ここは夢の世界――
ごうごうと、耳の奥に血の流れる音を私は聴いていた。そう、全て夢なのだ。ローザ、愛しいローザ。早く私を起こしに来て。
そう願っているのになかなかこの悪夢から脱け出せなくて、喉はひりひり焼けるように苦しいまま不意に視界が暗―




