第9話 ノリノリな母と妹
その爆弾は、火曜日の夜、いつものようにボイスチャットで翌週のレイドイベントの打ち合わせをしていた時に投下された。
『――ねえ、カズ。今度の土曜日、カズの家に行ってもいい?』
ヘッドセットから流れてきた東雲さんの――いや、ハルの声に、俺の指先がピタリと止まった。画面の中の俺のキャラクターが、崖っぷちでシュールに静止する。
「……は? 今、なんて?」
『だから、カズの家! 直接会って作戦会議した方が効率いいし……それに、相棒の部屋、一度見てみたいなって。……ダメ?』
語尾に少しだけ甘えるようなニュアンスが混じる。
脳裏に、あの学園一の美少女が俺の部屋のベッドに腰掛けている光景が浮かび、心臓が爆発しそうな音を立てた。
(待て待て待て! 東雲凛が、俺の部屋に!? 密室だぞ? 二人きりだぞ!?)
「い、いや……流石にそれはマズいだろ。お前、自分が女の子だって自覚あるのかよ。もし誰かに見られたら……」
『にひひ。大丈夫だよ、変装していくし。それに、私たち「親友」でしょ? 友達同士だったら、家に行ってゲームするなんて普通じゃん。……一真は、私のこと、そんなに「オンナ」として意識しちゃうわけ?』
「…………っ!!」
挑発的な、ハル特有のあの笑い声。
悔しいが、その通りだ。彼女の正体を知る前なら、俺だって二つ返事で「おう、来いよ」と言っていただろ。
ここで拒否するのは、逆に彼女を「女」として意識していると認めるようなものだ。
「……。……分かったよ。親友としてなら、別に構わない。……ただ、本当に変装してこいよ。あと、俺の部屋、散らかってるからな」
『やったぁ! 交渉成立だね、相棒! 楽しみにしてるよっ』
意気揚々とログアウトした彼女の声を聞きながら、俺は頭を抱えた。
勢いでOKしてしまったが、これ、どう考えてもハードルが高すぎる。
******
――翌朝。
朝食のテーブルで、俺は第二の難関に直面していた。
「……お兄、朝から顔色悪い。キモい」
向かいの席で、トーストを齧りながら冷ややかな視線を送ってくるのは、妹の双葉だ。
中学3年生の双葉は、今まさに反抗期の真っ最中。
まぁ可愛いところはあるんだけどな。
「……朝から『キモい』はねーだろ。これでも一応、お前の兄貴だぞ」
「事実を言っただけ。昨日も夜中まで喋ってたでしょ。……あの『ハル』とかいう人と」
「お、聞こえてたのか」
「声、デカすぎ。防音シート、もっと厚いのに変えたら?」
双葉はフンと鼻を鳴らした。
こいつは俺がネトゲにハマっているのは知っているが、その相手が誰かまでは知らない。もちろん、ハルが東雲さんだなんて言えるはずもない。
「……。……なあ、母さん、双葉。今度の土曜日なんだけどさ」
俺はキッチンで忙しなく立ち働く母に声をかけた。
「ん、どうしたの、一真?」
「その……ネトゲの友達が、うちに遊びに来ることになって。……だから、その、土曜の午後は二人で出かけてきてくれないか? 集中してゲームの話したいし……」
できるだけ自然に、家を空けてくれと頼もうとした。
だが、俺の予想に反して、母の瞳がパッと輝いた。
「ええっ! 一真にお友達が!? あの三年間ずっとお喋りしてた、ハルくん?」
「……。……まあ、そうだけど」
「まあ! それは大変! しっかりおもてなししないと。双葉、お掃除手伝ってちょうだい! ケーキも用意しなきゃ」
「げっ。……お兄のオタク友達のために、なんで私が掃除しなきゃいけないの。……どうせジャージ姿でポテチ食べて、コーラ飲むだけでしょ」
双葉が心底嫌そうな顔をする。
……そう。家族の認識では、ハルは「一真と同じような、冴えないゲーマー男子」なのだ。
「いや、いいんだって母さん! もてなしとかマジでいらないから! 適当に放っておいてくれればいいし、むしろ居ないほうが……」
「何言ってるの一真! 三年来の親友が初めて来るのよ? お母さんがちゃんと挨拶しなきゃ。ね、双葉、あの子たちが好きそうなピザでも頼んでおきましょうか」
「……。……チーズ多めなら、協力しなくもないけど」
「違う! そういうことじゃなくて……!」
必死の抵抗も虚しく、母と妹の中では「一真の親友(♂)歓迎パーティー」の計画が着々と進み始めていた。
本当は言わなければならない。
来るのは男じゃない。
学校一の美少女の、東雲凛なんだ。
……でも、言えるわけがない。
もし「ハルは女の子なんだ」なんて口走った瞬間に、母は根掘り葉掘り聞いてくるだろうし、双葉の軽蔑の眼差しはさらに鋭くなるだろう。
いや?でもどうせバレるんだし今言った方が?
……とか思ったが今から言う勇気も出なかった。
「……。……はぁ」
俺は深い溜息をつき、残りのコーヒーを飲み干した。
土曜日。
母と妹が待ち構えるリビングに、東雲さんがやってくる。
彼女は言った。
『変装していく』と。
その変装がどれほど完璧かは分からない。
けれど、あの圧倒的な「東雲凛」のオーラを、うちの鋭い妹がスルーしてくれるとは到底思えなかった。
(……詰んだ。これ、完全に詰んだ気がする)
学校では他人のふり。
ゲーム、そしてメールの中では相棒。
そして家では――絶体絶命の修羅場。
俺の月曜日は、また別の意味で重苦しいものへと変わっていった。
次の日。
学校の廊下ですれ違った際、東雲さんが「楽しみだね」と口パクで伝えてきたその笑顔が、今の俺には死神の微笑みにしか見えなかった。




