第82話 家族への報告
『――レイドボス「深淵の守護龍」、第一フェーズ終了! 全員、回復を待ってから散開して!』
ゲンゾウさんの冷静な指示が、ヘッドセットを通じて響く。
画面の中では、俺の重装騎士が龍の巨大な爪を大盾で受け止め、火花が散っていた。MPは半分。スタミナも厳しい。けれど、俺の指先はかつてないほど軽やかに、そして正確にキーボードを叩き続けていた。
「……凛、くるぞ。三秒後にブレスだ」
『了解! 完璧にバリア張るから、一真は一歩も引かないでね!』
凛の声。
それは、全体チャンネルに流れる「ハル」としての凛々しいトーンでありながら、俺の耳には、その奥に潜む「私を信じて」という甘い熱がはっきりと届いていた。
――ズドォォォォォン!!
龍の口から放たれた漆黒の炎が、俺の騎士を飲み込もうとする。
けれど、その直前。
凛の魔導師が放った蒼い障壁が、完璧なタイミングで俺を包み込んだ。ダメージ、ゼロ。
それどころか、彼女の魔法によって俺の剣には聖なる雷がエンチャントされる。
「――そこだぁっ!!」
俺は盾をしまい、両手で大剣を握りしめると、龍の眉間に向かって跳躍した。
本来ならタンクが取るべき行動ではない。けれど、俺には確信があった。俺が空中にいる間、彼女が絶対に敵のヘイトを管理し、俺を無防備にさせないことを。
『マリエ:ちょっとぉぉ!? 今の見た!? カズくんが跳んだ瞬間に、ハルちゃんが龍の目を潰して隙を作ったわよ! なんなの!? 台本でもあるの!?』
『シン:マジで引くわ……。VCで一言も打ち合わせしてないのに、なんであんなにピッタリ合うんだよ。これ、シンクロ率400%どころじゃないだろ』
『テツ:がはは! これが三年の積み重ねと……プラスアルファってやつだな!』
大人たちの驚愕の声。
けれど、俺たち二人は、そんな喧騒さえもBGMに過ぎなかった。
今の俺たちの感覚は、ディスプレイという壁を超えていた。
凛がいつ杖を振るい、いつ呼吸を止めて魔力を練るのか。
マウスを動かす彼女の指先の震えまで、俺には伝わってくるような気がした。
三年前。
ただのゲーム仲間だった頃は、言葉を尽くして作戦を立てていた。
一年前。
無二の相棒になった頃は、背中を預けることに安心感を感じていた。
そして、今。
恋人になった俺たちは。
お互いの「存在」そのものが、最強のバフになっていた。
「凛、ラストだ。奥義、合わせるぞ」
『にひひ。言われなくても、もう準備できてるよ! カズ、最高の舞台を整えてよね、私の騎士サマ!』
凛の弾けるような声。
俺の騎士が、龍の懐へと深く潜り込む。
「――シールド・バッシュ!!」
龍の巨体が大きく仰け反り、心臓部のコアが露出する。
その瞬間、夜空のような深い紫の魔法陣が、龍の頭上に展開された。
『ここだああぁぁ!!』
凛の絶叫と共に、無数の光の矢が龍を貫く。
俺と彼女の攻撃が、コンマ一秒の狂いもなく重なった。
――。
――。
――ドォォォォォォォォン!!!
画面いっぱいに広がる白光。
そして、レイドボスのHPゲージがゼロになり、勝利を告げる壮大なファンファーレが鳴り響いた。
『――「深淵の守護龍」、完全討伐! お疲れ様でした!』
ゲンゾウさんの声が、どこか脱力したように聞こえた。
俺は深く、深いため息を吐き出すと、背もたれに体を預けた。手汗でべたついたコントローラーを置き、ヘッドセットを少しずらす。
静まり返るボイスチャット。
いつもなら「やったぜ!」「報酬は何だ!?」と騒ぎ出すはずの大人たちが、誰も言葉を発しなかった。
数秒の、奇妙な沈黙の後。
マリエさんの、震えるような声が漏れた。
『……ねえ。……今、討伐のタイムレコード見た? ……歴代一位。それも、今までの記録をすごく更新してるんだけど』
『シン:いや、それよりさ。……今の戦い。カズとハル、一度も作戦ミスしなかっただろ。……っていうか、ハルがダメージ受けそうになった時、カズがノーモーションでカバーに入ったの、あれ何? 予知夢でも見てんの?』
『テツ:がはは! 違うな、シン。あれは「魂が繋がってる」からできる芸当だ。なあ、カズ、ハル。……お前ら、オフ会の後……「何か」あっただろ?』
……。
…………。
ディスプレイの中。
俺の騎士アバターと、凛の魔導師アバターが、勝利のポーズも取らずに、ただ静かに寄り添うように立っていた。
「……凛」
俺がプライベート・チャンネルで彼女の名を呼ぶと。
スピーカーから、少しだけ上気した、けれど最高に幸せそうな彼女の吐息が聞こえてきた。
『……にひひ。バレちゃったかな。だって、カズがかっこよすぎるんだもん。……私、……一秒だって、一真から離れたくなかったんだもん』
「…………っ!!」
不意打ち。
レイドボスよりも破壊力のある、彼女のデレ。
俺は、熱くなった頬を手のひらで押さえながら、意を決してマイクのスイッチを入れた。
「……ゲンゾウさん。……マリエさん」
『ゲンゾウ:……はい。聞いているよ、カズくん』
「レイド、終わりましたね。……約束通り。俺たちから、報告があります」
俺がそう告げた瞬間。
凛のアバターが、俺の騎士アバターの腕を、ゲーム内のモーションではなく、まるで本当にそこにいるかのように、そっと掴んだ。
『凛:……うん。私たち。……付き合い始めました』
『ひゃあぁぁぁぁぁぁぁっ!!』
『――――っ!!』
マリエさんの鼓膜を突き破るような絶叫が夜空を震わせるように響き渡り、クマさんの驚愕を感じ取った気がした。
画面の向こう側の「家族」たち。
そして、三年間、偽物の声で繋がっていた俺たちの、本当の真実。
「親友」というチュートリアルは、今、この瞬間に完全に終了し。
俺と彼女の、世界で一番甘くて、世界で一番無敵な「恋人生活」という本編が。
マリエさんの「お祝いよぉぉ!!」という狂喜乱舞の叫びを聞きながら、最高の結果と共にログインを開始した。




