第81話 ボロ出し月一討伐
七月末。
外は夜だというのに、湿り気を帯びた熱風が窓を叩き、網戸越しに蝉の鳴き声が微かに混じっている。
俺は、自室の椅子に深く腰掛け、目の前のメインモニターを見つめていた。
時刻は二十時五十分。あと十分で、ギルド『蒼穹の旅団』の月一イベント、全体討伐レイドが始まる。
(……。……。緊張する。……。ボス戦より、よっぽどな)
俺は手に持ったヘッドセットを、まるで爆弾を扱うような手つきで装着した。
今日のレイドがこれまでと違うのは、大型ボスの強さではない。
先日の夏祭り。
俺と凛は、「親友」という逃げ場を卒業し、正式に「恋人」になった。
そして、俺は彼女の家へ行き、お姉さんの雫さんや、お父様、お母様にも「彼氏」として認められた(……というか、なし崩し的に受け入れられた)。
残るは、俺たちを三年間見守り、あのオフ会で背中を押してくれたギルドの大人たちへの報告だ。
『――カズ。起きてる?』
カチリ、とプライベート・チャンネルに接続した瞬間。
レシーバーから、鈴を転がすような、耳の奥まで甘く蕩かすような彼女の地声が響いた。
「……おう。起きてるよ。……。凛、準備はいいか?」
『にひひ。バッチリだよ! 装備の耐久度もMAPの予習も完璧。……。でも、心臓の耐久度だけが、ちょっと……。……レッドゾーンかも』
凛の声には、期待と不安が同居していた。
彼女はオフ会以来、ギルド全体に対してもボイスチェンジャーを使わなくなっていた。
けれど、今夜は「恋人になりました」という、ある意味では性別バレ以上の爆弾を投下する予定なのだ。
「……。マリエさん、絶対に叫ぶよな。……。……ゲンゾウさんも、眼鏡落とすんじゃねーか?」
『あはは! 絶対そうなるよね。……。ねえ、一真。……。……やっぱり、今日、言わなきゃダメかな?』
「……ああ。……。あの人たちがいたから、俺はお前に告白できたんだ。……一番に、報告したいって思ってたから」
俺が真っ直ぐに伝えると、凛は少しの間沈黙し。
それから、ふっと柔らかく、幸せそうに吐息を漏らした。
『…………うん。そうだね。……さすが私の騎士サマ。……誠実すぎて、また惚れ直しちゃった』
「…………っ!! お前、そういうこと不意打ちで言うなよ!」
『にひひ! だって、本当のことだもん。……よし! じゃあ、そろそろ全体チャンネル、移ろっか。……ねえ、一真』
「なんだよ」
『……今日、……私の隣、……絶対、誰にも譲らないでよね? ……大好きだよ、相棒(彼氏)くん』
「…………ああ。…………俺もだよ。行こうぜ、凛」
俺たちは、どちらからともなく同時にチャンネルを切り替えた。
――。……。
『マリエ:おぉぉぉぉぉい!! 待ってたわよ! 熟年夫婦、ログイン確定ぇぇ!!』
チャンネルを切り替えた瞬間、鼓膜が破れるかと思うほどの大音量で、マリエさんの叫びが飛び込んできた。
『シン:マリエさん、うるさいって。……。よお、カズ、ハル。今日も二人並んでの登場か。……相変わらずだな』
『テツ:がはは! まあ、この二人が離れてログインしてくる方が不自然だからな。……。元気そうで何よりだ』
画面には、すでにゲンゾウさんを筆頭に、古参メンバーの八人が全員揃っていた。
『ゲンゾウ:カズくん、ハルちゃん。……。……。おやおや? ……。……。今日の二人、なんだか……ステータス画面には映らない「バフ」がかかっているように見えるのは、僕の気のせいかな?』
ゲンゾウさんの、すべてを見透かしたような鋭い一言。
さすがはシステムエンジニア。画面越しの空気感の変化に、一瞬で気づいたらしい。
『凛:えっ!? ど、どういう意味ですか、マスター!? 私たちはいつも通りですよ! ね、一真!』
『マリエ:あらぁ!? 今、ハルちゃん……『一真』って呼んだ!? 下の名前で呼んだわよね!?』
『凛:――――っ!?!?』
凛が、ボイスチャット越しに「うぐっ……」と息を呑むのが聞こえた。
……。
……やらかした。
俺たちは普段、二人きりの時やLIMEでは名前で呼び合っているが、ギルドのみんなの前ではまだ「ハル」と「カズ」のままで通していた。
『マリエ:今の聞き逃さないわよ! あのオフ会からの約三週間で、何があったのかしら!? ほら、白状しなさい!!』
『ゲンゾウ:まあまあ、マリエさん。……。重大な報告なら、まずはレイドを終わらせてからにしましょう。……。気が逸れると、ミスに繋がりますからね』
ゲンゾウさんが優しく(けれど、絶対に逃がさないというトーンで)場を制した。
『ゲンゾウ:カズくん、ハルちゃん。……。準備はいいね? 今日のボスは、今まで以上に「二人の連携」が鍵になる。……期待しているよ』
「…………はい。……。任せてください、マスター」
『凛:……うん! ……絶対、クリアしてみせるから!』
凛の声には、もう迷いはなかった。
俺はコントローラーを握る手に力を込め、画面の中の騎士を、彼女の魔導師の前に立たせた。
今夜のレイドは。
俺たちが「ただの相棒」として戦う、最後のステージ。
そして。
世界で一番大好きな彼女を。
俺という騎士が、世界中(ギルド中)に自慢するための、最高の披露宴会場。
(……。……。凛。……。見てろよ。……。……お前に、一発も攻撃、通させねーからな)
俺は心の中で、自分自身に最強のバフをかけた。
冷房の音だけが響く静かな部屋で。
俺の心臓は、これまで三年間で一番、熱く、激しく、勝利のリズムを刻んでいた。
『――全体討伐、開始!!』
ゲンゾウさんの号令と共に、画面いっぱいに魔法のエフェクトが炸裂する。
俺たちの「恋人としての初陣」が、今、幕を開けた。




