第79話 レイドボスとの対峙
「――ふぅ。お疲れ様、凛」
凛の部屋に並んだ二つのモニター。
そこに『エターナル・レジェンド』のボス討伐完了の文字が躍ると同時に、俺たちはどちらからともなくコントローラーを置いた。
三年間、ずっと画面越しに声を掛け合っていた俺たちが、今はこうして、肘が触れ合うほどの距離で同じ空気を吸いながら、同じ勝利を分かち合っている。
今でもなおそのことが信じられなかった。
「にひひ。やっぱり一真と並んでやると、ボイチャの時より三倍はやりやすいね。……。騎士サマ、私のこと、ちゃんと守りきれたじゃん」
凛が椅子をくるりと回して、俺の顔を覗き込んできた。
ポニーテールを揺らし、少しだけ上気した顔で笑う彼女。さっきまでの「未来の約束」と、不意打ちのハグの余韻がまだ部屋の隅っこに甘く残っている気がして、俺は慌てて視線を逸らした。
「……ああ。お前がハしゃぎすぎて、変なところで突っ込まないように、俺が物理的に止められるからな」
「むー、ひどい言い草! せっかく『大好き』って言ってあげたのに!」
「っ……!! そ、その話はもういいだろ!」
俺たちは立ち上がり、女子高生の香りが満ちる「聖域」を後にした。
そろそろ雫さんに挨拶を済ませて帰ろうとしたところだった。
……けれど。
人生という名のクソゲーは、いつだって平穏な瞬間に「予期せぬ最大級のイベント」を発生させるものだ。
階段を下りた、その時だった。
一階の玄関から、重厚なドアが開く「ガチャリ」という音。
続いて、地響きのような、重厚で規則正しい靴音がリビングへと近づいてきた。
「…………っ!!」
俺の隣で、凛の肩がピクッと跳ねた。
下りきった先、リビングの入り口。
そこには、俺の貧相な想像力を一瞬で粉砕するほどの、「圧」を持った男が立っていた。
がっしりとした、格闘家を思わせるような分厚い体格。
仕立ての良いダークスーツに身を包み、すべてを射抜くような鋭すぎる眼光。
一言で言えば、「絶対に怒らせてはいけない人」の完成形がそこにあった。
「――――……。ただいま。雫、凛。……。……客か」
低く、地を這うような重厚な声音。
凛のお父さんだ。
俺と目が合った瞬間、その鋭い眉根がピクリと動き、彫りの深い顔がさらに険しさを増したように見えた。
心臓が、レイドボスの初見ギミックを見た時のような激しい警報を鳴らす。
「あ、お父さん! おかえり。今日、早かったんだね」
俺が石像のように固まっている横で、凛は意外にも、普段通りの明るい声で父親に話しかけた。
「……ああ。会議が早く終わってな。……それで。そちらの少年は?」
凛パパは、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。
一歩ごとに床が沈んでいるんじゃないかと思うほどの威圧感。俺は、喉の奥がカラカラに乾くのを感じながらも、意を決して一歩前に出た。
ここで逃げれば、お祭りのあの約束が嘘になる。
俺は直角に腰を折り、精一杯の誠実さを込めて声を張り上げた。
「――初めまして!! 佐藤一真と申します! 凛さんと、……その、お付き合いをさせていただいております!! 本日はお邪魔しております!!」
「………………」
静寂。
凛パパは無言のまま、俺のことをじーっと、それこそ毛穴まで見透かすような目で見つめていた。
横から、雫さんがクスクスと笑いながらこちらの様子を覗いていた。
「にひひ。お父さん、そんなに怖い顔しちゃダメだよ。一真くん、さっきまで凛の部屋で二人きりでお勉強してたんだから」
(――――雫お姉様ぁぁぁ!)
俺は心の中で絶叫した。この義姉候補、本当に加減というものを知らない。
例えばこの前にいる凛パパが娘たちのことを溺愛していたとしたら……。
俺は今ここで殺されてもおかしくない。
凛パパの視線が、再び俺を捉えた。……今度は、さらに深くて暗い「何か」が宿っている。
「……凛の、部屋で。……。二人きり、か」
重い沈黙が流れた――かのように見えたが……
「――――ち、違うのお父さん! ゲーム! ゲームしてただけ!! ねえ、お父さん、変な想像しないでよ!」
凛が少し顔を赤くして父親の腕をポカポカと叩く。
その様子は、俺が想像していた「厳格な親子」というよりは、どこか遠慮のない、仲の良い父娘のそれだった。
「……。……フン」
凛パパは短く鼻を鳴らすと、俺たちを自然な流れでリビングへと招き入れた。
するとおもむろにソファーへ座り込み、俺をじっと見た。
「……。佐藤一真くん、と言ったか。自己紹介が遅れたね……私が凛の父の東雲宗二郎だ。凛が、中学の頃からずっと、ネットの中で君の話をしていたのは知っている。……君が、……ハルの騎士だということもな」
「――――っ!?」
驚く俺の横で、雫さんが「にひひ!」と笑いながら、追い打ちをかけた。
「そうなのよ一真くん。お父さんね、実はお昼に私から『今日、凛の彼氏が来るよ』って聞いた瞬間、定例会議を一時間も切り上げて帰ってきたんだから。昨日の夜なんて、どんな顔してあなたを出迎えればいいか、鏡の前で一人で練習してたのよ?」
「…………雫!! 余計なことを言うなと言っただろう!!」
宗二郎さんの顔が、一気に耳まで真っ赤に染まった。
さっきまでの様子とまるで違った。
先程言っていたたまたま会議が早く終わった、というのは嘘なのだろうか。
「あはは! だって本当じゃない。……。一真くん。この人、見た目はこんなに怖くて不器用だけど、あなたのこと、ずっと気になってたみたいよ? 『凛が夜中にあんなに楽しそうに笑ってる理由を見てみたい』って、いつも言ってたもの」
「………………」
宗二郎さんは、気まずそうに顔を逸らし、自分の膝の上で拳を握った。
……なるほど。
この人も、雫さんも、凛も。
みんな同じなんだ。
言葉は鋭くて、見た目や態度は不器用で、ついカッコつけてしまうけれど。
その根底にあるのは、あふれんばかりの親愛。
「…………。佐藤一真くん」
宗二郎さんが、今度は俺の名前を呼び、改めて目を真っ直ぐに見つめた。
そこにはもう、威嚇するような険しさはなかった。
あるのは、一人の父親としての、重みのある眼差し。
「……。……凛は、昔から完璧であろうとしすぎて、自分の本音を隠す癖があった。…………その娘が、顔も名前も知らないネットの海から見つけ出してきたのが、君なんだな」
「……。……はい」
「……。……私は、君の、君たちの三年間を全部知っているわけではない。……だが、今日、凛が君を家に招いた時のあの顔を見て……君が、この子にとってどれだけ大切な『騎士』なのかは、分かったつもりだ」
宗二郎さんは、おもむろに立ち上がると、俺に向かって大きな掌を差し出してきた。
「……。……東雲凛を、よろしく頼む……ってのはまだ高校一年生の君には早いかもしれない。だけど二人が悔いのない恋路を辿ってくれれば親としては嬉しい」
そう言ったが宗二郎さんは一度話を区切り「だが……」と釘を刺すように続けた。
「!……だが、もしうちの凛を泣かせるようなことがあれば。…………その時は、私が全力で君を『デリート』しに行くからな。……覚悟しておけ」
「――――!! はい!! よろしくお願いします!!」
俺はその手を、両手でしっかりと握り返した。
驚くほど大きくて、温かくて。
三年間、ハルが俺に届けてくれた『優しさ』と同じ温度の手だった。
「にひひ! さすが一真、お父さんの攻撃に耐えきったね! 合格!」
凛が嬉しそうに俺の腕に抱きついてくる。
その姿を見て、宗二郎さんは再び「……。フン」と照れくさそうに鼻を鳴らした。
こうしてレイドボスとのバトルはあっけなく、そして優しい雰囲気を纏わせながら、幕を閉じたのである。




