第7話 月明かり照らす堤防に並んで
ファミレスを出た頃には、空はすっかり濃藍に染まっていた。
駅までの帰り道。俺たちはどちらからともなく、少し遠回りになる川沿いの堤防へと足を向けた。
「……あ。ねえ、カズ。あそこのコンビニ寄ってもいい?」
東雲さんが街灯の下で足を止め、少し先にあるコンビニを指差した。
「別にいいけど。……まだパフェ食い足りなかったのか?」
「違うよー。……アイス。なんか、ちょっとだけ冷たいものが食べたい気分なの」
にひひ、と笑うその顔は、やっぱりいつもの相棒の顔だった。
俺たちはコンビニに寄り、適当な棒アイスを二つ買った。東雲さんはソーダ味、俺はバニラ味。
レジ袋から冷気を感じながら、俺たちは川のせせらぎが聞こえる堤防の坂を登り、ちょうど街灯の光が届かない、影になった草の上に腰を下ろした。
「……。……冷た」
「ふふ、でしょ? 冬に近い夜の風に吹かれながら食べるアイスって、なんか贅沢だよね」
東雲さんは器用に袋を破ると、青いアイスを一口かじった。
俺も隣で同じようにアイスを口にする。甘い香りと冷たさが、ファミレスでの熱いゲームトークで火照った頭をゆっくりと冷ましていく。
しばらくの間、川の音とアイスをかじる小さな音だけが響いた。
学校では絶対にありえない光景だ。
学園の女王である東雲凛が、帰宅部の地味な男子と並んで、夜の堤防で棒アイスを食べているなんて。
もし海斗が見たら、ショックで寝込むどころか、異世界に転生でもし始めるんじゃないだろうか。
「……ねえ、カズ」
東雲さんが、アイスを持ったまま夜空を見上げた。
雲一つない空には、白く輝く月が浮かんでいる。
「……なに?」
「……やっぱり、楽しいね。こうして、直接会って話せるの」
彼女の声は、夜の風に溶けるように柔らかかった。
「……。……まあ、そうだな」
「私さ……。最初にカズからオフ会の誘いが来た時、本当に、心臓が止まるかと思うくらいびっくりしたんだよ。……『えっ、どうしよう! 絶対に私の正体バレちゃうじゃん!』って」
東雲さんは少しだけ自嘲気味に笑って、アイスをペロリと舐めた。
「怖かった。……ずっと男のふり(ボイチェン)をしてカズを騙してたことがバレて、軽蔑されたり、怒られたりしたらどうしようって。……如月……じゃなかった、東雲凛だって分かった瞬間に、今までの『相棒』の関係が終わっちゃうんじゃないかって、そればっかり考えてた」
「……。……お前、そんなこと考えてたのかよ」
「当たり前じゃん。……でもね、勇気を出して、行ってよかった。……本当によかった」
東雲さんはアイスを持った手を膝の上に置き、俺の方を向いた。
月明かりに照らされた彼女の瞳が、潤んでいるように見えて、俺の心臓は再び大きな音を立て始めた。
「……私を、見つけてくれてありがと。……『ハル』を見捨てないでいてくれて、本当にありがとう。……私、今が一番幸せだよ。……学校での『東雲さん』でいる時間より、こうしてカズの隣で『ハル』でいられる今が」
彼女の言葉は、嘘偽りのない、剥き出しの本音だった。
完璧な美少女としての仮面を脱ぎ捨てて、俺という、ただ一人の相棒にだけ見せる、一人の女の子としての心。
俺は、アイスの棒を握りしめた。
……そうだ。俺だって同じだ。
最初は、ハルの正体が東雲凛だと知って、絶望した。
自分の過去の変態的なチャットログを思い出して、死にたくなった。
でも。
こうして隣で笑い、悩み、自分の弱さをさらけ出してくれる彼女の姿を見ていると。
そんな羞恥心なんて、どうでもよくなってくる。
「……。……礼なんて言うなよ、気持ち悪い」
「あはは! ひっどーい。そこは『俺もだ』とか格好いいこと言う場面でしょ?」
「……。……。……俺もだよ、バカ」
小声でそう付け加えると、東雲さんは一瞬ポカンとした後、パァッと花が咲くような笑顔を見せた。
「……うん。……にひひ、合格!」
彼女は満足そうにアイスの残りを口に放り込み、空を仰いだ。
その横顔があまりに綺麗で、俺はしばらく目を逸らせなかった。
(……この関係を、絶対に壊したくないな)
夜空に浮かぶ月を見上げながら、俺は心の中で静かに誓った。
いつかこの秘密がバレる日が来るかもしれない。
一ノ瀬さんの鋭い直感に捕まるかもしれないし、海斗に怪しまれるかもしれない。
でも、たとえ世界中が敵になったとしても、俺はこの『相棒』だけは守り抜こう。
俺が送ったあの最低な黒歴史の数々。
それを笑って受け入れてくれた彼女のために。
そして、俺にだけ見せてくれる、この特別な笑顔のために。
「……ねえ、カズ。アイスの棒、当たりが出たらもう一軒付き合ってもらおっかな」
「……。……欲張るなよ。ほら、見せてみろ」
俺たちはスマホのライトで棒を照らした。
残念ながら、二人とも外れだった。
「あーあ、残念! ……でも、まあいいか。当たりは、次回のオフ会までお預けってことで」
東雲さんは立ち上がり、パンパンとスカートの砂を払った。
「……。……またやるのかよ、オフ会」
「当たり前じゃん。……だって、私たち親友でしょ? ……ね、相棒?」
差し出された彼女の手。
俺は一瞬迷ってから、その手を軽く叩いて、ハイタッチを交わした。
「……ああ。……次は俺がボコボコにしてやるよ、ハル」
「やってみなよっ。返り討ちにして、また黒歴史音読しちゃうんだからね!」
俺たちは笑い合いながら、月明かりの堤防を後にした。
明日になれば、また「東雲さん」と「佐藤くん」に戻る。
けれど、俺たちの胸の中には、コンビニのアイスよりもずっと甘くて、消えない温もりが確かに残っていた。




