第49話 親友だもんね?
ホテルの回転ドアを抜け、街へと踏み出した瞬間、六月の生温かい風が俺たちの頬を撫でた。
ついさっきまでシャンデリアの光と大人たちの笑い声に包まれていた個室の空気が、急に遠い異世界の出来事のように感じられる。
俺は、半歩前を歩く東雲さんの背中を追っていた。
清楚な白いワンピースに、淡いブルーのカーディガン。
そして陽の光を反射するさらさらとした黒髪。
学校での「東雲さん」よりも少しだけ背伸びをしたその姿は、直視するのが躊躇われるほどに眩しかった。
「……。行っちゃったね、みんな」
東雲さんが不意に足を止め、振り返った。
彼女の顔は、まだ個室での熱を帯びたまま、少しだけ赤らんでいるように見えた。
「……ああ。……。シンくんは『二次会でカズの奢りな!』とか言ってたけど、速攻でゲンゾウさんに連行されてたな」
「にひひ。……マリエさんも、最後の方はもう『尊すぎてお肌の調子が良くなった!』なんて意味不明なこと言ってたし。……。ほんとに、賑やかな人たち」
東雲さんはクスクスと笑いながら、再び歩き出した。
駅へと続く並木道。俺たちは、どちらからともなく歩幅を合わせ、並んで歩く。
「……。……なあ、ハル」
「んー?」
「……お前ら、マリエさんたちと外に出たとき。何、話してたんだ?」
俺がずっと気になっていたことを問いかけると、彼女の肩がピクッと跳ねた。
彼女は前方を見つめたまま、一瞬だけ沈黙し――それから、少しだけ早口で答えた。
「……。……別に、大したことじゃないよ。……。マリエさんの婚活の愚痴とか、ユキさんの旦那さんの惚気話とか……。あと、学校での私たちの様子とかを、ちょっとだけ……ね」
「……。俺の悪口、言ってなかったか?」
「…………言ってないわよ! ……。ただ、『カズはたまに、びっくりするくらいデリカシーがない』って話はしたかな」
「……余計なお世話だわ」
俺が眉を寄せると、にひひとハルらしい笑みを浮かべて、俺の顔を覗き込んできた。
「じゃあさ、カズこそ……。ゲンゾウさんたちと、何話してたの? 男同士、なんか不穏な作戦でも立ててたんじゃないの?」
「…………っ!!」
心臓がドクン、と大きく鳴った。
ゲンゾウさんの『彼女を真っ向から受け止める準備をしなさい』という言葉。
テツさんの『あの目は絶対的な確信の目だ』という台詞。
……そしてクマさんの、『最高の素材を引き立てる塩になれ』という謎の、けれど重みのあるアドバイス。
そんなの、口が裂けても今の彼女には言えない。
「……。いや、別に。……ゲームの攻略の話だよ。……次の大型アプデの時に、どう動くか……とか」
「…………嘘。カズ、今、目が泳いだ」
東雲さんが足を止め、俺の目の前に回り込んだ。
……近い。
ふわりと、彼女の髪から漂う甘い香りが、夜風に混じって俺の鼻腔をくすぐる。
「……。隠し事、禁止。……。相棒でしょ?」
東雲さんは少しだけ背伸びをして、俺の目をじっと見つめてきた。
潤んだ瞳。その奥にある熱。
学校では決して見せない、けれど三年間、俺だけが画面越しに追いかけ続けてきた、最高に愛おしい「相棒」の光がそこにあって。
「…………ハル。……お前さ」
「……なに?」
「……。今日のみんなの言葉、本気にしてないよな?」
俺が絞り出すように問うと、凛はきょとんとして目を丸くした。
「……。みんなの、言葉?」
「……『夫婦みたい』とか、……。……『お似合いだ』とか……。……。ああいうのは、マリエさんたちが俺たちをからかってるだけだからな」
俺は、自分に言い聞かせるように、精一杯の「親友の防壁」を築いた。
東雲凛。学園の天使。俺みたいなモブが、そんな彼女と本当に「お似合い」なわけがない。
……そう、思わなければ、この心臓のバクバクに飲み込まれてしまいそうだった。
そういうのはダメだとみんなに言われたばかりなのに。
すると。
東雲さんはふっと表情を緩め、どこか寂しげに、けれど優しく微笑んだ。
「……バカ一真。……。……。そんなこと、分かってるよ」
彼女は自分のカーディガンの裾を指先でいじりながら、俯いて続けた。
「……私たち、親友だもんね。……相棒なんだから、仲が良いのは当たり前でしょ? でもさ……」
「……でも?」
「ええと……。……否定するのも、なんか違うなって思っただけ」
「……。え?」
「……。だって。私にとって、カズが一番近い場所にいてくれるのは、『事実』なんだもん。学校での私は、みんなのものかもしれないけど。……今、こうして隣にいる私は……カズだけの『ハル』なんだから。……。それをわざわざ、『ただのクラスメイトです』なんて嘘つく必要……ないかなって」
彼女は顔を上げ、目を細めた。
その言葉は、「好き」という決定的な一言よりも、ずっと重く、熱く、俺の胸に突き刺さった。
親友。
相棒。
そんな便利な言葉の下で、俺たちはもう、とっくに普通の友人関係なんていう枠組みを、粉々に壊してしまっている。
お互いに、それ以上踏み込むのが怖くて。今のこの「一番近い場所」を失いたくなくて。
必死に、親友という名の、脆い防波堤を守り続けている。
「……ああ。……。……そうだな。俺も、否定するつもりはなかったよ。……。……お前が俺の相棒なのは、三年前からの真実だしな」
「…………にひひ。よかった。……。……。カズに『俺たちが相棒だなんて、やめてください!』なんて大声で否定されたら、私、恥ずかしくて、悲しくて今頃、駅前の噴水に飛び込んでたかも」
東雲さんはいたずらっぽく笑うと、一歩、また一歩と、俺との距離を詰めてきた。
彼女の手が、俺のシャツの袖にそっと触れる。
握りしめるわけではない。けれど、離れることもない。
五月の夜風に揺れる、触れるか触れないかの、絶妙な距離感。
「……カズ。……。……明日から、また学校だね」
「……。ああ。……。勉強も頑張らないとな」
「……うん。……。また、『佐藤くん』と『東雲さん』だね。……クラスのみんなの前で、他人のふりをするの……。前より、少しだけ……。……寂しくなっちゃうかも」
そういうと、俺の袖を指先でツンと弾いた。
「……お前がボロ出さないように、俺が目を光らせておいてやるよ。……それが、騎士の役目だろ?」
「にひひ。そうだね。……じゃあ、明日の朝。一番に、目が合ったら……私だけがわかる『バフ』、かけてよね、相棒」
「……。……。善処するよ」
駅の改札が見えてくる。
現実の世界へと戻る境界線。
俺たちは立ち止まり、最後にもう一度だけ、お互いの顔を見つめた。
そこには、もう大人のオフ会の余韻なんてなかった。
あったのは、学校での人気者でもない、ボイチェンのゲーマーでもない。
ただの、お互いを一番大切だと思っている、佐藤一真と東雲凛の姿。
「……じゃあ、また明日、教室で。東雲さん」
「……うん。……。また明日、佐藤くん。……あ。……。……。カズ」
「なんだよ」
「……にひひ。……おやすみ、ハルの騎士サマ」
彼女ははパチンとウィンクをしてみせると、軽やかな足取りで改札の中へと消えていった。
俺は、彼女がいなくなった夜の街を、一人で歩き出した。
右手の掌に残る、彼女が最後に触れた袖の冷たい感触と。
それとは対照的な、胸の奥でいつまでも燻り続ける、熱い確信。
「…………。……。完敗だよ、マジで」
俺は苦笑いしながら、夜空を見上げた。
ゲンゾウさんのアドバイスも、マリエさんの絶叫も。
今はまだ、俺たちの「親友」という嘘を壊すには、少しだけ早すぎる。
けれど。
明日、教室で彼女と目が合った時。
俺の心臓は、きっと、今までで一番大きな音を立てて、彼女だけの名前を呼ぶのだろう。
俺のポケットの中で、スマホが一通の通知を知らせた。
【ハル:無事に乗れたよ。……。……。今日は、ありがとね。……。また夜のログインで、惚気話しよっか!】
……。
…………。
「…………しねーわ、バカ」
俺は、熱くなった頬を風に晒しながら、家へと続く道を、少しだけ浮ついた足取りで走り出した。
俺と彼女の、ただの「相棒」という物語。
それは、大人の世界を少しだけ知ったことで、また一段と、甘くて残酷なほど、特別な輝きを放ち始めていた。
これにてギルド内オフ会編終了です!
ここまで読んで頂きありがとうございます!
2人が余裕のある大人たちからの視点に触れたことにより、お互いへの想いを自覚するきっかけになりました!
続きもお楽しみに〜




