第45話 家族のような雰囲気に包まれて
「――ハ、ハルくん、ちょっとこっち向いて! あ、やっぱり向かないで! 眩しすぎてお姉さんの濁った眼球が焼け落ちちゃうわ!!」
一流ホテルの重厚なロビー。マリエさんの絶叫(もちろん周りには音量の配慮済み)はまだ収まる気配がなかった。
東雲さんは、俺の背中に半分隠れるようにして、顔を真っ赤にしながら俺のシャツをギュッと掴んでいる。その指先の震えが、俺の背中を通じてダイレクトに伝わってきた。
「……マリエさん、いい加減にしてください。東雲さんが困ってるじゃないですか」
「東雲さん!?」
あ、しまった。いつものくせで本名を……。
「カズくん、今『東雲さん』って呼んだわね!? ああもう、リアルでもその苗字呼びの距離感! ボイチャじゃあんなに『カズ』『ハル』って呼び合ってるのに、外ではお互い意識しまくりなのね!? ご馳走様です!!」
「……。……。マスター、本当に助けてください」
俺がゲンゾウさんに視線を送ると、彼は銀縁メガネの奥の瞳を細め、苦笑いしながら肩をすくめた。
「……いや、無理だよカズくん。三年間、君たちの痴話喧嘩……じゃなかった、攻略会議を見守ってきたマリエさんにとって、この『答え合わせ』は最高のご褒美なんだから」
「がはは! 全くだ。しかし驚いたぜ。あの生意気な口を利くハルが、こんなにお淑やかなお嬢さんだったとはな」
テツさんが豪快に笑いながら、落としたスマホを拾い上げる。
クマさんはコクコクと頷き、シンくんも、いまだに信じられないといった顔で、俺と東雲さんを交互に見ていた。
「いやマジで、これ『エタレジェ』のオフ会だよな? なんかファッション誌の撮影現場に迷い込んだかと思ったわ。……。カズ、お前よく三年間もハルくんが女の子だって気づかなかったな」
「……。ボイチェンの性能が良かったんです」
俺がぶっきらぼうに答えると、背後から東雲さんの「……にひひ」という小さな笑い声が聞こえた。
「――あら。皆さん、もうお揃いでしたか?」
不意に、背後からおっとりとした、柔らかな声が響いた。
振り返ると、そこには落ち着いたベージュのセットアップに身を包んだ、優しそうな女性が立っていた。
三十代半ばだろうか。柔和な微笑みを浮かべ、手に持ったハンドバッグを上品に抱えている姿は、まさにギルドの「癒やし担当」であるユキさんそのものだった。
「あ、ユキさん! 遅いですよぉ!」
マリエさんが駆け寄る。ユキさんは「ごめんなさい、電車が少し遅れてしまって」と頭を下げると、その視線をゆっくりと俺たちに向けた。
そして――。
「……ふふ。やっぱり。あなたが、カズくん。そして、あなたが――ハルちゃんね?」
ユキさんは、驚く様子も、パニックになる様子もなく。
まるで最初から分かっていたかのように、慈愛に満ちた笑顔で東雲さんの手を取った。
「えっ……。あ、あの……。ユキさん、驚かないんですか? 私、ずっと男の子のふりをしてて……」
東雲さんが目を丸くして尋ねると、ユキさんはおっとりと首をかしげた。
「……。……ええ。驚いたわよ。……実物がこんなに可愛らしいお嬢さんだったなんてね。……でも、ハルちゃんが女の子だってことは、なんとなく最初から気づいてたかも?」
「「「「「――――えええええ!!??」」」」」
今度は、俺たち全員が叫ぶ番だった。ゲンゾウさんさえも「ユキさん、本当ですか!?」と身を乗り出している。
クマさんは変わらず目を見開くだけだった。驚いてはいる……のかな?
まぁそんなことは今はいい。
「……どうしてですか? ……ハルのボイチェン、俺でも三年間気づかなかったのに」
俺の問いに、ユキさんは「ふふっ」と悪戯っぽく笑った。
「……。……言葉遣いは確かに男の子っぽかったけど。ハルちゃん、カズくんが風邪を引いたり、試験で落ち込んだりした時に送るメッセージ……。男の子同士にしては、あまりにも優しすぎて、細やかだったものだから……。それに、たまに語尾が少しだけ可愛くなる時があって。これは女の子だな、って」
「…………っ!!」
東雲さんの顔が、今日一番の赤さに染まった。
「……。……。ユキさん、そこまで見てたんですか」
俺が驚きながらそういうと、
「……私だけじゃないわよ。……。ゲンゾウさんだって、テツさんだって。……。……心の中では『この二人、普通じゃないわね』って思ってたはず。……ね?」
ユキさんがギルマスの顔を覗き込むと、ゲンゾウさんは観念したようにため息をついた。
「……まあ、性別までは確信してなかったけど。……カズくんに対するハルちゃんの信頼の寄せ方が、ただの友人関係を超えてるのは感じてたよ。……だから、今日この二人が隣り合って現れたのも、僕にとっては必然というか……すとんと腑に落ちたよ。ハルちゃんの性別を除いてね」
……。
…………。
大人の視点。
俺たちが「他人のふり」だの「親友だ」だのと必死に言い訳を積み上げていた三年間のすべては、この人たちの目には、微笑ましくも透け透けの「純愛」として映っていたのだ。
「……さあ、いつまでもロビーで話しているのも何ですから。……。……。予約の時間だし行きましょうか。……。…今日の主役たちのために、一番いい個室を確保してあるので」
ゲンゾウさんのリードで、俺たちはいかにも良さげな雰囲気のビュッフェ会場へと移動した。
会場に足を踏み入れると、そこは豪華なシャンデリアと、五月の光を反射する全面ガラス張りの絶景が広がっていた。
円卓を囲むようにして座る。
ゲンゾウさんが中央に、その両脇をテツさんとクマさんが固め、反対側にはユキさんとシンくん。
そして、マリエさんが「絶対にここ!」と言って譲らなかった特等席――。
俺と東雲さんは、並んで座ることになった。
そしてとりあえず各々のドリンクを手に持ち乾杯をする流れになった。
「――はいっ! まずはギルド三周年に乾杯!! そして、カズハルの『公式カップル(仮)』認定に、乾杯!!」
「「「「「「「乾杯!」」」」」」」
「マリエさん、後半は余計です……」
「そんなことないわよ〜♪」
マリエさんの音頭で、オフ会が本格的に始まった。
******
俺と東雲さんは、並んでビュッフェカウンターの前に立った。
大人たちは「若い二人を優先してあげよう」と、あえて少し離れた場所でスパークリングワイン(ノンアル)を傾けながら、ニヤニヤとこちらを観察している。
「……ハル。……大丈夫か?」
俺が小声で尋ねると、東雲さんはトングを握りしめたまま、小さく頷いた。
「……。うん。……。でも、まさかユキさんにバレてたなんて……。恥ずかしくて死んじゃいそう」
「……自業自得だろ。……。ほら、皿出せよ。……。お前、これ好きだろ」
俺は、彼女が差し出した真っ白な皿の上に、迷わずローストビーフを二枚乗せた。
「あ。……。ありがと。……。あ、カズ。……。カズは、あそこのスモークサーモンでしょ? ……。ケッパー多めが好きなんだよね」
「……ああ。よく覚えてるな」
「当たり前じゃん。……。三年間、カズが夜食に何を食べてるか、全部チャットで報告させてたんだから」
「いや、夜食でケッパーは使わねぇだろ」
「にひひ。最初はケッパーのこと分からなくってなんかあの、萎んだ梅の小さいバージョン、みたいなこと言ってたよね」
「うっせぇ、もうそのことは忘れろ」
東雲さんは笑いながら、俺の皿に器用にサーモンを盛り付けてくれた。
続けて、俺は彼女の皿にある食材達を見つめる。
「……。ハル。……。そのテリーヌ、生のブルーベリーがソースに入ってるぞ。俺のに乗せていいから、横のキッシュに変えとけ」
「あ……。ほんとだ、危ない。……。ありがと、カズ。……。やっぱり、カズは一番頼りになるわ」
そんな、俺たちにとっては「日常」でしかないやり取り。
三年間、電子の海で培ってきた阿吽の呼吸。
けれど、それを遠くから眺めていた大人たちの反応は、俺たちの想像とは全く違うものだった。
「――ああああああああ!! もう無理!! 尊死する!! 誰か救急車呼んで!!」
マリエさんの叫びが俺たちの個室に響き渡った。
「マリエさん!? どうしたんですか!?」
「見た!? ゲンゾウさん、今の見た!? あのカズくんの、息をするようなエスコート!! そしてハルちゃんの、当たり前すぎる甘え方!! 『ケッパー多め』とか『ブルーベリー回避』とか、そんなの熟年夫婦でもなかなかできないわよ!!」
「がはは! 全くだ。マスター、これもう『オフ会』じゃなくて『新婚旅行の報告会』だな」
テツさんが豪快に笑い、シンくんも「マジかよ……。俺、大学生なのに負けてるわ。あの二人の間の空気、誰も入り込めないじゃん」と感心したように溜息を吐いていた。
ゲンゾウさんは、眼鏡を指でクイッと押し上げると、温かい眼差しで俺たちを見つめた。
「……カズくん。ハルちゃん。……。やっぱり、僕の目に狂いはなかったよ。君たちが画面越しに見せていた絆は、リアルでも本物だったんだね」
俺と東雲さんは、顔を見合わせて固まってしまった。
……。
…………。
「まぁまぁ、若者2人をからかうのはそれくらいにして、ご飯を食べましょ!」
手を叩きユキさんがみんなをまとめる。
ユキさんまじ天使。
みんなの視線が俺たちからそれたのを確認して、俺たちは二人しか聞こえない声で話し始めた。
「(……。……。カズ。……。……これ、私たち、そんなに『夫婦』に見えてるのかな?)」
「(……。……。お前が当たり前のように俺の皿にサーモン乗せるからだろ。……。……。あと、距離。……さっきから近すぎるんだよ)」
「(カズだって私のブルーベリー避けたくせに……。でも、いいじゃん。……。だって、ここには海斗くんも咲希もいないんだもん。……。ここは、私たちの場所でしょ?)」
東雲さんは、誰にも聞こえない声で囁くと、俺のシャツの袖を指先で「ツン」と弾いた。
学校では、クラスの人気者と、その他大勢の男子。
けれど、この一流ホテルの個室という閉ざされた空間では。
俺たちは、三年間ずっと魂を預け合ってきた、世界で一番深い絆を持つ相棒なのだ。
俺が照れ隠しに頭を下げて席に戻ると、ユキさんが隣で優しく微笑んだ。
「いいのよ、カズくん。あなたたちは、このままでいい。……。三年間、お互いの中身だけを見て信じ合ってきたその時間を、大切にしてね」
「……はい」
俺は力強く答え、隣に座る東雲さんを見た。
彼女は、お皿に乗ったローストビーフを一口食べると、最高に幸せそうな、俺だけが知っている「ハル」の笑顔を見せた。
「……。……。にひひ。……。……。世界で一番おいしいかも。……。ね、相棒?」
テーブルの下。
彼女の指先が、俺のニットの裾を、誇らしげに握り締めていた。
学校という小さな檻から飛び出した、俺たちの世界。
そこには、俺たちの絆を全力で肯定し、祝福してくれる「家族」がいた。
大人の余裕で見守る彼らに囲まれながら、俺たちのオフ会は、これ以上ないほど甘く、温かな熱を帯びて走り出していた。




