第42話 チョロい私
放課後のチャイムが鳴り響く。
いつもなら「やっと終わった!」と、心の中でハルになって伸びをするところだけど、今の私の心は、どんよりとした梅雨空みたいに重かった。
「……面白くない」
私は、カバンに教科書を詰め込みながら、斜め後ろの席をチラリと見た。
案の定、カズ――佐藤くんの周りには、今日も数人の男子と、そして他クラスの女子たちが集まっている。
「佐藤くん、次の日曜日にさ、一組の連中とバドミントンの練習するんだけど、来ない?」
「あ、それいいな! 私も見に行ってもいい?」
……。……。……はぁ!?
練習? 応援? 何それ。
カズは、私とネトゲのイベントを回る約束があるんですけど?
だいたい、カズは人混みが苦手で、知らない女の子に囲まれるとすぐにポーカーフェイスで誤魔化す癖があるんだから、無理に誘わないでくれる?
(……。……。あー、もう。本当にイライラする)
私は、あえて椅子をガタッと鳴らして立ち上がった。
「凛りん、部活行くよーっ! ……。あ、また顔が般若になってる」
「……なってないし」
咲希が呆れたように私を見てくる。私は「なんでもないから」と短く答えて、カズの横を素通りした。
一瞬、彼と目が合った気がしたけれど、私はあえて鼻を鳴らして無視してやった。
そうよ。今の私は怒ってるの。
あんなにデレデレしちゃって。
よくあんなに他の女の子と喋れるわよね。
バカ一真。ヘボ前衛。一生初期装備でいろ!
――。……。けれど。
更衣室に向かう廊下の途中で、私のスマホが震えた。
無視しようと思ったけれど、通知画面に映った名前に、私の指は勝手に動いてしまう。
『一真:悪い。今、体育館の入り口の自販機の裏にいる。……。一分だけでいいから、来てくれないか?』
「…………っ」
心臓が、跳ねた。
……な、なに。呼び出し?
まさか、さっきの女の子たちの誰かと付き合うことにしたから、相棒を辞めるなんて言い出すんじゃ……。
そんな最悪の想像が頭をよぎり、私は咲希に「先に行ってて!」と叫んで、猛スピードで階段を駆け下りた。
夕方の体育館。まだ部活動が本格的に始まる前の、少しだけ静かな空気。
自販機の裏の影に、見慣れた背中があった。
「……。……。何の用よ。佐藤くん。私、部活で忙しいんだけど」
私は、できるだけ冷たい「東雲さん」の声を意識して、彼の背中に声をかけた。
カズはゆっくりと振り返る。
彼の右手には、私が一番大好きな、『完熟ピーチティー』のボトルが握られていた。
「……これ。やるよ」
「……え?」
「……。……。さっきの休み時間。……。一ノ瀬さんに聞いたんだよ。お前、今日は一段と練習のメニューがキツくて、朝から『糖分足りない』ってボヤいてたんだろ」
カズは、少しだけ照れくさそうに視線を逸らしながら、冷えたボトルを私に差し出してきた。
「……。……。これ、あげる」
彼は、一歩だけ私に近づいた。
周囲に誰もいないことを確認してから、彼はいつもの、低くて落ち着く「カズ」の声で囁いた。
「……。……。お前、さっきからずっと不機嫌な顔してただろ。……。……他クラスの奴らに練習誘われたけど、全部断っておいたから。……。……俺の放課後は、ハルの『専用』だって言ってある」
「――――っ!!」
……。……。……。
バカ。……。……。……バカ一真。
専用だなんて、そんな……。
そんなの、そんな言い方されたら。
さっきまでの怒りも、独占欲も、ドロドロした黒い感情も。
全部、この冷たいボトルの水滴みたいに、綺麗に消えていっちゃうじゃない。
「……嘘つき。……。……ハルの専用だなんて、そんなこと言ってないくせに」
「……まあ、ニュアンスはそんな感じだよ。……。ほら、早く行け。一ノ瀬さんが探してるぞ」
「………………」
ダメだ。
笑みが、止まらない。
私は、彼から奪い取るようにボトルを受け取ると、誰にも見られないように、彼のシャツの袖を指先で「ギュッ」と握った。
「……。……。許してあげる。……。……。こんな簡単なことで許しちゃうなんて、私、本当にチョロい相棒だわ……」
「……。……。自覚があるならよろしい」
「……。……。うるさい。……。……お礼に、今日の夜のログイン。……。カズが欲しがってた『深淵の鉱石』、一緒に掘りに行ってあげる。……特別なんだからね?」
「……ああ。……。楽しみにしてるよ、ハル」
カズは、いつものポーカーフェイスのまま、けれど私の頭をポン、と一度だけ、本当に一瞬だけ叩いて去っていった。
一人残された自販機の裏。
私は冷えたボトルを両手で包み込み、熱くなった頬に押し当てた。
(……あー、もう。本当にチョロい。私、バカすぎる……っ)
あんなにモヤモヤして、あんなに「絶交してやる!」くらいの勢いだったのに。
彼が私の好きな飲み物を覚えていてくれて。
私のために女子たちの誘いを断ってくれて。
「専用」だなんて、特別な名前をつけてくれただけで。
私の心は、満タンのバフがかかったみたいに、キラキラと輝き始めていた。
学校では、完璧な東雲凛。
ギルドでは、最強の魔導師ハル。
けれど、佐藤一真の前では。
私はただの、世界で一番幸せな「チョロい女の子」だった。
「……。……。よし! 練習、頑張っちゃお!」
私はボトルを一口飲んだ。
桃の甘い香りが、胸の奥まで広がっていく。
この特等席は、誰にも渡さない。
私は、私の騎士の隣で、ずっとワガママを言い続けてやるんだ。
体育館前に吹き込む風が、私の背中を優しく押した。




