第14話 脅迫、再び
月曜日、放課後。
俺は逃げるように校門を目指していた。
朝から一ノ瀬さんの、なんとも言えない無自覚で鋭い視線に晒され、昼休みには東雲さんから机の下で『カズ、咲希に捕まらないようにね(笑)』という煽りLIMEを送りつけられた。
このまま学校に居ては、心臓がいくつあっても足りない。
「一真! 待てよ、古本屋行くんだろ!?」
背後から海斗の声が聞こえるが、今は悪いが無視だ。
さっきまでゆっくり喋ろうかなとか思ってたけど、急に怖くなってきてしまったんだ。
悪いな親友、今日のお前は東雲凛の幻影でも追っていてくれ。俺は今、一刻も早く「佐藤一真」というモブキャラの平穏を取り戻したいんだ。
ショートカットのために体育館裏の細い道を通ろうとした、その時だった。
「――だから、ごめんなさい。……気持ちは嬉しいんだけど」
聞き覚えのある、鈴を転がすような声。
俺は反射的に足を止め、壁の影に身を隠した。
(……一ノ瀬さん?)
角の向こう側。そこには、うちのクラスの、いや学園のトップ2の一人、一ノ瀬咲希が立っていた。
そしてその前には、どこかの部活のユニフォームを着た、いかにも「爽やかイケメン」な男子生徒。
「……やっぱり、ダメかな。俺じゃ、一ノ瀬さんの特別にはなれない?」
「うーん……。ダメとかじゃないんだけど、よく分からないんだよね。『特別』とか『好き』とか。……ごめんね?」
一ノ瀬さんは、困ったように眉を下げて笑った。
それは学校で見せる「天真爛漫な天使」の笑顔ではなく、どこか空虚で、それでいて残酷なほど純粋な拒絶だった。
……見てはいけないものを見てしまった。
俺は息を殺して、音を立てずに引き返そうとした。
だが、こういう時に限って、運命というやつは俺の味方をしてくれない。
カサッ。
足元の枯れ枝を踏んでしまった小さな音が、静かな空間に響く。
「――誰?」
男子生徒が鋭くこちらを振り返る。
……終わった。
俺は観念して、影から姿を現した。
「……あ、いや。……悪い。通り道で。……お邪魔しました」
俺が気まずそうに頭を掻くと、告白していた男子生徒は苦々しい顔をして走り去っていった。
残されたのは、俺と、一ノ瀬咲希。
逃げよう、今すぐ逃げよう。……と思ったが。
「…………あ。カズッチくん」
一ノ瀬さんは、俺の顔を見るなり、パッと表情を明るくした。
さっきの「冷めた天使」はどこへやら、いつもの無邪気な一ノ瀬咲希ちゃんだ。
「……一ノ瀬さん。……その、災難だったな。……俺は何も見てないし、誰にも言わないから」
「ふふ、ありがと。……でも、別に言ってもいいよ? 咲希、こういうの慣れっこだし」
彼女はトテトテと俺に歩み寄り、首をかしげて俺の顔を覗き込んできた。
「ねえ、カズッチくん。……一つ、聞いていい?」
「……。……何だよ」
「『好き』って、どういう感じなのかな?」
あまりにも真っ直ぐな問いに、俺は言葉に詰まった。
「……。……。……そんなの、俺に聞くなよ。相手を間違えてるだろ」
「ううん。カズッチくんに聞きたいの。……さっきの彼も、これまで告白してくれた人も、みんな私の『顔』とか『明るいところ』が好きって言うんだよ。……でも、それって、咲希じゃなくてもいいんじゃないかなって」
一ノ瀬さんは、フェンスに背中を預け、空を仰いだ。
「凛りんはね、誰にでも優しいけど、本当はすごくこだわりが強くて、自分の世界を持ってるの。……でも、カズッチくんは、そんな凛りんの『中身』を分かってる感じがする。……だから、カズッチくんなら、本当の『好き』を教えてくれるかなって」
ドキリ、とした。
彼女は知らない。俺と東雲さんが、三年間ネトゲで魂を削り合うような相棒関係であることを。
でも、彼女の直感は、俺と東雲さんの間にある「特別な何か」を正確に射抜いていた。
まじでなんでこの人こんなに鋭いんだ。
「……。……俺だって、そんなに詳しくないよ。……でもさ」
俺は、先日東雲さんが俺の家に来た時の事を思い出した。
「……相手の『いいところ』じゃなくて、相手の『ダメなところ』を許せるようになったら……。……あるいは、相手のカッコ悪い姿を見ても、『やっぱりこいつじゃなきゃダメだ』って思えたら。……それが、本物の『好き』なんじゃないのかな……」
これは、俺がハルに対して抱いている感情に近い。
口が悪いし、わがままだし、黒歴史で俺を脅してくる最悪の相棒。
でも、他の誰よりも、あいつと喋っている時間が、ゲームをしている時間が一番楽しい。
俺がそう答えると、一ノ瀬さんは目を見開いて俺を見つめた。
そして、ふわりと、春の陽だまりのような笑みを浮かべた。
「…………。……。……ふふっ。……あははは! やっぱり、カズッチくん、面白い!」
「……何がだよ」
「カズッチくん、最高! 咲希、決めた。……凛りんとカズッチくんが何をしてるのかも気になるけど……。……咲希も、カズッチくんのこと、もっと知りたくなっちゃった!」
一ノ瀬さんは俺の腕をポンと叩き、にっこりとあざとく笑った。
「凛りんに内緒で、咲希とも『特別』な友達になってくれる? ……恋愛相談役、として!」
「……。……悪いけど、勘弁してくれ。俺みたいなモブが君みたいな目立つ子と関わると、ろくなことにならないんだよ」
俺がそう言って立ち去ろうとした、その時。
一ノ瀬さんが、ひょいっと俺の前に回り込んで、人差し指を唇に当てた。
「えー、断っちゃうんだ? ……ねえ、カズッチくん。もし咲希がみんなに、『佐藤くんがえっちな目で、校舎裏で咲希のことを見てきたんだよー』って言ったら……みんな、どっちを信じると思う?」
「……っ!!」
心臓がドクンと嫌な音を立てた。
学園の天使、一ノ瀬咲希。彼女が涙目でそんなことを言おうものなら、俺の学園生活は五秒で終了する。海斗にすら「一真、幻滅したぞ」と言われる未来が見える。
……それに。
よくよく考えてみれば。
俺はネトゲのボイチャで、まさに今目の前にいる彼女の胸元について「ボタンが弾け飛ぶのが心配」なんて、えっちな目線以外の何物でもない発言を繰り返していたわけで。
(……今見てるわけじゃないけど……嘘ではない……もんな……)
俺の脳内にある「黒歴史のアーカイブ」が、一ノ瀬さんの言葉を「事実」として認めてしまった。納得してしまった自分に、猛烈に腹が立つ。
「……お前、それは卑怯だろ」
「にひひ。……じゃあ、咲希の相談、乗ってくれる?」
一ノ瀬さんは、何事もなかったかのように満面の笑みに戻った。
そのあどけない笑顔の裏に、確かな「確信」が見える。彼女は俺が折れることを分かっているのだ。
「…………分かりましたよ。お引き受けします。ただし、東雲さんには絶対内緒だぞ」
「やったぁ! 決まりだね! ……えへへ、凛りんには内緒の、カズッチくんと咲希だけのヒ・ミ・ツ!」
一ノ瀬さんは楽しそうに笑うと、俺のスマホのカメラに向かってピースサインを作ってみせた。
「じゃあ、また明日ね、カズッチくん!」
一ノ瀬さんは軽やかな足取りで走り去っていった。
俺はしばらくその場に立ち尽くし、自分がとんでもない契約を結んでしまったことを後悔していた。
――帰り道。
俺のスマホが、ポケットの中で震えた。
【凛:カズ、ちゃんと今日は時間通りにきてね?……悪い子には、今日のアプデ、厳しいミッション押し付けちゃうからね(笑)】
「…………」
俺は、夜のログインで待っている「相棒」と、新しく増えてしまった「無自覚な爆弾娘」の板挟みになり、天を仰いで盛大な溜息をついた。
東雲さん(ハル)には絶対に言えない、一ノ瀬さんとの秘密。
俺の毎日は、どうやら、とんでもない方向に複雑化し始めたらしい




