第13話 星十個のオフ会
パタン、とドアが閉まる。
わずか六畳ほどの俺の部屋。普段は使い古したパソコンの排熱と、脱ぎ捨てたジャージの匂いくらいしかしないこの空間が、今はとんでもないことになっていた。
「――ふぅ。やっと静かになったね」
東雲さん――いや、ハルはそう言って、俺の使い古したパイプ椅子の背もたれに、だらりと体を預けた。
……ダメだ。彼女の方から甘い香りが部屋中に充満していく。
「……ハル。お前、さっきのリビングでの振る舞いはなんだよ。双葉が完全に俺のことを『脅迫犯』扱いしてるんだけど」
「にひひ。だって、双葉ちゃんがあんまりにも一真のことを疑うから、面白くなっちゃって。……でも、これで土曜日の午後は誰にも邪魔されないね?」
東雲さんは首をかしげ、いたずらっぽく笑う。
だが、彼女の視線はすぐに部屋の探索へと向けられた。
「へぇ、ここがカズの聖域かぁ。……本棚、意外と漫画多いんだね。……あ、これ私も持ってるやつだ。……ん? こっちの、少し奥に隠してある厚い本は何かなー?」
「っ……!! おい、勝手に触るな!」
俺は音速で東雲さんの手を押さえた。
それは、男子高校生なら誰しもが持っている……けれど、学園一の美少女には絶対に見せられない、いわゆる「紳士の嗜み」的なムック本だ。
「えー、気になる。もしかして、一昨日ボイチャで言ってた『究極のニーハイ図鑑』とかいうやつ?」
「違う!てか俺は言ってねぇ」
なんか絶対領域どうたらこうたらって話から彼女が言い出したのだ。
そう考えると、今まで俺は変な性癖を暴露していたが、東雲さんも大概だよな……。
「じゃあ、ベッドの下かなぁ? よくアニメとかだと、そこが定番だよね?」
東雲さんはニヤニヤしながら、今度はベッドの方へ膝をついて這いつくばろうとする。
ミニスカートの裾が危うい角度で揺れ、俺は慌てて彼女の肩を掴んで引き戻した。
「……っ、ハル! 本当にいい加減にしろよ! 俺の社会的尊厳が死ぬ!」
「あははは! カズってば、焦りすぎ! 分かったよ、冗談だって。……本物の私がここにいるのに、本なんて見なくていいでしょ?」
彼女はそう言うと、俺のすぐ隣、ベッドの縁にちょこんと座った。
距離が近い。
彼女の膝が、俺のジーンズにわずかに触れる。
「……。……。……ったく。お前、本当に性格悪いわ」
「知ってるでしょ? 三年前からね。……ほら、お喋りは終わり。作戦会議、始めるよ」
東雲さんはスマホを取り出し、俺のデスクにあるパソコンを指差した。
スイッチを入れる。見慣れた『エターナル・レジェンド』のログイン画面が映し出された。
そこからの時間は、驚くほど速く過ぎた。
新しく実装されるレイドボスの行動パターン、それに対する俺たちのスキルの回し方。
「ここは私がタゲを取るから、カズは後ろから最大火力を叩き込んで」
「バカ言え。お前の防御力じゃ、ボスの強攻撃一発で沈むだろ。俺が盾になるから、お前は隙を見てバーストを狙え」
ボイスチャット越しに三年間続けてきた、いつものやり取り。
けれど、今はすぐ隣に彼女がいる。
彼女がコントローラーのボタンを叩く音、集中して少しだけ細められる瞳、そして、作戦が決まった時に見せる、晴れやかな笑顔。
ふと、一区切りついたところで、俺は画面から目を離した。
「……。……なんだよ、本当に楽しいな、これ」
無意識に、そんな言葉が漏れていた。
「え?」
東雲さんが、きょとんとして俺を見た。
「……いや。昨日までは、お前が東雲凛だって分かって、正直パニックだったし、今だって家族にどう説明すればいいか分かんねーけど。……でも、こうやってお前と並んでゲームの話してるのは、やっぱり……三年前から変わらず、一番楽しいわ」
俺は照れ隠しに、あえて不機嫌そうな顔をして、キーボードを叩いた。
すると、隣で少しの沈黙が流れた。
「…………にひひ。カズ、今、すっごくいい顔してるよ?」
東雲さんが、ニヤニヤしながら俺の顔を覗き込んできた。
「……っ、なんだよ。見てんじゃねーよ」
「見てるよ。だって、カズがそんなに素直に『楽しい』なんて言うの、珍しいんだもん。……そっかぁ。一真くん、私と一緒にいられて、そんなに幸せなんだ?」
「お前……! そういう風に、すぐ揚げ足取るのやめろ!」
「いいじゃん、本当のことなんだから。……でもね、カズ。私も、同じだよ」
東雲さんは、ベッドに手をついて、少しだけ俺の方に身を寄せた。
「学校では、どんなにみんなに囲まれてても、どこか遠くにいるような気がしてた。……でも、この部屋で、カズとこうして並んでると……私が『東雲凛』じゃなくて、ただの『ハル』でいられる気がするの。……カズが、私をただの相棒として見てくれるから」
彼女は、少しだけ頬を赤く染めて、小さく笑った。
「……だから、私も。……昨日よりも、今日の方が、もっと楽しいよ。……ありがとね、カズ」
……。
…………。
ダメだ。
この美少女は、時折こういう、相棒としての「デレ」をクリティカルヒットさせてくる。
「……。……。……ったく。お前、本当……。……こっちも、ありがとな。……ハル」
俺たちが、言葉にならない温かい空気に包まれていた、その時だった。
「お兄。お母さんが、お茶新しく淹れたから、あとピザ――」
ガチャリ、とドアが開いた。
そこには、トレイを持った双葉が、地蔵のような顔で立っていた。
俺のベッドに並んで座り、妙に良い雰囲気で見つめあっている俺と東雲さん。
「…………」
「…………」
双葉の視線が、俺と東雲さんの「触れそうな距離」の膝、そして赤くなった俺の顔を、冷徹にスキャンする。
「…………犯罪確定。……今度こそ、お巡りさん呼んでくる」
「待て双葉! 誤解だ! これは戦略的近接距離であってだな……っ!」
いやなんだ戦略的接近て、焦りすぎてキモイことを……!
「あはは! 双葉ちゃん、タイミングいいなぁ。……カズ、続きはまた、夜のログインでね?」
東雲さんは、慌てふためく俺を見て、楽しそうに笑いながらカバンを手に取った。
嵐のような家庭訪問。
結局、家族の中での俺の評価は「東雲凛をたぶらかした不審な兄」として確定してしまったが。
彼女が帰った後の、少しだけ彼女の香りが残る自分の部屋で。
俺はスマホに届いた『今日のオフ会、星十個! また明日、学校でね、相棒!』というメッセージを見つめながら。
今までで一番、月曜日が来るのが待ち遠しいと感じていた。




