第11話 変装(?)したネトゲ友達がやって来た!
土曜日、午後一時。
外は抜けるような青空で、絶好の行楽日和……もとい、絶好のログイン日和だった。
だが、俺こと佐藤一真の心境は、これから行われる公開処刑を待つ罪人のそれと何ら変わりはなかった。
「お兄、邪魔。そこどいて」
冷ややかな声と共に、掃除機を持った妹の双葉に足を小突かれる。
双葉はポニーテールを雑に揺らしながら、俺の部屋の前をこれでもかと入念に掃除していた。
その瞳には「オタクの兄が初めて家に招く怪しいネット友達」に対する、深い警戒心と、わずかばかりの好奇心が宿っているように見える。
「……双葉、そんなに気合入れなくていいって。どうせ野郎が一人来るだけなんだから」
「ふん。お兄の数少ない友達でしょ。不潔な家だと思われて、唯一の縁が切れたら可哀想だと思っただけ。お母さんなんて、さっきからキッチンで張り切りすぎてて怖いし」
意外とお兄ちゃん思いのいい妹なんだよな。ツンツンしてるように見えるが。
リビングの方からは、母さんの「あら、このお皿の方がいいかしら!」という楽しげな声と、オーブンから漂ってくる甘いケーキの匂いがしていた。
……地獄だ。
母さんも双葉も、これから来る『ハル』という人物を、俺と同じような「冴えないゲーマー男子」だと完全に思い込んでいる。
もし、あの東雲凛がこの玄関を潜ったらどうなるか。
昨夜のボイスチャットで、俺は最後の悪あがきとして「やっぱり中止にしないか」と提案したが、彼女は鼻歌混じりにこう言ったのだ。
『だーめ。もう服も選んじゃったし、変装の準備もバッチリだもん。カズの家族に会えるの、楽しみにしてるからね?』
確信犯だ。あいつは、俺の家がカオスになるのを分かっていて楽しんでいる。
そして何より、俺の手元には彼女からの最凶の脅迫状――『うなじのポエム、咲希に教えちゃうよ?』というメッセージが残っている。
俺に拒否権など、最初から存在しないのだ。
――ピンポーン。
心臓が、喉から飛び出しそうなほど大きく跳ねた。
「あ、来たわね! 一真、早く開けてあげて!」
キッチンからエプロン姿の母さんが飛び出してくる。双葉も掃除機を止め、無表情を装いながらも視線は玄関へと固定されていた。
「……。……。ああ、今行く」
俺は、まるで断頭台へ続く階段を登るような足取りで、玄関へと向かった。
ドアノブを握る手が、嫌な汗で湿っている。
深呼吸を一つ。……よし、死ぬ準備はできた。
ゆっくりと、ドアを開ける。
「――おっはよ、カズ! 待たせたな!」
そこに立っていたのは、見慣れない格好をした一人の……「美少年」風の少女だった。
大きめの黒いマウンテンパーカーに、だぼだぼのワイドパンツ。頭には深く被ったキャップ。そしてメガネ。
ハルとしての「男友達」を意識したのだろう。ボーイッシュな装いで、いつもの学園の女王としてのオーラを殺そうとしているのは分かる。
分かるのだが――。
(……隠せてねーよ、バカ!!)
隠しきれない肌の白さ。
キャップからこぼれる、艶やかな黒髪の毛先。
そして、メガネの奥でキラキラと輝く、宝石のような瞳。
何より、パーカーの裾から覗くその華奢なシルエットは、どう足掻いても「むさ苦しい男子ゲーマー」のそれではない。
むしろ、ボーイッシュな格好をすることで、彼女の持つ素材の良さが、ギャップとなって暴力的なまでの破壊力を生み出していた。
「……。……ハル、お前……」
「にひひ、どう? 私なりの『相棒』スタイル。これならバレないでしょ?」
東雲さん俺にだけ聞こえるような小声でそう言うと、得意げに胸を張った。
その瞬間。
背後から、二つの、凍りついたような気配を感じた。
「…………え?」
最初に声を漏らしたのは、母さんだった。
手に持っていた「おもてなし用」のトレイが、ガタガタと音を立てている。
「…………は?」
続いて、双葉。
彼女は、玄関に立つ「変装した東雲凛」を、頭の先からつま先までスキャニングするように見つめ、それから俺の方を、まるで未知の害虫を見るような目で振り返った。
「……お兄。……ハルくんって、男だって言ってなかった?」
「……。……。……いや、その……」
バレない分けないよな!!!
俺が言葉に詰まっていると。
東雲さんは、やっぱりバレちゃったか〜という軽い感じでパッと表情を切り替えた。
いたずらっぽいハルの顔から、全校生徒を魅了する「学校の天使」東雲凛の顔へ。
「――初めまして! 佐藤くんのクラスメイトで、ネトゲでは『ハル』として仲良くさせてもらっている、東雲凛です。今日は突然お邪魔してしまって、申し訳ありません!」
東雲さんはキャップを取り、深々と頭を下げた。
さらりと流れる黒髪。そして、その動作に伴って、彼女のうなじが露わになる。
彼女が脅しのネタに使った「禁断の聖域」。
一ノ瀬さんのではないが、彼女のうなじもまた同様に、月光のような白さと、柔らかな産毛が街灯……ではなく玄関の電球に照らされ、俺の脳内は一瞬でショートした。
「ま、まあ……っ! まあまあまあ!!」
母さんが、噴火したような勢いで叫んだ。
「一真! あなた、何てこと! こんなに可愛らしいお嬢さんを、あんな『男友達が来る』みたいな言い方して! 準備が、おもてなしの準備が全然足りないわ!!」
「え、いや、だから……っ」
いや、男友達が来る、とは一言も言ってはいない。
「凛ちゃん、って言うのね? さあ、上がって! 立ち話もなんだし、さあさあ!」
母さんの怒涛の勢いに押され、東雲さんは「あはは、お邪魔します!」と楽しげに笑いながら、スッと家の中に入ってきた。
通り過ぎざま。
東雲さんは、俺の耳元でだけ聞こえる囁きを落としていった。
『――カズ。お母さん、面白いね。……あと、さっき私のうなじ、ガン見してたでしょ?』
「…………っ!!」
俺が赤面して固まっていると、最後に残った双葉が、俺の横を通り過ぎる際に、氷点下の声を吐き捨てた。
「……お兄。あんた、いつからそんな『高度な嘘』がつけるようになったわけ? ……東雲凛って、あのバスケ部のエースで、学園一の……。……信じらんない。キモすぎて、今すぐ通報したいんだけど」
「待て、双葉! 違うんだ、これは不可抗力で……っ!」
「……さっさと部屋に行けば? 二人きりで何するつもりか知らないけど、壁、薄いからね」
双葉はそう言い残し、リビングへと戻っていった。
静かになった玄関で、俺は一人、絶望的な溜息をついた。
母さんの勘違いは「嬉しい誤解」という名の暴走を始め。
双葉の評価は「ただのキモい兄」から「犯罪者一歩手前のキモい兄」へと転落した。
そしてリビングでは、東雲さんがすでに母さんと楽しげに談笑する声が聞こえてくる。
「凛ちゃん、ゲームなんて意外ねぇ。うちの一真、迷惑かけてない?」
「いえいえ! 私の方がいつも一真……佐藤くんに助けてもらってるんですよ? 彼は、私の最高の『相棒』ですから」
俺の平和だった家庭は、東雲凛という名の台風によって、ものの数分で壊滅的な被害を受けた。
(……これ、生きて部屋まで辿り着けるのか?)
俺は震える足で、カオスと化したリビングへの一歩を踏み出した。
秘密を共有しすぎた相棒の、初めての家庭訪問。
それは、俺の想像を遥かに超える、破滅とときめきの始まりだった。




