異形
朝、いつもと違う異変に気が付いた。
俺は毎朝起きた時に顔を洗って歯を磨いて、新聞で株をチェックして再びベッドに潜るというまぁ高校生としてはまことに一般的でつまらない習慣を持ち、特徴なんて所詮一人暮らしをしているくらいのもんなわけだが、それが今朝は──
「……なんだってんだよ」
鏡に映った己の異形を見た。
頭上に、黒い角が生えていたのだ。
……何だこれ? 日頃の行いが悪かったのか?
とにかくこれはまずい。学校にも行けやしない。休みを取るという手もあるが、「角が生えていたから休みました」では洒落にならないし、出席日数から単位も危ない。留年して一年後輩とヨロシクやっていくつもりはない。
まず俺は、背に腹は替えられないと、箪笥の中から引っ張り出してきた帽子を被る事を試みた。おかしな人とは思われるかも知れないが、角は隠しとおせる──
「なん……だと……!?」
──と思っていた時代が、俺にもあった。
帽子は、いとも容易く突き破られた。
帽子が駄目ならハサミで切るという実力行使も考えられるが……やめよう。結果は見えている。ハサミが使い物にならなくなるか、もしくは砥がれるかだ。どちらにしろ角は揺るがない。
「……はぁ」
困り果てて溜息。すると、頭の上の角が垂れ下がったのに気がついた。
「おぉ!?」
その発見に驚愕。さらに今度は垂れ下がっていた角がいきなり立ち上がる。
「こ、これは……?」
「何やってんのあんた?」
その言葉に、更に角が跳ね上がる。それと同時に俺は、後ろを向いた。
「か、奏……」
そこにいたのは俺の幼馴染、奏だった。美少女という種族に属するが物好きで言う事やる事が滅茶苦茶、その一例として一人こっくりさんでテスト範囲を予想し八割九分という脅威の的中率を叩き出した、などのエピソードがある。
その幼馴染は俺の姿──主に頭頂部を舐めまわすように見つめ、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「へー、どうしてアホ毛生えてんの? 面白いね」
「……アホ毛?」
その聞き慣れない単語に、俺は困惑した。ってか面白い言うな。
「アホ毛っていうのは、平平凡凡な日常に満足できなくなった人達が自己主張をするためにある日、髪の一部を跳ねさせたのが始まりなの。
ああでも、もう一つ女の人があんまり知的に見えると敬遠されたり嫌われたりするから、逆に少し自分を本来より頭悪く見せて男の人に媚びるために大成されたって説もあるね。ここから『アホ毛』ってネーミングの由来になったとか言われてるんだ」
部屋に戻り、俺の椅子に座り回転したりしながら楽しげに説明をする。
「男の場合はサイヤ人とかスコールみたいにすればいいけど、女だと恥ずかしいから一部だけ跳ねさせるスタイルが出来たんだよね。勿論蘭ちゃんみたいな例外もあるけど。
それで当然さ、立たない人もいるわけ。あぁ性的な意味じゃなくてだよ。それで立たない人のために開発されたのが『アホ毛ヴィッツ』ってアクセサリー。あぁ、ヴィッツってカツラの事だよ。
けどアホ毛カツラって呼ぶとなんかおかしいからヴィッツって英語を取ったんだって。それ以前にまずアホ毛って時点で変だと思うのになぁ。もぐもぐ……」
首を傾げながら、奏はトーストを口に頬張る。……おい人様の家のもん勝手に食うなよ。
そしてそんな俺の視線をものともせず、奏は更に指を立てながら説明を続ける。
「けど、確かアメリカだったっけな? その辺りの欧米の国の科学者が変な薬開発したらしくてさ。服用したらどっかのホルモンが活性化してあんたみたいにアホ毛が生えるんだ。誰得なんだろうね? ふぅ……」
言い終えると、奏はマグカップに入った牛乳を飲む。……だからお前の家のもんじゃないだろそれも。
この馬鹿は一人で満足しているようだが、こいつの説明には言わずと知れた穴がある。それも、とてつもなく大きな穴だ。
「お前なぁ……それで俺はどうしてこんな事になったんだ?」
憮然と言いながら頭の上に生えているアホ毛とやらを指で弾く。するとそのアホ毛なるものは回転を始めていた。……本当に何なんだ、この頭の上についているものは。
「知らない。男なら困った事があれば自分で考える。以上」
全く使えない奴だ。
「あと今の今まで完璧にスルーしてやっていたが、お前どこから入ってきた?」
現在一人暮らしをしているとは言え、俺はドアに鍵もチェーンも掛け忘れたりする人間じゃない。昨夜もちゃんとチェックしたのを覚えている。それなのに唯一の住人たる俺が気付いていないうちに侵入しているとは、これ一体どういうことか。
「窓からだよ。二階の」
ほーなるほど……なんていうと思ったか?
「確か窓の鍵とか閉めてたよなぁ?」
実を言うと、俺には答えが分かりきっていた。何度も同じ事があったからだ。特に「お目覚めのキスだよ」なんていってスタンガンで布団の中の俺に電撃を飛ばしてきた時はパニックして死ぬかと思った。ちなみにその後こいつの頭が越後の鏡餅みたいになるくらいに拳骨をくれてやった。
そんな衝撃的な過去──俺たちの長き戦いの記憶を振り返りつつ、俺がきつくこの幼馴染の方を睥睨すると、こいつは当たり前といった様子で答えた。
「ドライバーを使ってね、三角に窓を切って──」
「OK。警察を呼ぼう」
「待って」
その一言とともに奏の手が伸び、俺が手に持った携帯電話を無刀取りの如く一瞬の内に奪った。そしてそれを、袖の中に隠した。……いやおかしいだろ、その場所は。
「これには重要な理由があるんだからっ! 勘違いしないでよねっ!」
「ツンデレかよ!」
「いい? まず説明よ。話せば分かるんだからっ! 犬養毅、五・一五!」
「今は日本史の勉強をしてるんじゃないんだ。さっさと続けろ。あとツンデレ口調はもういい」
とりあえずこいつの下らない説明にあまり時間を割いてもいられない。もしかしたら普通に寝てた方がまだ生産的な場合もある。
「ケース1:私は朝起きて、顔を洗ったんだからっ!」
「あぁ、それでどうした? あとツンデレ口調はいらん」
「ケース2:そしておじいちゃんのポリデントを見ていたら、つい……ついあんたの事を思い出したんだからっ!」
「どういう連想をしたんだよそれわぁ!」
「ケース3:それで神様から、あんたの家に侵入しろって命令が聞こえて」
「なるほど、弁解の余地は無いな」
俺は重い腰を上げ、階段を下りる。
「ちょちょちょっ、こんな時間に警察とか近所に迷惑だからっ!」
「安心しろ。隣の家の娘が頭に重要な疾患を抱えていると、119番に伝えてくるだけだ」
「やめてっ! 大体二人っきりなんだから、この状況をどう説明するの!」
そう言えばそうだったな。俺とこいつと二人っきり、と言う事は……。
奏が背後から俺にしがみついてきている。背中にはなんとも言い難い感触。
「お前に一度、痛い痛い罰をくれてやろうか……?」
「へ……?」
そう、性欲を持て余した俺は、ついに獣になっ────ぎゃああああああ! 痺れるっ!
「勘違いしないでよねっ!」
アホ毛をカクカクさせながら俺が最後に聞いたのは、そんな似非ツンデレ幼馴染の声と、スタンガンのバチバチッという痛そうな音だった。
目を覚ました。今何時なのかはさっぱりだが、これで最低でも遅刻は確定したわけだ。
「あぁ、目が覚めたの」
声がした。そちらの方を見ると、やはりと言うか奏。
「あれ? お前学校は──」
「どっかの誰かさんが倒れてたせいで、結局サボる事になってね」
「すまん……」
一応謝っておく。元凶は向こうの方だけど。
「まったく、いきなり壊れちゃってさ」
「誠に申し訳ない……」
……まぁ最終的には俺に責任があるのかあれは。つまりはそう言う事なんだな。
しかし俺なんかのために、こいつはよくもまぁサボタージュなんて物をやってのけたもんだ。
「……そのアホ毛、解決するのに本当に苦労したんだからっ!」
「だからツンデレはもうい……何だって!?」
今こいつは何を言った? 解決するのに苦労した? 俺が気絶している間にこいつはそんな努力を?
「あれ? どこ行くの?」
「洗面所。鏡見てくる」
俺のその言葉の意味を汲み取った奏は、満足したように笑って見送ってくれた。
そして洗面所、鏡の前。面を上げ、自分の顔──その頭上を確認する。
なんと、あの散々俺を困らせていたアホ毛なる角が、
携帯電話のデコ電のように可愛らしく装飾されていた。光に反射し、見事なまでに頂点が煌いている。
…………。
「なんでじゃあああああああ!」
俺の魂の叫びが、半径100メートル圏内に谺した。