※第八話:とある日常風景
数日後、一行は再び小さな街に滞在していた。
宿の広間で夕食を取っていると、リリアがアリスに無邪気に話しかけた。
「アリス、きょうは、リリアの、おたんじょうび?」
アリスは口に運んでいたスープを吹き出しそうになった。
「へ?お誕生日?リリアは今日が誕生日なのか?」
リリアは首を横に振った。
「リリア、おたんじょうび、しらない」
その言葉に、アリスはハッとした表情を浮かべた。
獣耳を持つリリアは孤児である。
自分の生まれた日を知らないのだ。
「そっか……」
アリスはこの子の境遇に対する配慮が足りなかったと、少し申し訳なさそうな顔をした。
しかしすぐにいつもの調子を取り戻した。
「よし!じゃあ、今日をリリアの誕生日にする!」
「え?」
リリアが思わず声を上げる。
「いいじゃないか!今日からリリアの誕生日だ!私が盛大に祝ってやる!」
アリスはそう言うと、早速宿の主人に掛け合いに行った。
「お誕生日パーティー!?美味しいものいっぱい食べられるかな!」
グルリンもリリアの周りを飛びながら目を輝かせている。
そして、急遽リリアの誕生日パーティーが開かれることになった。
アリスは街の店を駆け回り、飾り付けや小さなプレゼントを用意し、グルリンは落ちていたキラキラした小石を集めて飾り付けに貢献(迷惑がられていたが)。
シズクは得意の(?)お菓子作りに挑戦すると張り切っていたのだが……
「あらあら、小麦粉がこんなところに……」
シズクが笑顔で振り返ると、背後には見事な小麦粉の山が築かれていた。
さらに砂糖と塩を間違える、卵を殻ごと混ぜるなど、そのポンコツぶりは遺憾なく発揮され広間はカオスと化していた。
しかしリリアはそんなシズクのドジっぷりを見て、キャッキャと楽しそうに笑っている。
その無邪気な笑顔を見ていると、トホホの胸に言いようのない温かいものが込み上げてきた。
そしてリリアがシズクの盛大に焦げ付いたクッキーを「おいしい!」と笑顔で頬張った瞬間、トホホは強烈な既視感に襲われた。
焦げ付いたクッキー……
それを笑顔で食べる小さな女の子……
頭の中に、ぼんやりとした映像が蘇る。
それは自分が幼い娘に同じように焦げ付いたお菓子を渡して、娘が「パパの作ったお菓子だ!おいしい!」と笑っていたそんな光景だった。
心臓がドキリと跳ねる。
忘れていたはずの娘との大切な記憶の一片が、ふとした瞬間に蘇ったのだ。
(そうだ……あの子もこんな風に笑っていた……)
胸を締め付けるような懐かしさと同時に、トホホは強烈な罪悪感に襲われた。
グルリンとの契約でこんなにも大切な娘との記憶を自ら手放してしまっていたのかと。
「トホホさんどうかしましたか?顔色が優れませんよ」
心配そうなシズクの声にトホホはハッと我に返った。
「あ……いえ、大丈夫です」
そう答えたもののトホホの心は激しく揺れていた。
失ったはずの記憶が確かに自分の中に残っている。
それはグルリンが食べたはずの「記憶の足跡」とは違う形で、まだ自分の心の奥底に眠っていたのだ。
(やっぱり……思い出は完全には消えないんだ。それなら…)
トホホは改めて確信した。
失われた記憶を取り戻す方法は、きっとある。
グルリンとの契約によって薄れてしまったとしても、心の奥底には大切な記憶の欠片が残っている。
そしてその欠片を繋ぎ合わせることができれば、きっと……
誕生日パーティーはシズクのポンコツぶりと、リリアの無邪気な笑顔、そしてアリスのなんだかんだで優しい気遣いによって和やかに進んでいった。
グルリンは用意された(焦げ付いていない)エビフライに夢中で、時折「もっと!もっと!」と騒いでいる。
トホホはそんな賑やかな光景を眺めながら、静かに決意を固めていた。
たとえ困難が待ち受けていようとも、失われた娘との、そして妻との大切な思い出を必ず取り戻してみせる。
そしてそのためにもグルリンのことも、もっとよく知る必要がある。
あのウザ可愛い精霊の言葉の奥に隠された、本当の気持ちや目的を――。
赤い月が再び空に昇る頃、リリアはアリスに抱っこされ、幸せそうに眠っていた。
トホホはその小さな寝顔を見つめながら、静かに夜空に誓った。
「必ず思い出を取り戻す。そして……もう二度と大切なものを手放さない」
その決意はトホホの瞳に、これまでになく強い光を宿していた。
もちろん隣ではグルリンが「むにゃむにゃ……エビフライ……」と寝言を言っているのだが、トホホはそれを微笑ましく見つめるのだった。
失われた記憶を取り戻すための新たな一歩が、確かに踏み出されようとしていた。
翌朝、トホホたちが宿の食堂で朝食のパンケーキと格闘していると(シズク謹製、焦げ付きは回避されたものの、なぜかほんのり魚の味がする)、騒がしい足音と共に、見慣れた間抜け顔が飛び込んできた。
「ハッハッハ!見たかサトウ!ついにこのワタクシ、ゴードン様は、噂の精霊の情報を掴んだぞ!」
自信満々のドヤ顔で仁王立ちしているのは、ドジ悪役ゴードンその人だった。
その後ろには、相変わらず能天気な笑顔を浮かべたオプティミスト、ササキ・ユウが立っている。
「精霊の情報?」
アリスが胡散臭そうに眉をひそめる。
「また何か企んでるんじゃないでしょうね、ドジ悪党さん?」
「企む?とんでもない!これは純粋なる探求の成果!見よ、我が情報提供者、ササキ君が遭遇したという、奇妙な精霊の存在を!」
ゴードンが誇らしげにササキを指さすと、ササキの肩から小さな光の玉のようなものがフワフワと現れた。
それはグルリンよりも少し小さく、淡い青色に輝いている。
「へえ、同種の精霊なんて初めて見るよ。僕の方が形は良いけどね」
グルリンは興味津々で光の玉を見つめている。
「美味しそうな色じゃないね」
トホホはゴードンの得意げな顔と、ササキの肩に乗る精霊を交互に見て、内心で盛大にツッコミを入れた。
(ドジ悪党は精霊を見つけたって今更かよ!グルリン達も僕からみたら同じ形だよ!)
自分はもうウザ可愛いビー玉グルメ精霊と散々やり合っているというのに、このドジ悪党は今頃になって精霊の情報を掴んだとは……
間の抜け具合が一周回って清々しい。
「どうだサトウ!驚いたか!お前のようなヘタレには、一生縁のない存在だろうな!」
ゴードンが勝ち誇ったように言うと、トホホは肩に乗っているグルリンを指さした。
「いや、実は……こいつが俺の精霊なんだが?」
トホホの言葉にゴードンの顔はみるみるうちに驚愕の色に染まっていった。
「な、なんだと!?お前にも精霊が!?そんな馬鹿な!」
「今更驚くことかよ」
アリスが呆れたように言い放つ。
シズクとリリアもゴードンのリアクションに首を傾げている。
「き、貴様!一体いつそんなズルい真似を!」
ゴードンはまるで自分が出し抜かれたかのように悔しがっている。
ササキは状況がよく飲み込めていないのか、「へへへ、精霊って面白いですね!」と呑気に笑っているだけだ。
「ササキ君!早く貴様が出会った時の状況を説明してやれ!きっと偶然見つけたとか、そういう間抜けな出会い方だったんだろう!」
ゴードンが焦ってササキに促すと、ササキはニコニコしながら語り始めた。
「ええと、僕がこの世界に来て最初に気がついたのが、この精霊だったんですよ。なんだかフワフワ浮いてて、話しかけてきたんです。『あなたの思い出を少し分けてもらえませんか?その代わりに、あなたに力を貸しますよ』って」
ササキの言葉を聞いた瞬間、トホホは全身に電流が走ったような衝撃を受けた。
(『あなたの思い出を少し分けてもらえませんか?その代わりに、あなたに力を貸しますよ』……)
それはグルリンがトホホに最初に話しかけてきた時と、セリフは違えど全く同じ内容だったのだ。
「それで、僕は『まあ、いっか!』って感じで、いくつか思い出をあげたら、本当に力が湧いてきたんですよ!すごいですよね!」
能天気なササキはケロリとそう言った。
しかしトホホの心は嵐のように荒れ狂っていた。
(俺もそうだ……この世界に来て、最初に会ったのがグルリンで、同じように思い出と力の交換を持ちかけられた……)
偶然の一致にしては、あまりにも不自然だ。
まるで何か仕組まれたかのように……
「どうしたんだトホホ?顔色が悪いぞ」
アリスが心配そうに声をかける。
「……いや、ちょっと考え事を」
トホホは頭の中でバラバラだったピースが、ポツポツと繋がり始めるのを感じていた。
異世界への転移。
そして、その直後に出会う記憶を食べる精霊。
もしかして……
この世界に自分たちを召喚した存在と最初に出会う精霊との間には、何か深い関係があるのではないか?
あの時、謎の光に包まれて突然この世界にやってきたこと。
そしてまるで導かれるようにグルリンと出会ったこと。
ササキも同じような状況で、別の精霊と出会っている。
そんな事を考えながらふと視線をドジ悪党に向けると、苦虫を食い潰したような表情を浮かべていた。
「どうしたんだゴードン?なんだか焦っているようだが」
トホホは精霊との出会いを自慢しようとしたゴードンの目論見が外れたのを見て、少し皮肉っぽく声をかけた。
「くっ……まさか、お前のような男にも精霊が……ワタクシは、まだそのような幸運には恵まれていないのだが……」
ゴードンは悔しそうに拳を握った。
「だがいつか必ずや、特別な精霊を手に入れて見返してやるぞ!」
ゴードンは精霊を見つけたばかりのようだが、それでもササキのような存在から情報を得ているということは、この世界には、宿主と共にある精霊が複数存在することに気付いている、ということになる。
(思い出を糧に……形は違えど、精神的なものをエネルギーに変えるという点で、精霊の存在は認識されている……)
トホホの思考は加速していく。
この世界に転移させられたのは、自分だけではない。
ササキも、もしかしかしたらゴードンでさえも同じように別の世界から連れてこられたのかもしれない。
そして、その直後にまるで用意されていたかのように現れる、記憶を糧とする精霊たち。
(少なくとも、ササキの場合はそうだ…)
トホホはある突飛な考えに辿り着く。
(まさか……この世界の神様とか、そういう存在が、俺たちをこの世界に呼んで、精霊と接触させたという事か?もしそうだとしたら、一体、何が目的なんだ?)
トホホは背筋がゾッとするような感覚に襲われた。
ただの偶然とは思えない。
この異世界への転移には、何か大きな陰謀が隠されているのかもしれない。
そしてグルリンがその陰謀の一端を知っている可能性も……
トホホは隣でまだパンケーキのおかわりをねだっているグルリンを、複雑な表情で見つめた。
このウザ可愛い相棒は一体何を知っているのだろうか?
そして自分はこれから一体何に巻き込まれていくのだろうか――。
ドジ悪党のゴードンが、精霊との出会いはなかったものの、ササキという遭遇者との繋がりを持つことで、思わぬ形でトホホを異世界の深淵へと誘うきっかけを作ってしまったのだった。
もちろんゴードン本人は、そんなこと露ほども思っていないだろうが。
ゴードンとササキが去った後も、トホホの心はザワついていた。
やはり自分たちがこの世界にやってきたのは、ただの偶然ではない気がする。
そして最初に出会った精霊の存在も、その計画と深く関わっているはずだ。
昼食時、トホホは意を決して肩に乗っているグルリンに話しかけた。
「グルリンちょっと聞きたいことがあるんだ」
「なに?トホホ。今日のランチは美味しい記憶かな?」
相変わらず食い意地全開のグルリンに、トホホは少し呆れつつも真剣な眼差しで問いかけた。
「俺たちをこの世界に転移させた存在について、何か知らないか?」
グルリンは口に運ぼうとしていたパンケーキ(今日は奇跡的に魚の味がしない)をピタリと止めた。
その丸い目がわずかに揺らいだように見えた。
「て、転移?な、何のことかな?」
明らかに挙動不審だ。
トホホはさらに畳み掛けた。
「お前は俺がこの世界に来た時、最初に出会った精霊だ。偶然だとは思えない。何か知っているんだろう?」
グルリンは目を泳がせ、しどろもどろになった。
「そ、それは……たまたまトホホの近くにいただけで……」
「本当にそうか?ササキもこの世界に来てすぐに精霊と出会っている。まるであらかじめ用意されていたかのように」
トホホの言葉にグルリンは完全に狼狽え始めた。
小さな体がブルブルと震えビー玉のような瞳が潤んでいる。
「う……そ、そんなこと……僕はただ、お腹が空いてて……」
「嘘だ」
トホホはきっぱりと言った。
「お前は何か知っている。言ってみろグルリン」
トホホの強い口調にグルリンはついに観念したように俯いた。
「……言ったら僕、どうなっちゃうんだろう……」
「どうなるって?」
「だって……僕たちは……その……『神』と呼ばれる存在に使役されてるんだもん……」
グルリンの衝撃的な告白に、トホホは思わずパンケーキを落としそうになった。
アリスもシズクも驚いた表情でこちらを見ている。
「神……?お前が神様に使役されてるって、どういうことだ?」
「僕たち『思い出を食べる精霊』は……その神様が、色々な世界から面白い記憶を集めるために創った存在なんだって……」
グルリンは今にも泣き出しそうな声で続けた。
「トホホの記憶を食べることで、『記憶の足跡』を神様に報告する……それが僕たちの役目なんだ……もし役目を果たせないと……僕たちは……消されちゃうんだ……」
グルリンは小さな体で顔を覆い声を上げて泣き始めた。
「だからトホホに記憶を取り戻す方法なんて、絶対教えられなかった……もし、トホホが記憶を取り戻して、僕がいらなくなったら……僕は、また一人ぼっちになるだけじゃなくて……消えちゃうんだ……!」
トホホはグルリンの悲痛な叫びを聞き、複雑な気持ちになった。
まさかこのウザ可愛い精霊が、そんな過酷な運命を背負っていたとは。
「神様が記憶を集めるために……そんなことを……」
トホホはその神と呼ばれる存在に、強い不信感を抱いた。
一体、何のためにそんなことをしているのだろうか?
そして自分たち異世界からの転移者も、その計画の一部なのだろうか?
「グルリン……その神様って、どんな奴なんだ?」
トホホが問いかけると、グルリンは鼻をすすりながら答えた。
「よく分からない……たまに、頭の中に声が聞こえてくるだけなんだ……『もっと面白い記憶はないか?』とか、『早く報告しろ』とか……すごく気まぐれで、怖いんだ……」
どうやらグルリン自身も、その神の全貌を知っているわけではないらしい。
ただ、逆らえない絶対的な存在として恐れているようだ。
トホホは腕の中で震えるグルリンを見つめ、ため息をついた。
結局、グルリンもまたその神と呼ばれる存在に利用されているだけなのだ。
(こいつはただ生きるために、言われた通りに俺の記憶を食べていただけなのか……)
そう考えると、今までのグルリンのウザさもどこか切なく感じられた。
「グルリンもう泣くな」
トホホは優しくグルリンを撫でた。
「お前が消えたりしないように、俺が何とかしてやる」
「ほ、本当に?」
グルリンは顔を上げ潤んだ瞳でトホホを見つめた。
「ああ。俺もこの世界に連れてこられた理由を知りたい。その神とやらが一体何を企んでいるのかもな」
トホホは自分のため、そしてグルリンのために、この状況を打破する方法を考え始めた。
ただ神の言いなりになるのではなく、お互いにとって最善の道を探る必要がある。
(まずはその神とやらの正体と目的を探ることから始めるか……そして、グルリンがこのまま処分されないように……)
トホホの心には新たな決意が灯っていた。
ウザ可愛い相棒と共に、ポンコツかもしれない神様に立ち向かう。
先の見えない戦いになりそうだが、トホホの心には不思議なほどの覚悟が芽生えていたのだった。
もちろん、その横ではグルリンが、「じゃあ、これからは美味しい記憶だけ食べるようにするね!」と、早くも自分の都合の良いように解釈しているので、トホホは盛大にズッコケそうになるのだが。