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※第七話:失われた記憶を取り戻す方法

 翌朝、トホホは寝不足気味の重い足取りで朝食の席についた。

 向かいには、パンを頬張りながら「ん~、この店のパン、意外とイケるな!」と能天気なアリス。

 隣ではリリアがシズクにもらったらしい花飾りを頭につけて、小鳥のさえずりに聞き入っている。


 そしていつものようにトホホの肩に乗ろうとしたグルリンを、トホホはそっと制止した。


「グルリンちょっと話があるんだ」


 トホホの低い声にグルリンはピクリと体を震わせた。

 昨夜のトホホの様子から、何かを察しているのかもしれない。


「な、なに?トホホ、朝から元気ないね。美味しい記憶でも思い出した?」


 グルリンは努めて明るく振る舞おうとするが、その声はわずかに震えている。


「昨夜、古本屋に行ったんだ」


 トホホの言葉にグルリンの丸い目が大きく見開かれた。

 パンをかじっていたアリスも、興味深そうにこちらを見ている。


「ふ、古本屋?へえ、珍しいね。何か面白い本でも見つけたの?」


 グルリンの目は泳ぎまくっている。

 まるで後ろに隠しているエビフライを見つかった子供のようだ。


「ああ。記憶について書かれた古い書物を見つけた」


 トホホはそう言うと、懐から昨夜手に入れた古びた書物を取り出した。

 グルリンはそれを見るなり露骨に顔をしかめた。


「そんな古い本、ロクなこと書いてないって!迷信とかデタラメばっかりだよ!」


 必死に否定するグルリンにトホホは静かに問いかけた。


「書物には失われた記憶を取り戻す方法が書かれていた。特別な遺跡で特別な儀式を行うことで……」


 グルリンは完全に固まった。

 その小さな体から焦りのオーラがダダ漏れである。


「そ、そんなのただの作り話だって!第一、そんな遺跡どこにあるかも分からないし!儀式だってきっとめちゃくちゃ難しいんだよ!」


「書物には儀式の代償についても書かれていた」


 トホホの言葉にアリスが身を乗り出した。


「代償?一体何が必要なんだ?」


 トホホはグルリンをじっと見つめながらゆっくりと口を開いた。


「失われた記憶を取り戻す代償……それは、精霊の力の源である、『記憶の足跡』そのものらしい」


 グルリンの顔からサーッと血の気が引いたのが分かった。


「そ、そんな……!」


「つまり、もし俺が記憶を取り戻そうとしたら、お前がこれまで食べた記憶の足跡を全て失うことになる、と」


 トホホの言葉にグルリンはガタガタと震え始めた。

 その目は今にも泣き出しそうだ。


「そ、そんなの嫌だ!僕が一生懸命食べた、美味しい思い出たちが……全部なくなっちゃうなんて!」


「お前が食べてきたのは、俺の思い出だ」


 トホホは冷静に指摘した。


「う……それはそうだけど……でも、僕にとっては、大切なエネルギー源なんだもん!それがなくなったら、僕は……僕は……」


 グルリンは言葉を詰まらせ、今にも消え入りそうな声で呟いた。


「僕はただのビー玉に戻っちゃう……」


 その時トホホは初めてグルリンの真の目的の一端を垣間見た気がした。

 グルリンはただ美味しい思い出を食べたいだけではなく、生きるために、力を維持するために、記憶の足跡を必要としていたのだ。


「じゃあ、お前がいつも『美味しいビー玉、美味しいビー玉』って言ってたのは……」アリスが訝しげにグルリンを見つめる。


「そ、それはもちろん、本当に美味しい思い出もあったんだよ!特にトホホが昔飼ってた犬との思い出とか、子供の頃に初めて食べた甘いお菓子の記憶とか!あれは絶品だった!」


 グルリンは慌てて弁解するが、その必死さが逆に怪しい。


「でも、それだけじゃないんだね?」


 トホホはさらに問い詰めた。


 グルリンは観念したように肩を落とし、小さな声で呟いた。


「……僕は『思い出を食べる精霊』の中でも、特に力が弱い種族なんだ。他の精霊みたいに、自然からエネルギーを吸い取ることもできないし、強い魔力を持つ宿主と契約しないと、すぐに消えちゃうんだ……」


「だから俺のところに?」


「うん……トホホは最初はすごく落ち込んでて、美味しい思い出がたくさんありそうだったから……それに、なんだか放っておけなくて……」


 グルリンはそう言うと、バツが悪そうに目を逸らした。


「放っておけなくて、俺の思い出を食い尽くそうとしたのか?」


 トホホは呆れて言った。


「そ、それは……生きていくためには仕方なかったんだもん!それに、力を分け与えて、トホホの役に立とうとも思ってたし!」


 グルリンは必死に自己弁護する。

 その様子はどこまでもコミカルで憎めない。


「でも記憶を取り戻す儀式については、なぜあんなに必死に隠そうとしたんだ?」


 トホホの問いにグルリンは再び言葉を詰まらせた。

 そして意を決したように顔を上げた。


「だって……もしトホホが記憶を取り戻したら、もう僕の力を必要としなくなるかもしれないでしょ?そしたら僕はまた一人ぼっちになっちゃう……」


 その言葉にはどこか寂しげな響きがあった。

 いつもハイテンションで食い意地ばかり張っているグルリンにも、そんな感情があるのかと、トホホは少し驚いた。


「それに……」


 グルリンはさらに言葉を続ける。


「記憶を取り戻す儀式は、代償だけじゃないらしいんだ……」


「他に何かあるのか?」


 アリスが興味津々で尋ねる。


「書物には、無理やり失われた記憶を呼び戻すと、精神に大きな負担がかかるって書いてあった……最悪の場合、自我が崩壊してしまう可能性もある、って……」


 グルリンの言葉にトホホは息を呑んだ。

 記憶を取り戻したいという強い願いはあったが、そんな危険を冒してまで本当にそうするべきなのだろうか?


 そしてグルリンの言葉はさらに続いた。


「それに……僕が食べた記憶の足跡は、ただのエネルギー源じゃないんだ……食べた時の感情とか、能力とかが、ほんの少しだけだけど、トホホに影響を与えることがあるって……」


「え?どういうことだ?」


 トホホは思わず聞き返した。


「ほらこの前、トホホが急に昔の遊びを思い出してやたらと元気になった時があったでしょ?あれは僕がトホホの子供の頃の楽しい記憶を食べたからだよ。あとたまにやたらと落ち込んだりするのは、悲しい記憶を食べたせいかもしれない……そうやって少しずつ宿主であるトホホの人格さえも変えていくんだ…」


 グルリンの衝撃的な告白に、トホホは目を見開いた。

 まさか自分の人格そのものが、グルリンの食べた記憶の味に影響されていたとは!

 つまり今の自分は自分であっても、すでに過去の自分とは異なる人格に変わってしまっているという事か⁉︎


「じゃあこの世界に来てから、俺が料理上手になったのは……」


「ああ!それはトホホが昔、料理に失敗して落ち込んでた記憶や、家族で食べた美味しいご飯の思い出を僕が食べた影響で、料理スキルが上がったんだと思う!」


 グルリンの適当すぎる説明に、アリスは盛大に吹き出した。


「なんだそれ!めちゃくちゃじゃないか!確かに料理に関する記憶は食べていたかも知れないが、毎日ご飯を一緒に作っていれば料理スキルが上がるのも当然だろう」


 それを聞いたトホホも確かに、と頷き、グルリンの突拍子もない話を真剣に聞いていたのがバカらしくなってきた。

 結局このウザ可愛い精霊は、どこまでいっても予想外で得体の知れない存在なのだ。


 たが記憶を取り戻すことの代償は存在するのかも知れない。

 それはグルリンの存在を脅かすだけでなく、自分の精神にも危険が及ぶ可能性がある。

 そしてグルリンが食べてきた記憶は、本当に今の自分の感情や能力にまで影響を与えているかもしれない。


 トホホは改めて考えさせられた。

 失われた過去を取り戻すことは、本当に自分の望むことなのだろうか?

 そしてグルリンとの奇妙な共存関係は、一体どうなっていくのだろうか――。


 そんなトホホの複雑な思いをよそに、グルリンはそっと彼の肩に乗り移り、小さな声で呟いた。


「ねえ、トホホ……もし本当に記憶を取り戻したいなら、僕だって協力するよ。でも……その時は僕のこと、忘れないでね?」


 その言葉にはいつものウザさはなく、どこか切実な響きがあった。

 トホホはそんなグルリンの頭をそっと指で撫でた。


「ああ忘れないよ。お前は俺の……ウザ可愛いビー玉グルメだもんな」


 トホホの言葉にグルリンは少しだけ嬉しそうに目を細めた。

 こうしてトホホとグルリンの奇妙な絆は、新たな局面を迎えようとしていた――。

 もちろんこの後、アリスが「じゃあ、私がやたらと金遣いが荒いのは、トホホの貧乏な記憶を食べた反動か!?」と突っ込み、グルリンが「それは違うと思うよ!」と即答するいつもの騒がしい朝が続くのであった。


 数日後…

 グルリンの告白によって、トホホの心には新たな疑問が湧き上がっていた。

 記憶を取り戻すことの危険性もさることながら、そもそも、もし自分の思い出が全てなくなってしまったら、自分はどうなってしまうのだろうか?


「ねえグルリン」


 昼下がり、いつものようにアリスの護衛(という名の荷物持ち)をしている最中、トホホは肩の上のグルリンに話しかけた。

 今日は珍しく魔物も現れず、穏やかな陽が木漏れ日のように降り注いでいる。


「ん?なにトホホ。また何か美味しい記憶でも思い出した?」


 グルリンは相変わらず食い意地が張っている。

 トホホの深刻な表情など、気にも留めていないようだ。


「もし俺の思い出が全部なくなったら……俺はどうなるんだ?」


 トホホの問いに、グルリンは一瞬キョトンとした表情を浮かべた。


「え?どうなるって……ただの記憶のない人になるんじゃないの?」


 そのあっけらかんとした答えに、トホホは拍子抜けした。


「ただの記憶のない人……それって今の俺とそんなに変わらないんじゃないか?」


 自嘲気味に呟くと、グルリンは少し考え込んだ様子を見せた。


「うーん……まあ、確かにトホホは、もともとあんまり過去のこと話さないし……でも、全然違うと思うよ!」


「何が違うんだ?」


「だって今はまだ、少しは思い出があるんでしょ?僕が食べたビー玉の味とか、感触とか、そういうのがトホホの中に残ってるんだもん!」


「そんな曖昧なものが俺の存在意義なのか?」


 トホホの言葉はどこまでも悲観的だった。

 妻子の記憶が薄れていく焦燥感、そして自分の過去が、この小さな精霊の糧になっているという事実。

 自分が一体何者なのか、ますます分からなくなっていた。


「うーん……存在意義かあ……難しいこと考えるね、トホホは」


 グルリンはそう言うと、トホホの頭の上で丸くなった。


「まあ、いなくなったら寂しいけどね」


 と、ボソッと付け加えた。

 それを聞いたトホホはグルリンも別れたくないのだろうなと感傷的になり、それ以上深く考える事をやめた。


 その時、先を行くアリスが立ち止まり振り返った。


「おいトホホ!何ブツブツ言ってんだ?さっさと歩け!日が暮れるぞ!」


 相変わらずのツンデレっぷりだが、その声にはどこか心配の色が混じっているような気がした。


「ああ、すまん」


 トホホは気を取り直し再び歩き出した。

 アリスやリリア、そしてグルリン。

 異世界で出会った彼らとの間には、確かに絆のようなものが生まれつつある。

 それは過去の記憶とはまた違う新しい繋がりだ。


 それでも拭いきれない不安があった。

 もしグルリンとの契約が進み、本当に全ての思い出を失ってしまったら……

 今の自分を形作っているものは、一体何が残るのだろうか?

 ただの能天気で頼りない、ヘタレな男になってしまうのではないか?


 そんな疑問を抱えながらも、トホホは記憶を取り戻すための手がかりを探し始めていた。

 シズクから聞いた古本屋以外にも、何か情報はないかと街の人々に話を聞いたり、図書館で古い文献を調べてみたり……


 しかし手がかりはなかなか見つからない。

 明らかに偽情報や作り話だろうというものまで公然と存在している。

 まるで、誰かがこの世界のことわりを知られないようにしているかのように…


 そんなある日、トホホは街の片隅で、怪しげな老人から声をかけられた。


「おや、旅の者か?何か困りごとかね?」


 いかにも胡散臭い笑みを浮かべる老人に、トホホは警戒しながらもダメ元で、藁にもがる思いで尋ねてみた。


「あの、失われた記憶を取り戻す方法について、何かご存知ありませんか?」


 こんな偶然出会った老人が知るわけもないだろう、と思いながらかけた声に、男はニヤリと笑いトホホをじっと見つめた。


「ほほう……それは面白いことを聞くねえ。失われた記憶か……それは、甘美で危険な蜜の味じゃよ」


 老人は意味深な言葉を弄び、トホホを煙に巻こうとする。


「何かご存知でしたら、教えていただけませんか?」


 怪しいと思いながらもトホホが食い下がると、老人は懐から古びた地図のようなものを取り出した。


「この地図が、お前の求める場所への道を示すかもしれんぞ。ただし……」


 老人は指を一本立てた。


「代償は高くつくかもしれんよ」


 地図を受け取ったトホホは、老人に礼を言いその場を後にした。

 地図には見慣れない地形と、聞いたこともない遺跡の名前が記されていた。


「これが本当に記憶を取り戻すための手がかりになるのだろうか……」


 地図を見つめながら、トホホは不安と期待が入り混じった複雑な感情を抱いていた。


 その夜、宿に戻ったトホホは手に入れた地図を広げグルリンに見せた。


「グルリンこれを見てくれ。記憶を取り戻せるかもしれない場所の地図だ」


 グルリンは地図を覗き込むと、露骨に嫌そうな顔をした。


「うわ、なんだか禍々しい場所だね!絶対に行かない方がいいよ、トホホ!」


「でも、もし本当に記憶を取り戻せるなら……」


「そんなのきっと罠だって!どこで手に入れてきたんだよ、こんな物!危ない目に遭うだけだよ!」


 グルリンは必死にトホホを止めようとする。

 その態度は以前にも増して強くなっていた。


「なぜそんなに反対するんだ?もしかして、お前は何か隠していることがあるんじゃないか?」


 トホホが鋭く問い詰めると、グルリンは目を逸らし言葉を濁した。


「べ、別に何も隠してないよ!ただトホホに危険な目に遭ってほしくないだけだって!」


 グルリンの言葉はどこか嘘っぽく聞こえた。

 トホホはグルリンの態度にますます不信感を募らせていた。


 それでも失われた記憶を取り戻したいという願いは、トホホの中で日に日に強くなっていた。

 たとえ危険が伴うとしても、わずかな希望に賭けてみたい。


 しかしもし本当に全ての記憶を失ってしまったら……

 その時自分は一体どうなってしまうのだろうか?

 ただの抜け殻?

 それとも今の自分とは違う、別の何かに変わってしまうのだろうか?


 トホホは夜空を見上げながら深くため息をついた。

 前途多難な未来を暗示するように、夜空には不気味な赤い月が浮かんでいた――。


 赤い月の下、トホホは手に入れた怪しげな地図を頼りに、アリス、リリア、グルリンと共に荒野を進んでいた。

 地図に描かれた遺跡らしき場所は、街から半日離れた魔物の気配が濃いエリアにあるらしい。

 このまま行けば着く頃には、朝日を眺めることができるだろう。


「こんな怪しい地図、本当にアテになるのかしらね?」


 アリスは周囲を警戒しながら、うんざりした声を上げた。

 普段は強気な彼女もこの薄気味悪い雰囲気には、さすがに気が滅入っているようだ。


「まあ、あの爺さんの胡散臭さは天下一品だったからな。期待はしてないが……」


 トホホも半信半疑だった。

 それでも記憶を取り戻せるかもしれないという一縷の望みに、わずかながら期待していた。


 道中、何度か魔物に襲われたものの、アリスの剣術とたまに発動するトホホの(グルリンが食べた記憶による)奇妙な能力でなんとか撃退。

 リリアはトホホの背中にしがみつき、ブルブル震えている。

 グルリンはといえば、「早く着かないかなあ。この辺、美味しそうな魔物の記憶なさそうだし」と、相変わらずの食い意地を発揮していた。


 そして日が真上に昇る頃、一行はようやく地図に描かれた場所に辿り着いた。

 魔物が現れる度に足止めを喰らい、思わぬ時間が経ってしまっていた。

 そこには崩れかけた石造りの建造物がいくつか点在しており、いかにも曰くありげな雰囲気を醸し出していた。


「ここが……記憶を取り戻せる遺跡なのか?古代の遺跡か、失われた文明の気配がするな…」


 ようやく目的地に着いた喜びから、トホホが感慨深げに周囲を見渡していると、突然背後から間の抜けた声が響いた。


「あれ?こんなところにわしの杖が……」


 振り返ると、そこに立っていたのは前日に地図をくれた、あの胡散臭い老人だった。

 杖らしきものを拾い上げ、間の抜けた顔でこちらを見ている。


「……杖?」


 トホホは呆然とした。


「あんた、なんでこんなところに居るんだ?それじゃこの地図は……」


「ああ、あれはのう、婆さんと観光にここを訪れた日、杖を遺跡に置き忘れてしもうてな。またここまで取りに来たくても、道中危険でそれも出来んしどうしたものかとなやんでおったんじゃよ。そんな時にお主が現れたから、もしかしたら道中の露払いをしてくれるかもと思って利用させて貰ったのじゃ。まぁ老人を一人助けたと思って許しておくれ」


 老人はケロリとした顔でそう言った。


「……忘れ物探しだったのかよ!」


 トホホの怒りが爆発した。

 この半日の苦労は何だったんだ!

 記憶を取り戻せるかもしれないと、どれだけ期待したことか!


「まあまあ、トホホ落ち着けよ」


 アリスが苦笑しながら宥めるが、トホホの怒りは収まらない。


「落ち着けるわけないだろう!こんな詐欺みたいな真似しやがって!」


 トホホは怒りの矛先を、近くで「まあ、これも旅の思い出ってことで!」と呑気に笑っているグルリンに向けた。


「お前だってそうだ!あんなに必死に止めるから、何か知ってるんだと思ったのに!」


「え?僕はただ、トホホが騙されて危ない目に遭うのが心配だっただけだよ!それにトホホもこんな地図、胡散臭いって気付いてたんでしょ?」


 グルリンは慌てて弁解するが、トホホの耳には届かない。


「心配?嘘つけ!どうせ、俺が記憶を取り戻したら、お前の食い扶持がなくなるからだろ!」


「そんなことないもん!」


「あるよ!お前はいつも自分のことしか考えてない!」


 ついにトホホとグルリンは激しい口論を始めてしまった。

 普段は憎まれ口を叩き合う程度で済んでいた二人だが、今回はトホホの積もり積もった不満が爆発した形だ。

 記憶を取り戻せると思っていた希望が、騙され利用されたという屈辱に変わったのだから仕方のない事だろう。


「トホホ、言い過ぎだぞ」


 アリスが間に入ろうとするが、興奮した二人は聞く耳を持たない。


「だって、グルリンはいつも!」


「トホホだっていつも!」


 子供のような言い合いが続く中、リリアは不安そうにトホホの服の裾を引っ張っている。

 シズクもオロオロしながら、「お二人とも、落ち着いてください」と声をかけるが、全く効果がない。


 しまいには、グルリンがぷいっとそっぽを向いてしまった。


「もう知らない!勝手にすればいいんだ!」


 そう言うと、グルリンはトホホの肩から飛び降り近くの岩陰に隠れてしまった。


 トホホも意地を張って「別に構わない!」と叫んだものの、心にはチクリとした痛みが走った。


 気まずい沈黙が流れる中、アリスがため息をついた。


「まったく……子供の喧嘩じゃないんだから」


 シズクも心配そうにグルリンの隠れた岩陰を見つめている。

 リリアは、トホホとグルリンを交互に見ながら今にも泣き出しそうだ。


 しばらくの間トホホは怒りを鎮めようとしていたが、ふとグルリンのいつもと違う様子が気になった。

 あんな風に拗ねて一人でどこかへ行ってしまうのは珍しい。


 心配になったトホホが、そっと岩陰を覗いてみると……


 グルリンは膝を抱えて小さく丸まっていた。

 そのビー玉のような瞳には、うっすらと涙が浮かんでいるように見える。


「……グルリン?」


 トホホが声をかけると、グルリンはビクッと体を震わせた。


「……別に、泣いてなんかないもん」


 強がってはいるものの、その声は震えている。


 トホホは先ほどの激しい言葉を後悔した。

 確かにグルリンは食い意地が張っているし、自分のことばかり考えているように見えることもある。

 でもいつもトホホのそばにいて、なんだかんだと世話を焼いてくれていたのも事実だ。


 それにあの時、記憶を取り戻すことの危険性を教えてくれたのは、グルリンなりの優しさだったのかもしれない。


 トホホはそっとグルリンのそばに座り込んだ。


「さっきは言い過ぎた。悪かった」


 グルリンは顔を背けたまま、何も言わない。


「でも……俺だって必死だったんだ。少しでも、妻子のことを思い出したくて……」


 トホホがそう呟くと、グルリンの肩が小さく震えた。


「……僕だってトホホがいなくなったら寂しいもん……それに本当に危ない目に遭ってほしくなかったんだ……あの爺さん絶対にロクなもんじゃないって思ったし……」


 グルリンはようやくトホホの方を振り返った。

 その瞳にはやはり涙が滲んでいる。


「ごめんねグルリン……」


「僕も……言い過ぎた」


 二人はしばらく無言で座っていた。

 ようやく傾き始めた陽の光が、二人の間に落ちる影を長く伸ばしている。


 やがてグルリンは小さな声で言った。


「ねえトホホ……もし本当に大切な思い出なら、無理に取り戻そうとしなくてもきっと心の中に残ってるよ。形は変わっても……」


 その言葉はトホホの胸にじんわりと染み渡った。

 無理に過去に囚われるのではなく、今ある繋がりを大切にすること。

 失われ戻らぬ過去よりも、今とこれからの未来。

 それが今の自分にとって一番大切なことなのかもしれない。


 トホホはそっとグルリンを手のひらに乗せた。


「ありがとうなグルリン」


 グルリンはトホホの指に小さな体を擦り寄せた。

 いつものウザ可愛いビー玉グルメ精霊が、今はただの心優しい小さな相棒に見えた。


 アリスとシズク、そしてリリアも、二人の様子を見てホッとした表情を浮かべている。

 特にリリアはトホホとグルリンが仲直りしたのが嬉しかったのか、パタパタと駆け寄ってきて、二人の手を繋いだ。

 トホホもモフモフとした頭をなでる事で、リリアの優しさに感謝を伝える。


 結局、記憶を取り戻すための手がかりは見つからなかったけれど、トホホはそれよりも大切なものに気づけた気がした。


「さてと……」


 アリスが手を叩いた。


「無駄足だったけど、宿に戻るとするかね」


 一行は、夕焼け空の下、再び歩き始めた。

 トホホの肩には、いつものようにグルリンがちょこんと座っている。

 二人の間にはさっきまでの険悪な雰囲気はもうなかった。


 遠くであの胡散臭い老人が、杖をクルクルと振り回しながら鼻歌を歌っているのが見えた。

 トホホは思わず苦笑いを浮かべた。

 杖が無くても歩けるじゃないか、一人で帰れるなら僕たちはいらなかったじゃないか、と。

 まあこれもまた異世界での忘れられない思い出になるのだろう――。


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