※第三話 リリア(モフモフ)との出会い
ツンデレラ、もといアリスとのなんだかんだで微妙な距離感を保ちながらの旅路。
相変わらず彼女の毒舌は健在だが、トホホもだいぶ慣れてきた…
というか、もはや日常風景と化していた。
そんなある日、二人が寂れた街道を歩いていると、道の端で小さな人影がうずくまっているのを見つけた。
近づいてみると、それはまだ幼い女の子だった。
汚れたボロボロの服を着て、小さな体を丸めている。
そして何より目を引いたのは、頭からぴょこんと生えた、ふわふわとした獣の耳だった。
「あら、こんなところに子供が」
珍しくアリスが憐れむような声を上げた。
普段の彼女からは想像もできないほど優しい声色に、トホホは一瞬耳を疑った。
「大丈夫かい?」
トホホがそっと声をかけると、女の子はビクッと体を震わせ、大きな瞳を潤ませてトホホを見上げた。
その瞳の奥には、深い警戒と不安の色が宿っている。
「…だれ…?」
か細い声で女の子はそう呟いた。
言葉はまだたどたどしい。
「わたくしたちは、ただの旅人よ。あなた、こんなところに一人でどうしたの?」
アリスが少しだけ語気を和らげて問いかけた。
しかし警戒心の強い女の子は、ますます体を小さくするばかりだった。
その時、グルリンがトホホの頭の上でくるくると舞いながら言った。
「ねえトホホ!あの女の子なんだか子犬みたいで可愛いね!」
トホホはグルリンの言葉にハッとした。
確かにその小さな姿と不安げな瞳は、どこか寂しげな子犬を連想させた。
そして何より、その顔立ちや時折見せる仕草が、亡き娘の幼い頃によく似ていたのだ。
胸にじんとした痛みが走る。
トホホはいてもたってもいられず、そっと女の子に手を差し出した。
「怖くないよ。僕たちは君を助けたいんだ」
その言葉と優しい眼差しが伝わったのか、女の子は少しだけ警戒を解き、おずおずとトホホの手を取った。
その小さな手は信じられないほど冷たかった。
「お名前は?」
トホホが優しく問いかけると、女の子は小さな声で答えた。
「…リリア…」
「リリアちゃん、か。可愛い名前だね」
トホホが微笑むと、リリアの表情も少し和らいだ。
獣の耳が、小さくぴくりと動いた。
「それでリリアちゃん。どうしてこんなところに一人でいたんだい?」
トホホがそう尋ねると、リリアは俯いてボソボソと話し始めた。
身寄りのない孤児で、今まで色々な場所を転々としてきたこと。
最近、一緒にいたおじいさんが病気で亡くなってしまい、一人ぼっちになってしまったこと。
その悲しい身の上話に、トホホとアリスは言葉を失った。
特にトホホは、リリアの境遇が今の自分の孤独な状況と重なり、胸が締め付けられる思いだった。
「…そうですか…それは辛かったわね」
珍しくアリスが同情の色を滲ませた声で言った。
「ねえ、トホホ。あのモフモフの耳、触ってみてもいいかなぁ?」
グルリンがリリアの頭の上の獣耳を指さして、興味津々といった様子で聞いてきた。
「モフモフ…?」
トホホが聞き返すと、グルリンは得意げに言った。
「うん!だってほら、あの耳、すっごくモフモフしてそうじゃないか!今日からあの子のことは『モフモフ』って呼ぼう!」
またもやグルリンの突飛なネーミングセンスに、トホホは苦笑いを禁じ得なかった。
しかしリリアのふわふわとした獣耳は、確かに「モフモフ」という愛称がぴったりかもしれないと思った。
こうして旅の途中で、獣耳を持つ幼い孤児リリア、通称モフモフと出会ったトホホとアリス。
これからこの小さな命をどうするのか。
二人の間には、新たな課題が突きつけられたのだった。
そしてトホホの心には、亡き娘の面影を重ねるように、リリアに対する特別な感情が芽生え始めていた。
獣耳の幼い孤児リリアとの出会いは、トホホの心にじんわりとした温かい光を灯した。
リリアの小さな体や、不安げな瞳、そして時折見せる無邪気な笑顔が、どうしても亡き娘の幼い頃の面影と重なってしまうのだ。
「リリアお腹空いてないか?」
焚火の傍でトホホは優しくリリアに声をかけた。
アリスは少し離れた場所で、なにやら難しい顔をして地図を睨んでいる。
相変わらずツンデレラはツンデレラだった。
リリアはトホホの顔をじっと見つめ、小さく頷いた。
まだ言葉はたどたどしいが感情は豊かに表現する。
「これ少しだけど、分けてあげるよ」
トホホは、自分が持っていた干し肉を小さく裂いて、リリアに差し出した。
リリアは遠慮がちにそれを受け取ると、小さな口でゆっくりと咀嚼し始めた。
その姿を見ていると、トホホの胸には、言いようのない愛おしさがこみ上げてきた。
「ねえトホホ!あの子、本当にモフモフしてるなぁ。ちょっと触ってみてもいい?」
グルリンがリリアの頭の上でソワソワしながら言った。
リリアはグルリンの存在にまだ慣れないのか、少し警戒したように獣耳をぴくりと動かした。
「グルリンいきなり触ったらダメだよ。リリアがびっくりしちゃう」
トホホはグルリンを優しく制した。
まるで娘に言い聞かせるような口調だった。
旅の途中トホホは常にリリアのことを気にかけていた歩くのが遅れがちになると、手を引いてゆっくりと歩いてあげたり、喉が渇いていないか、寒くないかと、何度も声をかけたりした。
最初は警戒していたリリアも、トホホの優しさに触れるうちに、少しずつ心を開き始めた。
トホホの服の裾をちょこんと引っ張ったり、何かを見つけると「あっ!」と指をさして教えてくれたりするようになった。
その無邪気な仕草の一つ一つが、トホホの乾いた心に潤いを与えてくれるようだった。
「…あなた、あの子供を随分と気にかけているのね」
夜、焚火を囲んでいる時、アリスが突然話しかけてきた。
その表情はいつものツンツンしたものではなく、どこか観察するような不思議そうなものだった。
「ええ…なんだか、放っておけなくて…」
トホホは少し照れくさそうに答えた。
「ふうん…別に、あなたの勝手ですけれど。ただし、旅の邪魔になるようなら、容赦はしませんわよ」
相変わらずのツンデレっぷりだが、その言葉には以前のような強い拒絶のニュアンスは感じられなかった。
むしろリリアの存在を、ある程度認めているようにも聞こえた。
ある夜、リリアが熱を出してしまった。
慣れない旅の疲れが出たのだろうか。
小さな体が熱く苦しそうにうなされている。
「どうしよう…何か薬はないかな…」
トホホは焦って自分の荷物を漁ったが、そんなものが入っているはずもなかった。
その時アリスが冷静な声で言った。
「少しは薬草の知識がありますわ。この辺りに熱に効く草が生えているはずです。一緒に探しましょう」
普段は何かと文句ばかり言うアリスが、意外にも頼りになる一面を見せた。
二人で手分けして薬草を探し、なんとかリリアに飲ませることができた。
夜通しトホホはリリアの傍を離れなかった。
熱い額に冷たい布を当てたり、優しく声をかけたり。
その姿はまさに娘を心配する父親そのものだった。
朝になりリリアの熱が少し下がると、彼女はぼんやりとした目でトホホを見つめ、小さな声で呟いた。
「…と…と…」
「どうしたんだい、リリア?」
トホホが優しく問いかけると、リリアはゆっくりと手を伸ばしトホホの頬に触れた。
「…と…と…ちゃ…?」
その言葉を聞いた瞬間、トホホの心臓が強く締め付けられた。
それは亡き娘が幼い頃、自分を呼んでいた、たどたどしい「とーちゃ」という呼び方とあまりにもそっくりだったからだ。
涙がトホホの目から溢れ出した。
「ああ…そうだよ…僕は…君の…」
言葉が詰まって、最後まで言うことができなかった。
ただリリアの小さな手をそっと握り返した。
その光景を少し離れた場所から、アリスは複雑な表情で見守っていた。
普段の強気な彼女の瞳の奥にも、ほんのわずかながら揺らぎのようなものが見えた気がした。
こうして亡き娘の面影を重ね、リリアを気にかけるトホホ。
彼の優しさはリリアの心を温めると同時に、ツンデレラとの間に新たな感情の波紋を広げ始めていたのかもしれない。
そしてグルリンは、そんな人間たちの複雑な感情を、今日もまた興味深そうに観察していた。
リリアの「とーちゃ?」の一言は、トホホの凍り付いていた心を、じんわりと温める魔法のようだった。
亡き娘の声と重なるそのたどたどしい呼びかけは、彼の奥底にしまい込んでいた感情を、ゆっくりと解き放っていく。
それからの旅路、リリアはますますトホホに懐くようになった。
小さな手でトホホの服の裾を引っ張り、「これ、きれい!」と道端の花を指さしたり、「おもしろい!」と飛んでいる鳥を追いかけたり。
その無邪気な笑顔は、見る者の心を明るく照らす力を持っていた。
「ねえトホホ!リリア、すっかりトホホのことが好きになったみたいだね!」
グルリンはリリアがトホホの膝の上で眠っているのを見て、嬉しそうにビー玉の体を揺らした。
「ああ…なんだか、娘を見ているみたいで…」
トホホはリリアの柔らかな髪をそっと撫でながら、優しい眼差しを向けた。
失ったはずの温もりが、小さなリリアを通して再び自分の心に戻ってきたような気がした。
アリスはそんなトホホとリリアの様子を、少し離れた場所から相変わらずのツンとした表情で見守っていた。
しかしその瞳の奥には以前のような冷たさはなく、どこか穏やかな光が宿っているようにも見えた。
ある日、野営の準備をしている時、リリアが地面に落ちていた木の枝を拾い上げトホホに差し出した。
「はい!」
満面の笑みで差し出された、ただの木の枝。
でもトホホにとっては、何よりも大切な宝物のように思えた。
「ありがとうリリア。これは大切な宝物だね」
トホホはそう言って木の枝を大切に自分のナップサックにしまった。
リリアはトホホが喜んでくれたのが嬉しかったのか、さらに笑顔を輝かせた。
その夜、焚火を囲んでいる時、リリアは眠たそうに目を擦りながら、トホホの膝に頭を預けてきた。
トホホは優しくリリアの背中を撫でながら、静かに子守唄を歌い始めた。
それは亡き娘が眠る前にいつも歌ってあげていた、懐かしい歌だった。
リリアはすぐに眠りに落ち、小さな寝息を立て始めた。
その穏やかな寝顔を見ていると、トホホの心はじんわりとした温かい感情で満たされていく。
ふと、隣に座っていたアリスが唐突に口を開いた。
「…あなた、優しい歌を歌うのね」
その声は、いつもの刺々しさとは無縁の、静かで優しいものだった。
「ええ…娘が好きだった歌なんです」
トホホがそう答えると、アリスはしばらく沈黙した後、ぽつりと呟いた。
「…わたくしには、そんな温かい思い出はありませんわ…」
その言葉には、ほんのわずかな寂しさが滲んでいた。
普段は強気なアリスの意外な一面に触れ、トホホは少し驚いた。
「…そんなこと…」
何か言葉をかけようとしたトホホを遮って、アリスはすぐにいつものツンとした表情に戻り、そっぽを向いた。
「…別に深い意味はありませんわ!ただの感想です!」
それでもトホホは感じていた。
リリアの無邪気な笑顔は凍り付いていた自分の心を溶かすだけでなく、アリスの心の奥底にも小さな変化をもたらしているのかもしれないと。
「ねえトホホ。リリアの笑顔って本当に可愛いね!見ていると、こっちまでポカポカしてくるよ!」
グルリンもリリアの寝顔を眺めながら、嬉しそうに言った。
トホホはリリアの小さな体をそっと抱きしめながら、静かに微笑んだ。
失ったものは大きいけれど、この異世界で、また新たな温もりを見つけることができたのかもしれない。
リリアの笑顔が彼の閉ざされていた心に、再び光を灯し始めていた。
リリアが道端の花を見つけてはしゃいだり、珍しい虫を追いかけたりする度に、トホホの口元も自然と緩んだ。
「わあ!みてみて、はじめ!」
リリアがキラキラと光る小石を拾い上げて、満面の笑みでトホホに見せてきた。
「きれいだねリリア。どこで見つけたんだ?」
トホホが優しく問いかけると、リリアは得意げに指をさした。
その時、グルリンがトホホの頭の上でソワソワし始めた。
「ねえ、トホホ!モフモフ、今、 すっごく楽しそうな顔してる!きっとキラキラの思い出が生まれたに違いない!」
グルリンはビー玉のような瞳を輝かせ、リリアの方をじっと見つめた。
「へえ、どんな思い出なんだろうなぁ。きっとピカピカしてて、甘くて美味しいんだろうなぁ!」
グルリンは短い舌をペロリと出し、ヨダレ(のようなもの)を垂らした。
トホホはグルリンの食いしん坊ぶりに苦笑しながら言った。
「まあ、楽しかった思い出だろうね。でもグルリンは食べられないんだろ?」
トホホの言葉にグルリンは途端にしょんぼりとした。
ビー玉の輝きも心なしかくすんで見える。
「そ、そうなんだよなぁ…!なんでオレは、契約者以外のヤツの思い出は食べられないんだ!せっかく、あんな美味しそうなキラキラ思い出が目の前にあるのに!」
グルリンは短い手足をバタバタさせ、悔しそうにじたばたした。
リリアはそんな奇妙な動きをするビー玉に興味津々で、首をかしげながら見つめている。
「あれ、なに?」
「あれはね、グルリンっていうちょっと変わった精霊だよ」
トホホが説明すると、リリアは目を丸くしてグルリンを見つめた。
「せいれい?」
「そう。でもリリアの思い出は食べられないんだって」
トホホが冗談めかして言うと、グルリンはさらに不満を爆発させた。
「もー!本当に不公平だ!あんなに美味しそうな思い出が、目の前にあるのに、指をくわえて見ているしかないなんて!神様の意地悪!」
グルリンはまるで駄々っ子のように喚き始めた。
その様子があまりにもコミカルで、トホホは思わず吹き出してしまった。
リリアもグルリンの騒ぎっぷりが面白いのか、ケラケラと笑い始めた。
「ねえグルリン。そんなに悔しいなら、何か他の美味しいものを見つけてきてあげようか?」
トホホがそう提案すると、グルリンは少しだけ機嫌を直した。
「本当に!?どんなの?」
「うーん…この辺りには美味しい木の実とかがあるかもしれないよ」
「木の実かぁ…思い出ビー玉の方が絶対美味しいのに…」
まだ少し不満そうなグルリンだったが、美味しいものには弱いらしい。
トホホとリリアが木の実を探し始めるとグルリンも「オレも探す!」と、小さな体でちょこちょこと飛び回り始めた。
アリスはそんな騒がしい一行を、少し離れた場所から呆れたような、でもどこか微笑ましいような表情で見守っていた。
リリアの無邪気な笑顔と、それを見ているグルリンのコミカルな不満。
そんな日常の小さな出来事が、トホホの重かった心を少しずつ軽くしていくのだった。
契約者以外の思い出は食べられない。
グルリンにとってそれは大きな不満だったけれど、トホホとリリアにとってはささやかな笑いを運んでくれる愛らしい存在だった。