※第二話 アリス(ツンデレラ)との出会い
異世界に放り出されて数日。
グルリンとの奇妙な同居生活が始まったものの、元サラリーマン佐藤はじめ通称トホホの財布は空っぽだった。
それもそうだろう。
右も左もわからぬ異世界に着の身着のまま召喚。
唯一仲間であり、この世界の水先案内人は見たこともない精霊グルリン。
思い出を食べるグルリンが貸し与えてくれる魔力で、飢えを凌ぐ程度の食料は手に入れているが、生活費を稼いでくれるわけではないのだ。
「グルリン…何かこう、お金が稼げるようになるような美味しい思い出はないかな…?」
トホホが鳴り止まぬお腹をさすりながら力なく問いかけると、グルリンはビー玉のような体を揺らして答えた。
「ん~?お金の味がする思い出かぁ。そういやトホホが会社の飲み会で上司にゴマすりまくった時の、ちょっと苦くて油っこい思い出は結構レアだったなぁ!」
今はそんな思い出を味わっている場合じゃない。
トホホは深刻な顔で少しムッとしながら言った。
「そういうのじゃなくて!この世界の通貨が欲しいんだよ!何か手っ取り早く稼ぐ方法はないのか?」
「むむむ…そうだ!この街の入り口に、やたらと人が出入りしている建物があったぞ!確か、『冒険者ギルド』とか言ってた気がする!」
グルリンの言葉に光明を見たトホホは、藁にもすがる思いで立ち上がった。
冒険者…
なんだか危険な香りがプンプンするが空腹には勝てない。
ギルドの扉を開けると、そこは活気にあふれていた。
屈強な戦士や魔法使いのようなローブをまとった人々が、酒を酌み交わし騒がしい笑い声を上げている。
場違いな雰囲気に気圧されながらも、トホホは受付へと進み出た。
「あの…すみません、何か…私のような者でもできる仕事はありますでしょうか…?」
受付の女性はトホホの頼りない姿を一瞥し、明らかに興味なさそうな声で言った。
「あなたねぇ…。せいぜい、その辺の草むしりくらいしかないわよ。魔物に気を付けてね」
しょっぱい現実を突きつけられトホホが肩を落としたその時、ギルドの奥からけたたましい声が響き渡った。
「だから護衛なんて必要ないと言っているでしょう!わたくし一人で十分ですわ!」
声の主は豪華な装いをした若い女性だった。
しかしその顔には強い怒りが滲み出ており、周囲の冒険者たちを鋭い眼光で睨みつけている。
「しかしアリス様、ご両親からのご命令で…」
困り果てた様子のギルド職員が、彼女をたしなめようとしていた。
そのやり取りを聞いていたグルリンはトホホの耳元で囁く。
「あれチャンスじゃないか?あのツンツンしたお嬢ちゃん護衛を嫌がってるみたいだけど、もしかしたら渋々探してるんじゃないか?」
「でも…あんな強そうな人に僕が護衛なんて…」
自信なさげに呟くトホホを、グルリンはキラキラしたビー玉の瞳で見つめた。
「トホホはもっと自分を信じるべきだ!それにダメ元で頼んでみればいいんだ!断られたら、さっき言われた草むしりの仕事でもやればいいさ!」
グルリンの言葉に背中を押されたトホホは草むしりは避けたいと、意を決して騒ぎの中心へと近づいた。
「あの…もしよろしければ…わたくしが、あなたの護衛を…」
トホホが声をかけるとアリスと呼ばれた令嬢は、射抜くような視線を彼に向けた。
その目は獲物を値踏みするかのようだった。
「あなたのような見るからに弱々しい男が、わたくしの護衛ですって?冗談も大概になさい!」
アリスは冷笑を浮かべた。
その言葉はトホホの自信を粉々に打ち砕いた。
「で、ですが…少しくらいはお役に立てるかもしれません…それにあの…生活費が…」
トホホが情けない声で言うと、アリスはさらに眉をひそめた。
「報酬目当ての卑しい男ですか!わたくしはあなたのような役立たずに、一銭たりとも払うつもりはありません!」
散々な言われようだがトホホは必死に頭を下げた。
「無報酬でも構いません!どうか少しの間だけでも、あなたの傍にいさせてください!何かできることがあれば、精一杯やりますから!」
トホホの必死な様子をアリスは腕を組みながらしばらく観察していた。
そして、ふっと意地の悪い笑みを浮かべた。
「ふん、まあいいでしょう。どうせすぐに泣き言を言うでしょうけれど。ただし少しでも邪魔になったら、すぐに追い払いますからね!それとわたくしのことは『アリス様』とお呼びなさい!」
こうしてトホホは名家の令嬢アリス・ロンウェーの、半ば押し付けられた護衛として共に旅をすることになったのだった。
もちろんグルリンも一緒だ。
旅の道中、アリスはトホホに対して容赦のない言葉を浴びせ続けた。
「遅い!」
「邪魔!」
「本当に使えない男!」
その毒舌ぶりにトホホは何度も心が折れそうになった。
しかしアリスの態度には、時折ほんのわずかな変化が見られることもあった。
街道で小さな子供が転んだ時、アリスは誰にも気づかれないように、そっとハンカチを差し出していた。
また、夜の焚火の番をしていたトホホがうっかり眠ってしまった時、アリスは何も言わずに自分の上着を彼に掛けてくれていた。
もちろん翌朝には「別に、あなたのためにやったわけではありませんわ!たまたま、わたくしが寝冷えしたくなかっただけです!」と、いつものツンツンした態度に戻っていたのだが。
「ねえ、トホホ。あのツンツンお嬢様、なかなか面白いリアクションするねぇ!」
アリスの毒舌とたまに見せる優しさのギャップを見て、グルリンはビー玉の体をコロコロと転がして笑っていた。
「全然面白くないよグルリン…。毎日毎日、罵詈雑言を浴びせられる身にもなってくれ…」
トホホがげんなりしているとグルリンは突然、何かを思い出したように声を上げた。
「あっ!そうだ!トホホがまだ小さかった娘さんに、絵本を読んであげてた頃の記憶!」
グルリンはトホホの過去の温かい記憶を引っ張り出してきた。
「確か…お姫様が出てくる、可愛らしい絵本だったなぁ…最初はツンツンしてるんだけど、最後はデレデレになる、いじらしいお姫様の話で…」
その言葉に、トホホは亡き娘の笑顔を思い出し胸が締め付けられた。
「…それがどうかしたのか?」
「うん!あの絵本に出てくるお姫様とあのツンツンお嬢様、なんだか雰囲気がソックリだ!」
グルリンは顎(のような部分)に手を当てて、得意げな表情でアリスの方を指さした。
アリスはちょうど遠くの景色を険しい表情で見つめている。
「え…?どこが…?」
トホホには、全く似ているとは思えなかった。絵本のお姫様は、もっと素直で可愛らしかったような気がする。
「だってほら!普段は強気で冷たいのに、たまに見せる優しさとか!まさに、ツンデレの王道じゃないか!」
グルリンは興奮した様子でビー玉の体を上下に揺らした。
そしてパチンと指を鳴らした(ように見えた)。
「決めた!今日からあのツンツンお嬢様のことは、『ツンデレラ』って呼ぶことにする!」
「ツンデレラ…?」
トホホはグルリンの安直なネーミングセンスに盛大にズッコケそうになった。
しかしなぜかその響きが、アリスの複雑な性格を絶妙に表しているような気もして、小さく笑ってしまった。
こうして生活費のためにツンデレお嬢様ツンデレラ(グルリン命名)の護衛をすることになったトホホと、ウザ可愛いビー玉グルメ精霊グルリンの、波乱万丈な異世界珍道中が、今日もまた始まるのだった。
トホホの腹の虫は、今日も盛大に鳴り響いていた。
数日経ったある日の事。
相変わらずアリス・ロンウェー、通称ツンデレラ(グルリン命名)との旅は、トホホにとって試練の連続だった。
「役立たず!そんなこともできないのですか!」
「トロい!一体何をしているのですか!」
「わたくしの邪魔をしないで、大人しく後ろに下がっていなさい!」
毎日のように浴びせられる辛辣な言葉の数々。
トホホの自己肯定感は、異世界の地面よりも深く沈んでいった。
「ねえトホホ。今日もツンデレラ絶好調だね!」
グルリンはアリスの罵詈雑言をまるで漫才でも見ているかのように、楽しそうにビー玉の体を揺らしている。
「全然楽しくないよグルリン…。本当になんで僕がこんな目に…」
トホホはしょぼくれた声で答えた。
まさか異世界に来てまで、こんなにも罵倒される日々を送るとは思ってもいなかった。
ある日、街道を歩いていると突然、巨大なイノシシのような魔物が現れた。
アリスは素早く剣を抜き、魔物に向かっていく。
しかし相手は見た目以上に強く、アリスは苦戦を強いられていた。
「くっ…!なかなか手ごわい…!」
アリスが唸るのを見て、トホホはいてもたってもいられなくなった。
何の力もない自分に何ができるかは分からなかったが、アリスを見捨てることはできなかった。
「グルリン!何か、僕にできることはないか!?」
トホホが叫ぶとグルリンは少し考え込んだ後、言った。
「そうだな…確かトホホ、昔、会社の運動会で、借り物競争に出た時の記憶があったぞ!あれは、結構必死に走ってたなぁ!」
次の瞬間、トホホの頭の上に運動会でゼーハー言いながら走っている自分の記憶が、ビー玉となって現れた。
グルリンはそれをパクッと一口。
「ん~!汗と土の味がする!でも、意外と悪くない!」
グルリンが食べ終わると同時に、トホホの足に、信じられないほどの力が湧き上がってきた。
まるで本当に運動会で必死に走っていた時のように、体が軽く感じられる。
「え…?なんだ、この力は…!」
戸惑いながらも、トホホは魔物に向かって走り出した。
もちろん剣術の心得などない。
ただ無我夢中で、魔物の気を引こうと大声で叫びながら走り回った。
「うわああああ!こっちだブタ野郎ー!!」
トホホのあまりの奇妙な行動に魔物はアリスから注意をそらし、トホホの方へと突進してきた。
「ちょっ!あなた何をしているんですか!危ない!」
アリスは驚きの声を上げたが、トホホは我武者羅に走り続ける。
魔物は明らかにトホホの動きに翻弄されていた。
運動会で鍛えられた(?)予測不能な動きと必死の形相が、魔物には理解不能だったのだろう。
その隙にアリスは渾身の一撃を魔物に叩き込んだ。
魔物は悲鳴を上げ、その場に倒れ伏した。
激しい戦いが終わり息を切らせているトホホに、アリスは信じられないといった表情で近づいてきた。
「あ…あなたは…一体何を…?」
「いや…その…昔、運動会で…必死に走ったことがありまして…」
トホホがぜえぜえ言いながら答えると、アリスはしばらくポカンとした後、信じられないといった表情で呟いた。
「…役立たずのくせに…たまには、役に立つこともあるのですね…」
それはいつもの罵倒の中に、ほんのわずかな驚きと、そして…ほんの少しだけ、認められたような響きが混じっていたような気がした。
「ねえトホホ!やったじゃないか!ツンデレラもちょっとは感心してるみたいだよ!」
グルリンは得意げにビー玉の体を光らせた。
「…まあ、結果オーライ、ってことで…」
トホホは疲労困憊ながらも、少しだけ誇らしい気持ちになった。
役立たずなりにできることもあるんだ。
こうして強気で口の悪いツンデレラに罵られながらも、トホホの異世界での冒険は、予想外の方向へと進んでいくのだった。
そして彼の頭上には、今日もまた新しい思い出のビー玉が、ひっそりと生まれようとしていた。
この、魔物をなんとか退けた一件以来、アリスとトホホの間の空気は微妙に変化していた。
相変わらずアリスの口は悪かったが、以前のような一方的な罵倒というよりは、どこか引っかかるような、突っ込みに近いものも混じるようになってきた気がする。
「あなた本当に地図を読むのが下手くそね!まるで生まれたてのヒヨコみたいに、キョロキョロして!」
「す、すみません…」
「全く、わたくしがいなければ、いつまで経っても目的地に着けませんわね!感謝しなさい!」
「は、はい…ありがとうございます…」
以前なら、ここでトホホは完全に萎縮していただろう。
しかし最近は(生まれたてのヒヨコって…一体どんな例えなんだろう?)などと、心の中でツッコミを入れられる余裕も出てきた。
これもグルリンの能天気な存在のおかげかもしれない。
「ねえトホホ。ツンデレラのツン具合も、だいぶこなれてきたんじゃない?」
グルリンはアリスの毒舌を聞きながら、どこか批評家のような口調で言った。
「こなれてきたって…褒めてるのか、貶してるのか、さっぱり分からないよ…」
そんなある夜、二人は雨宿りのために古びた洞窟に身を寄せていた。焚火の炎が、じめじめとした洞窟内をぼんやりと照らしている。
いつものようにアリスは離れた場所で腕を組んで座っており、トホホは焚火の番をしていた。
雨音が洞窟内に響く静かな時間。
ふと、アリスが小さな声で呟いた。
「…あなた、故郷にはもう帰れないのでしょうね」
それはいつもの刺々しい口調とは違い、どこか寂しげな、まるで独り言のような問いかけだった。
トホホは予期せぬ質問に、言葉を失った。
妻と娘を失い、見知らぬ異世界に飛ばされた自分の境遇。
普段は押し殺している悲しみが、その一言でぶり返してくる。
「…ええ…おそらく…」
絞り出すような声で答えるトホホに、アリスはしばらく沈黙した後、再び口を開いた。
「…わたくしも、色々とあって…実家には、もう戻るつもりはありませんの」
名家の令嬢であるアリスが、なぜ一人で旅をしているのか。
トホホは以前から疑問に思っていたが、彼女が自分の過去について語ることは一度もなかった。
「そ、そうなんですか…」
気の利いた言葉が見つからず、トホホはただそう答えるのが精一杯だった。
するとアリスは少し自嘲気味に笑った。
「ふふ…なんだか、似た者同士かもしれませんわね」
その言葉に、トホホはハッとした。
いつも強気でどこか人を寄せ付けない雰囲気のアリスも、自分と同じように何かを背負い、孤独を感じているのかもしれない。
その夜以来、二人の間には以前とは違う微妙な空気が流れるようになった。
アリスの毒舌は相変わらずだが、その中にほんの少しだけ気遣いのようなものが含まれるようになった気がする。
例えば険しい山道を登る際、アリスは露骨に嫌な顔をしながらも、「…別に、あなたが遅すぎるからではありませんわよ!たまたま、わたくしが少し休憩したいだけです!」と言いながら、トホホのペースに合わせてくれるようになったり。
また、宿屋で食事をする際、アリスはいつも一人で食事をしていたのだが、たまに、何も言わずにトホホのテーブルに、自分の料理を少し分けてくれることもあった。
「…別に、あなたに分けてあげるわけではありませんわ!ただ、量が多すぎるだけです!」と、必ず付け加えるのだが。
そんなアリスのツンデレぶりに、グルリンはいつもニヤニヤしている。
「ねえ、トホホ。ツンデレラ完全にデレ期に入りかけてるんじゃない?」
「まさか…ただの気のせいだよ、きっと…」
トホホはそう言いながらも、アリスのツンデレにまんざらでもない自分がいることに気づいていた。
喧嘩腰でありながらも共に困難を乗り越えるうちに、二人の間には確かに何かが芽生え始めていたのだ。
それはまだ小さな頼りない芽ではあるけれど。
この先、二人の関係がどうなっていくのか。
トホホにはまだ想像もつかなかった。
ただ一つ言えることは、アリスのツンデレに振り回される日々も、なんだか少しだけ悪くないと思えるようになってきたということだった。
そして彼の頭上のビー玉は今日もまた、二人の間に生まれた小さな変化を静かに記録するように生み出されていた。