(九十五)
(九十五)
白い、真っ白だ。
光に溢れている。
おそらく私はベッドに寝ているんだろうけど、ベッドも周りの空間も、全部が全部、白く輝き過ぎてて、なにがなんだかわからない。
ただ、私が見上げている上空、どれぐらいの場所かは分からないけど、そこにテニスのボールぐらいの大きさの真っ黒な丸い穴がぽっかりと浮かんでいる。
身体を起こしてそれをじっくり見ると、その穴は私の部屋の天井くらいの高さに浮いていて、何かで栓をしてあるように見えた。
「きらる」
私を呼ぶ声がして、そちらに振り向くと、真っ白な空間に、人の頭が浮かんでいた。
「きらり!」
それは、きらりだった。
きらりの生首だけが浮いてるのかと一瞬息を飲んだけど、白い服が周りの空間と同化して見えなくなってるだけだと気付いた。
その証拠に、手とか足とか服から出ている肌の部分がちゃんと見えている。
きらりがこちらに歩いて近づいてくる。たぶんこの子の足が着いているところが床なんだろう。
それで、私のそばに腰掛けた。なるほど、そこがベッドの端なんだ。
手探りでそこに触れると確かにその部分でベッドが終わっている。
もう、周りが白くて光ってて、物と空気との境目も分からない。あらゆる遠近感も立体感もなくなってただ白い平面に、きらりの顔だけが夏祭りのお面のように空中に漂っている。
「ここは?」
念のために聞いてみる。
「ここ? ここは、私の意識の中にある『世界さん』側の世界」
「そうかぁ……」私は天上の黒丸を見上げた。
やっぱり、きらりはここにいたんだ。
「あれから秋本輝流が存在する世界になってたのに『世界さん』の力が使えるってことは、きっとどこかできらりが生きてるって思ってたんだけど」
私の頭の中にあの〝穴〟はあっても、『世界さん』と繋がって力を使う権利があるのはあくまでも秋本輝星だ。
「これが生きてるってことになるなら、そうなんだろうけどね」
きらりが見てご覧っていう感じで首を左右に振った。
「まあ、この世の世界とは思えないけど」はっきりいって、あの世にしか見えない。
「でも、あなたがここに来たってことは、こんな世界に来るようなことになったってことなのかな?」
そう、私は四階建て病院の屋上から飛び降りたんだった。あれは普通のビルの五階分ぐらいの高さがあった気がする。しかも、あみこに〝幸せの光〟をすっかり吸い取られていたから、痛かったのなんのって!
私はきらりにあの日からの出来事を一通り説明した。
その時間はたっぷりとあった。
あみまみとの血の繋がり、〝穴〟の〝栓〟、けーくんや弥生ママの薬を利用しての〝力〟の自家生産、『エリクサー』の効果、ショコラちゃんの当選、あみこの反乱、そして屋上からのダイブ。
「きらるって、私の身体、とことんボロボロにしてるよね」
きらりが長いため息を吐く。
「そうかな、有意義に使ったって思わない?」
「どこが有意義なのよ」
「エッチと〝力〟を兼ねてってやつ」開き直ると我ながら変態に思えてくる。
「もぉ、アイツとどんだけやってるのよ!」
「それって、あの〝パンの数を覚えてるか?〟っていうマンガみたいな感じ?」
「ちょっと、そんなに食べたの!?」
きらりの声が裏返る。
「そんな、〝食べた〟なんて言い方、乙女じゃないよ」表現がエッチだと思う。
「覚えてないぐらいしてたら、それこそもう乙女じゃないよ」
「ちゃんと覚えてるよ。四百二十七回、いつか倍返しにしてやるんだ」いつ誰に何を二倍にして返そうとしてるのかは極秘だ。
「ごめん、やっぱり、一回でも乙女じゃなかったね」
きらりの口調は冷たかった。私はガックリと肩を落とした。そうだった。可哀想に、きらりはファーストキスすらしたことないんだった。
「まあまあ、これからは大事に使うからさ」これからがあればだけど。
「ひとの体、地面に叩き付けといてよく言うよ」
ごもっともだ。それで、確認しなければならないことがある。
「そんで……、ねえ、私って、死んだの?」
「知るか、バカッ!」
それはそうかもしれないけど、なにもそんなふうに死者に鞭打つような言い方をしなくてもいいんじゃないかな?
きらりの一言に分かりやすく俯いてしょげかえっているのを気にしてくれたのか、わざとらしいため息で私に上を向かせた。
「で、なんでそんなことしちゃったの?」
その言葉には責めるような色味は入っていなかった。呆れた色は入ってたけど。
「さっき言ったけどね。あみこが『世界さん』に乗っ取られたみたいになって、私の〝幸福感〟とか〝幸せの光〟? 〝力〟? そんな感じのを全部吸い取られちゃって、それからはずっと〝力〟を作るための道具みたいになって、彼と毎晩そんなことばっかりしてて、私はこのまま一生するだけになるんだって、今度からはクラスの男子みんなとすることになるんだって。それで、それが嫌なら〝穴〟を塞いでる栓を外せって言われて。それでね、私、無意識に〝力〟を取り戻そうとしてたのか、おまたいじりが過ぎて病院でセックス依存症って言われてて……」
「セックス依存!?」
きらりがとんでもない声を頭のてっぺんから出した。
けど、気持ちは分かる。小学生の女の子には決して付けて欲しくない病名だ。
「正式には〝脅迫なんちゃらセックス〟って言うらしいんだけどね」一番ボケてた頃なんでよく覚えてないけど。
「まあ、それって、私らしいっちゃ私らしいかも、だけどね」きらりが頷く。
かろうじて乙女なきらりに言われるとなんだか申し訳ない。
「で、あんまりひどいんで、あ、ひどいって言うのはおまたいじりのことね、んで、薬を飲んでたんだけど、その薬って脳の活動を抑えるヤツらしくて、それを飲んだらおまたはしなくなるんだけど、他のこともなんにもできなくなってボケたみたいになってね」
「でも、そんな薬を飲んでたら、彼とちっちしても〝力〟なんか湧かないんじゃないの?」
ちっち、なるほど〝ちっち〟か、カワイイ表現だ。やっぱりきらりはまだ乙女なんだと思う。
「私も変だなって思ったんだけどね、あ、ボケてたときはボケてて分かんなかったんだけど。私がちっちしたときの、あそことかで感じた刺激とか興奮の信号が脳にたどり着く前にあみこに飛んでって、あみこの脳で感じてるみたいになってるようなんだよ。それで、あみこで湧いた〝力〟を『世界さん』が利用してるって感じ。だから私、良くもなんともないのに、ただあそこを使われてるだけの、ほんとの道具になっちゃってるってわけ」
「それ、ひどいね」
きらりが眉をひそめた。なにしろ身体の方は私ときらりの共用のものなんだから。
「でしょ、でも、ボケがひどくなって入院することになって、三日間薬を抜くことになってね、私、チャンスだと思ったの。薬が効いてないときにあみこの支配から抜けられたら、私、自由になれるって!」
そう、私には自由が必要だった。これからもずっと、私として私らしく生きていくための自由が。死んだら元も子もないけど。
「それで、病院で騒ぎを起こして、あみこが気を取られてる隙に用意した〝力〟で独房から逃げ出して、ここにダイブしたの」
用意した〝力〟がどんなものだったかは、聞かれない限り言わないでおく。
「むちゃくちゃね、ここに来ちゃったらぜんぜん自由じゃないじゃん」
「そうだけど、あみこに気付かれたらすぐに連れ戻されて、クラスの男子全員どころじゃなくて、もっと酷い目に遭っちゃうよ」
私はきっとあの病院から一生退院できないで、あみこのために夜な夜な夢で招待されたお客さんと〝発電〟し続けなくちゃいけなくなる。
「あんた、ほんとにただの発電機になっちゃったんだね」
きらりにため息ばかりつかせてごめんなさいだね。
「それがさ、しかもね、私が作った電力の一部で彼を充電して、また彼を使って発電するから永久に〝力〟を作れるって、そういうの〝オルタネーター〟っていう言うんだって、この間あみこが言ってた。私、凄いんだってさ!」
あみこが言ったのはきっと『世界さん』の言葉なんだろうけどね。
きらりがふうっと口笛みたいに息を吐いた。
「きらる、私ちょっと向こうに行ってくるから」
きらりがベッドからさっと立ち上がった。
「後でまた来るから」
「うん」
そう言ってきらりがベッドから離れるとふっと姿が見えなくなった。
何千メートルも見渡せそうなぐらい透き通った世界なのに、真っ白に輝いてて眩しくないのにすぐそこにあるものも見えなくなる。
「きらりぃ……」
呼び掛けても私の声はすぐそこで光に変わってぽわんと消えてしまった。
それで、私はようやく泣いた。
自由になれた喜びも、死を選んだ後悔も、きらりに逢えたことも、ガトーショコラを食べ損ねたことも、奪われた体も、獣のような行為も、いままでのすべてを、憎み、怨み、嘆き叫んだ。
そして、それを与えられたことに感謝して、果たせなかったことに謝罪した。
それは、私にであり、すべてにであり、世界に、であった。
私は五体投地のようにベッドに身を伏せて、それを三度繰り返して、身体中の感情を涙と鼻水と涎にして流し尽くした。
私が、たぶんベッドのシーツだと思うものを引っ張りあげて顔を拭って鼻をかんでたときに、きらりが戻ってきた。
きらりは私を見るなり情けない顔になった。
「そんなので拭かないでよ」
それで、きらりはベッドの上の方の、いつも私の部屋のティッシュが置いてある辺りに手を伸ばして、なにかを掴んで私の顔の前に差し出した。
私は身体を起こして、半ば手探りでそれから二枚を引っ張り出した。それは白く輝く何かで、間違いなくティッシュだった。
「ありがと」
残りの鼻水を綺麗に噴き出して、ずしりと重たくなった丸めたティッシュをいつもゴミ箱が置いてある辺りを目掛けて放り投げた。
弧を描いて白い空間に吸い込まれ見えなくなったティッシュの軌跡を追いかけてたきらりの目がくるっと丸くなった。
どうやら上手く入ったみたいだ。
私は丸めたティッシュの扱いには慣れている。
「落ち着いた?」
きらりのさり気ない言い方にほっとして頷いた。
「それで……、ねえ、私、どうしたらいい?」
ふたたびの私の呆れた質問に、きらりはそれほど呆れなかった。
「私とあなたの意識が存在してるってことは、私たちってまだ完全に死んでないってことだよね」
「それって、私が大怪我で入院してるってこと?」地面にぶつかってぐちゃってなったけど木っ端微塵にはなってないってことか。
「そうじゃなくて、きらるの意識がここに来たってことは、もう肉体は滅んじゃってるんだよね。お葬式もすっかり済んじゃってると思うよ」
「えっ、早くない? 普通、明日か明後日お通夜でしょ、それからお葬式じゃない。確か四日は友引だったからその次の日だよ」
「友引って……、大安吉日に飛び降りた人がよく言うよ。あんたここに来て一週間も眠ったまんまだったんだから」
「えっ……」
私、そんなに寝てたんだ。じゃあ、いまごろ、すっかり燃え尽きちゃってる。
「私たちがここにいるのは〝血の儀式〟で繋がったあみちゃんまみちゃんが生きてるからだね。でも、あの子たちじゃ〝穴〟は開けられないでしょ」
「でも、あみこが〝幸福ホルモン〟でいっぱいになったら『世界さん』の力が使えるよね」
あみこがおまたをいじったり、私の『エリクサー』を使って彼と〝発電〟したら私の代わりになるのかな?
「あなたの話だと、あみちゃんが『世界さん』に操られてる感じみたいだからなあ、下手したら『世界さん』があみちゃんたちを始末して終わらせちゃうかもね」
きらりが〝始末〟という言葉をさらっと口にする。それは考えてもなかった。
「あの子、面白いことなら大好きだけど、穴が塞がったままじゃつまんないでしょうからね。私には義理があっても、あみちゃんなんかには道端の雑草ほどにも思わないでしょうからね」
「やばいじゃん!」
あみこたちが『世界さん』に始末されるっていうことは、私たちの意識も存在しなくなって、オシマイってことだ。
「じゃじゃじゃ、私、どうしたらいいの?」
私はやっぱり一生〝動くオナホ〟だった方がよかったんだろうか?
きらりは腕を組んでぎゅうっと考えるように瞼を閉じて、しばらく天上の黒点の方を心の目で睨むようにしていたけど、うんと力強く頷いて目を開いた。
「『世界さん』が力を手に入れる前に、あなたが先にあみちゃんを始末して」
「うそぉ……」




