(九十一)
(九十一)
「お母さん、おやすみなさい」
「ん? あぁ、おやすみ」
私がリビングに戻って、お母さんにお休みを言うと、びっくりしたみたいな顔をした。
お風呂から上がって自分の部屋に行ったら、お母さんにおやすみなさいを言い忘れたと思って、リビングに戻ってきたんだ。
でも、お母さんがあんなに驚くのは、さっきちゃんと言ってたかもしれない。
頭がぼうっとして、すぐに忘れてしまうんだ。
だから、おまたをいじるのも忘れてきちんと寝られる。
「りゃあ、しゃいやい」
あれ? 私は、なにを言ってるんだろう。
「ちゃんと、お布団かけて寝なさいよ」
お母さんも、なに言ってんだろう、意味がわかんない。変なの。
私が笑うとお母さんもにっこりとしてくれた。
「こんばんは」
廊下でいつも立ってる壁に挨拶をして部屋に入った。
あの壁はいつもあのへんに立ってて、わたしが通るときにぶつかって邪魔をしてくる。だからちゃんと挨拶して機嫌をとってるんだ。
嫌なことばっかりするから、この間、怒ってかなづちで叩いたら血が出て泣いちゃって、お母さんに仲良くしなきゃダメだよって言われた。
かなづちで叩くのはよくなかったと思う。包丁を持って追いかけたこともあった。お母さんはきっとあの壁のことが好きなんだ。悪いことをしちゃった。
部屋ではお洋服を脱いで、ベッドに入る。
あとは眠っていつもの夢を見るだけだ。
服を脱いで寝ないと、夢で叱られる。手間が掛かるのはよくないんだそうだ。
「はい、いらっしゃい」
あみちゃんの声がして、気がついたらいつものマットレスの上に寝てた。
もう夢を見てるんだ。すごい、二秒で寝ちゃったのかな。
いつもみたいに、あみちゃんが私を可愛がってくれる。あみちゃんが触ってるところは、ほんの少しだけ気持ちよくて、続けてくれないと、それがすっとなくなってしまう。
あみちゃんが言うには、私は死んじゃいそうなぐらいものすごく気持ちよくなってるんだけど、ぜんぶあみちゃんがそれを吸い取ってくれてるんだそうだ。私が死んじゃわないのはあみちゃんのおかげだから感謝してる。でも、ピリピリとした電気みたいな信号がお腹の奥からずーんって頭の方まで届いて、私はいっつもお漏らしをしてしまう。
そうすると、あみちゃんが「いいこだね」っていって褒めてくれる。
夢だからお漏らししても平気なんだって。私は濡れたマットレスがお尻や背中に張り付いてちょっとだけ気持ち悪いけど。
それから、あみちゃんが呼ぶと、男の子が現れる。
高森啓示くん。けーくんって知ってるんだけど、夢の中では〝お兄ちゃん〟って呼ぶことになってて、お兄ちゃんは私のことを〝フッカ〟って呼ぶ。
〝お兄ちゃん〟は年上の男の子の呼び方で、高森のお兄ちゃんっていうことで、〝フッカ〟っていうのは復活という意味があるらしい。つまり、私が元気になるようにっていうことなんだろう。
そういう遊びなんだそうだ。あみちゃんは〝キノコ遊び〟だよって教えてくれた。
キノコ遊びは、私が上になったり下になったり後ろを向いたりして、体育の組体操みたいな感じで、関節がぐぐぐってなってポキポキ音がすることもある。これがストレッチっていうやつだ。終わったあとはとってもスッキリとする。
お兄ちゃんの動きはすっごく優しくて、気持ちいい。
あみちゃんは私からぜんぶを吸い取ろうとするけど、あんまりよすぎて、追いつけなくて、私にほんの少しだけ気持ちよさの〝力〟が残ってしまうんだって。
キノコ遊びは、あみちゃんが相手をしてくれるときの何万倍も〝力〟を集められるから、私はとっても便利な道具なんだって、すごく役に立ってるって褒めまくられてしまう。
それで、集まった〝力〟の一部はコドモのイエの活動とか、子供たちの未来のために使われてるんだって。
あみちゃんは、やっぱり優しい子だと思う。
私はそれに負けないように、お兄ちゃんと〝力〟集めを頑張っている。
もう、こういう夢を、どれくらい見てるだろう。
いったい、いつからだったっけ?
すっかり終わると、お兄ちゃんはマットレスの上で死んだように眠ってしまう。
私も眠くなる。夢を見てるのに眠くなるなんておかしな話だと思う。
キノコ遊びが終わると、いつものようにあみちゃんが私の顔を覗き込む。
「穴は見つかった?」
私はいつものように首を振る。
あみちゃんはずっと、私に穴を探せという。頭の中に丸い穴があって、その穴が玉で塞がれているから、その玉を取らないといけないらしい。
そうすれば、あみちゃんが私から〝力〟を吸い取ったりしなくてもよくなるし、私がぼんやりしたり、おまたをいじったりすることもなくなるそうだ。
けど、私はその穴がどこにあるのか見つけられないでいる。
「ごめんなさい」
私はとてもひどい失敗をしたみたいに、あみちゃんの前で泣きそうになった。
そんな穴を誰が塞いじゃったんだろう。
あみちゃんが言うには、私の心の中に住んでる〝悪魔〟が私を騙して塞いじゃったらしい。
穴が塞がってしまった人はみんなやる気がなくなったり悪いことをしたりするという。
あみちゃんは私が悪いことをしないように、穴が見つかるまで〝悪魔〟を封じ込めるために〝キノコ遊び〟をさせてくれてるんだ。
「まあ、焦らなくてもいいわ。その分、あなたのお楽しみタイムが増えるだけだからね」
そう言って、あみちゃんは笑うけど、頑張って穴を探さないと、より多くの〝力〟を集めるために、そのうち他の人とも〝キノコ遊び〟をすることになっちゃうよって、この間言われたんだった。
知らない人と遊ぶのはなんとなく不安だから、早く見つけてしまいたい。
意識の中に浮かんでる穴のイメージさえ掴めれば簡単だよってあみちゃんが言うんだけど、それって、昔、昼間の金星を観測したときみたいな感じなんだろうか。あのときは、目の焦点を無限遠に合わせるコツがなかなか分からなかったっけ。穴もそんなふうに案外目の前にぽっかり浮かんでいるのかもしれない。
「おつかれさま」
あみこがそう言うと、次に私が瞬きしたら、自分の部屋のベッドで寝ていた。
いっぺんに夢から覚めたんだ。
少しだけ、頭も身体もスッキリしてるけど、あっという間にまた脳みそがとろけてしまったみたいに頭がぼんやりとして、身体にも力が入らなくなって、大きなあくびが出て、重たくなったまぶたを閉じると、また眠ってしまったらしくて、気が付いたら朝になっていた。
あみちゃん……。そういえば、なにか探しといてねって言われてたけど、なんだったっけ?
ぼうっとして忘れちゃったよ。
何時か分からないけどリビングに行く。
朝になったら廊下の邪魔な壁がいなくなるからぶつからなくていい。
「おはよう」
お母さんは朝ごはんを食べてる。
「あ、おはよう。もうお昼すぎだよ」
お母さんに言われて壁の時計を見た。あれは何時だろう。針の読み方が分からない。
「きらるもお昼食べる?」
「うぅ、お母さんと一緒の」
お母さんはカレーを食べてる。お母さんのスーパーで売ってる四個パックで三百七十八円のカレーだ。カレーは白い服に付いたら大変だけど大丈夫。
私はお母さんがカレーを用意してくれてる間、カレーが服に付いたらミントちゃんに叱られるけど、いまはミントちゃんが遠くに行ってていないからちょっとぐらい汚しても大丈夫なんだよって説明した。だからミートソースを食べても平気なんだ。
お母さんは「へえ、そうなのって」笑ってる。
私の喋ってる言葉が分かるなんて、すごいと思う。でも、分からなくても笑ってくれてるなら、もっとすごいと思う。ちょっと寂しいけど。
「あ」
カレーのじゃがいもが、口に入れようとしたスプーンからぴょん逃げて、胸から太腿に転がって脚の間でころんと止まった。
「つかまえた」
手で摘んで口に放り込む。私からは逃げられないのだ。汚れた指はスカートで拭いた。
「あ、あ、きらる」
お母さんが慌てた声を出す。
「わぁ」
何かと思ったら、転がったじゃがいもに気を取られてて、手に持ってたスプーンを忘れてた。スプーンに乗ってたカレーがぺちゃんと脚の上に落っこちてる。
私はそれをもう一度スプーンですくって、口に収めた。
白い服がカレーでおしゃれな模様ができて、私はそれが面白くて「ひゃひゃひゃ」と笑った。
「後で洗濯するから、そのまま食べちゃいなさいね」
お母さんも笑ってる。この服は汚れても直ぐに落ちるから、洗濯したらいつも新品みたいになるってお母さんが言う。きっととっても高級な服に違いない。だったらミントちゃんはどうして汚したらダメって怒ってたんだろう。
「きらる、あしたクリニックだけど、入院のお返事どうする?」
お母さんが私のそばに来て、ティッシュで服にくっ付いたカレーのご飯粒を拭きながら聞いてきた。
この間、クリニックに行ったとき、先生が入院したらどうかなって言ってたんだった。
私は薬の量が難しくて、おまたいじりにちょうどいい効き目だと、ぼんやりしすぎて学校に行けないし、上手く喋れなくなるからだ。カウンセリングでも、なかなか原因が掴めないらしい。
入院して、きちんと調べて治療した方がいいんだそうだ。
「クリスマスには帰れる?」
クリスマスには、コドモのイエのイベントもある。冬休みにはいろんな楽しいことが待ってるはずなんだ。
「そうね、クリスマスまでまだひと月あるし、先生に相談しましょ」
お母さんはきっと入院した方がいいと思ってるんだろう。もう長いこと学校にも、コドモのイエにも行ってないし、私も、そう思う。お外でおまたをいじっちゃう心配をしないでお出掛けできるようになりたい。
私はお母さんに「うん」と大きく頷いた。
よし、入院しよう。




