(九十)
(九十)
「……きらり……、きらきら、おほしさま……」
おまじないが足りないのかなぁ。
頭がぼんやりとしたまんまだ。
あぁ、誰か、お話してる。あれは……、お母さんだ……。
「やっぱり、その……、セックス依存症、ですか」
「いえ、一般的にそういう言い方もしますけど、きらるさんのは、強迫的性行動症と呼ばれている症状ですね」
「でも、この子はまだ小学生ですし……」
この子……。私のことだ。そうか、私はお母さんと病院に来てたんだった。いつの間にか、ぼうっとしてた。私はお母さんの隣に座って、先生の前に座ってる。
「小学生でも性行動は低学年にも見られます。行為の意味ははっきりと分からなくても、刺激によって快感は得られますし、それに性行動と言っても大人が想像するようなセックスだけではなく、自慰や性的な画像や動画の視聴、マンガ等の閲覧もそうですし、性的な妄想や想像も依存の対象になります。きらるさんの場合は過度な自慰行為で通常の生活が困難な状態になっている、ということですね」
「そうなんですね」
「前回ときょうのカウンセリングで、きらるさんは、なんでも話してくれるということで、お母さんと一緒に相談して治していこうというお話しをしてくれてます。ね」
あ、私に聞いてる?
この人は……、あぁ、病院の先生だ。そう、久坂美子先生だ。そうだ。私はおまたをいじりすぎて学校に行けなくなって、それで、病院に連れてきてもらったんだ。
駅前のショッピングモールにあるクリニックだった。
「きらる」
お母さんが私の右手をぽんと叩いた。
あぁ、また、おまたに手をやってた。そうか、それでさっきからぼうっとしちゃってたんだ。
「ああ、お母さん、いいんですよ」
先生の言葉は柔らかい。
「すみません、つい……」
お母さんは私がおまたに手をやると「ダメだよ」って教えてくれる。私はお母さんに心配をかけたくないのに、手がいつの間にかおまたに動いてしまってる。やめようと思ってるのに、ほんとにダメな子だ。しっかり治さないといけない。
「うん、私、お母さんと一緒に治す」
先生が頷く。
「この間、お話のあった高森くん……、交際相手については、いかがでしたか?」
そうだ、この間、初めて先生に診てもらったとき、けーくんとのことを全部お話したんだった。
お母さんもびっくりしてたっけ。
「はい、そのことで、この子の言う通りなのか、先方に確認したんですけど、そういうことはまったくなくて」
「そうなんですね」
先生がそうだろうなって顔で頷いてる。
「あちらは子供さんを預かる施設ということで、いろいろ見守りカメラがあって、この子が言ってた、その、関係を持ってるっていう部屋の様子も事情を説明して見せてもらっんですけど、この子とその高森さんが確かに二人っきりなんですけど、その部屋で普通に楽しそうにおしゃべりして、宿題を教えてもらったりしてて、ほんとに健全な関係という感じでした」
「私ね、こっそりしてるの」私はお母さんの説明に付け加えた。
「きらるさんは、高森くん……、高森さんと性的な関係を持ちたいと思っていて、それが叶わないことによって、願望が妄想になってしまってるんでしょう。自慰のきっかけもそれがひとつの要因だと考えられますね」
「この子、これまでの、その……、活動は控えた方がよろしいですかね」
「そうですね、きらるさんの場合は、〝コドモのイエ〟の活動や相手の方との交際は悪いことではないので、続けてもらって差し支えないと思います。でも……、ちょっと疲れてるかな?」
先生がちらっと私を見て頬を緩めた。優しい顔でほっとする。私がこっくりと頷くと、先生もうんうんと繰り返すように頷いた。
「じゃあね、ちょっとお休みして、身体を休めた方がいいでしょうね。学校も無理して出なくてもいいと思います。診断書が必要なら病名は〝思春期うつ症状〟で書けますからね、学校などにもそう説明していただければ、安心して休養できると思います。特に性的な内容を他の人に話す必要はありませんからね。きょうはとりあえず、この間と同じ気持ちを和らげるお薬を出しときます。うん、ちょっとぼうっとするかな?」
先生は私をまた見て首を傾げてる。私は「大丈夫」と返事した。頭がぼうっとしてて、あんまり考えられないのも会った。
「うん、大丈夫? ちょっときついかもしれないけど、夜はぐっすり眠れるからね。それで、しばらくカウンセリングを続けてみましょう」
先生は必要なことをいっぺんにいろいろと話した。
覚えとくのはお母さんに任せよう。
「はい」
頷くお母さんの隣で、私はしっかりと返事をした。
クリニックを出てショッピングモールから自然とJR駅の方に向かって歩いていた。こちらの連絡通路からが循環バスの乗り場に近い。
ここは前にあみちゃんと会った連絡通路だ。
あのときは、何してたんだっけ?
「お昼、フードコートで食べてけばよかったかな」
お母さんがモールの建物を振り返る。
「私、パスタがいい、カルボナーラ」
「そう、じゃあ帰る?」
お母さんがパートに行ってるスーパーで安売りのときに半額で買ってる冷凍パスタをお昼は食べる予定だった。私はそれのカルボナーラが好きだ。
お母さんはミートソース。私は服が白いから、ミートソースは食べちゃダメだとミントちゃんに止められてる。
連絡通路のデッキを歩いていると、駅の改札前でお散歩中なのか、保育園ぐらいの子が十何人か先生に連れられて並んで歩いていた。
「あっ、選挙の人だ!」
その中の一人の子が私に気付いて指差して大声を上げた。あれぐらいの子は、なんでもないことでも、お腹の底から声を張り上げる。
すると、他の子も口々に「白い人」とか「投票さん」とかって90dBで騒ぎ出した。
ずっと前にショコラちゃんが選挙に出たとき、コドモのイエの子供たちは「みんなで投票に行きましょう!」って、駅前とかで投票を呼びかける活動をした。ほんとはショコラちゃんの応援がしたかったんだけど、それは選挙違反になるからできなくて、せめて投票率が高くなればショコラちゃんに有利たって考えて連日みんなで街を練り歩いたんだった。そのおかげなのか、この辺りの投票率はものすごく高くて全国一になった。
この子たちもきっとそのときの活動を見ていたんだろう。白い服着た変な子って覚えてるのかもしれない。
普通に「こんにちは」と挨拶するだけなんだけど、引率してる先生は子供たちを通路の端に寄せてひとりずつ私にタッチする時間を取ってくれている。
小さな子供に囲まれて、ちょっとした人気者になったような気がして、気分がよかった。
何人目かの女の子が私のお腹に顔を付けて、ハグしてきて、私はその子の頭に右手を置いてなでようとした。そのとき、急にハッと気付いて、背筋がゾクゾクして鳥肌が立った。
この手は、さっきおまたをいじった手だ。
もう、何人この手で子供たちの頭をなでただろう。慌てて、左手を女の子の頭に乗せた。
苦しい、息が詰まりそうだ。
めまいがしそうな中、残りの子にも無理やり笑顔を作って、挨拶を続けていると、一番元気のいい男の子が体当するように抱きついてきて、私の胸におでこをぶつけた。私は後ろによろけながら、その子をなだめるように背中をさすった。すると、その子は体の横にだらんとさせてた私の右手をぱっと掴んで、パクッと指を口の中に入れてしまった。
私は固まった。
汚れた指を口に入れたからではない。男の子が私のおまたを口にしたような気がしたからだ。
さっきの病院で、ぬらりと粘ついてあの生臭い匂いを放っていたあの指は私のおまたそのもののようだった。
いま男の子がそれを味わっている。楽しんでいる。下着の中にじわじわとぬめりが滲んでいく。
この子は、男の子だ。付いてる。私が寝床でぼんやりと思い浮かべるあの元気なとんがりがある。
いじりたい、触りたい。
あぁ、私は何を考えてるんだ。でも、この子は私を味わってるんだ。私だってこの子を味わってもいいはず。この子もそれを望んでるはずだ。そうする責任がある。私がこの子を満たしてあげなければならないんだ。頭の中でヌメヌメとした思いがのたうち回っていやらしい雫を撒き散らしている。
「きらる」
「えっ」
お母さん……、だ。声を掛けたのはお母さんだ。
「どうしたの?」
気が付くと、私は連絡通路にぽつんと立っていた。
周りを見回すと、ずっと向こうを子供たちの列が歩いている。
「もう、みんな行っちゃったよ」
お母さんも私の顔が向いてる方を見ている。
「ああ」そうか、よかった、残念で。
ぬちゃ……。
粘り気のある湿った感触に、いつの間にか自分をいじっていたことに気付いた。
お母さんは気付いていたけど、止めようかどうしようか迷っていたようだ。クリニックの先生から無理に止めるのはよくないと聞いているからなんだろう。けど、お外でのおまたは止めてくれた方がいいように思う。
下着の中のムズムズとした感覚に、気持ちがその部分に行ってしまう。いじろうとする手を抑えようと思えば思うほど、あそこが気になって余計にいじりたくなる。
モヤモヤとした不安に服の上からおまたに手を置いたら、安心できてほっとした。
お母さんは、きっとどうしたらいいのか分からなくて、私を通路の手すりの方に向けて、並んでデッキの上から景色を見ているみたいにして、私がおまたをいじってるのが周りから分からないようにしてくれた。
そうして、お母さんは私の肩に上着を掛けてくれた。
それで、私は通路に背中を向けたまま、夢中になっていじった。
布が擦れる感じがヒリヒリとして、それでもやめられなくて、悲しくなって涙が溢れてきた。
なんでこんなことしてるんだろう。気持ちいいからって訳じゃないのに、どうしてやめられないんだろう。
私は泣きながらおまたをいじり続けてた。
『……』
「あれっ」
私はその音? 声? に、ハッとして、手を止めて耳をすました。
「どうしたの」
お母さんが不思議そうに私を見ている。
「いま、なにか聞こえなかった?」
なにか、すごく大事なことが聞こえたような気がする。
「別に……、そこの、駅で放送が流れてたけど」
「放送?」
「うん、電車が発車しますって放送だよ」
「ふうん」いつも駅で放送してる案内だ。
「前橋方面高崎行きの電車が発車します、って」
前橋、高崎、電車……。たぶんそれじゃない。
「耳鳴りかなぁ、なにか聞こえたと思ったんだけど」
「もう、それを言うなら〝空耳〟でしょう」
「あ」お母さんがクスッと笑った。確かにそうかもしれない。
「帰ろうか。お母さん、お腹すいちゃった」
「うん」
歩きながら、周りの音に気を付けて耳を澄ましてたけど、さっきの気になる音はなんにも聞こえてこなかった。
あれはなんだったんだろう。
おかげでおまたのことはすっかり忘れてしまっていた。




