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(八十九)

   (八十九)


『野木まさひろ』


 ショコラちゃんのお父さん。

 けーくんの〝渋川の山奥に住んでるじいちゃん〟だ。


 少し昔には農業の大臣も務めた人だったけど、理由があって引退したらしい。

 それが、今回の選挙で立候補したのは、与党が求心力を回復するために人望のある人物として担ぎ出したということなのだという。けーくんの説明だ。私にはよく分からないけど、きっと立派な人なんだろう。


「野党が統一候補を絞れなかったからね。じいちゃんの一人勝ちなんだよ」

 けーくんは選挙が始まったときから、ずっと同じことを繰り返し説明してくれる。ショコラちゃんはその野党候補ですらない。高名なじいちゃんの娘ということで、物珍しさで注目を浴びただけなのだ。

 つまり、けーくんはショコラちゃんが〝落ちてもしょうがない〟と言っているのだ。


 テレビでは早速、野木じいちゃん陣営の会見会場が映し出されて、アナウンサーがマイクを持ってカメラの前に立っている。


『こちら、群馬三区、野木まさひろ候補の選挙事務所一階に設けられた会見会場です。洋将(まさひろ)さん本人はまだ出てこられてませんが、会場は後援会を始め多くの支援者が詰めかけて、先程の速報で当選確実のテロップが映し出されたときには一斉にバンザイが叫ばれておりました。えー、たったいま入りました、洋将さん本人からのコメントですが、「当選が確定した時点で、こちらで挨拶をいたします」とのことです。それでは、後援会会長に当選確実についての感想を……』


「あれ、きっと上でお湯割り飲んでるんだぜ」

 じいちゃんの生態を知り尽くしたけーくんが、今頃二階の部屋でばあちゃんとお湯割りで祝杯をあげてるんだと予想する。

 けーくんにとってショコラちゃんの落選が悔しくないわけないけど、じいちゃんの当選を祝うことでそれを紛らわしているんだろう。


「うんまっ!」

 リビングのテーブルに出したお寿司を早速まみこが口に入れたようだ。

「こらっ、あんた早いって!」

 あみこが〝いただきます〟をしてないって注意してる間に、他の子も好き勝手にお寿司を摘み始めた。

「オレたちも食おうぜ」

 けーくんが取り皿とお箸を取りに立ち上がった。


「みんな、やってる?」

 少しして、ショコラちゃんがリビングに現れた。それで、とりあえず、よくわかんないけど拍手になった。

「大人たちは下で酔っ払って凶暴になってるから近付かないように。それから、みんなは九時になったら送ってくからね。それまでにお寿司もフライドチキンも全部食べ尽くしちゃってね」

 そう言って下に戻ろうとするショコラちゃんにみんなが手拍子を送った。それで、いつものように、ぴょんぴょんダンスを踊り始めた。

 リビングにいた全員が――もちろん私も――一緒になって踊り出す。

 ショコラちゃんはダンスのパートナーに〝何年生ですか?〟くんを指名して、くるくると手を取って回った。その子もいい思い出になるだろう。

「あ」

 ショコラちゃんが着信音にダンスを止めてスマホを取った。

 パートナーの〝何年生ですか?〟くんは隣にいた私が引き取った。少し不満そうだったけど我慢して欲しい。

「はい、あぁ、おめでとう」

 親しげな感じで、ひょっとして、電話の相手はお父さんなんだろうか。

「いま? そう、ぴょんぴょんダンス」

 ショコラちゃんは、立候補が決まってから、お父さんとは一切連絡を取り合ってなかったらしいけど、向こうから電話って、父娘(おやこ)でいったいどんな話なんだろう。

 ショコラちゃんはしきりに「うん、うん」と頷いている。

「なに、それ。じゃあ、こっちはお祝いの会にするから、うん」

 ショコラちゃんが笑って、「じゃあね」と電話を切った。

 私たちは浮かれて、もう三回目のダンスに入ってる。また〝何年生ですか?〟くんと踊り出したショコラちゃんが最後のくるくるをして、その子とおしまいのハグをすると、男の子は真っ赤になってしまった。

「みんな、私のお父さんは向こうで残念会を開いてくれてるそうだよ。反対に、こっちはみんなでお祝いをしてあげましょう」

 ショコラちゃんが手を振って話をする。

 どうやら、自分の当選より娘の落選の方が重く感じるっていう親の気持ちらしい。

「なんか、沈んじゃっててさ、反対にこっちがお祝いしてあげなきゃって」

 そう言って、ショコラちゃんは冷蔵庫から追加のビールを袋に詰め込んで下に降りていった。

「じゃあ、みんな、頑張ったんだからさ、バンザイしようぜ!」

 けーくんの掛け声で、全員でバンザイ三唱して、お寿司でお祝いをした。みんな、とりあえずお寿司を食べたかった。

 テレビでは次々に各地の当確の表示が流れて行った。



『えー、ここで訂正があります』

 テーブルのお寿司がほとんどなくなった頃、選挙の行方を解説してたスタジオから場面が急に変わってアナウンサーが緊張した顔で原稿を読み始めた。


『先程、番組冒頭の速報で当選確実と発表致しました、群馬三区の野木まさひろ氏の当確がたったいま、取り消されました。現在も開票作業が続けられており、当選者は確定しておりません。各候補者の方々には混乱を招く結果となり大変申し訳ありませんでした。速報に誤りがありましたこと、訂正し、謹んで深くお詫び申し上げます。繰り返します……』


「えっ、どゆこと?」

「当選確実って、テレビ局とかが出口調査なんかで予想して出してるから、ホントの当選じゃないんだ。だから、間違うこともあるんだけど、こんな間違いはありえないはずなんだけどな……」

 けーくんが疑問を口にするみんなに野党候補が票を伸ばしたのかもしれないと、説明してくれる。でも、番組開始直後に当確が発表されるのは余程間違いないことのはずなんだという。

「ねえ、その、出口調査ってするときに、おじいちゃんに投票したって人ばっかりだったりしたら、みんなおじいちゃんが当選するって思っちゃうよね」

 いつの間にか、あみこが私の隣に座って、「ほら」とテレビを指差す。

 画面にはいまの得票数の途中経過が出ていた。


 群馬三区:開票率3%

 のぎしょうこ:8,200票

 野木まさひろ:950票


「うそ、当選しそうじゃん」


 それで、実際に、ショコラちゃんは当選した。




 コドモのイエは一階が詰めかけた報道陣でパニックになって、九時にみんなが帰るのが難しくなっていた。でも、幸い残っているのは下にいるスタッフさんたちの子供がほとんどなので、問題はなさそうだ。〝何年生ですか?〟くんやマロンちゃんたちは家に電話して迎えに来てもらえることになったようだけど、迎えに来たお母さん方が、下でみんなと祝杯を上げてて結局帰れなくなってるらしい。

 まあ、まだ十時前だから心配はないだろう。

 けーくんは当選が決まっても、ずっと開票速報の番組を気にしてる。

「おじいちゃんって、比例区ってところで当選できるんだよね?」重複立候補制度という仕組みがあるってショコラちゃんからは聞いていた。そういうのは少しずるいと思ってたけど、ショコラちゃんのお父さんもそれで議員になれるならいいと思う。

「いや、このままの得票率だと、供託金没収点に届かないかもしれない。そしたら、比例区でのリストから外されてしまうから、完全敗北だよ」

 説明を聞いてもなんだかよく分からなかったけど、どうやらショコラちゃんのお父さんはこのままでは議員にはなれないみたいだ。

 そんなに、ショコラちゃんが圧勝することなんかあるんだろうか。確かに、選挙の間中、ショコラちゃんは子供に人気があった。ショコラちゃんのブログを見てるって子が沢山いた。でも、それは投票できない子供ばっかりだ。ぴょんぴょんダンスを一緒に踊ってくれるってだけでしかない。

 私が〝力〟を使ったならともかく、そんなわけでもないのに、与党の有力候補で元大臣経験者に勝つなんて、普通では考えられないことだ。

「母さん、政治家の血を引いてるし、確かにめちゃくちゃ演説上手かった。美人だし、目立ってたし、親子対決みたいに注目されてて、流れが全部母さんの方に来てたんだよなぁ」

 けーくんは勝因を分析しようとしているけど、無理はないか? めちゃくちゃ上手かったのは演説よりぴょんぴょんダンスじゃなかったか?

「きらる、ちょっといらっしゃい」

 あみこが私の肩をちょんと突いてリビングの外に誘った。

「どうしたの?」

 あみこはすごく真剣で真面目な顔になってる。

「あなた、とても疲れてるみたいよ。ちょっと休みましょう」

「疲れてる?」そう……、そうかもしれない。そうだ、疲れてる。ぴょんぴょんダンス三回踊っただけで息切れするなんて小学生じゃない。

 最近上手く〝力〟を使えないのも、この疲労感のせいに違いない。

 私はあみこに促されるまま、乙女部屋に入った。


 あかりを消したままの暗い部屋で、あみこは私の着衣をとって乙女の姿にすると、マットレスの上に寝かせて、まるで母親のように優しく口付けをした。

「寒くない?」

 あみこの言葉に首を振った。エアコンはついていない。暖房はない。カーテンのない窓の外には昇り始めた冬の星達が輝いている。

 なのに、汗ばむように、とても暖かい。

「ううん、楽でいい。なんか、暑いぐらいだし、異常気象よね」ほんとに、夏みたいな日が今年は多い気がする。

「それはね、きっとホットフラッシュね」

 あみこが私の体を指先でなぞる。痺れるようなゾクゾクっとした感覚が頭の中を突き抜ける。

「えっ、ホットフラッシュ?」

「そう、更年期なんかに女性ホルモンのバランスが崩れて、身体が火照ったりのぼせたりするみたいに、いま、あなたの中の〝力〟のバランスが崩れているのよ。でも、それも〝力〟がすべて枯れてしまえば、もう苦しくなくなるわ」

「あみこ、どうしたの?」この子は何を言ってるんだろう。なにか、雰囲気が違ってる。

「そうだ。ねえ、きらる。私のお母さんね、翔子さんの選挙応援で随分活躍したって。ね、もともとお母さんは優秀なOLさんで経理のプロだったんだよ。だから、議員になったら秘書にしてくれるんだって、公設秘書だって!」

「あ、ほんと!? よかったじゃない」急に話題が変わって驚いたけど、あみこの喜ぶ顔に頷いた。議員の秘書って、きっとお給料もいいに違いない。

「きらるには本当に感謝してる。こんないい〝(うつわ)〟を用意してくれて。あなたが〝力〟を使えなくなっても、この鮎美がいればなにも問題はないし、あなたの願う〝子供の未来〟はきっと翔子が守ってくれるわ」

「え、器って……?」なんだ、なんだなんだなんだ?

「ねえ、あなたはもう〝力〟、使えないんでしょ?」

「私……、私は……」〝力〟、〝力〟は……、そうだ、あの意識の奥に浮かんでる光の穴を塞いビリヤードの玉を取り除けば、いくらでも『世界さん』の〝力〟が湧き出してくる。この私の中の乾いた砂漠に緑の森を蘇られることができる。だけど……。

「こうすれば、〝力〟は出る?」

 あみこが笑って私の体をなでる。華麗に楽器を奏でるように。キラキラときらめく光の粒子。身体中に満ちるとてつもない幸福感。


 溢れる、あぁ、溢れる、溢れ…………。


「ふふっ、〝力〟は出なくても『エリクサー』はたっぷり出るのね」

 身体が痺れたように動かない。

 マットレスが、私の身体が温かく濡れていく。

「あみ…………」たすけて、という言葉がかすれて言えなかった。

 あみこはそんな私を見つめて首を振った。

「あなたはもう、いいの。私に〝力〟を運んでくれれば、それだけでね」

 あみこがずっと立ち上がって私を見下ろした。それで、廊下に向かって声をかけるとドアが開いて、彼が中に入ってきた。

「フッカ、大丈夫?」

「ねえ、高森のお兄ちゃん、()()文香ちゃんがね〝お漏らし〟しちゃって大変なの、あとよろしくね」

「ああ、あみちゃんありがとう、分かったよ、あとオレがやっとくから」

 あみこの言葉に彼がしっかりと頷いて私に微笑んだ。

「あ、あみこ、なんで……」意味が分からない。でも、これからなにが起きるかだけは分かった。

 あみこはもう一度しゃがんで、私の耳元に唇を寄せて小さく囁いた。

「あなたは〝動くオナホ〟でしょ? それだけが取り柄なんだから、これからもしっかり受け止めて〝光の粒子〟を生み出してちょうだいね」

 部屋を出ていくあみこに叫んだ。

「待って! あんた『世界さん』なんでしょ、そうなんで……んんっ……」

 彼に唇を塞がれて、あみこの姿は見えなくなった。きっと、この選挙の結果も、あみこの中に現れた『世界さん』が操作したに違いない。


 彼が〝力〟をなくして動けなくなった私の身体をケアしている。柔らかなタオル、優しい指先。

 部屋に充満する『エリクサー』の熱い蒸気。

「フッカ、大丈夫だからね」

 まるで賛美歌のような、恐ろしいほど美しい声。


 私の〝力〟のすべてを〝血〟で繋がった意識の中であみこが奪っていく。

 私に注がれた〝幸せの光〟は穴の空いたバケツのように一滴残らず私を抜けて、あみこの中に満たされていくのだ。

 もう、私が彼を満たし私が満たされる意味はなくなってしまっている。

 そうだ、私はただの〝穴〟でしかない。


 私は叫んだ。

「違う、私は、きらる、あきもときらる!」

「フッカ、いいんだよ、オレにまかせて、ね」

 彼が私の額にそっと手を当てて微笑む。私は全身に鳥肌が立った。

「私は、フッカなんかじゃない、あきもときらるだって!」

 彼が私に静かに力強く身体を合わせた。


「きらりきらきらおほしさまっ!」


 違う、こんなんじゃない、こんなはずじゃないんだ!

「フッカ、大好きだよ」

 違う、違うんだ!

「あみこ、あみこーっ! たすけて!」

 嫌だ、もう、意味がない。


 こんなのは、おかしい。おかしいよ。


「きらりきらきらおほしさま、きらりきらきらおほしさま、きらりきらきらおほしさま、きらりきらきらおほしさま、きらりきらきらおほしさま、きらりきらきら、おほしさま、きらり、きらきら、おほし、さま……、きらり…………」



 窓の外に、星が見える。

「おほしさま」

 小さな星が滲んで、流れて落ちた。



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