(八十五)
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現在、私の〝幸せの光粒子エネルギー〟はおよそ33%。三分の一ほどだ。
きのうはせっかく久々に満タン気分になってたのに、まみこやらショコラちゃんやら、なんやかんやであれからダダ減りだった。おまけにバスまで乗り過ごしたし。
それでもこれは、夏休み中にこの病室の床でおしっこをしようとした頃の、数億倍はパワーがあるだろう。
あのときできなかったことでも、いまは容易く実現できるはずなのだ。
「きらりきらきらおほしさま」
なのになぜ、白井文香は目覚めない。
たぶん、どんなにお漏らししても、洗面器いっぱいのエリクサーを溜め込んでもそこには届かない。
この子が目を覚ませば、弥生ママが誰かを恨み呪うこともなくなって、平穏無事な日常を取り戻せる。
けーくんが白井文香に執着することもなくなる。
「私、お兄ちゃんとじゃ物足りなくて他の子とシまくってたんだよねぇ」なんて、この子がハッキリ言えば、彼もあの赤ちゃんが自分の子じゃないと分かって、浮気者の文香を棄てて私を選ぶことになるだろう。
「きらるちゃん、なぜだかきみのがすっごくしっくりと馴染むんだよ」なんて私を抱いて言うに違いないんだ。
それもこれもこの子が目覚めさえすればなんだけど、やはり、私では無理なのか。『世界さん』が直接その力を使わないと、目覚めないのか。たった一人の女の子に対して、そんなことがあるのか。
どんなに世界を改変しても、いまこの時間の中で、白井文香は意識を失っている。白井文香が存在しない世界を生み出すことも、私の力ではできなかった。無理やりやろうとしたら、人類のいない世界になってしまうのだ。
なんなんだ、いったい。
このままこの子が自然と回復するように成り行きを見守るしかないのか。あるいは、このままこの肉体が滅び朽ち果てていくのを為す術なく見届けることになるのか。
そうなったら、もうこの世の終わりだ。
へこむ。
彼に合わせる顔がない。
とりあえず、カメラの位置も確認したし、けーくんには弥生ママを落ち着かせるために、今後は週二ぐらいでここに通ってもらうことにしよう。もし彼が〝夢でフッカに会うだけで十分〟なんてダダをこねるようなら、少なくとも〝ここに来ています〟という感じの映像・音声データだけでも創るようにしてもいい。その分の〝力〟はけーくんからもらうとしよう。
ひとまず、ここでの目的は達成した。
さて、次のショコラちゃんの指令は、けーくんの浮気調査だ。ちょっと遠いけど、ショコラちゃんから交通費とかお昼代とかの〝調査費〟五千円をもらってる。
私は白井文香に一応言葉を掛けておくことにした。
「それじゃあ、私はこれから伊勢崎のとんかつ屋に行ってくるよ」
ん?
いま、なんか反応したような気がしたけど!
「まさかね……」
白井文香は眠っている。
「伊勢崎」
トクン……。
「とんかつ」
トクン……。
「浮気相手」
ドクッ!
「平坂!」
ズキッズキッ!
「これは!?」
これはなんだ、めちゃくちゃ反応しているのは私の方じゃないか。心臓がぐりゅぐりゅと苦しい。
ダメだ、きっと平常心を失っているんだ。白井文香が反応しているのかと思ってしまう。
こんなことぐらいで、意識障害で寝たきりの女の子がピクピク動いたりしない。
きのう、ショコラちゃんがけーくんをスッキリさせている相手として、その名前を口にしたとき、私はそいつを超怪しんだ。
確かに彼が、そいつと〝受験勉強〟をした日は〝夢見の状態〟になっても素っ気なかった。勉強でお疲れなんだろうと思いながらも胸やら下の方やらがギリギリ、モヤモヤしていたんだけど、やっぱり母親目線でも怪しい関係だったのか。
聖隷中学の同級生で、成績一、二を争う相手。
そんなのと仲良く勉強なんてしちゃいけない。
「ほらフッカ、これ好きだったろ」っていつぞや、お土産にカツサンド持って帰ってきて、確かに絶品だったけど、これは浮気の罪滅ぼしなんじゃないかと疑っていた。
別にいいんだけどね。私はけーくんなんか特別好きでもなんでもないから、彼が誰と仲良くしようが誰とトンカツでサンドエッチしようがなんにも気にしない。ただ、彼から得られる〝光のエネルギー〟の量が少なくなるのはちょっと残念かなぁ、なんて思ったりする程度でしかない。
けど、その子がもしけーくんの浮気相手だとしたら、弥生ママからの攻撃にさらされる恐れがあって、それが極めて危険だということを知らさねばならないのだ。
いまの社会では、コンピューターネットワークから切り離された生活は困難だ。弥生ママならコンピューターを操り、ありとあらゆる情報を抜き取ったり偽の情報とすり替えたり電子機器に誤動作させたりと、狙われた人間はおそらくまともな社会生活を送れなくなる。
その子の家のとんかつ屋も、弥生ママが〝有罪〟と判断すれば、食中毒が起き、営業停止になり、厨房からは火が出て、関東平野を覆う大火災となって死者行方不明者、数十万人にも達する人類史上最悪の結果となるだろう。
それに備えて私も〝力〟を蓄えておかなければならない。
「〝力〟か……。放課後の夕方五時半までがあみこで、五時半からがけーくんだね」これならいままでの倍は貯められそうだ。こうなったら、とことん集めてやる。
きょうは日曜だけど、〝居場所〟としてのコドモのイエはショコラちゃんが開けてくれることになってるらしいから、きっとあみまみも行ってるだろう。終わったら、帰りに寄ってみよう。
その前に、せっかくここに来たんだから、小児科を覗いていこう。
私は白井文香の病室を出て、西病棟に向かった。
小児科に行っても、さすがに朝っぱらからプレイルームで遊んでるわけではない。だいたい午前中に診察や検査があるようだ。
なので、念の為にプレイルームを覗いてみても、誰もいない……、訳ではなくて一年生ぐらいの女の子が一人、ぽつんと絵本を読んでいた。
ここで「絵本、読んであげようか」なんて、出すぎたマネだよね。ひとりで本を読む時間もきっとあの子にとって大切なんだと思う。
それに、関係ないけどいても構わない白い人なんて、小児科では不審者に近い存在だ。
あ、そうだ、関係ないけどいても構わない人って設定なら、男の子のお風呂とかも覗き放題じゃん! 来年の修学旅行とか、バラ色だよきっと!
そんな夢のような世界をプレイルームの入口で妄想していたら、いきなり後ろからお尻を叩かれた。
驚いて振り向くと、廊下を男の子が走って逃げてって、少し向こうの病室に飛び込んで行った。
こういうエッチなイタズラと、あのサイズ感は亮平くんに間違いない。
男の子が入っていった病室の入口を睨んでいたら、亮平くんがにょっきりと顔だけを出してこっちの様子を伺った。
私が手招きすると、イヤイヤと首を振る。なるほど、叱られると思ってるんだろう。お尻を触ったというダメなことをした意識はあるようだ。
「ほら、おいでよ。ハグしよう、ハグ」彼に向かって手を広げた。
亮平くんは目を大きくして、こっちに飛び出してきた。ハグで出てくるとは、なんて分かりやすく男の子だ。
廊下を駆けてくる大きさはどう見てもまみこサイズで三年生には見えない。
両腕を広げてる私に、亮平くんも腕を広げて飛び込んできた。この子はきっと幼く見えることを積極的に活かしているんだろう。〝見た目は子供、中身は男〟って感じなのかもしれない。胸に密着して甘えてくるけど、可愛くてつい許してしまう。ぎゅっとハグしながら、目立つ廊下からプレイルームに引きずり込むようにして、ヨシヨシと頭をなでた。
「元気にしてた?」入院患者に〝元気〟もないだろうけど、死にかけてたはずのこの子が動き回ってるのを見ると、そう聞かずにはいられなかった。この子のために、病院前のベンチで土砂降りの中、大量のお漏らしをしたんだから。
「うん」
亮平くんが私の鎖骨にキスするみたいにはむはむと唇を動かす。おいおい、積極的じゃん。普通のハグでこんなことをしたら間違いなくセクハラ行為だ。
「あのね、お姉ちゃんの夢を見たよ」
亮平くんの唇で、首元がくすぐったい。これから伊勢崎まで行かないといけないので、お願いだからキスマークは付けないで欲しい。
「えーっ、どんな夢?」
「ないしょ」
へへへと笑うけど、だいたいどんな夢だったか想像が付く。
『亮平くんのちっちゃな男の子でつんつんされたら気持ちいいよ』私はそんな言葉を思い出した。いま、たぶんそれで私の太腿をつんつんしてる。きっとそういう夢だったんだろうね。
ちっちゃくて可愛いのに、一部分がぜんぜん可愛くない反応をするところがカワイイ。癒される。
こういうのって、虐待? じゃないよね。いじめ? 不同意ナントカ?
けど、嫌がってないし、突っ込んできたのは亮平くんの方だし、あ、突っ込んでってのは、突進してきたって意味ね。ここで少し〝充電〟しとくのも悪くはない。
私の〝力〟も、もう30%切りそうだし。スマホの充電だって残量が30以下になったら焦るよね。50ぐらい欲しいよね。
よし、邪魔が入らないように、周りの時間をゆっくりにしよう。私のパーソナルスペース45cmの中だけ普通にして、ね。
ちょっとだけ、ほんの少しだけ、ほのぼのと幸せを感じたって悪くないでしょ?
「きらりきらきらおほしさま」
私が唱えると、亮平くんもニカッと顔をほころばせて、おまじないを口にした。
「ちらりちらちらおほしさま」
相変わらず、ふざけて!
「亮平くん、いちかさんってどうしたの?」耳元でそう尋ねながら、目を閉じて私は太腿に当たる突っ張りの感触を味わった。
「……退院したよ」何となく私の不穏な雰囲気を感じたのか、背中に回す亮平くんの腕が、ぎゅうっと強く絞られる。
あーっ、いい感じ、温かくて熱い! カリカリと……。
ん、カリカリ?
ハッと顔を上げると、亮平くんの背後に、さっき絵本を読んでた女の子が時間の流れを無視して立ってて、私たちを睨んでいる。
「えっ、まみこ!」私は慌ててダメだと首を振った。
まみこの手には見覚えのあるカッターナイフが握られてて、カリカリと不気味な音を立てて刃を出し入れさせている。
慌てて亮平くんの首を守るように手でカバーすると、亮平くんが驚いた顔で後ろを振り向いた。
「おはよう、この子、きのこのおともだち?」
サッと手を後ろに回してカッターを隠して、まみこがニカッと笑う。亮平くんより若干まみこの方が背が低い。
「うん、そう。亮平くん」紹介する声がちょっと震えた。亮平くんはこの状況で見知らぬ女の子に固まったまんまだ。
「ふうん……。私、清川繭美って言います、よろしくね」まみこがまともに可愛く挨拶をしたことに私は戦慄を覚えた。
亮平くんはそれでも緊張した面持ちで無言のまま、こくりと顎を引いた。
「亮平くーん、検査の時間だよ」
廊下でスタッフさんの声がする。驚いた拍子に、時間の流れが戻ってしまったみたいだ。
「あ、きょう検査があったんだった!」
亮平くんがハッとして私から離れて廊下に顔を出した。
「ほら、部屋に入って!」
スタッフさんの声に亮平くんが私の方に手を振った。
「じゃあ、またね!」私はプレイルームに取り残されてしまった。まみこの前に。
なんでいるの? どうやってきたの? どうしてカッターなんかもってるの? どうして、どうして?
「あの子がきのこの浮気相手?」
まみこがにやにや笑う。
「ショコラちゃんがね、〝きらるちゃんは浮気相手に会いに行ったんだよ〟って言ってたよ」
まみこがひどく嬉しそうに言う。子供は基本的にそういう話題が好きだ。
「違うって!」
私はきょうの目的をまみこにきちんと説明してあげた。
「なあんだぁ」
まみこが「はあ」っと大きなため息をつく。
「きのこが浮気したら、あみこ姉ちゃんが可哀想って思って、せっかく来たのになぁ」
それで、まみこはとても残念がって、カッターナイフをカリカリ鳴らした。
後片付けするのは私なんだから、そういうのはぜひともやめて欲しい。




