表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
84/140

(八十四)

   (八十四)


 まったく、もう十月だというのにきょうも夏日になりそうだなんてとんでもない異常気象だと思う。

 地球温暖化は空気に含まれてる二酸化炭素のせいらしいけど、いらないならいっそのこと、ぱぱっとゼロにしてやろうかな。

 バスの窓から差し込む陽射しも、まだ朝だと言うのに、日焼けが気になるほどキラキラしている。


 しっかし、こんなに朝早くに病院に行って、面会なんてできるんだろうか?

 ショコラちゃんは「大丈夫って弥生さんが言ってたから」なんて言うけど、実の母親と赤の他人では病院の対応も違うはずだろう。

 私はため息をつきながら、手に握ってた、きのうショコラちゃんに指示された〝おつかいメモ〟に目を落とした。


〝1、びょいんでしらいふみかのよおすをみてくる。あそこ カメラとか見る。〟


「びょいんってなんだ?」

 話しながら焦ってメモったので変だけど、自分しか見ないメモだから恥ずかしくても別にいい。

 分からない字はひらがなで書けばいいって言うのは、以前にここに来たときにスタッフさんに教えてもらったことだ。

 けど、〝見〟一個しか漢字がないのも我ながら情けないと思う。私の学校のノートもほとんどひらがなばっかりだっけ。


『次は貴志山下、貴志山下。お降りの……』


 あれ? 貴志……の中町は……?



 開聖病院は、バス停からは徒歩で絶望的な距離にある。

 以前、怪事件の起きた屋上の避雷針は、山小と同じく〝うっかり人が突き刺さりにくい形状のもの〟に交換されたらしい。普通、あんなところにうっかり突き刺さる人はめったにいない。

 汗だくになってようやくたどり着いた正面玄関の前にある、貴志中町のバス停を横目で睨んでエントランスホールに入った。


 一階の総合案内には忙しい時間帯だからか、応対待ちの列がてきていて、窓口のカウンターの向こうで出された書類を確認する田町さんの笑顔があった。

 総合案内の行列の脇を抜けるとき、田町さんに手を振ると、顔を上げてニコッって笑ってくれた。そのまま声は掛けずにエレベーターで東棟の三階に上がる。おそらく病室は変わってないだろう。

 朝のナースセンターは、ざわついてて、スタッフさんたちがバタバタと動き回っている。

「おはようございまーす」こちらから元気に挨拶すると、口々に「おは◎#△ざ$♪ぁす」と返してくれるけど、下を向いたまま、自分の作業に忙しそうだ。

 廊下を抜けて奥の特別室に入ると、ベッド周りのカーテンが閉められていた。

 個室でもなにかの処置をするときはカーテンを閉めるもんなんだろう。中からはスタッフさんの話し声が聞こえてくる。

「おはようございます」

 カーテンの中に入ると、スタッフさんが白井文香の院内着の前をはだけた状態でケアしながら状態をチェックしているようだった。

「ああ、おはようございます」スタッフさんがニコッと挨拶を返してくれるけど、手は動いたままで休めない。

 相変わらず、この薄ピンクの女の人が看護師なのか別の仕事の人なのか、よく分からないけど、意識のない文香に向かって、まるで美容院の人みたいにずっと話し掛けている。

 ベッドに横たわった文香の初めて目にする裸体は残念ながら、美しかった。白くて、どこにも傷も痣もシミひとつすらなくて、柔らかそうで、もちもちとしてて、控えめだけど形のいい胸も、脂肪の付いた腰回りも、綿毛のようなふわふわとした下の毛も、手に触れて感触を確かめたいと思わせる部分ばかりだった。

 この肌をけーくんは見たんだろう。この肌に触れたんだろう。この肌を愛したんだろう。あんなこととかこんなこととか、めっちゃ、めっちゃ、私みたいにしたんだろう。確かに、この瑞々しいハリとツヤなら、ショコラちゃんのいささかだらけたような肢体と比べて〝違う〟と言いたくなっても無理はない。

 しかし、ならはなぜ彼は大人の兆候が全く見られない私の粗末な素体を〝フッカ〟と呼んで求めたりするのだろうか。

 野木翔子と白井文香と秋本輝流を比べれば、いくらエイジングが進行しているとはいえ、外観的には野木翔子と白井文香の方が凸凹加減が似通ってるんじゃないのか?

 私の性的()()は明らかに進んでいなくて、三年生のあみこにさえ抜かれつつある。私がどんどん進むのは性的()()ばかりなのだ。そっちの方ならショコラちゃんにだって負けてない。

 私は、ここに来るまで、ひょっとしたら文香の発育か進んでなくて、この子にはまだその部分に毛がないんじゃないかと考えてた。そうならばショコラちゃんの身体に違和感を感じてもおかしくはないと思ったのだ。けれども、文香のそこはショコラちゃんほどではないにしろ、十分に芽吹いていて、私の幼さとは全く違って見える。

 そうなると、やっぱり匂いなのか? 私は文香の大切な場所に顔を寄せた。匂いを嗅ぐと、柔らかな綿毛が鼻をくすぐる。

「ぜんぜん分かんない……」

 微かな排泄物の臭いと消毒液みたいな薬品の臭い。その部分に触れてみたら違いが分かるのかもしれないけど、目の前でパタパタとスタッフさんが肌を隠し始めて、大切な場所もふっくらとした胸も、なにもかも片付けられて、布団が掛けられてしまった。

 スタッフさんがぐるりと周囲のカーテンを開いて、「じゃあ、失礼しまーす」と明るく声を掛けて出ていく背中に、私も「お疲れ様でした」と返事をした。

 自分でそうしてるのに、ここにいる周りの人はみんな私をどういう存在だと認識しているのか不思議な気分になる。関係ないけどいても構わない人間ってなんだろう?

「私ははだかの王様だ」

 ぽつんとそう言って、ハッとして、慌てて自分の体を見た。

「よかった、ちゃんと服を着てる」

 私は時々、着衣を確かめた方がいい。今朝も家を出るとき、パンツだけだった。

 まあ、もしパンツ一枚でバスに乗ってたとしたら、運転手さんがあんな平気な顔をしてなかっただろう。


 部屋にスタッフがいなくなって――別にいてもいなくても私にとっては同じだったんだけど――落ち着いて部屋の様子を眺めた。なるほど、ショコラちゃんの懸念通り、室内には弥生ママのカメラや盗聴器が巧妙に取り付けられている。前回来たときはなかったから、たぶん二学期が始まってから取り付けたんだろう。きっと、最近、啓示くんが訪ねて来ていないことに業を煮やしてるに違いない。

 ママの怨念があらぬ方向に向かわないようにしなければならない。


 私はショコラちゃんの指令で、その弥生ママからけーくんとその仲間たちを守らなければいけなくなったのだった。

 それはきのう、ショコラちゃんの策略で、私と彼との、親密? 濃密? 濃厚? な関係が全て露まー見してしまったからだ。


 私は〝おつかいメモ〟を改めて見詰めて、昨日のことを思い出した。




 私はそのときショコラちゃんにペットボトルの中身を問われて、とても貴重なその〝体液〟……、いや、〝液体〟の呼び名を考えていた。

 それで、パッと頭の中に閃いたそれにふさわしい言葉を口にした。

「その液体は『エリクサー』です」

「エリクサー?」

「そう、私の……、聖なる泉から湧き出した命の水……」

 ショコラちゃんは呆れたように手にしてたペットボトルをテーブルにポイッと投げ落とした。

「やっぱりおしっこじゃん」露骨に顔をしかめて軽蔑の眼差しを送ってくる。

「分かる?」そうだろう。ちゃんとバレてたか。

「そういうエロいことを文学的な言葉で誤魔化そうとするヤツって、ほんと禄なのがいないからね」

 ショコラちゃんの言葉は元夫や息子との経験に裏打ちされた確固たるもののようだ。

「しかも、表現がスケベ小説そのものだし」

 私はショコラちゃんの厳しい指摘にヘラヘラと引きつった顔をしながら、その神聖な『エリクサー』とけーくんの反応についての説明をいままでの経緯を含めて詳しく話をした。


「じゃあ、最初はあなたがお漏らしした匂いに反応して、エッチなことをしようとしただけだったのが、いつしか文香ちゃんだと思って襲うようになったってことね」

「そう、私はそれを〝夢見の状態〟って呼んでます」

「あっそ」

 ショコラちゃんは、せっかくの文学的な呼び名について鼻白んだように全く興味を示してくれなかった。もはや私はショコラちゃんにとって〝小学校に通うきらきら光る天使のような乙女〟という存在ではなくなってしまったのだろうか。そりゃそうだろうな。

「たぶん、それはきらるちゃんの力が強くなったか、啓示の反応が高まったかのどちらかか、その両方か、ね」ショコラちゃんが転がってるペットボトルを指先で突っついた。

「あ、そうだ。先週、ショコラちゃんと電話で話してるとき、けーくんの部屋で何かあったよね?」私はそのとき、初めてショコラちゃんがけーくんに襲われたと思ってたんだけど、違うとしたらいったい何があったんだろう。

「ああ……、そうそう、あれがね、きょう、きらるんに相談したかったことなんだけどねぇ」

ショコラちゃんはいきなり私をフレンドリーな愛称で呼んだ。そういうときはたいていろくなことがない。すでに私は先程からろくなことがなかった。

「きらるんは、あの部屋のカメラと盗聴器は弥生さんが監視のために取り付けたと思ってたんでしょ?」

「うん」私は頷いた。実際にそうなんじゃないの?

「ふうん、やっぱりカメラがあることは知ってたんだ……」ショコラちゃんが納得したっていう感じで私をみた。

 しまった、引っ掛けられた。カメラの存在は知らないことにして、とぼけとけばよかったんだ。しかも、いま私は思いっきり〝しまった!〟って顔をしてしまっている。

「その、カメラと盗聴器だけど、私のパソコンでもモニターだけはできるように設定してあったって聞いたらどう思う?」

「あ、あーっ……」あのときは、彼だけを転送してしまったんだった。

「あの日、パソコンの画面で、あの子があなたと一緒にいるのを確認しながら話をしてるのに、あなたは帰ったなんて言ってるでしょ、何を誤魔化そうとしてるのかなって思って、あの子の部屋に見に行ったら裸で寝てるじゃない。それで、いままで見ていたあの部屋の映像は、あなたにとって見られては不都合な事実を隠すための嘘の映像データだったんじゃないかって……、そうね、確信したの」

 そうか、じゃあ私はけーくんを転送させた時点で過去に遡って付随する記憶も含めて映像データを書き換えておく必要があったんだ。適当に本体だけをトバせばいいなんて、楽な考えをしてしまってた。

「だとしたら、弥生さんに見られて不都合な、あなたと啓示の関係。それも、このエリクサーが関わってるとしたら、やってることはひとつしか考えられない」

 ショコラちゃんの目がシャーロック・ホームズになっている。見たことないけど、多分そんな感じだ。

「それで、きょう、最終確認のために、あの子をあなたのところに行かせたの。エリクサーを使って「文香ちゃんはどこにいるのかな?」って聞いたら、すぐに上にあがって行った。私はここでモニターを見ていた」

 やばいじゃん、〝夢見の状態〟で彼がやることってひとつしかない。それをショコラちゃんも知っている。

「それ、母親がやっていいことですか!?」まるで自分の子供に幼気(いたいけ)な女の子を襲えってけしかけるてるようなものだ。

「別に。だって、モニターを見てたら、あの子はいつものようにあの部屋であなたと楽しそうにおしゃべりして、あなたの勉強を教えて、コドモのイエの活動について熱く語って、とても健全なお付き合い、というより仲のいい同志っていう感じだった。お互い指一本触れずに、三時間も」

 ショコラちゃんは、〝何も問題はないでしょ〟という顔で私に微笑んだ。

 そう、私はあの部屋にカメラと盗聴器が仕掛けられてから、ずっとそういう感じのフェイクを流し続けていた。弥生ママに本当の姿を見せる訳にはいかなかったからだ。こんなことなら指一本ぐらい触れとけばよかったなんて、あとの祭りだ。


 私はすっかり焦って、やばいことやって叱られる子供という雰囲気にすっかり飲み込まれてしまった。


 それで、ショコラちゃんの言うことを「はいはい」と聞いてしまったんだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ