(八十二)
(八十二)
なにかがおかしい。
ショコラちゃんといい、けーくんといい、いつもと感じが違う。
けど、いまはこの子から〝光の粒子〟や〝幸福の力〟といった〝そういうドロドロしたいかがわしいもの〟をできるだけいっぱい集めることに集中しよう。
いきなりで、初めはあまり気乗りはしなかったけど、やっぱり、馴染んだようにいい感じで、あみこには申し訳ないけど、これはこれで十分だ。
まみこが持ってきたプレイルーム用のマットレスも身体にしっくりときて、私たちの体重を支えるのにピッタリだった。
私は彼の動きに合わせて、最後を迎える体勢になった。
彼から注がれる〝光粒子エネルギー〟の全部を受け止められるように、少しも隙間なく密着させて、気持ちを一点に集中して目を閉じると、しっかりと彼の首に腕を回した。
「うっ!」
突然の衝撃だった。左腕になにかがぶつかった。そう感じた瞬間、凄まじい激痛が身体中を駆け巡って、脳天を突き抜けた。
驚いて目を開くと彼の肩越しに、誰かか立っている。
私はすぐに痛みを消して状況を確かめた。
まみこだ。まみこが鋭い目で睨んでる。
痛みのあった左腕にはカッターナイフの折れた刃が突き刺さっていた。
「きのこ、大丈夫?」
私が叫ぶより先に、まみこが心配そうな顔になって私を覗き込んできた。もし私が先に叫んでいたら、まみこは小惑星帯で有機物の痕跡になっていただろう。
この子は私の腕を切りつけておきながら、いったい何を心配してくれるというのだろう。
「どうだろう?」私は首を傾げて見せた。
重たい彼を私の上から転がして、体を起こした。
「これって、れぇぷ、それともふりん?」
まみこの問い掛けを頭の中で整理する。この子はなかなかの物知り――中途半端だけど――なのだ。
つまり、この状況は私が〝レイプ〟されていたのか、それとも〝不倫〟していたのか、ということを問い質したいのだろう。
「いきなりこの子が部屋に入ってきたんだけどね。たぶん〝心神喪失で責任能力はなかった〟ってことだと思う」とりあえず、全部が全部、彼のせいにしておこう。
「ふうん」
まみこは分かったのか分からなかったのか、刃の折れたカッターを握ったままぼんやりと頷いた。
察するに、まみこは彼の首を斬ろうとして、たまたま彼の首に回した私の腕にナイフを突き立てたということだろう。そこに私の腕がなかったら、かなり悲惨な出来事になっていたと思う。違う意味で〝彼は果てました〟ということになるわけだ。
まみこにとっては、けーくんがレイプ犯だろうが不倫相手だろうが、裸で私にのしかかっていた時点で排除すべき男に違いはなかったのだ。
痛みは消したはずなのに、なにか疼くような違和感が腕に残っていて、見ると、傷が跡形もなくなった腕から折れたカッターの刃だけがにょきっと突き出ていた。
見てるだけで十分に痛い気がする。刃は痛みを感じずに抜くことができるので、なんともないはずだとわかっていても、それを抜くのは結構度胸がいるしためらわれる。
恐る恐る刃を抜こうとそおっと指で摘もうとしてると、横からまみこがさっと手を伸ばして、「えいっ」と一気にそいつを引き抜いてしまった。
「あっつ!」瞬間、とっても痛かった。
私はすぐに痛みを止めて腕を擦りながら、まみこに頬っぺたを膨らませた。
私がいままでに一番痛かった経験が〝大切なあのとき〟の思い出じゃなくて、まみこに腕を斬られた事件に上書きされてしまったのは、まったくもって残念でならない。
なのにまみこは私を納得がいかないような表情で見下ろしている。
私はとりあえず、せっかくきのう掃除したばかりの部屋に飛び散った血を〝力〟で処理した。幸い、彼のおかげで〝力〟は満タン状態なのだ。ついでに私と彼のいろいろも綺麗にしておいた。
一瞬で血痕がなくなった部屋を見て、まみこは右手に握ったカッターと左手の折れた刃を顔の前に上げて、それで、それと私の顔を交互に見詰めた。まみこの考えはよくわかる。
家から勝手に持ち出したカッターナイフの刃を折ってしまって、きっとバレたら叱られるのだろう。
「ほら、貸してごらん」
私はまみこからナイフと刃を受け取ると、折れたところを繋いで「はい」と返した。
まみこは手の中の新品になったカッターナイフをじっと見た。
「ねえ、きのこ」
もうすっかり私はきのこという名前になってしまったようだ。
「なに?」
「どうして、きのこはこれみたいに全部やっちゃわないの? パパっと、幸せな世界にしてくれたらいいのに」
まみこがカッターナイフを私に示した。
なるほど、私の〝力〟を知ってたら、そう思うのだろうな。たくさん〝力〟を使えば、そういう世界にしてしまうことも容易いことかもしれない。でも、いろいろと問題があるのだ。それを説明して理解するには、まみこはまだ幼い。
「私、意地悪だからね」
私の回答に、まみこがにやっと笑って頷く。それで納得してくれたんだとしたら、ちょっと複雑な気持ちになる。
「これから下でショコラちゃんと話があるから」
立ち上がって、まみこには早く帰るように告げた。
「コイツはこのままでいいの?」
まみこが仰向けに転がるけーくんの一部を足でぐりぐり踏んづけて、足の裏に当たる感触にへらっと笑う。この子にはそういう趣味嗜好は持って欲しくない。
「ああ、そのままほっといて、キノコ狩りなんかしないでよ」
念を押しとかないと、この子は危ない。
「帰ってあみこ姉ちゃんに言ってもいい?」
私は頷いた。黙ってて、っていうのもムリそうだからだ。この子はあみこに絶対だから「きのこがね、乙女の部屋に男を連れ込んだのに、あみこ姉ちゃんには黙っててってなんて言ってんだよ」などと伝えかねない。
「うん、私もあみこに会ったときに謝っとくよ」
まみこは私の言葉にニンマリした。
部屋を出て、二人してエレベーターに乗り込んで、私がショコラちゃんと話をするために二階で降りると、まみこはそのまま一階まで降りていった。
扉の閉じたエレベーターに向かって、私が手を振ると、まみこは中でカッターナイフを振っていた。
「まみこって、物騒な子だなぁ」とつくづく思う。
そういえば、あの子、一階に降りてどうやって帰るんだろう? てか、どうやってここまで来たんだ? まだ、下にあみこも残っているのかな?
そもそも、どうしてカッターナイフなんか持って、あの部屋にやって来ようなんて思ったの?
さっぱり分からない。




