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(八十)

   (八十)


 穴の空いた座椅子。


 叫ぼうとして、声が出なかった。そのとき、私の全部がフリーズしてた。

 でも、もし固まっていなかったら、まみこは世界中からいなくなっていたかもしれない。

「彼か私か、どっちか選んで」あみこが部屋の入口で、番人となって私をじっと見据えた。

 私はこの座椅子を元通りにできる。あみこたちの心を鎮めることもできる。まみこを月の裏側に埋めることもできる。そうだ、なんだってできる。

 手を離した座椅子はがしゃんと廊下に倒れた。破れて穴の空いた座椅子。息を吸い込むと、確かに臭い。これは彼と私の臭いだ。白井文香のものじゃない。紛れもない私の臭いだ。虚しいシミだらけの穢れた思い出だ。


 私は座椅子に向かって叫んだ。ありったけの力で、声で、家中を震わせるほど、叫び声を上げた。


 惨めな座椅子は一瞬チカッと光って、そして炎をあげて燃え始めた。炎は全てを浄化する。

 揺らめく炎はやがてきらきらと煌めきはじめ、鉄パイプの枠をひとかたまりの輝く珠へと変化させた。眩い珠は閃光を散らし、ちりちりと周りの空気を震わせて、青白く光の色を変えながら凄まじい熱放射とともに収縮していった。私の力は光の座椅子を事象の地平へと沈めていく。ウォルフ・ライエの星のような圧倒的な輻射熱が、突然訪れた凄まじいバーストとともに止み、大気が流れ、辺りの熱を急速に奪っていく。やがて座椅子のあった中心点の空間が歪み出して、そこに漆黒のピンボールが出現した。その深淵に繋がる穴はゆらりと揺らめいて、そして一瞬にしてふわりと蒸発した。

 辺りは何事もなかったように、静寂を取り戻していた。


 近くにいたまみこが日に焼けたように鼻の頭を赤くしている。前髪が少しちりちりと焦げている。

 私は部屋の入口を振り向いた。

「私、あみこを選んだから」

「乙女の世界へようこそ」あみこが可愛いレディーになってカーテシーで、にっこりと入口をあけてくれた。

「いい、きのこ。この部屋は()()()()だからね!」

 まみこが私の背中をぱんぱんと叩いて「男を入れないように」と注意する。

 女人禁制の乙女の世界に私は入っていいのだろうか?

 私はまみこを肩を組むように抱き寄せた。

「綺麗になったお部屋でさっそくあみこ姉ちゃんとするからね」こうなったら、あみこを独り占めしてやる。

「私は見学?」なぜかまみこが嬉しそうにする。私たちが何をするのかあんまり分かってないのだと思う。

「お手伝いする?」どっか押さえててもらうとか、いいかもしれない。

「やめてよ!」あみこはやっぱり真面目な乙女だと思う。この子を選んで本当によかった。

 まみこには急いでプレイルームからマットレスを略奪してくるよう任務を与えた。




「きらる」

 ドアをノックする声は弥生ママだと思う。ウェブの対応を全部やってくれるようになって、すっかりメンバー化したママは、きょうは会員データの確認でこっちに来てくれていた。

 まみこがドアに隙間を開けて外の様子を伺う。

「ねえ、乙女じゃなさそうだけど入れていい?」それはそうだけど、失敬だぞ。

「きるこでも入ってるんだから女だったら誰でも大丈夫だよ」あみこ、それも失敬だと思うな。

 一応全員の許可が出たので、まみこがママを部屋に入れた。

「えっ、どうしたの!?」

 ママが驚いたのは、部屋が綺麗になっているからではない。全員全裸だからだ。

「これなら〝貧富の差〟も〝身分の違い〟もないでしょ?」とりあえず趣旨説明をする。そもそもコドモのイエはそういう会だ。

「でも、みんなそんな格好するの?」

「この部屋だけだよ。ここは()()()だからね」まみこが得意げに答えるので、ママは余計に〝?〟になる。

「でも、パンツぐらい穿いたら?」

 私がママの家に行ったときは二人ともほとんどパンツを穿いてないと思うんだけど、他の人の前ではママも淑女を演じなければならない。

「ダメダメ、まみこのパンツは穿いてた方がエロいから」

 あみこが言うとまみこがパッとパンツを穿いてくるっとママにお尻を見せた。

 ママはそれを一目見て言葉にならずぶっと吹き出した。

 どれほど穿いたらそうなるのか、全体に擦り切れて生地が薄くなってて、蜂の巣みたいな穴が無数に空いててお尻の三割が露出している。

「だって後ろは見えないんだもん」

 まみこが色っぽいつもりで三回お尻を振ってから、破れたパンツをもう一度脱いで私に投げつけてきた。

「あみこのだって擦り切れてるのに、きのこがパンツ交換するって、ずるいんだ」私のも交換して欲しいと文句を言う。

「だってサイズがぴったりなんだもん」二学年違うのに同じサイズはちょっと残念だけど。まみこのとだと20センチもサイズが違う。

「違うんだよ」まみこがママの側に寄って訴えた。

「きのこはね、あみこのパンツが欲しいの」

「もう、変なこと言わないで、サッカー選手だって試合の後でユニフォームの交換ぐらいするでしょ!」私はたぶん訳の分からないことを言ってる。いったい何の試合をしたって言うんだ? でも、まさかほんとにあみこのパンツが欲しかったなんて言えないし。

 そんなやり取りをママはおおよその大人の推察で、やや呆れたっぽくニコッと笑った。

 それで、ふと思い出した。そうだ、私はママに話をするんだった。明日の予定だったけど。

「ねえ、弥生ママ、私、好きな子がいるって言ってたでしょ?」

「あ、あぁ、言ってたね」この場でそういう話題が出るとは思ってなかったようで、少し戸惑った驚きを見せた。

「うん、この子がね、その子なの。清川鮎美ちゃん」

 私が手を広げてママに紹介すると、あみこがぴょんと正座をしてぺこりと頭を下げた。

「三年生。可愛いでしょ。で、こっちが妹の繭美ちゃん」次にまみこも突然授業中に先生に当てられたときのようにびっくりしたみたいに正座をしてきゅっと顎を引くようなおじぎをした。まるでドラマとかで見る結婚の挨拶に来た人みたいだ。素っ裸なのでまるっきり変だけど。

「二人とも、とってもいい子なの」

 ママは私とあみことまみこをぐるぐると視線で追っかけてるけど、なにも返事をしてくれないので、私はあみこの説明を箇条書きで続けなければならない。

「あみちゃんはオシャレでいっつも髪を編んでくれるの。きょうのはウルトラマンだけど……」

「ウルトラセブンだよ」まみこが横から小さく訂正する。あみこは最初の頃は可愛く結ってくれてたんだけど、仲良くなってからは実験台にされてるみたいで、ふたりの笑いのネタになったりして、ちょっと嬉しい。

「それで、えっと……」なに話そう?

「あ、あぁ、そっか、ママ、てっきり……」

 てっきり男の子だと思ったんだろうけど、その一言がマイノリティだかなんだかの性差別に繋がったりとか心に傷とかなにかとややこしい時代なのでそこは言わないようにしたんだろう。

「……いいと思うよ、お似合いだし」

 ママもそうとしか言いようがないと思う。裸だとお互いの趣味嗜好がよく見えないからお似合いなのかどうかの判断が外から分かりにくい。

「そのカッコなら仲良いんだろうし」

 なるほど、そういう見方もできる。仲良くなければ裸になろうなんて発想にはそもそも至らない。

「きのことあみこはすっごい仲良しなんだよ。ここはふたりの〝愛の巣〟なんだって」

 ふたりといっても、まみこもくっ付いてるけど。

 弥生ママは、クスッと笑ってその新しい〝愛の巣〟をぐるりと見渡した。

 まみこが、二人がさっそくマットレスを汚したんだと文句を言ってる。私は「それはよだれだ」とどうでもいい言い訳をする。

「そういえば、テーブルはどうしたの?」

「おっちゃんにあげた」まみこがサラッと答えた。

「おっちゃん?」

「エロじじいのこと」

「ああ、松波さんね」すごい、それで分かるんだ。あの人、ボランティアの奥さん方にどんな目で見られてるんだ?

 まみこがテーブルをエロじいさんに返した経緯を簡単に話した。

 ママが頷く。初めてこの部屋に来たはずのママが、よくテーブルのことを知ってたもんだ。

「そう、部屋の中もすっかり掃除したんだね。エアコンも?」ママが感心しながら壁のエアコンも見上げた。

「さすがにエアコン掃除はムリだよ」エアコンは外側だけを拭き掃除するようにまみこには言っておいた。だから安心して欲しい。

「じゃあ、ママはまた翔子さんとホームページの打ち合わせに戻るね」唐突な感じでママが頷いてサッと立ち上がった。

 ママは早く行っておっちゃんが帰る前にテーブルの裏に貼ってあった盗聴器をこっそり回収しなくちゃならない。

 エアコンのセンサーみたいな監視カメラはそのままにしておいた。きっとあれを取り付けるのには苦労したと思うからね。

「ママ、私とあみこはね、ひとつになったの、もう離れられない。私の全部をこの子にあげたの」

 私の堂々とした宣言に隣であみこが驚いて顔を真っ赤にした。


「まず、お洋服を着なさいね」弥生ママは私を射抜くような目でにっこりと笑って部屋を出ていった。



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