(七十九)
(七十九)
「もう、私忙しいんだからね」
まみこが脚立の上で毒づいてる。
「なに言ってんの、私まみこより暇な子なんか見たことないよ」だいたい、この子を暇にさせといたらろくなことなはい。
「だいたい天井まで掃除するっておかしいよ!」
私やあみこの方が背が高いから天井の掃除に向いてるんだけど、脚立の上で拭き掃除をする身軽さは、まみこが一番だ。脚立の一番上の段は危ないので乗ってはダメだと説明書きに載ってるけど、まみこはそんなことお構いなしで、まるでお正月の出初式みたいに飛び跳ねている。危険だし畳が痛むからまたがったまま脚立を弾ませて移動させるのはやめて欲しい。
まみこが上から落ちてこないか動きに気を付けながら、あみこは壁を拭いて、私は床を掃除している。
コドモのイエでは明日の第一回子ども食堂の準備と仕込みで寺崎さんが陣頭指揮に立って慌ただしく人が動いている。超忙しいときは寺崎さんのようなああいうちゃきちゃきと手も口も動く人が一番役に立つってことらしい。他の人も適材適所で、ショコラちゃんはお財布係、野田さんは迷い込んできた猫の相手をしてて、プリンちゃんはつまみ食い係だ。
私は金曜日で学校があったけど、昨日の事件のことで、午前中は朝から体育館で全校集会と教室でのカウンセリングの説明とかアンケートを書いたりで、給食を食べて終わりとなった。お母さんは全校集会の後、そのまま引き続いて保護者説明会があった。
これで我が母校は二学期になって事件の多い呪われた小学校になってしまった。
当たり前だけど、凛音ちゃんはいない。
放課後からはあみまみ姉妹と合流して、準備の手伝いをと思ったんだけど、すっかり子供は邪魔者扱いで、相手にしてもらえない。
なので、三階の秘密基地を掃除することにしたのだった。
そもそもこのコドモのイエの建物はけーくんお気に入りだった。彼はこの家で将来私と幸せなヒモ生活を送ろうなんて妄想してた――してたのは私だけど――っけ。
この三階の部屋は私と彼との様々な思い出が染み付いている忌まわしい部屋でもあるのだ。
彼と♀♂なくなって、私はあみことの愛を貫くことに決めた。あみこも私と運命を共にしてくれることにやぶさかではないといった感じだ。あみこが将来稼いで私を養ってくれるならこんな幸せなことはない。
なので、この部屋に染み付いた様々な成分を徹底的に除去しようというわけだ。彼がこの部屋に来ても、私に対して邪な思いを抱かないようにしなければならない。
間違ってもあいつが私を見て「あ、フッカ」なんてことになっては困る。
「拭き掃除が終わったら、これでファブっといて」まみこに消臭スプレーのボトルを渡す。消臭ストロングでおしっこの臭いにも効果があるらしい。
「これリセッシュだけどいいの?」まみこが意外に細かい。
「いいの、そっちの方が今月、応援価格だったから」買ってきたのはプリンちゃんらしいけど、リビングに置いてあったのを一本奪い取ってきた。元々は小さい子のお漏らし用だったみたいだけど、私のにも効果があると思う。
まみこが天井に向けて噴霧を始めると、消臭剤が降り注いでくる。あみこがたまらず窓を開けた。
風が気持ちいい。この窓ってちゃんと開くんだ。
「これでちょっとはいい匂いになるかな?」天井でまみこかまぼやく。
「ほんとほんと、この部屋、臭い、ひどかったから」あみこが同意する。
「えっ、この部屋臭ってた?」
「なんだ、きのこ気付いてなかったの?」
だからまみこ、私はきのこじゃなくて、きるこかきらるかどっちかです。
「そうそう、なんか変な臭いしてたよね」あみこが天井に向かって声をかける。
「ちょっと、何よ、どんな臭いがしてたって言うの!?」この部屋はいろいろあったけど、そんな臭いが染み付いてたとは思えない。
「トイレの臭い、とか?」あみこ、それはひどい。
「違うよ、ほら、あれあれ、きのこの臭い」
「ああ、そっか、きのこかぁ」あみこまで同じように!
「なによそれ?」きのこって、私のこと? それとも山で採れるきのこ? まさかあっちのキノコのこと!?
「そうそう、きのこきのこ」
「だよね、きのこきのこ」
ふたりのきのこコールに私は〝からかい〟と〝いじめ〟の境界線の曖昧さを実感した。いまのところ私の方が立場が上だから〝いじめ〟にならないんだ。
けど、嫌なことを言われてるのに、それほど嫌ではないのは私がキノコ好きだからなんだろうか。で、その私の好きな〝キノコ〟って、いったいなんだ?
部屋の中の掃除が終わって、廊下に出してたテーブルを戻そうと思って外に出ると、テーブルがなくなってる。
「あれ、テーブルは?」
「じゃまだっておっちゃんに言ったら、じゃあ持って帰るってエレベーターに乗っけてたよ」まみこがスッキリしたって顔をする。
「えっ」おっちゃんって、ともにいちゃんのこと? 確かに、ここの家具はおっちゃんのだけど、じゃあこの部屋、テーブルなし?
「こんな狭い部屋にテーブルなんかいらないよ。部屋が広く使えていいって」あみこは畳で寝転がりたいって両手を広げた。
仕方なく、残った座椅子を部屋に入れようとすると、まみこが入口に立ち塞がった。
「これはダメ!」
「えっ、なんで?」
「それ、もう全体に臭い染み付いちゃってるよ、あのおっちゃんの頃からずぅうっと使ってるからだよ」
あぁ、そうか、この部屋の座椅子もともにいちゃんと奥さんが使いまくってたものなんだった。
「そうだよ、きらる、せっかく爽やかな部屋になったんだから、そんな臭いの戻さないでよ」あみこまで厳しい。
「でも、これ、いろいろ思い出とかもあるし」
おっちゃんの思い出というより、私の初めてのあんなこととか、こんなこととか。文字通り『血と汗と涙』が染み込んだ、部活のユニフォームみたいなものだ。
「きのこ、思い出なんかにしがみついてたら幸せになれないよ。そんなヨコシマなジャネンが染み付いたイスなんか捨てちゃって、イケアで買ったマットレス敷いとこうよ」まみこ、邪も邪念も意味同じだからね。難しい言葉は使わなくていいから、プレイルーム用に買ってたマットレスを勝手に持ってこないようにしようよ。
「きらるだってそういう思い出を捨てようと思ったから掃除始めたんでしょ、みみっちいことしないの!」あみこも責めてくる。たぶん〝みみっちい〟じゃなくて〝未練がましい〟と言いたいんじゃないかと思うけど、あの勢いに対して指摘するのは怖い。
勝手にテーブルを処分されたり、私って、本当にこの二人より立場が上なのかな?
「じゃあ、これ捨てちゃうの?」私は、ボロボロになったぬいぐるみをお母さんに捨てなさいと迫られてべそをかいてる子供のように、座椅子の守護者になって前に立ちはだかった。
「それはもったいないからプレイルームに持ってこうよ」あみこがあっさり言う。
「ファブったら臭わなくなるし、まだ使えるもんね」まみこが消臭スプレーを握りしめてる。
「臭わないなら使えるじゃん」だってそうじゃん!
「ダメ! そのイスは男臭いからダメ!」
「そうそう、うちら乙女の部屋にはダメ!」
「いまファブったらいいってまみこが言ってたじゃんか」
「臭いは消えても、男の成分が残ってるからダメってばダメなの!」
あみこの言う〝男の成分〟ってなんだ?
「きのこは男に慣れてるから感じないんだよ」
「知ってる、そういうの〝不感症〟って言うんだよ!」
まみこに変な言葉を教えないでってば!
「これは、思い出がどうとかじゃなくて、座り心地がいいの、私はこれがいいの!」そうだ、彼との思い出なんかじゃない。背もたれのある座椅子は和室に最高のアイテムなんだ。だいたいあれがいい思い出なもんですか。小学校に入ってからいままでで一番痛い思いをしたのがあの瞬間だったんだから! しかも、何度も何度も!
やだ、思い出してしまう。身体の奥の方からあのときのことがぶつぶつと湧き上がってくる。
「きのこ……」
「ちょっと、泣くことないじゃない」
「えっ……」あみこの言葉に私は顔に手をやった。頬っぺたにだらだらと涙が流れていた。
「そんなにその腐ったイスが大事なの?」
私は手を添えている座椅子を見下ろした。
「分からない……」
分からない。分からないけど、この悲しみは……。
「じゃあ、これで諦めましょ、ね」
気付いたら、私のすぐ横でまみこがニカッて笑って立っていた。
私が手を添えていた、座椅子の背もたれのところに、大きな裁ち鋏が突き立てられていた。




