(七十八)
(七十八)
【……きょう、十七時頃、女の声で人を殺したという内容の百十番通報があり、警察官が現場に駆けつけたところ、群馬県霧生市本町のアパートの一室で男女ふたりが血を流して死んでいるのが発見されました。室内にいたこの家に住む小学校に通う十一歳の女子児童が両親を包丁で刺したと話しをしたため、その場でこの児童を保護し、事情を確認しています。現場はJR霧生駅の北東……】
「えーっ、近所じゃない、怖いなぁ……」
お母さんがテレビのニュースに独り言をつぶやく。
独り言なのは、私の存在を忘れているからだ。家の中は自分一人だと思っている。さっき一緒に晩御飯を食べてたことも、私が洗い物をするからお母さんはテレビでも見といてって言ったことも、数分と経たずに私を避けているかのように私についてのことだけを忘れる。
お父さんは仕事で遅くなるのだろう。そういうことも私には知らされない。
「いろいろ、事情があるんだよ、きっと」ダイニングで宿題をしながら、リビングのソファーでお茶をしてるお母さんに、思い切って話しかけてみた。
お母さんは私の方に首を回していつものように〝おや?〟っていう顔をした。お母さんは私をしばらくキョトンとした目で見つめて、それでゆっくりと思い出したって感じで〝そういうもんだった〟というふうに小刻みに頷いて、ほっとしたように息をついてテレビに顔を戻した。
テレビの画面には、私がいたはずの友達のアパートが映し出されていて、その前でレポーターの女の人が犯人の女子児童のことや妹が一緒にいたことなどを早口で説明している。
「きららさんも、確か小学生、だったかな?」最近ようやく私を名前で呼んでくれるようになった。
お母さんは、私をどういう子供だと思っているんだろうか? 誰かから預かってる子? 居候? 座敷わらし?
怖くてずっと聞けないでいる。
「うん、そうだよ、あの子とは同じ学校の同級生で友達なの」事件に眉をひそめているお母さんはそれをどう思うだろう。
「そう、じゃあ、あの子もきっと、いい子なんでしょうね」
「そうだよ、凛音ちゃんはね、とってもいい子なの」
彼女の名前を言ってしまって、それはよくなかったのかなって思ったけど、お母さんにはちゃんと仲のいい友達なんだって伝えたかった。
凛音ちゃんはあのとき、あの部屋で私にお願いをした。
「きらるちゃん、お父さんとお母さんは、私が殺したことにして。私が罪を背負うから。まゆみちゃんもお姉ちゃんとお家に帰ってね。それで、きらるちゃんにはできるなら美琴のことを見守ってやって欲しいの。姉の私が人殺しでもまっすぐ生きていけるように」
凛音ちゃんの声はハッキリとしてて迷いがなかった。
「どうして、凛音ちゃんたちが傷付かない解決がいくらでもできるんだよ」
この事件をなかったことにすることも、家族がメロンパンを分け合ったあの懐かしい思い出の日に戻って一からやり直した幸せな世界だって簡単に描くことができるのだ。
「こんなのでも私の親だから。ものすごく憎いってことはものすごく愛して欲しかったんだと思う。だから最後ぐらい私が殺したことにしてあげたいの。それに、私は自分の生きた道をリセットしたくないし。いままで辛いことばっかりだったけど、これからちゃんと生きてくために、しっかりとそれを受け止めたいの。後悔したって構わない、自分が選んだ道で堂々と後悔したいの」
私は、無理にでも世界を変えて彼女たちの記憶を操作することができた。
でも、凛音の意思は変わらなかった。
あの子たち姉妹の記憶はいっさい触らずに、状況だけをすべて凛音の犯行に整えて、凛音が警察に通報するのを見届けてから、私はあみこまみことコドモのイエに戻ったのだった。
まみこは放課後凛音と遊んでて、途中でコドモのイエに向かったことにした。
私としては、まみこを警察に逮捕してもらって牢屋に放り込んで毎日お仕置きして欲しいぐらいだったけど、そうもいかない。
凛音は最後に美琴としっかり手を繋いで、清々しい顔で私たちに手を振っていた。
「いい子か、わかるなぁ、きららさんのお友達だものね」
お母さんは私が事件を起こした子と友達だということに、なぜだか嬉しそうな顔をした。
「それって〝いい友達を作りなさい〟ってこと?」お母さんは私が小学校に入るとき、確か「友達は、良い友達を作りなさいね」って言ってたっけ。悪い子と付き合うと悪い子になるって、そう教えられていた気がする。
だから、私が選んだ友達ならいい子だということなんだろう。
「そうじゃなくてね、〝いい友達になりなさい〟っていうこと」
「いい友達に、なる?」
「そう。おばさん、きららさんを見ててそう思うの。きららさんの友達になったら、どんな子だって、きっといい子になれるって。ああ、いい子っていうのは、大人の言うことを聞く子っていう意味じゃないよ、正しく生きたいって思うことができる子のことね」
「正しく生きたい?」
「だって、正しく生きるのなんて、誰だって簡単にできないでしょ。人はみんな間違うし失敗もするし嘘もついちゃうし自分だけ得したいなんて思ったりもするしずるいことも考える。けどね、そういうもんだって諦めちゃったり開き直るんじゃなくて、あぁ、もっとよく生きたい、もっと正しくありたいって思う気持ち、願う心が大事なんだって、おばさん思うなぁ」お母さんの言葉に、凛音ちゃんを思った。
彼女は、正しく生きようとしている。私なんかより、何万倍も、ずっとずっといい子だった。
私は頷いた。お母さんからそんな話を聞いたことはいままでなかったけど、きっといつか私にそう伝えたかったに違いない。
「きららさんはコドモのイエのお世話係をしてるんでしょう? それって大変なことだと思う。おばさん、あなたのこと尊敬してるもの。きららさんとお友達になれる子はみんな、きっと幸せになれると思うな」お母さんの言葉に私は愕然とした。体が震えるのがわかった。
お母さん。私はお母さんを壊してしまった。それで、元に戻せないでいる。〝力〟を使えばもっと壊れてしまうかもしれないって、元のお母さんの心ってどんなだったっけって、考えれば考えるほど分からなくて、怖くて、迷ったまま、時間ばかりが過ぎていく。知らない人ならいくらでも〝力〟を振るうことができるのに、お母さんにはなんにもできない。私ももっとよく生きたい。正しくありたい。
「お母さん」私はお母さんに駆け寄って、ソファーの背もたれ越しにお母さんの首に抱きついた。
「おばさんも、自分に子供がいたら、いまみたいなこと言いたかったなぁ。ね、ちょっとカッコイイでしょ?」
お母さんはそう言って、私の頭に手を置いて笑いながらぽんぽんと優しく叩いた。
「ねぇ、私、お母さんの子供になろうか?」なりたい、もう一度、本当の親子になりたい。心からそう願っている。〝力〟を使わなくても、新しい親子の関係を築いていけるような、そんな気持ちが私の中に芽生えている。
「ダメよ」でも、お母さんはキッパリと言い放った。
「えっ」
「だって、私、口うるさいもん」お母さんはぷっと吹き出して私の顔を手のひらでぐにゅぐにゅなでまわした。
「確かに、そうだよね」私はお母さんの耳元に唇をくっ付けた。そこはお母さんの甘い懐かしい匂いがした。
「こら」お母さんが私の頬っぺたを優しくつねる。私は前に回り込んで、お母さんの胸に甘えた。
「ねえ、きょうお母さんと一緒に寝ていい?」
「はいはい」お母さんの返事に、優しい柔らかなおっぱいに顔を埋めてお母さんの香りを肺の隅々まで、いっぱいに吸い込んだ。
「ほら、きらる、先に宿題、片付けちゃいなさい」
頭をなでられて、私は残りの宿題を全速力で片付けた。またお母さんに甘えたかったからだ。
お母さんはテレビのニュース番組の続きを見てて、プロ野球の話題に変わると、お風呂にお湯を貯めるためにバスルームに立ち上がった。
そうだ、きょうはお風呂もお母さんと一緒に入ろう。お母さんをピカピカに磨いてしまおう。
「お母さん!」
お母さんはダイニングにいる私を見て、いつものように〝おや?〟っていう顔をした。
私は、ただ、いい子になりたかった。




