(七十六)
(七十六)
リビングのソファーに足を投げ出して横になる。そのまま転がってどさんと床に落ちても座面が低いから衝撃の割に痛くない。
寝転ぶ位置によって、肩から落ちる、仰向けに落ちる、うつ伏せに落ちるといろんな角度で落下することになるんだけど、仰向けが一番怖くて面白い。底が抜けたみたいに急に体の支えがなくなって、宙に放り出される瞬間がゾクゾクする。
思わず「きゃっ」と声が出てしまう。
自分のいる場所が突然なくなる不安や恐怖、絶望をいっぺんにお手軽に味わうことができて、しかもお尻が十センチ落っこちるだけで、助かった安堵の幸せも味わえる。
「あー、まるで私の人生のようだぁ」
三回転がって三度お尻をぶつけて、四回目に転がったとき、目の端っこに女の子がたっていた。
「痛てっ!」そっちを気にしてたらお尻じゃなくて腰を打った。骨のところが床に当たると結構痛い。
腰をさすりながら、体を起こしてリビングの入口を向いた。
あみこがじっとこっちを見ていた。
私が手を振ると、ちょっと困った顔でニコッとした。
「なにしてたの?」
あみこの疑問に、私はこの体験型アトラクションを詳しく説明をした。
「ひまつぶし」
あみこはすぐに頷いた。ソファーで寝転ぶのは暇な人しかしない。
「まみこちゃんは?」いつも一緒にいるまみこが隣にいなかった。トイレかなって思った。
「凛ちゃんと遊ぶって」
あみこがソファーにひょいとお尻で飛んで座った。小さいまみこがいないと、あみこがいつもより幼く見えて、すっかり年下の三年生になっている。
私は急いで冷蔵庫からジュースのペットボトルをだして、キャップも取ってあみこの前に跪いて差し出した。
「ありがと」
あみこはそれをにっこりと受け取って、こくりと一口を飲んだ。仕草が可愛くて、胸がきゅんとする。
私も隣に座って、ジュースのキャップをねじった。あみこは私の飲酒を好意的に見てくれないからこの子の前では同じジュースを選んだ。
「まみこね、きっと凛ちゃんを監視してるんだよ」あみこがペットボトルをお腹に抱えてぽつんと言う。
「監視?」スパイごっこでもしてるんだろうか。
「うん、売春しないように見張ってんの」
「そっか」凛音ちゃんはお金のために体を売ってた。まみこは独自の正義感で凛音ちゃんを守ろうとしているというわけだ。
幸い、いまは凛音ちゃんもお金に少し余裕があるのでお仕事をするつもりはないらしい。
「まみこと凛ちゃん、結構仲がいいんだ。気が合うみたい」まみこのいないあみこはちょっと寂しそうに見える。
「まみちゃんいないと寂しいよね」あみこの横顔を眺める。じっと前を向いてなにかを深く考えてるようすだ。
あみこはジュースを前のテーブルに置くと、ソファーに深く座って背もたれに体を預けた。足の先だけがソファーから突き出てて、それを上下にバタ足をする。自分でそういうことをやってるときには思わないんだけど、隣で見てるとお人形さんみたいで可愛い。
私は浅く腰掛けたまま、ジュースを置いてあみこの方に体を向けた。
あみこは私が見てるのに気付くと、バタ足をやめて首を傾けた。それで、ニコッと笑った。
もう、胸がきゅんとするどころじゃなくて、お腹の中までぎゅぎゅうっと絞られるぐらい身体中がドキドキしていた。
私はきょう学校で、あみこにコドモのイエに来るように誘った。来て欲しいってお願いしたって方が正解かもしれない。
それはきのうママと話をしてた、〝気持ちを伝える〟ってことを実行するためだ。
実際のところ、それほど差し迫って告白しなきゃいけないほどの切迫感はなかったんだけど、いますごく勢いに乗ってる。調子に乗ってると言った方がいいかもしれないぐらい、心の中が盛り上がってしまってる。
いつもあみこの傍にいるまみこがいないいまは、告白の大チャンスだ。
もう、ここでやっちゃうしかない。
でもいいのかな? あみこは女の子で私も女の子だ。私は男がいいんじゃなかったのか? おちんちん好きだったんじゃないのか? けーくんがダメでも吉森くんとか亮平くんはどうなんだ? あの子たちのはきっと小さいなんてそういう問題じゃない。
いや、けーくんとは勢いでいろいろやってたけど、冷静になって思い浮かべたら、それほどおちんちんは好きでもないとは思う。あれは彼の付属品としての対応だ。あみこのおまたなら可愛いと思うけど。
そう、確かに私はあみこが好きだ。可愛いと思う。けど、それは友達とか姉妹としての好きであって、本当に恋人になりたいって感情なのだろうか?
ちょっとふざけてエッチなことをしたいだけなんじゃないだろうか。
きのう、ママと話をしてて、あみこに対して強く意識をするようになっちゃったから、好きだ好きだと考えてるうちに、頭の中があみこだらけになっちゃって好きって洗脳されちゃってるだけなんじゃないだろうか。小学生のあるあるネタのように。
けーくんが相手をしてくれなくなったから、それをあみこで埋めようとしているんじゃないのか?
もう一度、あみこを見た。きゅっと口を結んで、にこやかに私を見ている。
ダメだ。この子のどこをどう見ても、可愛いとしか思えない。ときめいてる。
けーくん始め、他の誰のことを考えても、この子の前では霞んでしまう。この子が欲しい。この子にあげたい。この子のものになりたい。
私はいったいどうしちゃったんだろう。
あみこがくるまでに、何度も何度も自分でちゃんとコントロールしてスッキリした。だからいまはそういう性的な欲望のドロドロした情念を離れた純粋な清らかな気持ちだけのはずなのに、もうすでに、できればあみこにコントロールして欲しいぐらいに気持ちが昂っている。
もう待ちきれない!
「ねえ、鮎美ちゃん!」
気持ちが乗りすぎて思わず絶叫みたいになってあみこが驚いた。
私はもう心臓がばっくばくに爆発しそうで、こめかみで血管がぷちってちょん切れて血が吹き出しそうだった。
「私、あゆみちゃんのことが好きなの。好きっていっても、友達とか姉妹とか家族とかみたいな好きじゃなくて、異性として……、じゃなくて、コイビトとしての好きなの。あみちゃんはまだ三年生でそんな気持ち、わからないかもしれないけど、すごい好き、大好き。あみちゃんのこと全部大好きで独り占めしたいぐらい好きなの、アイシテルって気持ち。だから、私のことも独り占めしていいから、コイビトになって欲しいの、お付き合いして欲しいの」
言った。体がピリピリ震えてるけど、気持ち、伝えた。
「いいよ」
あみこが普通に言ってニカッて笑った。まるで休み時間におトイレに一緒に行こうって誘ったときと同じぐらい軽い〝いいよ〟だった。
「えっ、いいの?」それに比べて、私はまだ震えが止まってなかった。
あみこは笑って頷いた。
「それで、お付き合いってどうすればいいの?」
それは考えてなかった。友達とか姉妹みたいなんじゃない小学生のお付き合いって、ふたりで何するんだろう。
私はコイビトって言葉にスキンシップしか思い浮かばなかった。あみこにスキンシップを求めるのって、ちっとも小学生らしくないよね。それって少しも待ってないよね。中央公園のベンチで防犯ブザー鳴らされるタイプの関係だよね。
でも、ちょっとぐらいなら、どうだろう?
「キス……、とか?」少しも慎重でない言葉を慎重に発した。
「いいよ」
あみこが〝うん〟と頷いて、きゅっと唇を突き出す。
「いいの!?」絶対〝ダメ!〟って言われると思ってた。
私も唇を突き出して、あみこの口にちゅんとくっつけた。頭の中が煌めく光の粒子で真っ白になった。もう、いろんな経緯・経験なんかいったん白紙に戻して、これを私のファーストキスって思うことにしてしまおう。
「ねえ、ハグは?」
「いいよ」
「ほんとに!?」私は声が上ずって裏返ってた。
あみこの背中に腕を回すと、あみこもきゅっと私の腰に腕を回した。
「きらるちゃん、大好き」
耳元であみこの可愛らしい声がじんじん響く。
あみこはいったいどうしてしまったんだ!? 嬉しい。
「もっともっと、いっぱい、したい!」私はあみこを自分の中に取り込むぐらい、ぎゅうっと抱きしめた。
「コイビトだからね」
あみこはそう言って、また唇を突き出してくれた。
セカンドキス……。ああ、トリプル、カルテット、ペンタゴン、6Pチーズ……。幸せをひとつひとつ指折り数えたい。
「小文字のbぐらいだったら許してあげてもいいよ」
あみこのどこか聞き覚えのある言葉に私はくらっとめまいがしそうになった。
やっぱり。やっぱりそうだったのか。血だ。あみこの中で私の血が、細胞が、成分が、どんどん増えていっている。あみこと私は心も体も通じあってる。
「じゃあ、大文字のCは?」
さすがにあみこも困った顔になった。
ここのソファーは子供一人が寝るのはゆったりとしてて寝心地がいいんだけど、二人だとはみ出すか一部が重なるか横寝をしないといけなくなる。
私は背もたれ側で体が斜めになってあみことくっ付いていた。
あみこはお腹の上で私の手を握ってさっきから考えごとをしている。
「ねえ、きるこ、五年生は英語の授業があるんでしょ。得意?」いきなりの学習の質問に戸惑う。
「うーん、苦手かなぁ」通知表の〝普通〟というのは〝できない〟を意味してる。
「やっぱりそうかぁ……」あみこがため息をつく。
「なんで?」こんなときにいきなり英語の話ってなんだろう。
「さっきのって、小文字のbまでじゃなかったよね? たぶん」
「あぁ、うん、結構しっかりCっぽかった」間違いなく大文字のCだ。
「もう、五年生なんだから、もっとしっかり勉強してよね。bとCの違いぐらい私でもわかるんだから」
あれはあんまり英語とは関係ないと思う。
「つい勉強し過ぎて次のとこまで予習しちゃったの」なかなか進むのが速かったかもしれない。
「ふうん、きらるって勉強熱心なんだね」なんとなくあみこが不満そうなのが怖い。
「ごめんね、怒ってる?」もう、あみこが許してくれるならいくらでも謝れるし卑屈にだってなれる。足の指の間だって舐められる。
「怒ってないよ、私〝防犯ブザー〟鳴らさなかったでしょ?」
「えっ、持ってたの!?」こんな裸ん坊じゃどこにもブザーなんて隠しようがなかったはず。
「ぶううーっ」あみこがいきなり口でブザーの音真似をし始めた。そういうことか。
「ぶぅうーっ、ぶぅうぅーっ」私も負けずに鳴らしてみせる。
「きるこ、それホラガイだから!」あみこのツッコミで私たちは思い切り笑った。
それで、間違いなくコイビト同士になれた気がした。
「ねえ、あみこは私とコイビトになる本当の意味って、分かった?」私は可愛いコイビトの頬っぺたをなでる。
あみこはちょっと悲しそうな顔になってゆっくりと考えながら頷いた。
「うん、分かった」
そうか、あみこと私は心から通じあったんだ。
「ね、ちゃんと口で言ってみて」あみこの唇を人差し指でちょんちょんと促す。
「エッチなことをして、きらるのセーヨクを、スッキリ、させるの」あみこはそれをとても言いにくそうにぽつぽつと言葉にした。三年生の女の子が口にする言葉じゃなかった。五年生の私にだってそれはふさわしくない。
この子はそういうことが嫌だったかもしれない。いままでの彼女を見てるとなんとなくそう思う。でも、あみこはそれを分かって決めてくれた。だから〝大丈夫?〟も〝ごめんね〟も言わないことにした。
「ずっと、だいじにするからね、可愛がってあげるからね。愛してるから、大好きだから」私はあみこをしっかりと抱きしめた。
あみこも私に力いっぱいすがりついて身体を震わせた。
ブブブ、ブブブー。
耳慣れた振動音がリビングにいきなり響き始めた。
「きるこのホラガイが鳴ってるよー」
私たち勉強熱心なふたりは、きょうの英語の復習を始めたばかりだった。
私は〝b〟と〝C〟の区別で何度もあみこから厳しい指導を受けていた。
私の動きが中断すると、あみこは少しほっとしたように息を吐いた
「あれはスマホですから」電話なんて誰からだろう。
脇のソファーに置いてたランドセルに手を伸ばした。被せを開いて奥から震えるスマホを取り出して画面の表示を見た。
0277―
スマホに登録してない市内の電話?
とりあえず、通話をタップした。
『あ、きらりちゃん、助けて!』
それは、篠原凛音からの最悪の知らせだった。




