(七十四)
(七十四)
「泊まっていこうかな?」
リビングでおやつとお茶を楽しみながら、ママにそういうと、少し驚いた様子で微笑んだ。
学校帰りにランドセルを背負ったままで、明日も学校がある日にお泊まりをするのは、いままでなかったことだ。
ずっと家に帰らないことになる。
「ママは嬉しいけど、大丈夫なの?」
私はママに親と上手くいってないことを伝えた。脳を破壊したとは言えなかったけど。
するとママは私の家に電話をかけて、私がお泊まりできるように上手く話をまとめてくれた。よくあんなのと話が通じたものだと感心する。
そんなことしなくても、うちの親は私が帰ってこなくてもなんとも思わない。帰ってきた方が、家の中に堂々と上がり込んでくる女の子がいったい誰でどういう素性の人間なのか頭の中で組み立てるまでの間、両親は混乱することになる。
十月分のお小遣いを貰うのがあんなにも気まずいものになるとは思いもしなかった。
ママとの夕食は、たぶん楽しいものになる。
向こうがどう思ってるのかはあまり関係ない。見せかけだけでも、笑顔で会話が弾んでいるのだ。楽しくないわけがない。
家で仲良く食事をする両親の前で、ひとり黙々と出されたものを食べるのは家畜が餌を与えられているのと変わりないように思う。家畜だって、なでてもらうこともあれば、声をかけてもらうこともあるだろう。私の場合はそれすらない。
お腹の中で考えてることなんて、どうせ分からないのだから、こちらが言ったことに対して、相槌でもいいからなにか肯定的な反応をしてもらえることが美味しい食事に一番必要な要素なのだろう。ママは私の話を聞いてくれる。
きょう、ママは腕によりをかけて、ホテルのようなシチューを作ってくれた。
「ビーフシチューなんだけどね。珍しいお肉が手に入ってたから、きらるに食べさせたくて冷凍してたんだよ」
見た目は普通の美味しそうなビーフシチューだけど、珍しいお肉?
丁寧に煮込まれてホロホロになったお肉をスプーンで掬ってみる。すぐにわかった。これは、やっぱりあの肉だ。一口サイズに輪切りになってる。こんなところで再会できるなんて思わず笑ってしまった。先っちょなんか形そのままだ。
あのとき、ママに送り付けた二本分を牛のもも肉と混ぜてじっくりと煮込んでいるんだ。
口に運ぶと、臭みもなく、味が染み込んでいて悔しいけど美味しい。初めは強い弾力があるけどグッと噛むと繊維に沿って裂けるように崩れて硬さを感じない。例えるならタンシチューを食べてるみたいで悪くない。皮の部分はとろけるようにプルプルでコラーゲン感もあってお肌に良さそうだ。これを女性が喜ぶかどうかは別だけど。
「美味しい、変わった食感って言うのかな、口の中が喜んでるって感じ」一応、グルメリポートもやってみる。
「そう、きらるは、これを口に入れるの初めてかな?」ママの下品な質問に、ご期待に応えて「えっ?」て顔をしてあげる。いつも私が口にするのは新鮮な生のものばかりなので煮込んだのは初めてだ。
「なんのお肉ですか?」ちゃんと聞いてあげよう。さて、ママはなんて言うのだろうか?
「おちんちんだよ」ママは笑ってその名前を口にした。
口の中でもぐもぐしたまま、私は困った顔を作った。そんなにストレートに言いますかね? 私、乙女ですけど。
「美味しいでしょ?」
「美味しさに戸惑ってます」ちょっと怒った顔をして、もうひとつを掬ってパクッと口に放り込んで満足気にニッコリと微笑んで頷いてあげる。
最初にビーフシチューと言ってるわけなので入ってるお肉は牛の物って思うのが当然だろう。だから、なんのおちんちんかは聞かないし、問わない限りはなんのおちんちんかを説明することもない。
もちろん、ママはこれがなんのおちんちんか知っていて、わたしがなんのおちんちんか知っていることも分かっている。だからこそ私にこの御馳走を振舞ったんだ。私が泣きながら吐き出すとでも思った? ふん、私はおちんちんが大好きなんだよ!
もう、三日も口にしてなくてストレス溜まってたんだからね!
「ホテルのシチューみたいに美味しい!」どこのホテルだ、宝町の〝博物館〟か?
ここでママには負けられない。私は心の中で自分を奮い立たせ、無理やりにんまりと笑顔を作った。
確かに、生のよりずっと口の中で出てくるソースが美味しい。肉にはやっぱりあのホワイトソースよりドミグラスソースが合うと思う。
「そんなに美味しいなら私の分もあげようか?」
ママがそう言って、自分のシチュー皿からころんとしたお肉をふたつ私のお皿に移してくれた。
すごい、ほとんど二人前だ。
「ママ、私がおちんちん好きだってこと、みんなに内緒にしててね」これ以上ないくらい追加のお肉を喜んであげる。
「それ、女の子が言っちゃ絶対イケナイ言葉だよね」ママも笑ってくれた。
気心の知れた相手との食事って本当に愉快だ。
「やっぱり、ママと一緒に食べたらご飯が美味しいなぁ」このお礼にあとで処分に困ってた七本を送り届けてあげよう。
「ね、お母さんとは、なんでケンカなんかしたの?」
食後のお茶を楽しみながら、ママがいきなり聞いてきた。
わたしがママのとんでもない料理を大喜びで食べたから、家でご飯を食べさせてもらってないと思ったんだろうか。私はちゃんと家で食べてる。まったく愛情を感じてないだけだ。きょうのおちんちん料理は、ママが私のために一生懸命時間をかけて作ってくれたという愛情をちゃんと感じることができているから、材料はともかく、嬉しいのだ。
「コドモのイエに毎日行ってたら、そんな会、辞めちゃいなさいって言われて」私は唇を尖らせた。
「毎日行ってただけで?」ママが不思議そうに首を傾げる。
「あと、コドモのイエでお酒飲んでたのがバレて……」梅酒のソーダでぐでんぐでんになって帰ったことを話した。彼と一線を超えたこともお母さんに話したってことはママには内緒だ。
「それは、叱られるわね」ママもちゃんと母親の顔ができている。飲酒で叱られるなら性行為だったらなおのこと絶望的だ。
「だって、いろいろ、イライラするんだもん」お酒でも飲まなきゃやってられないのって叫ぶ。
「きらるは梅酒が好きなの?」ママが、ふと、とても優しい顔をした。私が頷くと、ママは私をキッチンに誘った。
「あのね、イライラしたりストレスが溜まったときはね、ハッピーになれるいい方法があるんだよ」ママはそう言って、冷蔵庫からパックの梅酒を取り出した。それで、小さなグラスの中にザラメ糖を入れて、その中に梅酒を慎重に注ぐ。
「ザラメは10粒、梅酒は10mLね」よく見ると、グラスには赤いラインが刻んであって、計量カップみたいになっている。
「これをレンジで20秒」電子レンジでグラスを温めて、マドラーでクルクルかき混ぜると、ザラメ糖が溶けてなくなった。
「はい、これを飲んだら、きっとぐっすり眠れて明日の朝には元気になってるわ」ママが優しい顔で微笑む。
これは、単にホット梅酒だ。こんなので元気になるなら霧生市内の内科医院は全部廃業に追いやられてしまう。養命酒は倒産だ。そう思っても、ママのきらきらした微笑みの圧が強い。
これは、本当に梅酒なんだろうか? なにか私を陥れるための怪しい成分が入っているのではないだろうか。
何しろこの家の冷蔵庫の中には何日もおちんちんが冷凍状態で保存されていたぐらいなんだ。
怖い、不安だ、さっきシチューを食べたとき以上に身の危険を感じる。しかし、ここでこれを口にしない訳にはいかない。
ええい、何かあっても〝光の力〟で乗りきってやる!
私は意を決してそのグラスを口に運んだ。
「あぁ……」
甘い、いい香りだ。アルコールはきついけど、身体がふわっと暖かくなる。まるで柔らかな日差しの中で日向ぼっこをしているようなほんわかとした優しい気持ちになる。体の中のトゲトゲした気持ちまでもが、まん丸くなっている。
「どう?」私の顔をママが嬉しそうに覗き込んでいる。
「あったかくて、幸せな気分、気持ちがふわふわする」私の顔もきっととろけている。
「そう、よかったね、すぐに元気になるよ」私の頭をなでるママの目尻に涙が浮かんでいる。
きゅっと唇を噛んだママは、あっと思った瞬間、私を抱きしめて嗚咽を漏らした。私の頭や背中を優しく激しくなでてさすって、骨が軋むほど締め付けて、まるで自分の体の中に私を取り込もうとしているみたいに。
「ごめんね、ごめんね」ママは泣きながらごめんねを繰り返した。いったいどうしたんだろう。誰に謝っているんだろう。ふと、そう思って、それが文香に対してなのに気付いた。ママもまた、私に白井文香を見ているのだ。だからわたしを愛し、私を憎む。
涙の理由は分からない。ただ、この温かい梅酒にはきっと本当に幸せになるための優しい願いが込められていることに間違いはないのだろう。
「ありがと」
私はママの耳元でそれを伝えるのが精一杯だった。
訳の分からないママの涙で私たちは母娘の気持ちに戻った。
ママは一皮剥けたみたいで、トゲトゲしたものがなくなって、私も梅酒の効果なのか、気持ちがまろやかになっていた。あれぐらいの量なのでアルコールも分解せずにほろ酔い気分に残しておいた。
それで、二人して女子同士になって、じゃれあうようにお風呂に入った。
私は一皮剥けたママをもっともっと剥いて剥いて、一番敏感なところまで剥き出しにしてママを悦ばせた。
ママも優しい指先で私を梅酒に漬け込んだみたいにとろとろに滲み出させて溢れる私を舐め取った。
暖かで、まろやかで、いい感じだった。
たとえ中身が虚ろでも、触れ合いや敏感な刺激がもたらすこの幸福感が、彼から得られなくなった分の〝光の粒子〟獲得につながる。
いまはどんなことをしてでも、大量の〝力〟を得なければならない。
私が白井文香の代用品だろうが、薄汚いビッチになろうが、目的を果たすためなら、そんなことはどうでもいいんだ。
あらゆるものを生け贄にして突き進んでやる。
もっと、もっと、もっと光を!




