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(七十三)

   (七十三)


 爽やかな笑顔で私に手を振る彼と出会ったのは、彼の家のすぐ近く。白井文香の家の前だった。

「よっ、どうしたの?」制服姿の彼も学校帰りのようだった。

「うん、ちょっと白井ママにウェブの動作をもっと軽くできないかなって相談したくて」もちろん嘘です。

「へえ、なかなか専門的なんだ」LINEみたいに中身のない返信。

「高森くんは?」

「うん、家で勉強。後期は受験まで結構自由なんだ」もちろん嘘って知ってます。


 もともと偽りだらけの交際なんだから、いまさらひとつやふたつ嘘を重ねたところで互いの心にさざ波すら起こすこともない。


 ハイタッチも、手を握ることも、肩を叩くことも、力強い抱擁も、胸に頬を埋めることも、熱い口付けも、身体を濡らす触れ合いも、突き上げるような情欲も、何もないまま、私たちはわずかに言葉を交わしただけで、すれ違うように別れた。


 だって、それは道端だから。

 買い物途中のおばさんが通りかかったから。

 彼に触れる理由が何も見当たらなかったから。


 あの日から、もう三日も彼は私たちの秘密基地を訪れていない。もう三日? まだたったの三日なのに、二人で過ごしたあの部屋のできごとが遥か遠い昔のように感じる。

 私は毎日ずっと、あの部屋で放課後、夜遅くまで、彼が来るのを待っていた。


 そもそも私は彼なんか好きじゃなかった。アイツを好きだったのはきらりだ。私が好きだったのはちょっとぼんやりしてる吉森くんとか恥ずかしがり屋の亮平くんみたいな、そんな純朴な子だ。

 私はただ、彼が注ぐ愛欲を光の粒子に変えて虚ろな身体を満たしているだけだ。ただただ世界を変える〝力〟が欲しいだけだ。

 いまだって、好きなんかじゃない。きっとそうだ。


 なのに、たった三日、私の元に通ってくれないだけで寂しい、苦しい、悲しい、悔しい。彼が毎日帰っていくあの母親が憎らしい。

 くそっ、()()()()に何をした!

 本当にあの女は、私の忌まわしい想像のように、愛する息子のために身体を開いて彼の尽きることのない若い欲望を受け止めているというのか。



 彼が家に入っていく。

 玄関を開けて迎えるのは、優しい母親だ。

「おかえり」恋しい人を待ちわびる切ない響き。

「ただいま」愛しい人に巡り会えた喜びの響き。

 私がここでこうしてじっと横顔を見つめているのに、彼は少しも振り返ることなんかなくて、甘い世界の中に消えて行ってしまった。


 あの頃のまんまだ。集団登校で吉田商店の前に集まって、私はずっと彼を追いかけていたのに、彼は白井文香だけを見ていた。私の、背中と変わらないような胸も棒っきれみたいな太腿も彼の視線を引き付ける魅力など何もなかったのだ。

 彼が私を認めてくれるのは、私の姿が白井文香の姿と重なったときだけ。そのときだけ、彼は私と重なってくれた。何度も何度も求めてくれた!

 そう、そうなんだよ、彼は私を欲しがってたじゃないか、あんなに夢中になってたじゃないか、泣き叫ぶ私を強引に手に入れたんじゃないか!

 それも……、もうない。

「きらるちゃん」

 声に振り向いたら、ママが玄関から出てきていた。

「あ、ただいまぁ」精一杯明るい笑顔で……。

「おかえりなさい」完璧な優しい微笑みで……。

 私はママの胸に飛び込んだ。

 ママはランドセルごと私を抱いて、髪を優しくなでてくれた。

「相変わらず、煌めいてるのね」

 ママの発する言葉の数々は私が待ち望んでいた天使の甘い香りに包まれていた。

 私はママの弾むようなハリのある膨らみに、服の上から口付けをした。

「ほら、早く中に入りなさい」ママは私の頭をぽんぽんと叩いて家の中に招き入れた。



 ママは私と会うことを楽しみにしてくれていた。

 ママの中にいる天使も悪魔も同じように激情をもって私を迎え入れてくれて、私を天国へと昇らせてくれるのか、地獄の底に突き落とそうとしているのか、どちらにしても、私の中の天使と悪魔もママとの繋がりを待ちきれなかった。


 私たちは、はやる気持ちを抑えることを考えもしなかった。

 二人ともお互いの匂いと眼差しで、家に入る前からもうすっかり準備ができあがっていたからだ。


 ママは冷静で、私はやけっぱちだった。

 さっきの彼の背中に、私は激しい喪失感を覚えていた。私が思えば世界はわたしの自由になるはずだった。彼を私の前に跪かせることも、いま激しく体をぶつけ合うママと彼とを入れ替えてしまうことも、造作もないことだった。なのにできない。あの子が私にこの世界を託したのは、そんなことをするためじゃなかったはずだ!

 だから、私は弱い子供になって、めちゃくちゃに弄ばれることで、自分の力を忘れたかった。


 ママはAIロボットで、私は野獣だった。

 ママの動きは私の身体を知り尽くしていた。私の新しい反応もすぐに学習して瞬時に対応している。私は目の前の肉にかぶりつくだけだった。欲しいものを手に入れる。ただそれだけで、お店の中で泣いて大あばれして玩具を買ってくれと叫ぶ子供のように、荒々しくママを私の下に組み敷こうとした。


 ママは正確無比の効果的な動きで、私は本能の赴くままに吠えて暴れた。

 私のどこをどうすれば私を凌辱できるのかママは完璧に理解していて、1ミリも違わず私のスポットを攻め立ててくる。私はママの匂いと温度と湿り気のわずかな違いを感じて、求める部分を探った。私の動きは泥沼に落ちてのたうちまわる仔山羊のようでもあった。攻めているのか救いを求めているのかすら自分でも分からなくなっていた。


 そんな私がママに敵うはずがなかった。

 けれども、私は初めてママに悦びを教わった頃の幼く拙い私とはもう違っていた。彼との経験は、私を乙女から見せかけだけの乙女に変えていたのだ。

 私の力は圧倒的で、ママの全てを薙ぎ払った。



 白井文香のベットの上で、ママは私の動きを止めるように胸に抱いて長い息を吐いた。

「もうだめ、おしまい」

 それは、ママとしての命令で、愛人としての懇願で、人としての祈りだった。

「じゃあ、一旦休憩ね」

 私はまだまだ満ちていなくて、隙間だらけの身体で物足りなかったけど、ママが壊れたら遊べなくなる。〝乙女用テンガ〟は大事に使わないといけない。とりあえず軽く溜まりに溜まったストレスの発散にはなった。

 私はママの胸に口付けをした。()()()()()()()の愛撫ではなくて、ただのコミュニケーションのキスだったけど、ママの身体は雷に打たれたように大きく弾んだ。

「お願い、もうやめて」ママは涙ぐんでいた。

 やり過ぎちゃったか、ちょっと壊れたっぽい。

 起き上がって、ママの身体から離れてベッドから下りると、ママはほっとして目を閉じて眠るように息を整えた。


 私は窓際に立ってカーテンを開いた。向こうに彼の部屋の窓が見える。

 心の中で彼を呼ぶと、彼の窓のカーテンが開いた。向こうに彼が立っている。

 私は窓を開けて、彼に家の前で会ったときのように、微笑んで手を振った。

 彼も窓を開けて私に右手を上げた。


 彼が夢見の彼ならば、目の前の少女は白井文香に映るはず。いま彼は私を誰だと思っているのだろう。そして、ここからは見えないけれど、彼の足元には、白井文香の代わりだった私の代わりのひとがいるんだろうか。

 意識を飛ばして、そこに誰がいるのか確かめたい。

 私が苦労して得た指定席を、まんまと掠め取った女狐の顔を拝んでやりたい。

 でも、彼の領域に踏み込むことはできない。彼に悪いからじゃない。私が事実を知るのが怖いからだ。

 ひょっとしてけーくんはあの女を白井文香としてではなく、あの女そのままで抱いていたのだろうか。

 そんなはずはない。そんなバカなことがあるはずがないじゃないか!

 この気持ちは、なんの力もなかったときの〝きらり〟のときの気持ちと少しも変わらない。

 どろどろと薄汚れた醜い嫉妬心の塊で、白井文香を呪ったあの日となんにも変わっていない。

 世界中の子供たちが幸せになれるなら、子供の私も幸せになったっていいじゃないか。

 私は、ただただ、強大な力を手に入れた自分が、他人を押しのけてでも幸せになる言い訳が欲しかっただけなのかもしれない。

 彼がいま手を振っている私はいったい誰なんだろう?


 私は両手を頭の上に乗っけて、うさぎの耳にして、踵を上げてつま先立ちをトントンと繰り返した。

 三回弾んで一回休み、三回弾んで一回休み。彼も少し呆れたような笑顔で頭に耳を作った。

 三回弾んで、そして、一緒に〝ぴょんぴょんダンス〟を踊った。この辺りの子なら誰でも知ってる、保育園や幼稚園、小学校の低学年で運動会のときに必ず踊る恋のダンス。

 上毛地方では大昔からうさぎは神様として祀られていて、うさぎの神社も沢山ある。そんな地方に古くからある民話を元にした踊りだ。

 美しいうさぎの女神に恋をした人間の若者がうさぎになって女神に会いに月に行くお話だ。

 可愛い振り付けで、跳んで、回って、誘って、お尻を振る。神話の時代から変わらない男女の営み。

 私は女神様で、彼はたくましい若者で、向かい合って、踊る、踊る。

 小さい頃はただ可愛いだけのお遊戯だったのに、激しく熱い、魂を震わせる交合の宴だ。

 最後のパートは手を取り合ってぐるぐると回る。

 私は窓の外に両手を伸ばした。彼の手がこちらに伸びた。あと少し、あとほんの少し。私たちの腕があと十メートル長ければ、二人の想いが届くのに!

「どうしたの?」

 ママの声に慌てて窓を閉めてカーテンを引いた。

「天気がいいなって思って」そう振り返ると、ママはベッドに横たわったままこちらに顔を向けているだけだった。

「天気がいいから裸ん坊でぴょんぴょんダンス?」ふっと微笑んでママはまた目を閉じた。


 物語の続き……。

 それから女神様はどうなったんだろう、若者はどうなったんだろう。二人は幸せに暮らしたんだろうか?

 そういえば、民話の最後はぼやけたままで、どんな結末だったのか、ぜんぜん知らなかった。



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