(六十六)
(六十六)
気持ちいい。
少しばかり、乙女らしからぬ行いをしてしまったけど、やっぱり〝光の粒子〟が身体中に満ち満ちている感覚は、爽快な気分だ。
彼のも中に満ちてしまったけど、それはトイレの女の子ボタンを押して洗い流した。
アルコールも分解できて二日酔いの心配もなくスッキリ目が覚めた気分になった。酔っ払ってとんでもないことをしでかして酔いが覚めたら愕然としたっていう大人の人の話を聞いたことがあるけど、なるほど、こういう感じなんだと、いい勉強になった。私が男の子と遊ぶときは、お酒を飲まないようにしようと思う。
〝酔ったら誰とでもする子〟なんて噂になったら困る。
教室の席でそんなきのうのことを思い出して反省会を開いていたら、担任の先生が来て「放課後、校長室に来るように」と呼び出しを受けた。
それで、念のため、二十分休憩でトイレにこもってセルフで光のチャージをやった。〝力〟はいくらあっても困らない。でも、あまり効果がなかった。
だって、学校のトイレで休み時間にするのって、ただ気持ちいいだけで、ぜんぜん乙女じゃないし、幸福感がまるっきり湧いてこないからだ。
十分以上ずっとトイレに入りっぱなしだった私は、みんなに「便秘なんだよねぇ」なんてお腹をなでながらどうでもいい言い訳をする羽目になってしまった。
私が校長室に着いたのは、帰りの会が終わって、もう四時を過ぎていた。あと十分ぐらい早く来れたんだけど、教室で時間調整で暇を潰してた。先に行って待つのが嫌だからだ。
ドアの前で上靴を脱いで手に持って、そいつで二回ノックする。こういう場所に入るときは〝コンコン〟と二回ノックするのがマナーだと、以前けーくんのウンチクを聞いたことがある。「どうぞ」と言われてドアを開けてやっぱりと思う。中はほぼトイレだ。汚物が並んで異臭を放ってる感じがする。トイレで中から「どうぞ」は変だけどね。
これで顔ぶれが全部揃ったんだろう。部屋の真ん中の応接セットの席が私の分だけ一つだけ空いていて、その隣には私のお母さんも来ていた。校長先生にお呼ばれとは、さぞ驚いたことだろう。
私たちの席の向かい側には誰かのお父さんお母さんふうの人が並んで座ってて、あとは校長先生が司会者みたいな席で神経質そうに手を組んで忙しく指を動かしている。
お母さんはすでに青白くなって固まってしまってて、こういう子とパーティを組んでも絶対クエストはクリアできない。
私が応接ソファーにお尻を乗せると、待ちかねたように校長先生が「では」とだけ言って、向かいのおじさんに合図するように頷いた。なんとなく、もう話ができあがってるみたいで嫌な雰囲気だ。
向かいのおじさんは、手元から用意してあった名刺を一枚出して名前を名乗りながらお母さんに手渡した。一瞬だけ待ったけど、当然のように私は名刺をもらえなかった。お母さんが手にしたまま固まっているので、名刺を取上げて確かめる。男は弁護士だった。
なるほど、隣の女の方は分かる。霧山花恋の母親だ。服にチワワの毛が着いてて、この暑いのに襟がみすぼらしいながらファーになってる。
なるべくぞんざいに見えるように名刺をテーブルに投げたけど、残念なことに、子供のすることなので大して目くじらを立てる様子もない。
それで、向かい側を穏やかに睨みつけながら、ひとまずお母さんを黙らせた。
こういうときに、お母さんはすぐに謝りかねない。一般人のコミュニケーションとしての「すみません」の一言が法律家相手だと非を認めた謝罪の言葉と取られかねないと聞いたことがある。謝った方が負けらしい。世知辛い世の中になったもんだ。実に嘆かわしい。
まあ、私は子供なんだし、子供らしくわがままを押し通そう。
「きょう、お話するのは、こちらの霧山さんのお嬢さん霧山花恋さんが、そちらの秋本輝流さんに暴言を浴びせられ、精神的苦痛で学校を休んでいることについてです」
なるほど、難しい言葉は使わずに、子供にも分かりやすく話してくれるところは内容はともかく好感が持てる。それに、お母さんに対しても効果的だった。いままでお母さんはどうしてこんなところに呼ばれたのか純粋に不安だっただけなのだ。
お母さんの表情が安心したように無表情に変わった。お母さんは私が悪いことをするなんて考えることができない。すべて私が正しいと認識するようになっている。
「私のクラスや交友関係に霧山花恋という子はいません。どういう人物なのか説明いただけますか?」私がはっきり言っただけで、弁護士は驚いた。ひょっとしたら、名刺一枚にビビって謝るとでも思ってたのだろうか。
「霧山花恋さんは三年一組の女子児童です。きのうの放課後教室で友達と遊んでいるとあなたがやってきて、親に愛されていないなど侮辱するような言葉を浴びせられたということです。可哀想に、学校に来るのが怖いと言っています」
勝った。やっぱりこの人はこれまでのお母さんの態度で、楽勝だと思ったに違いない。不安は人を弱くさせる。ひょっとしたらお母さんは私が来るまでの間に相手の話もろくに聞かず、もうぺこぺしながらなんども「すみません」を連発していたのかもしれない。
「あの、よく聞き取れませんでした。その霧山さんはそのとき遊んでたんですか?」
「そのように聞いています」あ、さすがに不味いと思ったのか、弁護士が逃げた。〝そうです〟と断言しないのはずるくないか?
「だったら、お母さん、こんなところで話をしてる場合じゃないです、すぐに花恋ちゃんを病院に連れて行った方がいいですよ」弁護士が逃げるなら母親を相手にしよう。
「どういうことです?」
花恋ママは自分のターンが回って来るとは思ってなかったようで、いきなり振られて声が上ずってる。プロを連れてけば安心とか思うのは、人間相手のことだけで、神様には通じないってことを思い知るがいい。
「ひとの髪を掴んで引き倒したり殴る蹴るの暴行を加えることを遊びと思うなんて、緊急で措置入院が必要です」
「私が聞きたいのは、あなたがそういう言葉を花恋さんに言ったのかどうかです。事実なんですね?」
母親に話をさせては不利と思ったんだろう。弁護士が勢いよく割り込んでくる。勢いはいいが、頭は悪そうだ。お母さんを相手にできると思ってたのだろうけど、事実確認は本人でないとできないのだから私に話をさせてくれ。
「いいえ、あの日三年一組の教室で遊んでいる子はいませんでした」
「遊んでいたかどうかは見る人の認識の違いで変わりますよね。あなたが花恋さんに〝親に愛されていない〟と言ったのかどうかです」
「認識の違いで逃げるのはどんなものでしょう。客観的な事実の積み重ねで真実にたどり着くことがあなたのような法に携わる人には求められるのではないですか? それとも、その花恋さんが行っていたいじめについて情状酌量の余地があると訴えたいのですか?」
「埒が明ませんね、お母さんはどうお考えですか」
お母さんに聞くかぁ。まあ保護者だから仕方ないけど。お母さんを使って話をさせてみるか。
「事実確認ができていないのに、どうかと聞かれても困ります。つまり、うちの輝流が〝花恋さんと言う人にいじめられてる子を助けた〟という認識でよろしいのですね?」
お母さんが校長先生の方を向いて確かめるように頷く。なるほど、使える。
弁護士も、真っ青な顔でおどおどびくびくしていた目の前の女がいきなり反撃してきたら、そりゃあ驚くだろう。
男はひとつ咳払いをして注意を引くと、カバンから封筒を取りだしてテーブルの上に置いてお母さんに示した。
「今回の件の、花恋さんの診断書です。いわゆるPTSDですね。客観的な診断基準による評価も示されています」
お母さんが封筒を取り上げた。
「中を確認してよろしいですか?」弁護士が頷くのを確認して、封筒を私に手渡した。
「なるほど」開けて中身を確かめると予想通りよくできてる。
「こちらのクリニックは、きのうは休診日だったと思いますが?」花恋ママをちらりと見る。
「うちの主人の会社の産業医をされていて、診ていただけたんです」細かい指摘に冷静さを欠いて馬鹿なことを口走る。利用した先がそこも会社関係か。こういう私事であまり会社を利用しない方がいい。
「なるほど」封筒と診断書をテーブルに投げおいた。
「それで?」私はソファーの背もたれに身体を預けて腕組みをしてわざとらしいほどふんぞり返った。なるべく、ものを知らない子供が偉そうに生意気なことをやっているふうにして。
「このままでは、裁判をすることになりますよ。こちらが納得のいく謝罪をして下されば、穏便に済ませられます」弁護士の顔はあくまでもお母さんに向いている。
ここで、例えば「どうしろというのですか!?」なんて叫んだりすると、謝罪内容の条件確認をしたことになって、三段飛ばしぐらいでこちらに非があったことを認めたっていう流れになるのか。
「PTSDなら、傷害罪で刑事告訴ができますよ。こんな弁護士を雇ってお金をドブに捨てるような真似もしなくて済みます」花恋ママに診断書を向けてあげる。
「話になりません。警察に訴えないのは将来のある子供だと思ったからこそです」おー、怖い怖い。弁護士が子供相手に怒った。私の言った言葉のどの部分に怒りを覚えたんだろう。
弁護士は私を無視してお母さんと話をしようとそちらを睨みつけている。
「じゃあ、五分だけ、考える時間をもらっていいですか? 冷静になりたいので」
私の提案に、校長先生は頷いて、弁護士も怒った顔を鎮た。
私はお母さんにスマホのタイマーで五分をセットさせた。
「五分は短いようでたくさんのことを考えられます。その間に、真実を見つめ直して、過ちや間違いがあればそれを正して、どうすべきか考えましょう。そちらは花恋ちゃんに確認を取るのもいいと思います」
私は「では」とスマホタイマーをスタートさせた。
校長先生がそわそわしているのは、穏便に終わらせたいからだ。だからさっさと私たちに謝って欲しいのだらう。
一方の弁護士は余裕だ。脅せばなんとかなると思うのは力を持った人間が陥りやすい落とし穴だ。この五分の重要性など考えもしない。
で、この花恋ママは哀れだ。私がこの部屋に入って来たときの私のお母さんと似たような顔色になっている。調子に乗ったヤツがやり過ぎてしくじったときの表情だ。
さて、私は、この五分間を有効に使おう。
彼らの意識の中から私は席を外した。
五分後にタイマーが鳴って当たり前だが五分が経過したことを知らせた。
タイムアップ。
「あなたがたのお考えに変わりはありませんか?」
私の問いかけに、弁護士が顔を上げて何か言っている。
校長先生は私のお母さんにこの人たちに謝罪するようにと勧めている。
花恋ママは最後の気力を振り絞って弁護士に追従してる。
ならば、彼らには彼らに用意されているふさわしい社会的制裁を受けてもらおう。
そう思いながら、彼らの姿を見た。人を傷付け、なお尊大な態度で反省など微塵もない、クズども。
ダメだ。それではダメだ。でも、あぁ、もう、我慢できない。
「サヨナラ」
私は授業中ずっとおしっこを我慢していた子がようやくチャイムがなったときみたいに、自分を抑えられなくなって、勢いよく席を立ってしまった。




