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(六十四)

   (六十四)


 記憶がある。


 二人はきのう男たちに襲われ、拘束されて乱暴されそうになったことを覚えている。やっぱりあの状況では力を十分に使えていなかったんだ。

 あのとき、きらりはかなり疲れてしまってた。


「私たち、いろいろ考えたの。あいつらがあんなふうに死んだのは、あれはぜったいクマなんかじゃない。それでね、誰が守ってくれたかね、分かったの」あみちゃんはそう言いながら、私の唇に言葉を遮るように人差し指を当てた。

姉妹(きょうだい)になったら、こんどは私たちがきらるちゃんを守ってあげるからね」

 この子たち、私がなにかの力で二人を暴漢から助けたと気付いてる? いや、たまたま偶然が重なって、私が助けたものだと奇跡的に思い込んでいるんだ。

「しよ」あみちゃんが私の左手を取って、顔の前に上げた。なにを〝しよ〟なんだろう?

「まみこ」まみちゃんに声を掛けると、くりっとした目で頷いて私の人差し指を摘んで自分の方に向けた。まみちゃんはもう片方の手に、どこから出してきたのか、小さな安全ピンを持っている。

「心配ないよ、まみこの、全然痛くないから」

 あみちゃんの言葉と状況に私はすぐに分かった。この子は私の指をピンで突こうとしている。

 まみちゃんは私の指を口に咥えると、消毒のつもりなのか丁寧に舌先で探るように舐め始めた。少し上目遣いで私の表情を見ながらのそれはゾクゾクしてウットリして気持ちよくて、一言でいうと、とてもエッチで、いつの間にか私の方から指を動かしてまみちゃんの舌にじゃれついていた。

 まみちゃんの唇から離れた私の指はてらてらと濡れて柔らかにふやけて、ヒクヒクと別の生き物のようにうごめいていた。まみちゃんはその指先にすっとピンを突き立てた。

 あっ、と思ったけど、痛くなかった。ピンが刺さった感覚はあるのに、ウソみたいにほんとうに痛くない。そんな気がする。

 ピンを抜いた痕から、滲み出た血がドーム型に雫を作っていく。

 あみちゃんがそれに唇を寄せて、チュッと吸うように舐め取った。それで、あみちゃんがその指先を絞るように摘むと、またそこに雫が生まれてくる。こんどはまみちゃんがそれを舐めた。

 私の血が二人の中に入っていった。

「きるこの血は桃の味だね」あみちゃんが耳元でうっとりするような声で囁く。

「私は……、桃?」その妖しい言葉にドキッとする。

「ほら」

 あみちゃんに促されて、まみちゃんを見ると、もう彼女の指先に血の雫が湧き上がっていた。いまにもこぼれそうなそれを私は急いで小さな指先ごと口に含んだ。途端に口の中にまみちゃんの血の味が広がった。

「まみこのはマンゴーでしょ?」あみちゃんの囁きに、確かに口に広がるのがマンゴーだということに気付いた。血ってこんな味だったっけ、もっと鉄っぽい味じゃ…………。

「はい」

 ぼうっとしてる目の前に、あみちゃんの指が差し出された。赤い雫がこぼれ落ちそう。

 私は夢中になってあみちゃんの指を咥えた。

「あみこ姉ちゃんのはメロンなんだよ」

 私は何度も頷いた。頷きながら、あみちゃんの指を搾り取るように吸った。

 いま、私の中にあみちゃんとまみちゃんの血が流れている。

 私たちは、お湯の中で三人で抱き合った。まるで、ひとつの生き物になったみたいな気持ちになった。

「きょうからきらるちゃんは〝きるこ〟だからね」

「きるこ?」kill子? 切る子?

「そう、私が〝あみこ〟、それで繭美(まゆみ)は〝まみこ〟。姉妹(きょうだい)だけの秘密の名前だからね」

「誰にも内緒だからね!」あみちゃんの説明にまみちゃんが念押をした。

「あみこ姉ちゃんが長女ね、きるこが二番で私が末っ子」

「えっ、私が長女じゃないの?」五年生の私が一番年を食っている。

「もお、新入りが何言ってんの! あみこ姉ちゃんが一番に決まってんじゃん、図々しい。ホントはきるこなんか一番下っ端なんだけど、末っ子が一番可愛い子って言うから仕方なく私が三番ってことにしてやってんだからね!」

 末っ子が可愛いっていうのは意味が違うと思うけど、いきなりまみちゃんの態度がでかくなったのに、あみちゃんが何も言わずに笑って頷いてるところを見ると、この子たちは姉妹(きょうだい)と言うより手下が欲しかっただけなんじゃないだろうか。

 ひょっとしたら、私はこの子たちの殻を破りすぎてしまったのかもしれない。

 まあ、血の儀式と言う恐ろしい雰囲気に飲まれてたけど、中身はほっこりとしたごっこ遊びでほっとした。私はこの子たちのお世話係って感じで、仲良く遊んでもらうことにしよう。

「じゃあ、きるこの初めてのお仕事ね」まみこの指令は二人の体を心を込めて洗ってあげることだった。お風呂は三日ぶりらしい。きのうは始業式の前の日だから入りたかったけど、変なことがあったし、お母さんの帰りが遅くなったからやめたんだと言う。

「はい、きるこは女の子洗いが得意です!」

 私は勢いよく手を挙げて、あみこ姉ちゃんに「元気がいい」と褒めてもらった。

 私はいままで覚えた知識と経験を存分に活かして、全身全霊を込めて、二人が洗い場の床で動けなくなるぐらい丁寧に洗いまくってあげた。

 それで、まみこは私のことを少しは見直してくれたみたいだった。



 ドアホンのチャイムが鳴ったのは、体洗いのお礼にと、リビングの床に転がされて、まみこからデンキアンマされていたときだった。その頃には私たちはすっかりおバカになっていた。

「いまごろ誰だろう」

 まみこに〝こちょこちょ攻撃〟で反撃しようと考えてたのにと、ため息混じりでドアホンの応答ボタンを押して「はい」と応えた。

 モニターには女の人が映っている。

『清川ですけど、こちらに鮎美たち、伺ってませんでしょうか?』

「あ、お母さん!」

 私の後ろでお尻にパンパン往復ビンタしていたまみこが叫びながら玄関に走っていく。

「まみちゃん! 服、服!」この格好を保護者には見せられない。


 仕事が早く終わったというお母さんと仲良く帰っていく二人はほんの一瞬だけ寂しい瞳をみせた。

 重い事情を抱えた家族が暮らしていくのは大変なことで、当たり前が当たり前じゃない。

 週二回のお風呂も、給食のない日のお昼が水だけなのも、あの子たちの当たり前なんだ。それで、お母さんが、突然早く帰ってくることも。

「いつもお世話になっています」

 そう言って私に頭を下げたお母さんは、凛として真っ直ぐで少しも翳りをみせなかった。

 正しく生きたいと願う人の姿だ。その瞳の輝きにあみちゃんと同じ強さを感じた。

 そうか、あみちゃんの強さは守られている強さじゃない。守るべきものがある強さなんだ。

 お母さんがあみちゃんたちを守ったように、あみちゃんもお母さんを、まみちゃんを、命懸けで守る覚悟がある。そんな強さだ。

「こんな変な小学生に丁寧な言葉遣いできちんと頭を下げて……」あの人の前では、思慮浅薄な自分が恥ずかしくなる。

 お世話するとかされるとか、そんな関係じゃない、同じ立場で生活できる世界。誰もが明日に希望をもてる世界。そんな世界を私は作らないといけないんだ。


「きらりきらきらおほしさま」


 何も起こらない。

 いまの私では蚊も退治できないだろう。これではまみちゃんはムヒ使い放題だ。きょう、このリビングであの子だけ三箇所刺されてたっけ。

 みんなが平等に一箇所ずつ刺される世の中も、なかなか来そうにない。

 あみちゃんに「塗って」とムヒを差し出して甘えていたあの子を思い出してちょっとだけ寂しくなった。

「私も、甘えて欲しかったな」あのムヒは私が出したヤツなのに。

 それで、私が一番甘えたがっていたことに気が付いた。一人でいると、辛いことを思い出して、なおさら寂しい。



 思い掛けず早い時間に一人になって、私は元々のコドモのイエに来た目的を果たすことにした。

 あの子たちと遊ぶ約束をしなくても、私はここに来なければならなかった。


 三階の秘密基地。


 私はエレベーターを利用した。一歩一歩、階段を上がる勇気がない。


 私はあの後、あの部屋をそのままにしてイエを出た。

 そのときの光景を思い出す。


 疲れて泥のように眠った彼。

 異臭のする洗面器。

 血のついたタオル。

 ゴミ入れのティッシュの山。

 部屋にこもった吐き気を催すような生臭いオスとメスの臭い。

 そして、ドロドロになった私の体。


 ほんの少しでも私にまともな感情が残っていたなら、あの部屋に火を放っていただろう。私はあのとき何もかも失っていた。

 でも、片付けなければならない。私の現実と向き合わなければならないのだ。

 部屋のドアの前に立って息を整えた。

 仕方ないことだ、この中には、ほんとうにあったことがある。

 気持ちを奮い立たせてドアノブを回した。


 部屋の中は片付けられていた。


「どうして……?」


 部屋に入って、座椅子の上に立った。

 最後の『世界さん』の力で、部屋をリセットしたんだろうか。

 いや、違う。座椅子のシミ。ゴミ入れにこびり付いた粘液。テーブルの下の液体がこぼれた痕跡。そして、それらが混ざった微かな臭いが部屋の中に残っている。

 〝力〟を使ったなら、なんの痕跡も残さないはずだ。これは、人間(ひと)の行為の跡だ。

「あっ」

 そうだ、洗面器。お風呂に入ったとき、ちゃんと洗面器があったじゃないか。タオルだって、洗い立てみたいな清潔なのが元の場所に置いてあった。はしゃいでて気付かなかった。

 やっぱり、誰かが片付けたんだ。

 私か? いや、そんなはずはない。

 だとしたらけーくんか? 目が覚めて、自分のしでかしたことに気が付いたか、それとも寝ぼけた意識のままか、この部屋の証拠を消そうとした?

 それとも、他にこの部屋に入れるのは、鍵を持ってるプリンちゃん夫婦かショコラちゃんか。

 プリンちゃんたちは〝博物館(ミュージアム)〟でそれどころじゃないはず。

 ならばショコラちゃんか。

 ここで何があったのか、誰がこの部屋の証拠を消し去ろうとしたのか、〝力〟を使えば容易に知ることができる。でも、いまは光の粒子がない。

〝栓〟を抜いて『世界さん』を使うか、なにか幸福を感じることをして、光を集めなければどうしようもない。

 でも、せっかくの〝栓〟を抜きたくないし、幸福を感じることと言っても、いまこの場で〝おまた〟をする気分でもない。

「もう、いいや」あれを片付けなくて済んだんだから、もうそれでいい。

 私は半ば開き直る気持ちで、座椅子にどすんとお尻を落とした。

 ショコラちゃんに知られたなら、何か言ってくるだろう。それでいい。それに、ショコラちゃんが知ったなら、既にけーくんが何か言われてる可能性もある。

 そう考えて、私はショコラちゃんに確認したい別のことがあったのを思い出した。

 コドモのイエの設立に協力してくれたひとについて、聞こうと思ってたんだ。けど、もしかして、アレをショコラちゃんに見られたかもしれない、知られたかもしれないと思うと、電話するのに抵抗がある。

 私はスマホを手にして、アドレス帳を開いたまま、ショコラちゃんのナンバーをじっと見詰めた。

 ぐっと考えて、あみちゃんたち家族の顔を思い浮かべて、私は画面のナンバーをタップした。



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