(六十二)
(六十二)
三年の教室を覗くと、あみちゃんは人気者だった。
無理もない、あの子の愛らしさは人気子役のレベルを超えてると思う。周りを男子も女子も何人ものクラスメイトが取り囲んでて、口々に言葉を投げかけて、押したり掴んだり引っ張ったりで、なかなか帰してもらえないようだ。
まみちゃんに、廊下で待ってるか聞いたら、一緒に行くって言うから、手を繋いだまま教室に入った。
「あみちゃん、帰ろう」声を掛けると、ようやくみんながこちらを向いた。
普通、他の学年の子が教室に入ってきたら異物を排除するみたいにすぐに誰かが気付くもんだけど、よっぽどあみちゃんに夢中だったんだろう。
あみちゃんは、少しだけ驚いた顔をして、周りの子は、胡散臭いものを見る目で私を見た。その目にはお楽しみを邪魔した恨みの色も入ってる。
うーん、胡散臭いとおしっこ臭いはどっちがマシだろう?
「あみちゃん、人気者だね!」
彼女としては、こういう場面を知ってる人に見られたくないって恥ずかしさがあると思うけど、まみちゃんだって気付いてて心配してたんだから、放ってはおけない。
まみちゃんと繋いでる反対側の手であみちゃんの手を取ると、あみちゃんの正面にいた子がボソボソと、それでもちゃんと聞こえる大きさの声で、独り言をつぶやいた。
「うわっ、人殺しの仲間が来た」
なるほど、そういう方向で独自のコミュニケーションをはかっていたんだと納得した。
貧乏ネタの方じゃないんだ。
あみちゃんまみちゃんのお母さんは執拗なDVと子供へのあらゆる虐待の毎日に、二人を守ろうとしてお父さんを殺害してしまった。二人に行われたあらゆる虐待の〝あらゆる〟が女の子にとってどういう意味かは、想像に難くない。
お母さんの弁護士の人は裁判で正当防衛を主張したけど、結果は過剰防衛で懲役三年、執行猶予五年。それでも、実刑が付かなかったのは幼い二人の子供を養育する必要があると裁判所が判断したからだ。その事件のせいで、この子たちの家庭はいっぺんに貧しくなった。
もちろん、このあみちゃんファンクラブの子たちもその辺りの事情については知ってるはずだ。
先生の話が終わったんだからさっさと帰ればいいのに、しつこく残ってるのは新学期が始まるストレスをさっそく晴らしておこうと言うことか。
私は、『霧山花恋』というエッチな動画に出てくる女優さんみたいな名札をぶら下げたその子を、優しい思いやりたっぷりの憐れみの目で睨み上げた。殺さなかったのがその優しい思いやりの表れだ。
私は三年生の教室はあんまり好きじゃない。
私のクラスのみんなは私のことを〝三年生〟と呼んだりする。それはもちろん背の高さもあるけど、それよりも胸とか顔立ちとか胸とか雰囲気とか胸とか――だって男子の注目ポイントはほぼほぼ胸ばっかりだから――、当然五年生なら芽生えててもおかしくない女の子としての特徴がまったく認められないからに他ならない。〝四年生みたい〟だとリアルすぎてイジメっぽいけど、〝三年生みたい〟なら幼いことを強調してほんの少しの〝可愛いね〟、を含んだようなユルさが、ちょっとしたからかい程度に収まってる感じなのだと、言ってる側は思ってるようで、私もギリギリ許容の範囲で収まっている。
でも、実際にこうやって三年生の教室に来ると、同然ながら私の方が平均的に背が高くて、あみちゃんも私より三センチ小さくて〝お姉さん〟感があるんだけど、結構な数の子が私より大きくて、中にはこの子のようにはるかに巨大な女の子がいるからだ。
三年生相手ならぜひとも見下ろしてやりたいのに、上を向かなきゃならない。ひょっとしたら、この子は私を五年生だなんて思ってないかもしれない。
(人殺しの仲間かぁ。私の方がきのう五人殺してるんだけどなぁ)
「あなたのお母さんは人を殺さないの?」見上げて首が疲れるついでに、未来のエッチ女優に質問を投げかけた。
「当たり前でしょ、あんたたちとは違うのよ」
なるほど、いかにも生意気で高慢な顔をしている。自分が世界を支配しているんだと信じている愚者の目だ。そういう思い上がった過信がいつか自分を深く傷付け大切な人を失い列車に飛び込もうなんて思うことになってしまうんだ。
「そうか、だからあみちゃんが羨ましいんだ」
「なんで私がこんな子を羨ましがらないといけないのよ!」
「知ってるんでしょ? あみちゃんは人を殺してでも守りたいだけの価値があったのよ。でも、あなたは守って貰えない。あなたのお母さんは命を賭けてでもあなたを守ろうとはしてくれない。だって、愛されてないんだもん。例えて言えば、あみちゃんは宝石、あなたは石コロ」
「私、ちゃんと愛されてますぅ! 服だってなんだって、その子みたいなボロボロじゃないし、私の方が宝石だよ!」やっぱりこいつ小学生だ。
「それ、愛情じゃなくてお金掛けてるだけだから。ほら、あなたの家、犬飼ってるでしょ? チワワ、まだら模様の、妖怪みたいな目玉したヤツ。お母さん、可愛がってるよね、毎日抱っこしたり撫でたりして。でも、あなたはいつお母さんに抱っこしてもらった? 撫でてもらった?」
「変なこと言わないで!」答えられないでしょ? あなたがお母さんに抱っこされたのははるか記憶の彼方、太古の昔のことだもんね。
「抱っこしてくれないよねぇ。だって可愛くないもん、こんなふうに他の子いじめるような性格の悪い子なんか。あみちゃんは毎日抱っこされてるよ。いい子だって撫でてもらえてる。値打ちが違うんだよ、あなたとは。あなたはチワワ以下」
「うるさい! 犯罪者!」
まあ、そうだけどね。花恋ちゃんは余っ程腹が立ったのか、思い切り胸を押してきた。ひよっとして、私のぺったんこな胸なんか押しても触れてもセクハラにはならないなんて思ってないでしょうね。
私は、そんな手荒なセクハラ女は放っておいて、周りの子達をぐるりと睨んだ。
「普通の親は、子供を命懸けで守るの。その覚悟があるのよ。あみちゃんのお母さんもそう。でも、あなたたちの親は違う。それは、親に愛情がないのかあなたたちに守られる価値がないのか、どっちなのかよく考えることね」
周りの連中の言葉は無視をして、あみちゃんとまみちゃんの手を引いて教室を出た。そもそも私はくだらない連中の言葉など端から聞く気はまったくないので、これで構わない。
玄関ホールに戻るまで、あみちゃんはずっと暗い表情で黙ったままだった。
ああいういじめを助けると、その場は切り抜けられても後で余計にエスカレートしてしまうんじゃないか、もっといじめられたらどうしようと、不安になるかもしれない。仕返しを恐れるのは普通の感情だ。でも、必ず守るから大丈夫だと、安心させてあげなければ。
私はあみちゃんと繋いだ手にきゅっと力を込めた。
「大丈夫だよ、安心して」
顔を上げたあみちゃんは、私の言葉に顔を綻ばせ、いつもの輝くばかりの美しい笑顔を見せてくれた。
私は思わずホールに立ち止まって、繋いだ手を解いてあみちゃんをぎゅっとハグしてしまった。
「大丈夫だからね」耳元でもう一度そう囁くと、 あみちゃんもきゅっと私の背中に手を回してくれた。お互いのランドセルがちょっと邪魔だったけど、二人の思いがあれば多少の障害は乗り越えられる。
――――ああ、お腹すいたぁ。きらるちゃん、大丈夫って。きっとなにか食べさせてくれるんだ、よかった。まみこのお昼が水ばっかりじゃ可哀想だもんなぁ。
ああ、そゆことか。
あみちゃんは強い。この子にとって、あれぐらいのいじめは、給食のない日のお昼になにを食べるかという心配よりもずっと小さいのだ。小学生は、たくさん食べて、どんどん大きくならないといけない時期なんだ。
考えようによっては、いじめよりも日々の食べ物の心配の方が大きい小学生って悲しいことなのかもしれないけど。
この子たちは、ほんとうに可愛くて、賢く、強く、健気で、美しく、オキシトシンをいっぱいくれる、尊い子たちだ。もう、褒めまくりにまくってしまいたい。
「あぁもう、私あみちゃんのこと、大好きぃ」ハグしたまま、思わず髪に頬ずりしてしまう。
あみちゃんが突然、体を強ばらせて、イヤイヤをするみたいに頭をぷるぷると小刻みに振った。顔を見ると、目をまん丸にしている。
「あ、違う違う、そう言う意味じゃないって、私、男が好きだから!」思わず声を上げたら、下足箱のところでクラスの男子が履き替えてたようだ。
「うわっ、やべぇやつ」
「白い変態たち」
私は北海道のお土産じゃあない。
あみちゃんはほっとしたように私から離れた。ひとまず、私をそういう子だという誤解は解けたみたいでよかった。
「あみちゃんまみちゃんのきょうの予定は?」
問い掛けに、あみちゃんが考えるように首を傾げる。
「ひつまぶし!」まみちゃんが美味しそうな声を上げた。家族でどこかに食べに行くのだろうか?
「暇つぶしでしょ」すぐさま訂正したあみちゃんの言葉に、頭に浮かんでたご馳走のイメージがみんなでエアキャップをぷちぷちする様子に変わった。
「なら、きょうは一緒に遊ぼうか? お昼も一緒に食べようよ」
私の提案に、まみちゃんが「やったあ」ってバンザイをする。
「あ、きらるちゃんいいよ。私たち、家で食べるし」
さっきの心の中と違うあみちゃんの答えに驚いた。
まみちゃんもあみちゃんの言葉にぎゅっと口をつぐんでしまった。小さいまみちゃんも、あみちゃんの言ったことの意味をきちんと理解しているということか。
お母さんに言わないでよその家でご飯を食べさせてもらうのはいけないこと、かな?
普通なら友達の家でご馳走になっても、ありがとうで済むことだけど、この子達の家では、ご飯を食べることさえも特別なことになりつつある。
ご飯を食べさせてもらうことで、友達との間で上下関係ができてしまうことへの不安や恐れがあるとしても不思議じゃない。
「あみちゃん、大丈夫だよ。あみちゃんもまみちゃんもコドモのイエの登録者だから、コドモのイエで食べたり飲んだりするのは全部無料なんだから?」
「あ、コドモのイエで食べるの……」あみちゃんが頷く。やっぱり、私の家でお昼をご馳走になるって思ってたんだ。家では絶対にひつまぶしは出ない。
私が誰かと一緒に帰るのは珍しい。
三人並んで学校を出ると、いつもの帰り道も景色が違って見える。
あの夏休みがなければ、私に新しい友達はできなかっただろう。いろんな人とも出会えた。
思えば、あの四十日前の焼けるような暑い日に、図書館に行くことを決めた、精一杯の勇気が、一歩を踏み出す気持ちが、私を大きく変えたんだった。
まだこんな私なのに、もう処女ではなくなった。感情の赴くままに人を殺した。この身も心も穢され、血に汚れた魔獣のような私が、こんな無垢な子供たちと楽しい時間を過ごしてもいいのだろうか。
私は右手に繋がる小さな女の子を見詰めた。私を見上げてニコニコ顔で歯を見せるまみちゃんも、姉以外の友達と帰ることは、いままでなかったのかもしれない。
私がこの子たちといる理由はなんだ?
私がコドモのイエにいるのはなぜだ?
憧れの〝高森さん〟は私を恋人の白井文香と思ったまま、私を奪った。彼にとって私は幻でしかなく、代用品にすらなれない。
もう、〝世界中の子供たちが希望を持って生きられる世界〟なんて、どうだっていいじゃないか。
「じゃあ、一旦家に帰ってランドセル置いてから、コドモのイエに集合ね」別れ道まで来て、繋いだ手を解いて二人に声をかけた。
「はーい!」まみちゃんが元気よく手を挙げる。あみちゃんも、笑って頷いた。
いいんだ。こういうことで。こんな小さな楽しいことの積み重ねで、笑って生きていられるなら。
強いて言うなら〝意地〟でいい。
意地でも、世界中の子供たちを幸せに……。いいや、もうそんなことは本当にどうでもいい。意地でも私が幸せになってやる。一番大切だった、失ってしまったきらりのためにも。
「また後でねぇ」私は、まみちゃんの頭を撫でて…………。
「……あっ!」
説明会が終わったあと一緒に帰ろうって、お母さんに体育館で待っててもらってたんだった。
私の呆然とした顔をあみちゃんが気の毒そうに見てる。
お母さんの怒った顔を思い浮かべたら、私の幸せがほんの少し遠のいた。




