(六十一)
(六十一)
学校に着くと、お母さんと別れて教室に入った。お母さんは始業式が始まるまで体育館で待機だそうだ。中は朝から暑くて大変だと思う。
集団登校なので、教室にいる顔ぶれは毎日ほとんど変わらない。その中で、吉森くんの家は学校に近いから集団登校の班には入っていない。彼はいっつも最初に来て、ゆっくりとランドセルの中身を机の中に移している。
私は教室の中身にまんべんなく「おはよう」をふりかけながら、彼の動きを観察してた。別にどうということはないけど、きのうちょっとだけ彼のことを考えたのを思い出したからだ。それで、なんとなく顔が熱くなりそうな気配を感じた。朝っぱらからよからぬ妄想は乙女じゃない。
吉森くんが顔を上げたので、そちらに向かってにっこりと手を振った。
「おはよう」
「お、おう」私の挨拶に彼はとても驚いたみたいだった。〝おう〟だなんて、すっかり男の子みたいだ。
机にランドセルを下ろして、中身を机の中に放り込む。多分、私の方が吉森くんより仕事は早い、雑だけど。
「きらるちゃん」
後ろから、呼び掛けられて振り向いた。
篠原凛音さんは、〝ちゃん〟で呼ぶほど親しくはない。もっとも、クラスにそんな親しい子は皆無だけど。
篠原さんは、クラスでは大人しくて目立たない子だけど、体格だけは大人っぽくて目を引く存在だ。
彼女も私を下の名前+ちゃんで呼ぶことは、夏休み前までなかったことだ。私が不思議そうな顔で見てると、篠原さんはほんの少し目線をずらした。
「ごめん、あの、ネット見てたら〝きらるちゃん〟って載ってて、なんか可愛くてつい呼んじゃって……」体格は大きいけど、性格は控えめのせいか、声も自信なさげで小さい。この子なら堂々としてれば中学生だってビビりそうな雰囲気があるのに。
ネットでってことは、コドモのイエのホームページを見てくれてたんだろうか。
「ううん、いいよ。みんなそう呼んでるし、私も凛音ちゃんって呼ぼうかな?」
篠原さんが少し照れたように笑って頷く。
「ねえ、コドモのイエってなくなっちゃうの?」
いきなりだけど、事件のことだ。ホームページには、ショコラちゃんが書いた謝罪のコメントが載っている。
「ああ、なくならないよ、また子ども食堂も始めるし」私は何事もなかったような顔をした。会のお金の問題はプリンちゃんの新しい旦那様のおかげでなんとか解決できそうな感じだけど、いまはまだ多分〝博物館〟で忙しくしてるんじゃないだろうか。
「あそこって、貧乏な子供を助けてくれるんでしょ?」ざっくりな言い方だけど、間違いじゃないので頷いた。
「そだよ」私の言葉に篠原さんは周りを気にするように顔を左右に振った。
「お金って、貰えたりするの?」
「あー、そういうのはやってないなぁ。子ども食堂とか、放課後の遊び場とか、無料の塾とか……」ミントちゃんが補助金をせしめることができる活動だけをチョイスしてたから県とか市の制度のリストに載ってる活動しかやってない。
「やっぱりそうだよね……」篠原さんは、残念という色と仕方ないという色をパレットで混ぜ合わせた表情で唇を結んだ。
「お金が要るの?」
彼女の口元が何かを言おうと解けそうになったとき、隣の席の子が「おはよう」とやってきて、篠原さんはふいっといなくなってしまった。
篠原さんに、なにかあるのかなって、彼女の心を探ろうと思ったけど、隣の子が私の服の隙間からおっぱいが見えそうだと言ってきて、そっちの話題に夢中になってしまった。
体育館での式が終わって教室に戻ると、先生が来るまでの間、教室の中はふたつの事件の話で持ち切りになった。うちのクラスでそれぞれの現場を目撃した子がいたからだ。
「学校に消防車とか救急車とかパトカーまで集まってたから火事かと思ったらさ、よく見たら屋上で人が死んでんだぜ!」
「なんで屋上で人が死んでるってわかるんだよ」
普通、学校の外から見て屋上で人が倒れてるのなんか見えるわけがない。なのでみんなの疑問はもっともだけど、それがわかるんだよなぁ。
屋上に設置されてる避雷針に黒服に身を包んだ人間が焼鳥みたいに串刺しになってたんだから。
事件は、きのうのお昼まえ、ここ山北小学校と聖隷中学校、それに貴志の開聖病院の三箇所で同時に発生した。被害者の三人は闇バイトで集められた大学生でお互いの面識はなかった。当日の行動や依頼者との関係を示す証拠はすべて消した。
私は残念ながら現場を見てないけど、凄かっただろうなぁ。
刺さったあと、少しの間、意識が消えないように生かしておいたから凄まじい苦しみだったと思う。私を襲ったお仕置にしては優しい方かもしれないけどね。
推理好きの誰かが〝その三箇所には意味がある〟と言って、三箇所を線で結んで「三角形になる!」とか、そりゃ当たり前じゃん。まあ、その意味ぐらい警察だって調べるだろうけど、中には〝クマ事件〟との関係を指摘する子もいて、なかなか感心させられる。
〝クマ事件〟と言うのは昨日の夕方に私の家の近所で起きた。
具体的には白井さんの家の前で、男の人が二人、死んでたってことなんだけど。それがクマにでも襲われたみたいに酷い有様だったらしい。
まあ、その二人は小学一年生のまみちゃんまで襲おうとしたんだから、仕方ないよね。お金のいいバイトでも仕事の内容は選んだ方がいい。
依頼者への警告も兼ねてその人の家の前で丁寧に処理してあげたのだ。あんな状態でも身元がわかって家族の元に帰れたのは幸せだと思う。日本の警察は優秀なのだ。
その第一発見者がうちのクラスの女の子で、山で修行した帰りだったそうだ。
「もう、ぐっちゃぐちゃでね……」
あれを見たのが言い難いこともケラケラ笑いながらハッキリ言う明るい性格の子でよかった。
「家の前でダンプに轢かれてバラバラになった犬を集めたときより酷かった!」この子ならきっとトラウマになったりしないだろう。
「それがさ、二人ともおちんちん、ブチってちぎられてたんだよ、犯人は絶対メスのクマ」
近くにいた男子の股間を引きちぎる真似をして、それを口に放り込んでむしゃむしゃ頬張る格好をする辺りはこの子が犯人でもおかしくないと思ってしまう。でも、クマは人間のオスなんか多少イケメンだったとしてもなんとも思わないだろう。
あんなふうに徹底的にやるのは野生生物じゃない、人間だけだ。
事件もあって、きょうは始業式だけになった。
教室で先生の話と夏休みの宿題の提出があって、明日からの時間割も配られた。明日から短縮授業もなく、いきなり六時間目まである地獄の毎日だ。
うんざりしながら、またランドセルを背負う。一週間ぐらい四時間目までの短縮ってことにしてしまおうかと、真剣に考えた。
そういえば、篠原さんは速攻で帰ったのか、すぐに教室からいなくなっていた。
ホールの下足箱で白靴に履き替えていると、校舎の出口で外を向いて立ったまま、右足を後ろ向きに上げて足首を掻いてる女の子がいた。
一年生か二年生といった感じの小さなその子は次に首の後ろを掻いて、そのまま左の袖口辺りの肩を続けて掻くと、それから右の太腿に手をやった。青いデニム地の短めのスカートで、太腿の上の方を掻くのは危なっかしい。その後、またその子の手は足首に戻った。無我夢中というか無の境地というか、足首、首、肩、太腿のローテーションで、一心不乱にポリポリと掻いていく。
(なんか、こんなのが英語の遊び歌であったなぁ……。へッドショルダーズ二ーズアンドトーズ……)
三周目で、太腿の痒みの位置が外側から内側の脚の付け根辺りに移動したらしくて、掻いてる部分が危ないし、スカートが捲れてきてるのも危ない。この世界でこの子だけが四箇所も蚊に刺されてるのは奇跡と言っていいかもしれない。
「まみちゃん?」声を掛けたら、股の間に手を突っ込んだまま、こちらに振り返った。
「手、手」私の言葉に、まみちゃんははっとして手を抜いてスカートの裾を手のひらで叩くように直した。ちゃんと淑女としての自覚は芽生えている。
「お姉ちゃんを待ってるの?」
「うん」と頷くまみちゃんにムヒを出してあげる。
「塗ってあげようか?」まみちゃんはにっこりと私にくるぶしのところにできた赤い膨らみを向けてきた。
まみちゃんは可愛いし、お姉ちゃんのあみちゃんは面倒見がいいので、この子は甘え慣れている。賢いし、割と器用でなんでも一人でちゃんとできるんだけど、誰かがやってくれるなら、自分ではやらない。なるほど、『なんでもできるけどなんにもしない』子って、結構いるんだ。おまた近くの虫刺されにムヒを塗りながら、ふとそう思った。
(この微妙なところであっても「自分で塗る」って言わないところが却って潔いいね)
下着の上に一部丈の黒いスパッツを穿いてるんだけど、しゃがんでスカートを覗き込んでる私の格好が、なんか妖しげな気がする。どう見ても周りからは、小さい子のスカートを覗いておまたをいじってる変な子と思われそうだ。
そんなふうに疑われるぐらいならいっそほんとにいじってしまおうか、なんて妄想が浮かんで、思いっきりドキドキする。
「ねえ、きょう、コドモ会ある?」
コドモのイエのことだろう。塗ってもらってるからか、声がとても気持ちよさそうだ。
「うーん、お昼から開けようかな?」どうせ暇だと思うし、せっかくだから二人に利用者の意見ってのを聞くのもいいだろう。
決して、まみちゃんともっと特別に仲良く遊びたいなんて邪な気持ちが芽生えたということではない。
必要以上にこの部分に時間を掛けて丁寧に塗っているのにはっとして、顔を上げてスカートの裾を直してあげた。
「ありがと」まみちゃんはにっこりと頷く。
身の回りの世話をしてくれたメイドに〝ご苦労さま〟って言ってるみたいな感じだ。意外と肝の座った貴族の淑女なのかもしれない。そこがまた、可愛い。
「ね、ハグしていい?」耐えきれずにまみちゃんに聞いてみたら、頷きながら、しゃがんだ私の背中に手を回してくれる。私は膝をついてまみちゃんをぎゅうっと、ぎゅぎゅぎゅうっと抱いて、うっとりとした。
「あ、変態女」
「やべぇやつ」
後ろの方でうちのクラスの男子の声がして、私に対する星一つのレビューを述べながら通り過ぎて行ったみたいだけど、事実なので気にしない。でも、もしあの子たちが私のカスタマーになったら、絶対に星五つ付けたくなるに違いないんだから!
まあ、彼らの方を向いてるまみちゃんは気まずいかもしれないけど、少しの間だけ目をつぶっといて欲しい。
(けど、気持ちいいっ! オキシトシン注入…………)
こういう肌の触れ合いは光粒子エネルギー獲得に最適だ。特にまみちゃんはちっちゃくて癒される。
――――あみこ姉ちゃん遅いの、また、いじめられてるのかなぁ。
ああ、そゆことか。
「ね、あみちゃん迎えに行こっか?」
私はまみちゃんの手を握った。




