(五十八)
(五十八)
【ねえ、口、疲れない?】
きらるが乙女に口付けを続ける私を思い出したように頭に手を置いて優しく撫でた。
(平気)きらるの気持ちが奥から伝わって来るみたいで、こうしているのが心地いい。
【じゃあ、このまま、最後まで、幸せをいっぱい……、いい?】きらるが私の頭をポンポンする。
私はきらるの真ん中で頷いて、舌で返事をした。
きらるはまた黙って星を見上げた。おへそが呼吸に合わせてゆったりとお腹で浮き沈みしてて、その波は次第に速く大きなうねりになっていった。
この子は私と同じきらるなのに、私と違う反応で、穏やかさと激しさがあって、甘くて、苦くて、赤ちゃんみたいなミルクの香りと熟した洋梨のような女の匂いと、どこかで感じたことのある不思議な生き物を感じさせる香りの空気をまとっていた。
きらるの気持ちは私を待ちわびていたみたいに一気に燃え盛り、膨れ上がって、やがて超新星のように激しい爆発を迎えた。
それで、また座椅子のリクライニングを元に戻して、ふたりは並んで座っていた。
きらるはぼんやりと私を見詰めている。彼女の周りに広がる喜びの余韻はまるでかに星雲のように不思議な輝きを放っていた。
きらるが手を伸ばして、私の唇にそっと触れ、優しくなぞるように指を動かした。それは自分を頂点へと導いた私に対する労いだと思った。
【ねえ、きらり、報告があるの】
いつも一緒にいるのに〝言いたいこと〟じゃなくて〝報告〟という改まった言葉を使ったことが不思議な気がした。
(なぁに?)私はちょっとふざけた感じで首を傾げた。
きらるがなにか考えをめぐらすみたいに瞳をくるっと動かして、それで小さく顎を引くみたいに頷いた。
【私ね、きょう、キスしたんだよ】
きらるはちょっとはにかむように小さく【ファーストキス】って付け加えた。
女の子同士のキスもある。いままでだって、弥生ママとかショコラちゃんとか。でもきらるの言う〝ファーストキス〟は、間違いなく男の子とのことだ。
私がドキドキしながらきらるへの言葉を探してるうちに、きらるが先に相手の名前を告げた。
【けーくんと】
それは、そうだろうと思う名前で、そうであって欲しくて、それ以外であってはならない名前だった。
でも、きらるもけーくんのことを好きだったんだ? そして、けーくんは、白井文香じゃなくて、私……、じゃなくてきらるを選んでくれたんだ。
(そうなんだ……)それは、よかったことなんだろう。
【怒んないの? きらりのキスなんだよ】
そう、きらるのキスと言っても、体はひとつなんだから記憶がなくても私のキスでもあるんだ。
でも、記憶がないと実感もない。そこに事実をなにも感じない。
(うん、それは、きらるのキスだもん、きらるが表にいたからけーくんはそういう気持ちになったんだから。だからきらるがよければそれでもいいんだよ)
きっと、きらるは私にキスしたことを認めて貰いたかったんだ。きらるが私の力を理解しようとしたのと同じように。
(で、どうだったの、彼とのキスは?)
聞いてあげよう。それが二人のキスを認めてあげることになる。
【なんか、ぬめってしてて、ぜんぜん初めてって感じじゃなくて、爽やかじゃなかったな】
きらるがわざとらしく唇を尖らせてる。きっと〝よかった〟に違いない。
(しょうがないよ、だってあの子はあのけーくんないんだもん)
【その割には、下手くそだったな。勢いばっかりの力任せで、はぁはぁ言ってて】
きらるが犬が走った後みたいに口を開けてはぁはぁ荒い息をしてみせる。
(やだぁ、それ。やっぱけーくんってキスは下手くそなんだぁ)
私の言葉にきらるが頷く。はるか昔にけーくんが女の子に言われてるのを盗み聞きした〝キスが下手くそ〟って言葉がずうっと耳に残っていたんだった。そういえば、あの子は白井文香じゃなかったなぁ。
【でも、一生懸命なのは認めてあげるよ。いい子いい子って!】
初めてのキスって、本当はどんなだろう。いきなりだったら、憧れてたのとちょっと違ったりするのかもしれない。けーくんってエッチだから、きっとコーフンしてきらるにしがみついてたんだろうな。この子の〝初めて〟なんだから、笑って、喜んで、いい思い出にしてあげなきゃ。
私が微笑むと、きらるは、いい子いい子って言いながら、私の頭を撫でて顔を寄せてきた。
それで、私にキスをした。私はびっくりして、うっとりした。
【ほら、けーくんと、〝間接キス〟だよ】
私は、その表現に、本当に笑ってしまった。きらるは大丈夫なんだ。
(なんか、すごく上手なんだけど?)
【しょうがないよ、私はあんたなんだから、どうやっても下手くそになんかできないもん】
確かに、上手い子はどんなにやっても上手いし、下手な子はどうすればこんなに下手なのかって思うぐらい下手くそだ。
(そういえば、前に工作の授業で〝友達の顔〟って作ったとき、どうやればこんな酷いのができちゃうかってぐらい下手なのがあったよね!)あれは吉森くんだったな。私はああいうとろんとした子が見ててイライラするから苦手だった。
笑う私に、きらるは唇をすぼめて、なにか考えるみたいに鼻で息をした。それで、ちょっと寂しそうな目を下に向けた。
【あ、あとね、ぜんぜん大したことじゃないんだけど、言っといた方がいいかなあって……。聞く?】
ものすごく、もったいつけたような、意味ありげな口調に、ハッとした。きらるは吉森くんみたいな子が好みだったのかもしれない。亮平くんの雰囲気が彼に似てたからだ。私はきらるが大丈夫だと思って、ふざけて傷付けるようなことを言ってしまったんだろうか。
(なに?)私は、ちょっとびくびくして尋ねた。
【私、けーくんとキスして、それで、最後までしたから】
(えっ!?)この子は何を言ってるんだろう。
【エッチしたの。だって勢い止まんなかったんだもん。せっかくショコラちゃんにアレ貰ったのに、付ける暇もなかった】
予想してた内容と掛け離れてたきらるの言葉に、私は頭がついて行かなかった。
【ねえ、どうだった、って聞かないの?】
私はそんなことを聞きたいなんてぜんぜん思わなかった。
(どうだった……、の?)
けど、まるで私は意思のないロボットみたいに、ただきらるの言葉を繰り返してしまってた。
【よかったよ、すごく! 最初、一瞬だけ、ちょっとだけびっくりしたけど、痛いとか怖いとかなんにもなかったよ】
きらるがなにかを早口で喋ってて、私は凍り付いたまま、BGMみたいにそれを聞いていた。
【けーくん、すっごく優しいの! ものすごく、宝物みたいに大事にしてくれて、ぬいぐるみみたいに可愛がってくれて! 愛してくれてるってわかるの! キスはあんなに下手っぴいのくせに、けーくんのが気持ちよくって、もう感動しちゃったよ!】
私は耳に入ってきたきらるの言葉を、理科の授業で用語を覚えるときみたいに、頭の中で繰り返した。そして、そのいくつかの言葉が私の頭の中を激しく揺さぶった。
【私、あんまり気持ちいいから、初めてなのにおかわりしちゃった! けーくんが呆れるぐらい、三回も! 私ってば、きらりと一緒で変態さんだよね!】きらるがひゃあひゃあ騒いで、私はハッとした。
違う、きらるの入口は真っ赤に腫れていた。きらるはこんな大事なことをふざけたふうに言ったりしない。
(ねえ、きらる、なにがあったの!?)きっと違う。なにかが違う。
【なにって、エッチだよ、エッチ! ちゃんとセックスって言った方がいい?】きらるが息を切らして声を上げる。
(きらるってば!)私も大声で叫んだ。
きらるは私の声に押されたように止まって、大きく肩で息をした。
【言ったでしょ。したんだよ】きらるの言葉にさっきまでの力はなくて、ぼそぼそとつぶやくみたいだった。
(ほんとにそれだけ?)ほんとにきらるが愛されたのなら、もう仕方ないじゃないか。
きらるは首を振った。頭がもげるぐらい激しく振った。
【そうだよ、ただシタだけ! けーくんはずっと私に名前を呼んでくれてたんだよ! 〝フッカ〟ってさ!】
まさか、そんなことがあるなんて。
【キスだってそうだよ、いま言ったことぜんぶ、ぜんぶそうだよ! 優しいのも愛してるのも気持ちいいのもぜんぶ、相手が白井文香だと思ってやってたんだよ!】
(そんな……)すべてがそうだったなんて、きらるがそれをひとりで受け止めてたなんて。
【私、ちゃんと〝きらり〟だって言ったんだよ、あんたのことをちゃんと愛してあげてって言ったんだよ! でも、あいつ、私のお漏らしで……、あんたのおしっこでバカになっちゃってて!】
そうか、私の『世界さん』の力で、この子は予想通りあの部屋の中でお漏らしをしたんだ、それをけーくんに見つかった。
【私、やめてって、これ以上ダメだって! 止めようとしたんだよ。だってこの体はきらりに借りてるもんだから! 大事な体だから! でもね、おまじないが効かないの! ぜんぜん効かないんだよ! どんなに力を溜めておまじないをしても、けーくんは〝フッカ、フッカ〟って言いながら中に入ってくるんだよ!】
(きらる……)
なんて言えばいい、私はこの子になんて言えばいいんだ?
【私、バカだ! あんたと一緒にいて、私もおまじないが使えると思ってた。いざとなったらけーくんがバタって寝ちゃって、ハイおしまいって、心のどこかで思ってたんだよ! 必殺技みたいにさ! 普通の子はみんな〝おまじない〟なんかできないんだよ! 〝きらりきらきらおほしさま〟なんて、誰が言ったってもなんにも起こらないんだよ! あんたみたいな変態女じゃなきゃ無理なんだよ! 防犯ブザーの方がずっとマシなんだよ!】
私はきらるを抱きしめた。言葉は見つからない。この子を慰める言葉なんか、世界中を探しても、おまじないの力に頼っても見つけることなどできないだろう。
【ほんと、ちくしょうだ! ほんとに……、ほんと、バカで……。ごめん、ごめんね。私、私、けーくんにきらりだってわかって欲しかった! ずっと文香を思って私を抱いてるけーくんに、一回でも〝きらり〟って言わせたかった。だって、このままじゃきらりが可哀想すぎるって! 私、悔しくって! だから、私は文香じゃない、きらりだって言いながら、けーくんが私のことをきらりだって気が付いてくれるまで、何度も何度もしたんだよ!】
私はきらるの頭を抱いて、背中を撫でた。
この子の体の奥からこぼれ出す微かな匂いは、きらるに残るけーくんのものだったんだ。
【けど、あの子、一回も言わないの! 同じ名前ばっかり繰り返して! 私、この体を、大切なきらりの体を意味なく傷付けただけだったんだぁ】
きらるの興奮は治まらなかった。どんなふうに、どんな格好で、けーくんに認めてもらうためにきらるが試したかを血を吐くように叫んだ。
私は、耳を覆いたくなるようなきらるの言葉に、すべてを出し切れば、いつか落ち着くだろうと、彼女を抱いたまま涙を流した。
きらるは母親に甘えるみたいに私の胸に唇を寄せて、それから体に触れてきた。
けーくんとの出来事に苦しむきらるの好きにさせてあげようという気持ちが心の中を埋めていたから、そのときは気付かなかったのだ。
実のところ、きらるの指の動きに頭が麻痺していたところもあった。
熱い。
(きらる?)
きらるの体温が異常に熱かった。




