(五十三)
(五十三)
プリンちゃんがやってきたのは、子供食堂の他にどんな活動をしたいとか、どんな会にしていくかとか、大まかに、現実よりも夢の部分の多い話で盛り上がってた頃だった。
「こっちにいたの?」
ゆさゆさと扉を開けて入ってきたプリンちゃんは、「リビングに行ったら啓示くんが寝ててびっくりしちゃった」と、暑い暑いとワンピースの胸やお腹やスカートを風を送るようにバタバタさせながら、車座で隙間があった弥生ママの隣に割り込んだ。
ぺたんと座る姿が〝ぷっちん、ぷるるーん〟という効果音が聞こえて来そうなほど、滑らかにふるふるとプリン感がある。隣にいる弥生ママより背は低いけど、存在感が五倍はある。
「ごめんねぇ、遅くなっちゃって」バッグから扇子を取り出して、ワンピースの胸のボタンの隙間からバタバタと風を送る。胸のところを時々引っ張ってるのは、きっとブラの中を換気するためだと思う。とてつもなく大きいのだろう。きっとプリンちゃんのブラは片っぽで赤ちゃんの抱っこ紐ぐらいある。胸好きのけーくんが見たら気を失うに違いない。
「なんか用事だったの?」仲のいいみさとちゃんが友達みたいに尋ねる。
「うん、元旦那が再婚するからね、慰謝料勘弁してくれって! 酷いと思わない?」
私は驚いた。プリンちゃんが慰謝料を支払う側になることがあっても、その逆はありえないと思ってたからだ。何しろ不倫ちゃんが訛ってプリンちゃんになったぐらいなんだから。てかさ、プリンちゃんって離婚してたんだ?
プリンちゃんは今年の春に旦那さんの不倫が原因で離婚して元旦那と相手の女に分割で慰謝料を払ってもらっていたんだけど、こんど元旦那とその女が結婚することになって、新生活のためにこれ以上の支払いをなしにして欲しいと言ってきたんだという。プリンちゃんはあまりに身勝手な言葉に腹が立ち過ぎて、呆れて「もういい!」って減額に応じてしまったんだそうだ。
「最後に一発やってやったけどね!」
プリンちゃんが拳を振って殴るフリをするけど、彼女の言う〝一発〟が何となくおかしなニュアンスを含んでいるのが乙女な小学生の私にも分かる。みんながうんうん頷いているのは、プリンちゃんが最後に再婚する二人にある意味復讐を果たしたことへの〝よくやった〟という激励だったのかもしれない。
プリンちゃんは、食べることだけでなく、そういう大人なことも大好きなんだ――これは本人が言ってたから間違いなくきっとそう。
プリンちゃんは、過去のことはすっぱり忘れてこれからはここでボランティアに身を捧げるんだと、もう金輪際男はいらない、セルフで十分だと鼻息を荒らくした。
「で、会の方はどうなったの?」
会のことについては、ショコラちゃんから詳しく説明してもらった。
「そっか、やっぱり解散しちゃうんだね」
プリンちゃんはちょっと寂しそうに口を結んだ。
「でも、こちらの松波さんがこれからも会の支援をしてくださることになったから」
「ま・つ・な・み・さん?」プリンちゃんは、「誰?」って顔になった。
「ああ、どうも、松波です」おじいさんが初めましてとぺこりお辞儀をして簡単な自己紹介をする。
プリンちゃんはおじいさんの話を聞きながら、じいっと顔を見詰めてゆっくりと首を傾げた。
「……ともにいちゃん?」
それで、松波さんははっと目を見開いてプリンちゃんの顔をまじまじとみて、あんぐりと口を開いた。
「ななみちゃん!?」
え、えっ、えーっ!
みんなは不思議そうな顔をするだけだけど、私はひっくり返るほど驚いていた。
だって、私にそっくりで愛らしかったあの思い出の写真の中のななみちゃんがいまの見事なプリンちゃんって!?
プリンちゃんはふわりと立ち上がると、ぴょんぴょんとワンピースの裾をひるがえして弾むように松波さんに駆け寄った。
私はプリンちゃんの表情で、この奇跡のような再会を喜んでいるんだとすぐに分かった。それでプリンちゃんが右腕を勢いよく振った。
部屋中に猛烈な爆発音が鳴り響いた。
松波さんが横っ面を打ち据えられて床に倒れたんだった。プリンちゃんは雄叫びを上げながら、松波さんにのしかかって、容赦なく殴った。四、五回殴ったときに、クーラーさんがプリンちゃんを羽交い締めにして引き剥がしたけど、手が届かなくなると今度は倒れてる松波さんを蹴って踏みつけた。周りの人が四人がかりでも、プリンちゃんの猛攻を押さえきれない。
その光景は『18歳以上ですか?』という質問に『はい』を押さないと見ることができない規制のかかった映像そのものだった。
プリンちゃんの叫びは幼気な小学生が耳にしては決してならない憎悪、怒り、怨念に溢れかえっていて、神が禁じた忌まわしき文字を書き連ねてもそのような言葉にはならないほど、投げつけられた者の命を容易く奪う圧倒的な暗黒の力を持っていた。
そして、松波さんのプリンちゃんへの贖罪の言葉もまた、人としての尊厳さえも放棄して自ら祭壇に生贄として横たわり魔獣に身を切り裂かれることで己の魂の浄化を欲するような激しさを放っていた。
寺崎さんがそんな邪悪な言葉から純真な子供たちを守ろうとあみちゃんまみちゃんを隠すように抱きしめた。
私の方はもう幼気でも純真でもないようで誰も守ろうとはしてくれない。自分から〝三回もした〟なんて言うような女の子は保護の対象外のようだ。
プリンちゃんの怒りは治まることなく雷を放ち炎で松波さんを焼き尽くす。松波さんは血を吐き涙を流しながらプリンちゃんに縋り付く。
これは、もう、なんて言うか、アレだ。
「もう、聞くに絶えない! 子供もいるんだよ、あんたたち、外でしなさい!」
そう、その通りだ。寺崎さんが分かりやすく二人を叱った。
二人は、プリンちゃんが引きずってるのか松波さんがしがみついてるのか分からなくなるほど絡み合って部屋の外に出て行った。
静かになった部屋の中で、まみちゃんが泣き出してしまってた。あみちゃんが「お父さんがいなくなった日のことを思い出したんだと思う」と言った。この子たちも想像を絶する苦しい思いをしてるのだ。
耳を澄ますと、二人は階下に降りてもまだ「絶対殺してやる」だの「どうか殺してください」だのとある意味話がまとまりそうな方向で叫びあっていたけど、少ししたら静かになった。
みんなは、いくらなんでもそういう事件にはならないだろうと顔を見合せていたんだけど、あみちゃんは我慢できずに様子を見に部屋を飛び出して行ってしまった。
寺崎さんが「大丈夫だよ!」と叫んでも、彼女の耳には入らなかったみたいだ。
いつも遊んでくれていた柔らかなプリンちゃんの姿をお母さんに重ねたのかもしれない。お母さんみたいにプリンちゃんを人殺しにさせちゃいけないと思ったんだろう。
でも、すぐにあみちゃんは戻ってきた。
「いなかった」
クーラーさんが念の為に見に行っても、二人の姿は家の中からいなくなっていて、松波さんの車がガレージから消えていた。
二人の携帯に電話を掛けても出ることはなく、メッセージには既読も付かなかった。
私はみんなに、五十年前に松波さんとプリンちゃんの間に何があったのかを、乙女な小学生が言葉にするのにふさわしい内容に多少アレンジして説明をした。
それでもみんなは、言葉の端々に生々しい出来事があったんだとわかったみたいだけど。
次回の打ち合わせの予定と、それまでにやっておくことの割り振りを決めて、閉会になろうかという頃になって、プリンちゃんが松波さんを引っ張って戻ってきた。
それは、咎人を連行しているようでもあり、仲良く手を繋いでるようでもあった。
部屋に入ってみんなの注目を集めると、プリンちゃんは前に進み出て、松波さんと腕を組んだ。
「みんなに報告がありまーす!」
ニッコニコ顔のプリンちゃんの大きな頬っぺたが乙女チックに赤く染っている。
「私たち、結婚してきました。たったいま、市役所に婚姻届出してきたところでーす!」そう言って、みんなの前に『婚姻届受理証明書』という紙を広げて見せた。
こういう状態を『絶句』って言うのだろう。誰一人声を出さなかった、出せなかった、出す気にすらならなかった。
「これから新婚旅行に行くの!」プリンちゃんの視線がふわふわと宙を舞っている。
「えーっ、いいなぁ、どこ行くの?」二人のことをずっと心配していたあみちゃんが小学生の女の子らしく新婚旅行という言葉に瞳を輝かせた。
「今夜は宝町の〝お洒落な博物館〟!」
それは大人がデートで行くエチエチなところだ。
さすがに三年生のあみちゃんでも何となくわかったみたいで、どんな表情を見せればいいのか困ってる。
プリンちゃんは明日からは車で九州を回る予定だというけど、あみちゃんにはまずそっちを伝えてあげて欲しかった。
「それでね、コドモのイエの債務? の三千万は、彼が全額払ってくれることになりました!」
「ちょっと、いくらなんでもそれは……」プリンちゃんの宣言にショコラちゃんが慌てる。
「いいんです! 私とななみちゃんにはもう、私とななみちゃん以外何も要らないんです。二人の心と体さえあればいい」
浮かれてる。酔ってる。あのエロジジイの言葉とは思えない。けど、もう既に結婚してしまったんだ!?
「私たち、これから五十年分愛し合うの! それで、初めからずぅっと一緒だったみたいに、ひとつになるんだ!」
プリンちゃんが夢みる乙女の顔で松波さんに抱きついた。
そうでしょうとも。きっとこの二人なら、五十年分ぐらいすぐに愛し合ってしまうだろう。
こら、あみちゃんまみちゃんの前でキスはしないで! キスまでで止めといて! ちょっと、それはやめなさいってば!
人生の大先輩の寺崎さんがプリンちゃんの背中をぴしゃりと叩いた。
「そっから先は博物館でしなさい!」
幸せな二人の門出をみんなの拍手でお祝いして、バタバタと会合が終わった。
松波夫妻の突然の支援の申し出で、コドモのイエはそのまま活動を続けられそうな気配が出てきて、それについてはショコラちゃんが次の会合までにいろいろ纏めてくれることになった。
あみちゃんまみちゃんも家で少し待てばお母さんが帰ってきてくれる時間だそうだ。
「きらりんは、どうするの?」最後に残ったのは、私とショコラちゃんと寝たきりのけーくんだった。
「私は、けーくんが起きるのを待ってます。私になにか用があったのかもしれないし」
けーくんは結局、自己再生に力を使いすぎてずっと眠ったままだった。決して三回やってお疲れだからではない。
「じゃあ、私、先に帰ってるね。くれぐれも四回目なんかしないようにね」
母親らしさをすっかり棄てたみたいに、にこやかに手を振って出て行くお友達のショコラちゃんの背中に私は叫んだ。
「私、一度たりともしてませんから!」
みんな私をなんだと思ってるんだ?
ファーストキスだってまだ未経験の乙女な小学生なんだよ。
それに、今夜のけーくんのお相手はショコラちゃんなんでしょ?
一人になって、ブツブツ文句を言いながら、準備を整えて三階の秘密基地に入った。
テーブルの上には、けーくんのリュックが置いてあった。今朝ここで私が来るのを待ってたんだろうか。
けーくんは、いつでも、私がおまじないさえ唱えれば、すぐに目を覚ます。
それよりも、私には、いまはやらねばならないことがある。
「きらる、ちょっと来て」心の中で思うより声に出した方が話しやすい。
【なに?】いきなり呼び付けたせいか、心なしか、少し不機嫌そうな気がするけど、いまは構ってられない。
「ちょっと代わって」
【えーっ、やだよ。私、前は苦手だし。それに、いろいろ考えてたんだよ、今朝の男のこととかさ】きらるは何かに気付いたんだろうか。
「ごめん、そのことも、後でちゃんと説明するから代わって!」
【もう、なんなの!?】
「早くしないと、今度はみさとちゃんが危ないんだよ!」
【えっ、みさとちゃん!?】
きらるの抵抗感がふわっとなくなって、するりと後ろに下がれた。
(ありがと)
「ちゃんと説明してよね!」
(ちょっと感覚を切るけど、そこでなるべくじっとしてて。それで、絶対寝ないでよね!)
「えっ、なにそれ、ちょっと、ちょっとってば!」
まるでバンジージャンプの勢いで、深い深い海淵の底のような場所にきらりの意識が沈んでいって、そしてきらりの存在がふっと消えた。
あの子は何をしようとしてるんだ。みさとちゃんがどうなるって言うんだ。
私にはさっぱり分からなかった。




