(五)
(五)
ここは、この辺りでは一番大きな神社だ。歴史あるお社で、いかにも神様が陣取っていそうだ。私も初詣は毎年ここに参拝にくる。
長く続く石段を上るともうひとつ鳥居があって広い境内に出る。彼と一緒に御手洗場で手を清めて、本殿の御賽銭箱の前に並んだ。
お賽銭は彼がお財布をサッと出して私に一枚の硬貨を差し出してくれた。そういうところはスマートでカッコよくて、彼はやっぱり紳士だななんて思う。
手のひらに乗ったのはピカピカに光った百円玉だった。いまから大事な願いごとを唱えるんだからここは百円だということなんだろうか。それとも彼にとってお賽銭は百円が当たり前なのか。年下の女の子の私に対していくらかは格好を付けたい思いもあるのかもしれない。後でかぶりつく気ならなおさら心象も大事だと考えるだろうし。
私は手のひらに百円玉を乗っけたまま、彼を見上げた。
「あの、五円玉はありませんか?」なければ二人で十円でもいい。いまさら私の財布からお金を出すのは彼に失礼だ。
「ああ、あると思うよ、ちょっと待って」
彼が財布の小銭入れを探って底の方から鈍くくすんだ硬貨を摘み上げた。それで、私の手のひらにそれを置くと、代わりに百円玉を摘み上げて自分のと一緒に財布の中に戻した。
彼が私ににっこりと微笑みながら頷く。それは「五円がありますようにってことだね」という微笑みだ。
私もそれに笑って返す。
神様にはご縁もお金も要らない。お賽銭は神様の祠を整えるために必要な、人間が使うお金だ。
だから、そういった費用は働いている大人がたくさん出せばいい。
だからと言って一円や十円にするのは願い事を軽視しているようにも思われてしまう。その点、五円は〝御縁〟という理由付けができるので少額でもすんなり受け入れてもらえる。
お賽銭を投げ入れるのは、お参りをするためのひとつのきっかけに過ぎないのだから、私みたいな子供は五円でも十分すぎる金額だと思う。
御参りのお作法は知っている。こういうのは中身より形を大事にする人がほとんどだから手順さえ守っていれば信仰篤い敬虔な信者になれるし、周りから馬鹿にされることもない。
まず目の前の大きな鈴を上品かつ大きな音で鳴らす。次にお賽銭を入れて、二回お辞儀して、二回手を叩く。それで、ギュッて目をつぶって神様に感謝と祝福の言葉を述べる。それから、自分の望むべき姿を伝える。
神様、私はこの人と恋人同士になりたいんです!
基本的に神様は個人的な願い事にいちいち耳を傾けてなどくれない。なのでお願いではなくあくまで〝気持ちを伝える〟のみだ。もしそれが神様の望む秩序に適うならその通りになるだろうし、過ちなら無視されるだけだ。よっぽど酷いのには神罰が下るんだろうけどそれこそ特別なことだ。なので、何事もとりあえず言うだけ言ってみるのは間違いではないと思う。神様だって『おやっ?』と思うことだってあるだろうし、偶然を呼び込むことができるかもしれない。
だから、ここでの気合いがとても大事だ。
私が気合を入れすぎてあの子が倒れてしまったみたいに。
御参りが済んだらもう一回感謝を込めてお辞儀をする。
顔を上げてほっと息をつくと、隣で彼もちょうどお辞儀をし終わったところだった。
こうやって二人で一緒に御参りすると、なんだか彼との距離がぐぐっと近くなったような気がする。彼の顔を見て思わずニンマリしてしまった。
「どう? 上手く行きそう?」
あ、しまった。アイツを起こすんだった。すっかり忘れて恋の成就ばかりを頭に描いていた。
叶う叶わないは別として、彼に宣言した以上は神様にそのことをお話ししておくのが誠実さというものだろう。
もう一度、御賽銭箱の方を向いて神社の奥を見つめた。追加でもうひとつ希望をお伝えしておかないと、と思ったけど、冷静になってみると何か違う。
静かだ。頭の中の『しーん』という音が聞こえるぐらい静かだ。
御賽銭箱の向こう側を隅から隅まで見回して探したけど見つからない。
「何か探してるの?」
「さあ……」彼の問いかけに首を傾げた。
あれ? 私は何を探してるんだろう。
そうだ、この奥に神様みたいなのがいると思ってたんだ。
いままで何度もこの神社には足を運んでいた。その度に本殿でお参りもしたし、過去には鈴が壊れるからやめなさいとお母さんに叱られたこともあったし、お賽銭をどれだけ奥まで投げられるかも試したし、とんでもない願い事を唱えたこともあった。それで、とんでもないことが叶ったときもあったから、ずっとここには神様がいるもんだと思っていた。
「でも、ここには神様はいない……」
そう。考えたこともなかったけど、この神社には何にもいない。
「そうなんだ、残念だね」
彼は私が嘘をついてると思ってる。神様にお願いなんてできっこないから、適当なことを言ってごまかしてるって思ってる。
確かに私はあの人を起こすというお願いはしなかった。でも、例えそれを願ったとしても、きっとそれが叶うことは永遠になかっただろう。
いままでなぜ気付かなかったのか不思議なぐらいだ。夜中にぱっちりと目が覚めたときのように、はっきりと分かる。
いない!
そう。だって願いを叶えようにもここに神様がいないんじゃ仕方ないじゃない。
ああ、なんだかもやもやする!
「じゃあ、他に行ってみる」私にだって意地がある、なんとしても神様を見つけて言うことを聞かせてやるんだ。
「他?」
「こんどは教会に行ってみる」日本の神様がいないなら外国の神様だ。
「教会って、キリスト教の?」
「うん」
確かこの街には屋根に十字架を乗っけたキリスト教か何かの教会がふたつある。
「行ってもいいけど、教会には神様はいないんだよ」
「えっ、そうなの?」
「そうだよ、キリスト教の教会はね、神社とは目的が違うんだ」
「じゃあ、神様はどこにいるの?」
「さあ、ずっと遠いところなんじゃないかな」
彼がどこか空の方を見上げた。
「それじゃあ、神様に会って願いを叶えてもらうのなんてできっこないじゃん」頬っぺたを膨らませて思い切り唇を尖らせる。
私の表情に彼がふっと笑った。
まずい、この人、呆れてる。神様の話題になるとついムキになっちゃうのはなんでだろ。別にどこかの宗教に入ってるって訳でもないんだけど。私、いま絶対面倒臭い小学生って感じになってるよね。
「そうだなあ、オレはこの神社、結構よく来るんだぜ。御参りしてて、いつも神様がいるような感じがするんだけどなあ」
もう、そろそろ意地張るのやめて上手く話を合わせてどこかでお茶でもして楽しい雰囲気にした方がいいのかな、なんて思ってたのに、さっきは『遠いところ』と言ってた彼が今度は近くに神様がいるような口振りで言うからついムキになってしまう。
「じゃあ、どこに?」
「うーん、心の中、とか、さ……」
私は一瞬固まった。
「こころ……?」
彼がそうだとばかりに嬉しそうに大きく頷いた。
ああ、まさか、心、心の中!
大喜利でお笑いタレントがなにか上手いことを言ったときみたいなしたり顔に、私は頭の中が爆発した。
やめて! なに? 座布団でも欲しいの!? 私のバッグのポーチにずっと前から入ってる座布団、まだ一回も使ったことないからあげましょうか!?
いくらバカバカしいことに付き合ってるからって、お願いだからあなたまでつまらない男にならないで!
私をガッカリさせないで!
私を子供扱いするのはまだいい、仕方ないことだと思うけど、くだらない子供だましのどうしようもない言葉をその口から吐き出さないで!
私の心の中は私だけのもの。
神様だって、誰だって、そんなもの私の中にはいないの!
それとも、心の中であなたと手を繋いでいることとか、いまとんでもない悪態を吐いてることとかを、知ってるヤツが私の中にいるって言うの!?
いっぺん、私の中に入ってみるといい。
入れられるものならすぐにでもあなたを私の中に入れてあげたいわ!
だいたい――――。
…………あ……、あなたの中で休ませてくれませんか?
そうだ、私の中に…………。
ずっと昔、夢の中で見た光に包まれた世界のこと。優しい声がしてた。
――――『きらり……』
声が聞こえた気がして、ハッとして空を見上げた。
真っ青な空に開いた穴から光が溢れ、降り注いでくる。
光が、重い…………。
――――『世界』
ああ、温かい…………。
「きらりちゃん!」
彼の呼ぶ声が聞こえる。
私はその場から全速力で走って逃げた。