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(三)

   (三)



 きょうから夏休み。


 私はさっそく図書館を覗いてみた。

 なぜかと言うと、受験生は図書館に籠るもんだと友達に聞いたからだ。

 閲覧室に入ると、彼の背中はすぐに見つかった。机に向かって一生懸命何かを書いている。何冊か本が積まれているのも見える。

 彼の後ろからそっと近寄った。

 でも、なんて声を掛ければいいのか分からない。何か偶然にでも気が付いてくれないだろうか。音を立てたらいいのかもしれないけど、それだと周りに迷惑だし彼を驚かせてしまう。

 もう少しだけ、あと十センチだけ、彼の背中に近付いてみた。

 すると、彼がピクッて頭を上げて、周りをキョロキョロ見回した。それで、ぐるっと首を後ろに捻った。

「ああ、やっぱりきらりちゃん」

 よかった。なんでか知らないけど気が付いてくれた。

 彼が勧めてくれた右隣のイスに腰掛けても、図書館なのでお話はできない。

 黙っていたら彼が顔を寄せてきた。

「外に出る?」

 お話がしたいのを分かってくれたらしい。

 こういうのを『以心伝心』というのだろう。やっぱり、彼と私は心が通じあってるみたいだ。

 彼は本やノートを閉じて荷物をまとめると、

「ちょっと待っててね」と、四冊の分厚い本を抱えて棚に戻しに行った。

 すっかりお勉強の邪魔をしてしまったみたいだ。

 図書館を出ると、隣にある中央公園に向かった。

「お勉強の邪魔してごめんなさい」

 並んで歩いてると向かい合っているより話しやすい。

「ああ、気にしなくていいよ。ノート開いて勉強してるような気分になってただけだから」彼が笑う。

「オレ、国語とか社会は得意なんだけど、えっと……、算数が苦手でね。でも、試験では算数は結構大事なんだ。きらりちゃんは好きな科目ってなに?」

「あ、えっと、道徳……」

 ああ、つい言ってしまったけど、これを言うといつも笑われるか変な顔をされる。

「へえ、オレも道徳は好きだったよ。結局、生きてるうえでいちばん大事な科目なんじゃないかな」

「でも、なかなかいい子にはなれない」

 彼がちょっと考えるように間をあけた。

「まあ……、そんなもんだよ」

 彼はなにかを言いたかったのかもしれない。彼もやっぱり『道徳の答えはひとつじゃない』なんて思っているんだろうか?

「そこ、座ろっか」

 木陰になったベンチに誘われて、彼の右側に並んだ。

「きょうは、なにかお話があったの?」

 いきなり聞かれて緊張する。でも、どう話そうかと迷っていたからいいきっかけになった。

「ごめんなさい」

 謝ると、彼が少し首を傾けながら、優しい顔で頷いた。

「あの、私のせいなんです。バーベキューのとき、あの人が倒れたの……」

 彼は穏やかに微笑んだまま先を促すように頷く。

「あんまり楽しかったから。ずっとお話してたくて。それで、あの人がいなくなったらいいのにって、神様にお願いしちゃって……、そしたら…………」

 ダメだ。涙が出る。言いたいことの半分も言えない。私の気持ちもなんにも伝えられない。

 あれからずっと、あの事件のことを考えていた。

 あのとき、私はこの人が欲しかった。肉も、心までも。

 そのために、私は決して願ってはいけないことを神様に願ってしまった。そのせいで、あの人は倒れた。

 でも、結局、私は彼を手に入れることはできず、この何ヶ月も悩んで苦しんだ。楽しいはずの新学期もゴールデンウィークも誕生日も全てが闇の底に沈んでしまったのはきっとその報いに違いない。

「そっか、きらりちゃん、あれからずっと苦しんでたんだね」

 違う。私は首を振った。

「私が悪いの」

「きらりちゃんは少しも悪くないんだよ。きらりちゃんのせいじゃないんだ」

 彼は、きっぱりと言い切った。

「でも……」あのとき、私は本当にそれを望んでしまった。

「だって、きらりちゃんはアイツがいなくなればいいって思ったのかもしれないけど、アイツはいなくならなかった。だってアイツは生きてるんだよ。そりゃあ、九分九厘死んでるみたいなもんだけど、ちゃんと体温はあるんだ。心臓は動いてる。息だってしてる。毎日、アイツの手を握って話しかけるんだ。みんなは無駄な事だと思ってるかもしれないけど、きっとアイツはオレのことを分かってくれてると思う」

 ああ、この人は哀しい。

 この人の苦しみは私なんかと比べ物にならないくらい大きいのだ。

「ずっと、あの人のことが好きなの?」

「アイツが十八になったら結婚するんだ。あと、まだ五年あるけど」

 なんの躊躇いもなく、結婚という言葉が飛び出してきた。それがもう決まったことのように。

「ずっと、寝たまんまでも?」

「それがね、大丈夫なんだ」

 彼がリュックの中を探った。

 ウサギの絵の描かれた可愛らしい封筒を取り出して中の紙を広げて私に見せた。

「婚姻届だよ、オレたちの。これはまあ、コピーだけど、御守り代わりにいつも持ってるんだ。あとは日付を書くだけでいい」

 本物の婚姻届っていうのを初めて見た。ままごと遊びみたいにして、将来結婚しようねなんて言いながら二人して書いたんだろうか。名前も、判子も押してあって、保証人の名前はきっと二人のお母さんなんだろう。何故だろう、見ているだけで、なんだかドキドキする。

「もう二年半になるかな、二人で行った旅行先で書いたんだ。そのときはこのまま駆け落ちしてもいいって思ってた」

「二人で旅行?」

 二年前って、あの子が私と同じぐらいのときだ。なに、駆け落ちって? 子供だけで二人で旅行に行くって、何かあったんだろうか?

「保証人のところは、後で親に書いてもらったんだけどね」

 呟くように言った言葉には、親にも認めてもらってる関係なんだということを伝えたい気持ちがあったんだろう。

 彼が届出の紙を封筒に戻して、それを優しく撫でた。

「他の人に見せたのは初めてだよ」

 内緒って感じで人差し指を立てて唇に当てる。

 彼は、誰かに自分をわかって欲しいんだ。きっと、ずっと苦しい気持ちを押し込めて、この一枚の紙を頼りに生きていたんだ。

「でも、それ、勝手に出しちゃっていいんですか?」

 私の意地悪がまた頭をもたげて、それが口に出てしまった。彼にはそういうお腹の中身を見せちゃいけないのに、紙切れ一枚の思い出に負けてる気がしてムキになってしまった。

「あのとき……。アイツが倒れたとき、アイツのお腹には赤ちゃんがいたんだ。その、意味はわかるかな? その子は可哀想なことをしたけど、その分、オレたちは幸せにならなきゃいけない。アイツが寝てるならオレが勝手に幸せにしてやるんだ。目が覚めたらびっくりするぐらい幸せに」

 まるで自分に言い聞かせてるみたいな彼に、私は言葉が出なかった。

 彼はもう、そうすることを決めてしまってるんだ。それが一番楽だからだ。何も考えずに、ただ受け入れるだけの生き方。

 私は彼の言葉になんだかイライラしてしまって、思わずベンチから立ち上がった。

「わかった。私が神様にお願いして、あの人を起こしてあげる」

 だから、そのときは婚姻届の妻の氏名を秋本(あきもと)輝星(きらり)に変えてもらいます!



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