(二)
(二)
ああ、気持ちいい。
最高の天気だ。
川沿いの桜並木も見事に咲いて、晴れ女の面目躍如ってところね。
今日の河川敷でのバーベキュー大会は新しくできた〝貧しい家庭の子供達を助ける会〟の設立記念のイベントらしい。
会の正式な名前は会長のおばさんが挨拶で言ってたけど、ちゃんと聞いてなかった。
私はその会とは全然関係ないんだけど、彼が「よかったら遊びにおいでよ」って誘ってくれたんだ。彼のお父さんが会の役員なんだそうだ。
私のお父さんは「あれはお金目当ての宗教みたいなもんで怪しい連中だ」と言っていた。
貧しい家庭を助けてもあんまり儲からないと思うんだけど〝補助金〟っていうのがあって、ずる賢い人がいろいろ工夫すると沢山儲かる仕組みがあるらしい。
でも、私はそんなことどうでもいい。
彼とこうやってお話できるんだから。
彼は高森啓示さんという、私より四つ上の中学三年生。
彼が小学校の頃は集団登校でずっと一緒の班だった。
彼と初めて会ったのは小学校に入学する前の体験登校のときで、知らない人ばかりで緊張していた私に「きらりちゃんって、なんだか優しい香りがするね」と言われてとても嬉しかった。
それまではみんなに『クサイ』って虐められてたから、匂いを褒められたのは信じられないぐらいびっくりすることだった。
車の多いところでは手を繋いでくれるし、小学校の楽しいお話を沢山してくれた。それで、こども園の男の子と全然違う彼のことがいっぺんに好きになった。
彼が卒業して中学生になってもずっと好き。もう丸四年以上も好きのまんまだ。人生の大半を彼を思って過ごしている。
きっと運命の人だ。
優しくてかっこいい彼が大好き。
だけど彼は誰にでも優しい。
私にだけ優しかったらもっと嬉しいんだけど、素敵な人はきっとみんなに優しくするんだ。
彼はいまは遠くの中学に通っているから卒業してから滅多に会わなくなってしまって、ときどき道で会ってもぺこりと挨拶するぐらいしかなかったのに、先週の土曜日にショッピングセンターのトイレでばったり会った。
私がトイレを済ませて通路に出たら彼が女子トイレの前で立ってたんだ。
びっくりして「こんにちは」って上ずった声で挨拶したんだけど、彼は「ああ」っ感じで素っ気なかったからその場で二、三秒固まってしまった。
彼はきっと何か考えごとをしてたんだろう。そうでないと優しい彼が私を忘れるはずがない。
ちょっとショックで頭を下げたまま彼の横をすり抜けたら、彼に呼び止められた。
「きらりちゃん、今度の日曜日、空いてる?」
それが今日のイベントだ。
やっぱり彼は私を覚えていてくれた。
いま、私が着けてる星の形のヘアピンは私が二年生のときにバレンタインのお返しで彼がプレゼントしてくれた大切な宝物なのだ。
でも、そんな優しい彼を虐める子がいる。なんでもかんでも彼に命令して奴隷みたいに従わせる。ショピングセンターのトイレで彼を待たせていたのもそいつだ。今日のバーベキューもそいつのために一番美味しそうなお肉を焼いて嬉しそうに持っていく。
目の前で私とおしゃべりしてるのに、いつもそいつのことを気にして呼ばれたら飛んでいく。
離れたところに座っているのに、紙皿のお肉がなくなりそうなのがわかってるみたいに。そいつが次に何を食べたくてどんな焼き加減を望んでいるのか全部わかってるみたいに。
私は彼がそいつのところに駆けてくのを見ると悲しくなって心の中で大声をあげる。
「ブスでデブでチビのくせに、邪魔しないで!」
でも、そんな風に思う自分がものすごくキライいだ。こんなイヤな子じゃあ、きっと彼に好きになんかなってもらえない。
ああ、もしもこの世に神様がいて願い事を叶えてくれるなら、この恋を実らせて欲しい。
彼とあいつみたいに仲良く手を繋いで歩きたい。人目を気にせず抱き合いたい。自分だけに微笑みかけて欲しい。邪魔なあいつがいなくなって、彼が私にだけ優しくしてくれたらどんなに幸せだろう。
ああ、またイヤなことを思ってしまった。
「きらりちゃん、ちゃんと食べてる?」
彼が駆け寄ってきて、またトングを握る。あいつのためのお肉をまた網に並べ始めた。
あの女、まだ食うつもりなの!?
「さっきからみんなの肉、焼いてばっかりじゃん」
ああ、そこはちゃんと見てくれてるんだ。すごい、嬉しい。でも、あなたもあいつのお肉ばっかり焼いてるよ。
「もう、いっぱい食べたから」
ちょっとお腹をさすってみせる。
でもホントは彼が気になってあんまり食べられないんだ。好きな人の前でハイエナみたいにガツガツ食べるあの女のような醜い真似は、私にはできない。
彼が焼いている上ロースがとっても美味しそう。
「なら、座って休んでていいんだよ?」
「でも、私が焼いたのをみんなが美味しいって食べてくれると嬉しい」
あなたが食べてくれたらもっと嬉しいんだけどな。
「きらりちゃん、優しいんだね」
彼の優しい言葉に返事が出なくて首を振るばっかり。
「じゃあ、そのきらりちゃんが焼いたのを、僕も食べさせてもらおうかな?」
彼がトングを脇に置いた。
えっ、ウソ!?
私は急いで焼網に並べた上ハラミを紙皿に取り上げてお箸を添えて彼に差し出した。彼は赤身のお肉で特にハラミが好きなんだ。
「あ、ありがとう」
それを受け取って、お肉を美味しそうに口に運ぶ。
「うん、美味しい。香りもすごくいいよ」
続けて三枚食べて、何か笑いながら褒めてくれたみたいだけど、口いっぱいで何を言ってるのかさっぱりわからない。
彼がお肉を飲み込んで笑う。
「きらりちゃんのは優しい味がするよね」
優しい味ってどんなだろう?
「じゃあ、きらりちゃんはオレの焼いたのを食べて」
彼が並べてたあの子用の上ロースを取り上げて差し出してきた。
紙皿で受けようとして、私が使ってたお皿とお箸を間違って彼に渡してしまってたことに気が付いた。
慌てて新しいお皿を彼の前に差し出す。
その上に美味しそうなのを三枚選んで乗せてくれた。
口に運ぶお箸を持つ手がふるふる震える。
ああ、なんて美味しい。こんな幸せなお肉は初めてだ。あっという間に食べ切ったら、彼が次のお肉をお皿に乗っけてくれた。
私も彼が使ってる元私のお皿に私が焼いたお肉を乗っける。
食べても食べても魔法のお皿みたいにお肉はなくならない。食べ切れないぐらいお肉を盛っても食べ切ってしまう。
彼が私の歯型が付いたお箸に気が付いて、
「あっ、ごめんごめん、返そうか?」ってお箸を差し出してきた。
私と彼が一緒に使ったお箸は、喉から手が出るくらい欲しいけど、ヘラヘラと照れ笑いするだけにしたの。
彼も笑いながらそのままそれを使ってくれる。
優しい彼が好き。
ちょっといたずらな彼が好き。
彼の全部が大好き。
私の肉は全て彼に捧げる。
だから、彼の肉は全て私だけのもの。
体の真ん中から幸せが込み上げてきて、思わず空を見上げた。
真っ青な空に太陽が浮かんでいる。
まるで空に開いた穴から光が溢れだしてるみたいに。
ああ…………。
――――『世界』
心の奥に声が響いた。美しい優しい調べだ。
身体がふわっと宙に舞い上がり、一瞬にして蒸発し、光の粒子になって宇宙に拡散する。
いままで感じたことのない突き抜けるような心と体の興奮と歓び。
繰り返す宇宙の開闢と終焉。
煌めく星々の間を意識が駆け巡り、全てを見、全てを聞き、全てを知った。
ああ、温かい…………。
私に何が起きたんだろう。
世界に何があったんだろう。
彼があの子のもとに走っていく。
大人たちが口々に騒いでる。
誰も私のことには気付かない。
遠くから聞こえる救急車の音と彼の叫び声が重なった。