(百三十一)
(百三十一)
あみこと別れて乙女の部屋に戻った私は、パソコンを開いてスマホを手に取った。
適当なナンバーを打ち込むと、呼出音が鳴り始めた。
国番号を押していないことに気付いたけど、気にしても仕方ない。三回目の音で通話が始まった。
『メイメイ? どうしたの?』
孫に話し掛ける甘いおじいちゃんの言葉だ。
「ショウ主席ですね」
私の言葉に一瞬間が空いた。
『誰だ? この番号はメイリンのものだが?』
孫の携帯番号から他人が電話を掛けてきたらさぞ驚くことだろう。
「私は日本の橘きらりと言います。あなたの国で拘束されている田町美里を直ちに解放してください」
『理解が追いつかない。どういうことだ。もう一度言ってくれないか? 私の孫のメイリンを誘拐したのか?』
慌てた様子もなく、落ち着いた声で話をしている。さすが大国の国家元首だ。周りで微かにざわつく音が聞こえるのは、秘書か補佐官かがそばにいて、こちらに知られぬように何か指示を飛ばしているのだろう。
「あいにく、二度同じことを言う気はありません。私は日本のテレビを見ています。時刻はすべて日本標準時を使います。午後七時のNHKのニュースが始まるまでに、分かるように解放を知らせてください」
『あなたはまだお若い方のようですが、田町美里さんのお友達ですか?』
穏やかに話を進めてくるのは孫のメイリンの無事が確認されたからだろうか。周りではスタッフが寄って集って電話の内容を確認しているのだろう。時間稼ぎの意味もあるのかも知れない。
「私は田町美里の所属する日本のNPO法人『コドモのイエ』の主宰です」
『コドモのイエ……、なるほど。あなたの田町さんを助けたいというお気持ちは分かりますが、私の国の対応は先程日本の代表の方にお伝えしたところです』
「ええ、知っています。酷い内容でした」
『心を痛めておられることでしょうが、もちろんあれは杓子定規な決まりごとの話です。物事には様々な事情もありますし、人同士の関わりには誤解も生じます。よろしければ一度お会いして、橘きらりさんの要望をお聞かせいただけませんか?』
なるほど、手っ取り早く会って身柄を拘束したいわけだ。
「そうですね、その誤解があるようなので言います。田町美里の解放は〝お願い〟ではなく〝命令〟です。午後七時までまだ三十五分あります。賢明なご判断を」
電話を切って天井に向かって一息吐いたら、すぐに電話が鳴り始めた。
「弥生ママ?」
表示を見ながら通話をタップする。
「こんばんは」
『あ、いま大丈夫?』
大丈夫の意味を考えた。
「うん、ひとりだよ」
『三分前にサイトに不審なアクセスがあって、中国からだったからみさとちゃんのこともあるし、相手のパソコンをこっちのコントロール下に置いておいた』
「ありがと」
さすが、動きが早い。
『何かやったの?』
「いま、欧華のショウ主席と直接話をした」
『じゃあ、このあとのサイバー攻撃に備えとくね』
「うん、向こうが仕掛けてきたら潰していいから」
『腕が鳴るなぁ、楽しみ』
「相手は人口十四億の欧華だけど、ひとりで大丈夫?」
サイバー攻撃では悪名高い物量で攻撃してくる連中だ。
『物理的には無理なはずなんだけどなぜかできてる。最近、私のパソコンが『富岳』になったみたいな感じがするんだよね。ウチに仕掛けてきたら、五分後には欧華は機能停止になるよ』
「頑張ってね」
弥生ママのパソコンの処理時間を年/秒に速めたから機嫌が良さそうだ。最近、文香ちゃんのバイタルが低下傾向にあることを気に病んでいて、心配してたんだけど、派手にやれそうな出来事にスイッチが入ったみたいだ。
電話の後でショコラちゃんにも連絡をとってみたけど、会議中だったのか通話が始まることはなかった。
清川さんに「七時にやる」という伝言をお願いした。
私が再びショウ主席に電話をしたのは、リビングに残っていたメンバーが三々五々帰宅して行って、私一人になった七時半の少し前のことだった。
さすがに忙しいのか、なかなか電話に出てくれないので、UNA大統領とのホットラインを使わせてもらった。
「ショウ主席、困り事はありませんか?」
『これはおまえたちがやったというのか!?』
意識して落ち着こうとしているようだけど、私への二人称が〝おまえ〟になっている。微妙な感じに渋い声で穏やかに〝おまえ〟なんて呼ばれると、背中がくすぐったい。
「宇宙空間から特定のエリアを狙って死者が出ないように隕石を落とすなんて、普通の小学の子供にはできません」
『それは、この攻撃は自分たちじゃないと言いたいのか、それとも普通の子供ではないと言うことか?』
「まあ、メイリンのスマートフォンやコーワ大統領とのホットラインを簡単に使ったりするのは、普通ではないですよね?」
『田町美里を解放したら隕石は止むのか』
なるほど物分りもいいようだけど。
「いいえ、止まりません。田町美里の解放は〝七時まで〟の条件ですよ」
『どういうことだ』
少しづつ、言葉が荒くなっていく。国の存亡がかかっているとなればそうもなろう。
「五つの事柄を命じます。検討するなら二十一時までの時間を与えましょう。この場で拒否するのなら欧華のすべてが埋め尽くされるまで隕石は降り続けます」
『条件をいいたまえ。検討しよう』
「いい判断です。いま隕石は止まりました。条件を書いた紙があなたの目の前にありますね?」
『ん? あっ』
執務用のデスクに置いたのを見つけてくれたようだ。
月刊『ちゃかぽこ』三月号の付録に付いてたアニメキャラの便箋だからすぐに分かるはずだった。
「あなたの国に幸多からんことを」
さて、あと一時間とちょっと。どう動くんだろう。
ノートパソコンを開いて『コドモのイエ』の関係者のリストを表示した。
頭の中でイメージできるけど、やっばり視覚情報の方がわかりやすい。
とりあえず、この子たちの安全は確保しておきたい。
いまのところ、メンバーにどうこうということはないだろうけど、モニターだけはしておこうと思う。
もっとも、いちばん危ないのは私なんだろうけれど。
こうなると、九時まで何をしていようかということにもなるが、退屈はさせてもらえなかった。
玄関チャイムが鳴って、来客を知らせる。
いったんリビングのドアモニターを確認してからとも思ったけれど、どうせ頭の中でイメージできるので、わざわざ視覚情報に頼る必要もないだろう。
玄関ドアを押し開くと、狭い玄関前のポーチにスーツ姿のおじさんが二人並んで立ってて、その後ろに制服姿の警官と婦警さんがいる。
あまりの混雑とドアが外向きに開いたことで、可愛い感じの若い婦警さんは一番後ろでポーチに上がる階段の上にいようか一段下がろうかと足元を気にしながら踏み台昇降してるみたいな感じになってる。あれは絶対新人さんだ。まるで中一の子が真新しい制服に袖を通したみたいに服が体に馴染んでいない。
手前のスーツのふたりが上着のポケットから身分証みたいなのをぺらりとチラつかせて警察の者だと名乗った。
きっと写真が変な顔で写ってて、じっくり見られたら恥ずかしいのだろう。どちらもプライドだけは高そうなキツイ感じの人だ。きっとテレビとかで見掛けるキャリア組とかいう連中に違いない。
「橘きらりさんですね」
右のスーツがそう言って、左のスーツがドアを押さえてる。
「はい」
せっかく子供らしくはきはきとにこやかに返事をしたのに、スーツは強ばった表情で和やかさを微塵も見せない。
「お聞きしたいことがありますので、ご同行願います」
語尾に「か?」が付いていないということは、実質的にお願いではない。諦めろということだ。
保護者の不在を告げてもいいが、ここでゴネるのも子供っぽくてなんとなく嫌だ。
「じゃあ、パンツを穿いてくるから少し待っててもらえますか?」
白のワンピースの裾をめくって、パンツを穿いていない状態なのを前に並ぶ二人に示した。
私の肌を鑑賞したスーツは目を見開いて驚いた表情を見せて、唇をカタカタと振るわせた。
「あっ、あっ……」
明らかに動揺している。右のスーツは恐怖の顔で後退りして、左は過呼吸で倒れそうだ。
「パ……、パンツは待っていられない! し、失礼する」
右は下がりすぎて後ろの警官にぶつかり、左はもはやただ絶望している。
それで、スーツのふたりは奇妙な叫び声を上げて振り返ると、二人の制服警察官を押し退けて階段を駆け下りていった。
制服さんたちは体勢を立て直して、階段を飛び降りるような勢いのスーツの背中を目で追っている。
「お姉さん」
階段で両腕を広げてバランスを取った婦警さんに声を掛ける。
こちらに振り向く彼女に手招きをすると、目が合って、とことこと私の前までやってきた。
制服さんの方は、婦警さんが玄関に戻ったことを気にしながらスーツに遅れてとたとたと階段を降りていった。
「どうしたの?」
お姉さんは屈んで私の目の高さで優しい顔で首を傾げた。私はお姉さんの手を握った。
「お姉さんはここにいて」
「えっ、なにかあるの?」
「うーん……、なんだろう? ちょっと気の毒な気がしたから」
私はこの可愛い婦警さんはにどこかで会ったことがあるような気がする。ひょっとして、前にここで保護されたときだろうか。
下で車のエンジン音が鳴って、婦警さんが振り向いて階段の下を見下ろした。
停まってたパトカーがサイレンを鳴らしながら急発進した。
「あっ!」
お姉さんが声をあげたのは、置いていかれたからだけではなかった。
パトカーはゼロヨンレースの猛スピードでまっしぐらにワンブロック先の電柱に激突して爆発炎上した。
まあ、あみことの約束があるから死んではいないだけど、あれは悲惨だよなぁ。
乗せてもらえなかったらしい制服警官が現場に走って向かっている。
私が手を離すと、お姉さんも急いで事故現場に向かって階段を駆け下りて行く。
「お姉さん!」
私の声にもう一度、婦警さんは愛らしくも緊張した顔をこちらに向けた。
「私のことは忘れなさい」
お姉さんが〝ぽ〟っとした顔をする。
外は賑やかになりそうなので、玄関のドアを閉めて部屋に戻った。その先のことは、私は知らない。