(百二十八)
(百二十八)
『コドモのイエ』の三階は、決して〝エッチ部屋〟ではない。〝乙女の部屋〟だ。
この男子禁制の秘密の花園に高森啓示は時折りフラフラとやってきては、恋人の夢を見て満足して帰っていく。
きょうも子供たちやボランティアのメンバーが帰った後に顔を出して、私の文句にへらへらしながら、部屋に上がり込んできた。
「これやると、ぐっすり寝られるんだよなぁ」
そう言いながら、私の枕にファブるみたいに『エリクサー』をスプレーして、夢の世界に旅立って行った。
私、パソコンで最新の映像をチェックしてるとこなんだけどなぁ。
「フッカ、ねぇフッカ……」
早速、夢見のモードになってる。全然ぐっすりしてないじゃないか。
「お兄ちゃん、いいよ」
お相手をする声も、もうすっかり甘える色が板についてしまってる。
「フッカ……」「お兄ちゃん……」
二人の甘ったるい生温く湿った声が部屋に充満する。
パソコンの画面には世界各地でいま現実として起きている戦禍が映し出されているというのに。
「フッカァ!」
久しぶりの逢瀬に、彼はいつになく激しい。
「あぁっ、お兄ちゃん!」
二人の荒々しい息遣いが、禍々しい社会のリアルを打ち消して、全てを夢の出来事にしてしまいそうになる。
中東で、東欧で、ぶつかり合う武力。アフリカの内乱、アジアの人権問題。
私が正すべき世界の狂気をこの部屋で行われている狂気が曖昧にしていきそうで怖い。
若々しい逞しさを迸らせて、彼が疲れたように眠りにつくと、私はほっと息をついた。
「ちょっと、ショコラちゃん、自分家でしてよ!」
私は親子がどうとか年齢がどうとか、そんな細かい倫理的なことで文句を言ったりしない。
「ここ、私の執務室なんだからね!」
お風呂のイスみたいに小さな机とノートパソコンがあるだけなんだけど、私はコドモのイエのあらゆる管理をやらなければいけない。もともとはショコラちゃんがそういうことをやってたんだけど、議員になってすっかり手を引いてしまった。
大人では代わりにプリンちゃんが女帝みたいになってて会を纏めてるんだけど、私が承認しないと先に進めない仕組みが整っているから、やらない訳にはいかない。
『コドモのイエ』は沼田の『子供の家』を吸収して、社会福祉法人になったりして、県内に児童福祉施設が五施設と急成長し、事業内容も格段に増えた。
私は、イメージキャラクター、アイドル、主宰、会の顔、いろいろあるけどつまりは雑用係だ。宗教じみた教祖様のような相談事まで承ってて、今年に入ってからは学校にも行ってない。
「きらりんが啓示の相手をしてくれないから、仕方なく私がやってるんじゃない。しないなら仕事は家でやってちょうだい」
ショコラちゃんが高森くんのを拭きながらぶつぶつ文句を言う。
「あれが仕方なくの声ですかねぇ? 動きですかねぇ?」
ネットで三千円ぐらい課金したってあんな凄まじい映像は見られない。
「どうせするんだったら楽しまないと、でしょ? ようやく延長国会も終わってほっとしてたところで、あんな事件になって。ぱあっとストレス解消したいのよ」
「議員さんも大変だね」
ショコラちゃんは去年、与党の大物だった父親を破って当選したことで、年明けからの今年の国会では野党の大神輿になった。
そのせいで、いろんなところから目を付けられて、テレビや週刊誌に私生活まで追われる日常が続いている。カメラのレンズを逃れてストレスを発散することなんか、簡単にはできないのだ。
だけど、自ら進んでエリクサーを浴び、自分の息子と汗を散らして踊る姿は、狂気と言っていいかもしれない。
「きらりんは、もうしないんだね」
「うん、もう十分したから」
愛し合う喜びを知ったから、もうこの身体は愛する人にだけ開きたい。
「ね、したくならない?」
ショコラちゃんが高森くんのをふるふると弄びながら「ほらほら」と私に見せびらかす。八ヶ月ほど前までは、これを毎日のように受け入れていたんだった。特に感慨深くもないけど、高校生になってとても立派になってて、もうすっかり大人だ。
「小学生には、不釣合いだと思うけど……」
そう言いながら、ケージくんももう中学生になってるんだと思い出した。
彼のようやく芽生えかけてた指先ほどの大人の気配は、いまはどんな姿に成長しているんだろうか。キサキさんを知っていっぺんに変わってしまってるかもしれないんだ。
「でも、ちょっと、したくなった」そう言って笑った。
「正直だね」ショコラちゃんも笑ってる。
こういうことを和やかに語るのはおかしな感じがする。
高校生の男子に、実母と知り合いの女児が性的な奉仕をしているんだから、まともではない。私は個人的な感情で、このボランティア活動から身を引いたけど、ショコラちゃんは他に頼るあてもなく、自らが動くしかない。口では楽しんでいるなんて言ってるけど、心の内はどのような思いが渦巻いているのだろう。
「きらりん、使う?」
そういう感じになっている高森くんのを勧めてくるけど私は首を振った。大人が小学生に見せる態度とは思えない。
ときどき、議員さんがバカなことをやってマスコミを賑わすのを見掛けるけど、分かる気がする。彼らはみんな、ストレスが溜まりすぎてる。オフのときにちゃんと狂ってないと、オンで狂ってしまうのだ。
「じゃ、もう一回しとこうかな? 明日からハードになりそうだし」
けど、ショコラちゃんはどうやらいまを心から楽しんでいるようで安心した。
「ねえ、お兄ちゃん、お兄ちゃん」
ショコラちゃんが息子さんを揺り起こしてる。
「ああ、フッカ……」
お兄ちゃんは寝ぼけてても元気なところはすこぶる元気だ。
「あの、静かにやってよね!」
最初に釘を刺しておこう。ちょっと気になる映像があって、パソコンでじっくり確認しておきたい。
「ん、フッカ、あの子は?」
高森くんが夢見心地で、私に気付いてじっと見てくる。
「あぁ、あの子? 友達のきらりん。よかったら三人でする?」
いやいや、しないって!
「ダメだよ、オレはフッカだけなんだから」
「お兄ちゃん!」
はいはい、もう好きにしてくれ。
だいたい、なにが〝フッカだけ〟じゃ、アホ! あんた一回も文香ちゃんとヤッたことないじゃんか。高森くんの相手をしたのは私とあめっちとショコラちゃんだけ。
それもこれも、高森くんの気持ちを文香ちゃんに留めておくためだ。
小、中、高校と彼と一緒の学校に通ってる、あの、あめっちが目撃したという〝美乳の醜女〟がこの子にグイグイ迫り続けているらしいのだ。
もし、高森くんがあの女と一線を越えてしまったら……。あれ? 別に構わないんじゃないだろうか? 恋愛は自由だ。誰と誰がそうなっても、なんの問題もない。
文香ちゃんのお腹の赤ちゃんの父親が高森くんだということで、周りのみんなが注視してその関係を保とうとしていたんだけど、高森くんと文香ちゃんがそういう関係になったことがないなら、この子にはなんの責任もないのではないか? ならば、私たちが体を張って二人の関係を守り抜く必要性はまったくない気がする。そもそも、この子はどうして一回も関係を持ったことのない女の子の妊娠の責任を取ろうとしているんだろうか? それほど文香ちゃんのことが好きだと言うことなんだろうか? だったら、なぜあの胸だけ女の誘惑に容易く心を溶かしてしまうんだろうか? ただの女好きだと言えば確かにそうなんだろうけど……。
あの女が『エリクサー』並のリリーサー因子を放出しているとしたら生物学的にも恐るべきことだ。
私はマットの上で活発に動く高森くんの様子をちらりと見た。
「この子、誰でもいいんじゃないの?」
ふとそんな思いが頭に浮かぶ。
「うーん……、でも、誰でも、かぁ……」
高森くんは初めてショコラちゃんの体を見たとき「違う」と言ったらしい。それは、きっと高森くんが知っている文香ちゃんの体には大人の体毛がなかったからだ。その証拠に、ショコラちゃんがエステに行って全身脱毛を施したらエリクサーが使えたことから分かる。
高森くんは文香ちゃんの幼い体しか見たことがない。つまり、いま病院のベッドに横たわる大人の体になった文香ちゃんを見ていないということだ。やはり、彼は文香ちゃんとしていない。この変態で好き者の高森くんが行為をしたとしたら、その部分をつぶさに観察していない理由がないからだ。
ショコラちゃんは文香ちゃんのお腹の赤ちゃんが高森くんの子だといまでも信じている。だからこそ、他所の女が近付かないように体を張って楽しんで……、いや守っているのだし、私にも協力を依頼してきていた。弥生さんは赤ちゃんが高森くんの子ではないと分かっているけど、二人に関係がなかったということまでは知らないから、高森くんには申し訳ないと思いながらも、二人の関係が続いて欲しいと願っている。
すべてを知っているのは私と高森くんだけってことだ。しかも、私があめっちの体験を通して全てを知ってることを高森くんは知らない。
さて、どうしたものか…………、って!
「もう、うるさいって!」
これじゃあ家の大人の部屋と変わんない。あれ以来、家の両親はお楽しみがルーティンになっちゃって、私が家にいても歯止めが効かなくなってしまってて、羨ましすぎて社会の諸問題についてじっくり考えることもできない。
マットの上でドタバタと汗だくになって組体操に励む二人を怒鳴りつけた。
まったく、あした体育祭でもあるんだろうか。二人の技の難易度が高すぎる。
ぴたりと息の合った掛け声とともに見事なピラミッドでフィニッシュを迎えた二人に惜しみない拍手を贈りたい。連絡帳にはなまるを付けてあげようか。
エリクサーの効果で完全に力尽きた高森くんから降りて、ショコラちゃんがティッシュのボックスに手を伸ばす。
九時に迎えが来るのを忘れてたという。
「明日の朝から対策会議でね。今日中に東京に戻っとかないと」
秘書の清川さんが車で来てくれるらしい。あの清川姉妹もすっかり貧困から抜け出して、会の主力メンバーとして活躍してくれている。
「みさとちゃんは、大丈夫なの?」
下着を着けるショコラちゃんを見上げた。
彼女の下着は、もうおばさんのではなくて派手じゃないけど上品で華やかだ。それを見せるちゃんとしたひとを見つけて欲しい。
「きらりんの方がよく分かってるんじゃないの?」
ショコラちゃんがスカートのウエストを気にして腰をひねってる。最近痩せてサイズが合わなくなってきたらしい。きっとその人が置かれている立場や状況が人を変えていくんだ。私はといえば、この半年でどう変わったんだろう? 少しは性徴してるだろうか?
「そうだね。みさとちゃんのことは、いまのところショコラちゃん達に任せとくよ」
できれば国同士の話し合いで解決して欲しい。
「と、言うことは、いますぐ介入が必要なほど差し迫った危険ではないって言うことなんだね」
ショコラちゃんは少しホッとした顔になった。
みさとちゃんが大学で勉強している〝少数民族に対する同化政策〟の調査で訪れた欧華民主共和国で身柄を拘束されたのは三日前のことだった。
それ以降、彼女との連絡は途絶えていて、家族はもちろん、大使館さえ十分な情報が得られていない。
こんな状況下で、ショコラちゃんがわざわざ東京を離れてここに来たのは、息子とのコミュニケーションを楽しむためなんかではなく、私からみさとちゃんの情報を得たいと思ったのだろう。だけど、いまは私の出番ではない。もちろん可愛い息子さんとのコミュニケーションの方も。
あすの政府の方針に対して、欧華側がどう出るかで、私の動きは決まる。
玄関のチャイムが鳴って、清川さんが来たことを知らせる。
ショコラちゃんが急いでジャケットに袖を通した。
「じゃ、行ってくるね」
情蜜に耽溺して妖艶な色香を漂わせた横顔が、コートとバッグを手に取ると、国を背負う凛とした女の顔になった。
「頑張って!」
この人は、間違いなくすごい人だと思う。
「あ、啓示の方、あとよろしくね」
「ええーっ」
颯爽と出ていくショコラちゃんの背中を恨めしく睨んで、私は〝力〟を使わず夢の相手をした行為の後始末に悲しくなった。
「もぉ、私には〝ちゃんと使え〟なんて言ってたクセに!」
あの人は、間違いなくひどい人だと思った。