ミエルと茜の約束
自然は皆つながっているんですね。
小さなハチにも五分の魂。
メルヘンチックに書いて見ました。
穏やかでぽかぽかした、春の日曜日の事でした。茜がテレビを見ていると、隣にいたパパが突然声を上げました。
「よし!今から出かけるぞ!」
その声に、茜も、台所で片づけをしていたママも一瞬びっくりしましたが、すぐに「また始まった」と思いました。パパはいつも突然の思いつきで行動する人だからです。でも、次の言葉に茜は飛びついてしまいました。
「茜!イチゴ狩りに行こう!」
その言葉に、茜の瞳はこれ以上ないほど輝きました。イチゴ狩り!?やったー!今日はイチゴが食べ放題だ。茜は立ち上がると、
「茜、イチゴ狩り行く!ぜったい行く!」
と、はしゃぎながらこぼれんばかりの笑みを浮かべて、パパの足にしがみつきました。
茜は何よりも苺が好きなのです。大好きでたまらなくて、今だって、イチゴ柄のパンツをはいている位なのですから、嬉しくないはずがありません。
ママもまんざらでは無い様子で、甘いイチゴを思い浮かべたのか、ご機嫌な様子です
「パパ、早く行こう!」
茜は今にもイチゴを食べたくて、食べたくて、急かすようにパパをゆすりました。
茜達は車に乗って、茜の家から一時間ほどのところにあるイチゴ園に向かいました。
外は柔らかな日差しの青空、風も強くなくてイチゴ狩りにはぴったりの陽気です。
「茜、イチゴ園には養蜂場もあるんだよ」
運転しながらパパがそう言いました。
「ようほうじょう?それって、何?」
茜が愛犬であるミニチュアダックスフンドの「ピース」の長い毛を触りながらそう聞くと、助手席にいたママが後ろを向きました。
「ミツバチがいるところよ。茜ちゃんハチミツ好きでしょ?いつもホットケーキにたっぷりかけている、あれを採るところよ」
「ハチミツ!!茜、あれが大好き!今日はイチゴもハチミツも食べられるなんて幸せ!」
茜がそう言って嬉しそうに白い歯を見せたので、ピースもはしゃいで茜の口元を舐めてきます。すると、パパが前を見ながら茜に聞いてきました。
「茜はイチゴとハチミツどっちが好き?」
「うーんと、茜はイチゴにハチミツかけて食べるよ!ぜったいおいしいよね」
「・・・そうかぁ。じゃあ、ハチミツとパパとじゃどっちが好き?」
茜は聞かれた傍から大声で答えました。
「ハチミツ!!」
茜の言葉に、パパは苦笑いを浮かべて「そうかぁ」と言い、聞いていたママは大きな口を空けて笑いました。茜は真っ赤な頬を揺らして、屈託の無い笑顔でパパを慰めます。
「でも、パパの事も好きよ」
その言葉に、パパは運転しながらも、嬉しそうに顔だけ後ろに向けました。
「本当?パパの事好きなの?」
「うん!おひげがちくちくしなかったら、ピースの次くらいにね」
「・・・ピースの次かぁ」
パパの落ち込み振りが可笑しくて、茜もママも肩を揺らして笑ったので、車の中はなんだか花が咲いたように暖かくなりました。
「早くイチゴとハチミツ食べたいな!」
茜はご機嫌な様子でピースの頭を撫でると、すっかり春らしい窓の外を眺めました。いつの間にか、外には菜の花畑が広がっています。
イチゴ園に着くと、茜は真っ先に車から飛び降りました。もちろん、ピースも一緒です。茜達は大急ぎでビニールハウスに向かうと、近くにいたおじさんに声をかけました。
「こんにちは!私、イチゴたくさん食べにきたの。入ってもいいですか?」
すると、おじさんは急に暗い顔になり、茜の顔をじっと見ると、大きな溜息をつきました。そして、後ろに来ていたパパに向かって申し訳無さそうに、頭を下げました。
「イチゴ、今あんまり良くないんですよ。どれも、形や色の付きも悪くて、食べてもおいしくないんです。お譲ちゃん、ごめんな」
おじさんは悲しい顔でそう言いました。
「えぇー、イチゴ食べれないの!?」
期待して楽しみにしていた分だけ、落胆も
大きく、茜は思わずそんな声を出してしまいました。イチゴだけでお腹を満たそうと思っていたのに!こんな残念な事ありません。
「どうして?ねぇ、どうして?」
茜はびっくりしているパパとおじさんの顔を交互に見ながら、駄々をこねる寸前の顔になりました。いや、もう今にも泣きそうです。
「ミツバチがいなくなってしまったんだよ」
おじさんは苦しそうな顔でそう応えてくれました。でも、茜にはさっぱり理由が分かりません。パパも困ったような顔で、ママと顔を見合わせています。
「ミツバチがいないって事は、もしかして養蜂場の方も?」
ママがそう言うと、おじさんはさらに暗い顔になって、重々しくうなずきました。
「ミツバチがまったくいなくなっているみたいなんです。理由は定かでは無いのですが。だから、見学してもあまり・・・」
「そんなぁ。ここまでやってきたのに」
パパは予想もしていない事に困ってしまったようで、ママと一緒にすっかり残念そうにしています。もちろん、茜だってそうです。よくは分からないけど、とにかく、イチゴが食べられない事は分かったのですから。
「イチゴが食べたい!食べたいよぉ!」
泣き出さんばかりの茜に、ママがしゃがみこんで言い聞かせました。
「茜ちゃん、わがまま言っちゃだめよ。ミツバチさんがいないんだから、イチゴもできてないって、おじさんも言ってるでしょ?」
「いやいや!茜、イチゴが食べたい!」
「しかたないでしょ?無いものは無いんだから、うるさい子はママ嫌いよ」
そう言って、ママが突き放すように茜に背を向けたので、茜はイチゴが食べられないショックと、しかられた辛さとで、心に悲しみがあふれ出してしまいました。
「だって、イチゴ食べたかったんだもん!」
茜はそう言って泣き出しました。すると、パパが困ったような顔をして茜に近づこうとして手を伸ばしたのですが、茜はその手を振り払って、ビニールハウスと反対側の緩やかな傾斜の牧草地に走り出してしまいました。
「ミツバチの馬鹿!何でいなくなるの!」
そう泣き叫びながら走り出していく茜の後ろを、ピースが心配そうに付いて行きます。後ろからパパとママの声が聞こえましたが、茜は構わず斜面を下っていきました。斜面には青々とした背の低い草が生えていて、その先は林になっています。茜は涙で前も良く見えないのに、下る勢いのままその林まで一目散に駆けて行きました。
そして、林の中に入っていったのです。
どのくらい走ったでしょうか。ずいぶん林の中に入ってから、茜は止まらない涙をしゃくり上げながら、大きなケヤキの木の根元にしゃがみこみました。そして、涙を飲み込むように泣き声を上げながら、イチゴのパンツを地面に付け、両手で目頭を何度も拭ったのです。ピースは困ったような顔で「くーん」と鳴いて、顔を舐めてきます。
「エーン、ピースぅ!」
茜は力いっぱいピースを抱きかかえて、その温もりに、自分の悲しみをこすり付けました。あんなに楽しみにしていたのに、どうしてイチゴが食べれないの!何で、ミツバチがいないの!なんで!どうして?
茜の頭の中に、何度もこんな言葉が浮かんで、その度に悔しくなってしまうのです。だから、涙が止まりませんでした。
でも、ピースを抱きしめているうちに、少しずつ落ち着きを取り戻すと、茜はゆっくりと立ち上がって辺りを見回しました。
「あれ!?」
茜は思わずひっくり返ったような声を上げました。どうしよう!帰り道が分からなくなっちゃった。
茜は思わずピースを手から離すと、慌てて来た方向を思い出そうとしましたが、どこを見渡しても同じにしか見えません。涙は急にやんで、その代りに不安が背筋を伝いました。
「パパー!ママー!」
林の中はそれほど暗くはありませんが、茜よりも背の高い木や草が生えており、遠くの方まで見渡す事が出来ません。おまけに、大きな声を出しても、木と木の間に声が吸い込まれてしまうかのようです。
「パーパー!!マーマー!!」
茜はもう一度叫びましたが、まったく返事はありません。どうしよう!迷子になった!
すると、突然ピースが吠え出しました。ピースは遠くに向かって何やら吠えています。そして、その鼻先を伺うと、空中に大きな黒い塊が広がったり閉じたりして、まる大きなモーターが回る様な音をたてながら、こちらに向かってくるじゃありませんか!
茜は思わず腰を抜かして、その場にへたり込んでしまいました。すると、その黒い塊は次第に大きくなり、唸るような低い音をたてながら、茜の近くにやって来ました。よく見ると、それはミツバチのようです。数え切れないほどたくさんのミツバチが、様々な方角から集まってきて、空中に一つの大きな、大きな塊を作っているのです。
茜はそれを、ただ大きな口を開けながら眺めていました。もうピースも吠えていなくて、小さくなって茜の傍に寄り添っています。
すると、その塊は次第に形を変えて、なんと、帽子をかぶった人の形になりました。そして、驚くべき事に、口を利いたのです。
「こんにちは、お嬢さん」
蜜蜂の塊は、帽子を取りながら低く唸るような声でそう言ってきました。茜はごくりと喉を鳴らすと、ゆっくりと口を開けました。
「こんにちは」
ミツバチの塊はいつの間にかちゃんとした人の形になっていて、優しそうな顔がはっきりと浮かんでいました。テレビで見た事のある、どこかの国の紳士みたいです。
「私はハチの神様、ミエルです。フンミィとも、ホネーとも呼ばれますが、ミエルと呼んでください。どうぞよろしく」
ミエルは丁寧にお辞儀をすると、また無数のミツバチで出来た帽子を被り直しました。その様子は、どこか感じが良くて、茜はすっかり興味を引かれてしまいました。なので、立ちあがると、自分もお行儀良くお辞儀をしました。
「私は茜。こっちはピース。犬なの」
ミエルは今気が付いたかのようにピースにもお辞儀をすると、ピースもなんとなくお辞儀をしました。茜はそれが可愛らしく見えて、思わず笑みがこぼれました。
「さて、君が泣いていたからこうして姿を現したのだけど、もう笑顔になったから良かったよ。出てきた甲斐があった」
ミエルはそう言って、唸るような声で笑いました。茜もそれにつられて白い歯を見せて笑いました。
「そうだ、せっかくだからこれをあげよう」
ミエルは胸の辺りに手を伸ばし何かを取り出すと、長い腕を伸ばしてそれを茜の前まで持っていきました。そして、反射的に茜が差し出した掌に、優しくそれを落としました。
茜が掌を覗き込むと、そこには黄金色の蜜で包まれた、蜂の巣のかけらがありました。
「これは何?」
「それはね、コームハニーだよ。巣の蜜さ」
「巣の蜜・・・。なんだかおいしそうね!」
「食べてごらん。それは君のだから」
ミエルは口元をゆるめると、安心させるかのように一つ頷きました。なので、茜はゆっくりと掌に口を近づけると、一口それをかじり、そして、小さな舌の先で舐めました。
「おいしい!それに、なんて甘いの!」
一口ですっかり目が覚めるような味です。それに、走って泣いていた体の疲れもすっかり取れていくではありませんか。今まで食べていた蜂蜜とは比べようがありません。茜は少しだけピースにも分けてあげました。すると、ピースもそのおいしさに感動したようで、しっぽを大きく振って目を輝かせています。
「こんなの食べた事ない!」
「それはそうだろうね。それは、ミエル・スペシャルなんだから。女王蜂に与える栄養素が一緒に入っているんだよ」
「素敵だわ。もっとちょうだい!」
もうすっかり掌を嘗め尽くしていた茜は、ミエルの傍に寄って手を差し出しました。すると、ミエルは残念そうに首を振りました。
「あげたいんだけど、ミエル・スペシャルはもうあまりなんだ。ごめんよ、茜」
「そうなんだ、残念」
「ミツバチがもっといたら、もっとたくさんあげられるのだけど。いないからね」
「しかたないわ。そう言えば、さっきもミツバチがいなくて困ってるって言ってたわ。それで、私もイチゴも食べそこねっちゃったの。だから、泣いてここに来てしまったのよ」
茜はそう言っているうちに、目を輝かせながらミエルを見つめました。
「ねぇ、ミエル?ミエルはハチの神様ならミツバチを増やしたり出来ないの?そしたら、私もイチゴが食べられるし、おじさんも困らなくてすむの。ねぇ、どうにかならない?」
すると、ミエルは悲しそうな顔をして、心苦しそうに息を吐き出しました。
「私もそれを一番心配しているんだよ。でもね、ミツバチ達にも色々事情があるのさ。誰だって自分達の知らない遠い所に連れてこられたり、長時間狭いところで無理やり働かせられたり、集めたくても集める花が無くなってしまったりすれば、どこかにいなくなったりしたいものさ。まあ、茜にはまだ分からないだろうけど、働くって大変なんだよ」
「そうなの?」
「そうさ。でも、ミツバチ達も働きたくないわけじゃない。彼女らはとても働き者だし、そのことに誇りを持っているからね。とっても立派な仕事をしてくれるし、世界は彼女達の存在で成り立っているとすら言えるんだよ」
「そうなんだぁ。私、知らなかった」
「彼女達がいるから、イチゴやメロンとかの果物、ナスやカボチャなんかの野菜が、しっかりと実を付ける事が出来るんだ。もう何千年も人と蜜蜂は友達なんだよ。でも、今はなんとなく人の気持ちが変わってしまったのかな。ミツバチを、ミツバチとしてじゃなくて、物だと思って接して知る人が多いのかもしれないね。彼女らも体は小さいけど、はっきりと自分達の意思はあるのだから、ないがしろにしてはいけないんだけど・・・。人間も自然界の一部だって事を分かっていないといけないのだけど、忘れちゃった人が多いのだろうね。だから、彼女達はそっぽを向いてしまうのさ。何しろ、彼女達は気難しいから」
「そうなんだぁ。じゃあ、茜達が気をつけないと、大好きなイチゴや、さっきみたいなミエル・スペシャルが食べられなくなっちゃうのね。私ね、そう思ったよ」
ミエルは大きく頷きました。
「そう言う事だよ、茜。何事も争い事をしないで仲良く、自分の出来る範囲で無理なく過ごせる世界を作らなければ駄目と言う事さ。自分達だけ良ければ良いと言うのではなくてね。そうすれば、ミツバチは大いに働いてくれる。何しろ、彼女達は働きたくて、働きたくて、うずうずしてるんだからね。とっても素晴らしい連中さ」
「私、ミツバチの事見直しちゃった。馬鹿だなんて、言って恥ずかしくなっちゃう。私も大きくなったら、ミツバチさんが居心地よく住めるようにしてみたいわ。そしたら、イチゴも食べられるんでしょ?」
ミエルは嬉しそうな顔で、強く頷きました。
「そうだね。うん、そうなると思う。ミツバチの事を真剣に考えてくれる大人が今よりももっと増えて、子供達だって茜みたいに素直に分かってくれたら、ちっとも難しくないさ。そんな人が増えたら、きっと彼女達も今まで以上に働くだろうし、茜の好きなイチゴもおいしくて甘い実を付けるはずだよ」
ミエルのその言葉を聞いて、茜は安心したように、ホッと胸を撫で下ろしました。そして、ふと思った事を口にしました。
「ところで、ミエル。ミツバチってみんなメスなの?」
「もちろんそうさ。茜達が普段見ているミツバチは、ほとんどメスなんだよ。昔から女性は働き者なんだよね。茜の家だってそうだろう?ママが一生懸命働いているだろう?」
「うーん、うちはパパも一生懸命働いてるよ。いつもママに怒られてるし、休みの日以外遊んでくれないけど、でも頑張ってお仕事してくれてるの」
ミエルはにっこりと笑うと、茜の髪の毛を優しく撫でました。
「そうか、いいパパだね。だから、茜がこんなにいい子なんだ」
すると茜は少し暗い顔をしました。
「いい子かは分からないよ」
「そうかな?私には十分いい子に思えるよ。素直で、しっかり考えている、とってもいい子さ。ねぇ茜。私と約束してくれるかい?」
「え?いいけど何を?」
「私達ミツバチと共に仲良く生きていく事を。後、家族に心配をかけてはいけないよ。こんな所に迷い込んだら、パパやママがとても心配するからね。茜の代わりはいないんだから。さあ、もう帰った方がいい。道案内に私の友達を一人付けてあげるから、彼女の後をついていくといい。ピース君がしっかりと、その長い鼻で追ってくれるだろうし」
ミエルがそう言って、ピースを見るとピースは「任せてください」とばかりに、「ワン!」と一つ吠えました。
「分かったわ、ミエル。私、約束するわ」
茜がそう言うと、ミエルは満足そうに頷いて、そっと小指を差し出しました。
「じゃあ、約束だよ」
茜は元気良く頷くと、ミエルの小指に自分の小指を絡ませて、強く指切りをしました。そして、その指から一匹のミツバチが飛び出していくと、茜はミエルから離れて、そのミツバチが飛んでいく方を目で追いました。
「さようなら、茜」
ミエルが手を振ってきたので、茜も彼から少し離れながら手を振り返しました。
「さようなら、ミエル!」
ピースも元気そうに茜の周りを走り回りながら、ゆっくりと飛んでいるミツバチの後を追いかけていったので、茜も一緒について行いきました。そうして、しばらく離れた時に「また、会えるよね!」と言おうと思いつき、ミエルの方に急に振り返選りました。
でも、そこには、もうミエルの姿は無くて、無数のミツバチ達が木々の間を四方に散らばっていくのが見えるだけでした。
「さよなら、ミエル!また会いに来るから!そしたら、またミエル・スペシャル食べさせてね!きっとだよ!」
茜はそう言うと、さっき流した涙とはまた違う涙をひとすじ頬に流して、
「さあ、!」
と言ってそれを拭うと、「ワン!」と応えたピースと共に、案内役のミツバチを追って行ったのでした。
おしまい