かあちゃん
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明治45年、大正に改元。
大正元年(1912年7月30日)から大正15年(1926年12月25日)まで。
関東大震災:大正12年9月1日午前11時58分。
昭和元年(1926年12月25日)から昭和64年(1989年1月7日)まで。
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長崎県南松浦郡福江村下大津郷、そこは長崎市から海を隔てて西に100kmの位置にある、福江島の中の地名である。そこでハツノは生まれ育った。父は明治20年12月生まれ、母は明治21年4月生まれで、ハツノは、六女として昭和3年11月に生まれた。
父はたばこ専売公社に勤め、そのかたわら畑で野菜やイモを作った。家の前にも小さい畑があり、道路側には柵を並べていた。畑のまん中に道路から家までの細い道があって、ハツノはその道を歩くのがなぜか好きだった。庭ではニワトリと豚を飼った。井戸もあり、夏には冷たい水で砂糖水をつくってもらった。スイカを吊るして入れて冷やしたりもした。農家の家作りで、土間がある平屋だった。海岸のすぐ近くにあった。
長女アキは明治41年3月、弐女キクは明治44年12月、三女クニは大正2年10月、四女ニシは大正7年5月、五女シノブは大正11年9月に生まれ、間に長男と次男が生まれたが幼くして死亡した。三男トシオが大正15年1月、そしてハツノ、それから四男コウイチが昭和6年8月に生まれた。
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昭和3年
7月28日:アムステルダムで第9回オリンピック大会開幕。三段跳びで織田幹雄、2百㍍平泳ぎで鶴田義行、初の金メダル。8百㍍競走で人見絹代、銀メダル。
11月10日:御大典。今上天皇即位礼、京都紫宸殿で挙行。
12月13日:大阪の人口日本一。大阪市の人口は、233万3千8百人となった、東京市の221万8千人を抜くこと11万5千人。これを世界へ出しても、ニューヨーク、ロンドン、ベルリン、シカゴ、パリの次にゆく第六番目の大都市。
昭和16年
12月8日:「大東亜戦争」に突入。
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子どもたちのうれしそうな顔を見るのが、ほんにしあわせじゃった、他には何にもいらないと思った。ご飯を
おいしそうに食べるようすや、盆や正月、祭りの日に小遣いをもらったときのうれしそうな顔、遠足の日、運動会の日、学芸会の日、笑顔がはちきれそうだった。
とうちゃんの給料日には、家族みんながニコニコして、家の中が明るくなったようだった。夕方、とうちゃんが道路を歩いて帰ってくるのが見えたら、みんなが玄関脇の座敷に座った、わしのうしろに、一番上のねえちゃんから順に横一列にお膝をして座った。とうちゃんが、引き戸を開けて土間に入ったら、みんなが手をついて頭を下げた。
「おかえりなさいませ」 みんな声をそろえた。
「お疲れさまでした」 とうちゃんが、わしに給料袋を渡した、わしは両手で受け取った。
「ありがとうございます」 そう言われたときは、とうちゃんは照れて外に飛び出したもんじゃ。
一番いいときだった、家族がひとつになって、一番しあわせなときじゃった、そのときはそんなに思えなかった、一番いいときだなんて思わなかった。じゃが、いま思い出せばほんに楽しくなる。
お金のやりくりが大変で、生活がきつくても、いつも小さい子どもの笑顔があった、そのあどけない笑顔に助けられた、いくらでも力が出たもんじゃ。
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昭和20年
8月15日:天皇、正午ラジオを通じて、「終戦の詔書」を放送。
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昭和8年、ハツノの20才年上の長女アキが結婚した。昭和11年には、17才年上の次女キクと15才
年上の三女クニが結婚した。昭和18年、10才年上の四女ニシが結婚、親の家の隣に家を立てて住んだ。
鳥は高い空から地上を見て、どんなに見えるんじゃろうか、そしてどんなに思うんじゃろか、どんな気持ちになるんじゃろのう。広く広く地上を見渡せたら、いつも広い視野で見ていたら、小さいことは考えないようになるんじゃろうか。鳥のようにいつも広く広く地上を見ていたい、鳥のようにいつも広い視野でいたいもんじゃ。
わしは、青空に空高く舞い上がって飛んでいる、トンビやカモメを見ると、いつもそう思うた。そして、自分の考えはたぶん小さくて狭い考えなんじゃろう、もっと大きなりっぱな考えがあるんじゃろうと思った。そう思って、つらいことをがまんした。そう思えば、がまんできた。
昭和22年、6才年上の五女シノブが結婚した。ハツノは、昭和24年7月に結婚した。夫は四歳年上で、十二人兄弟の八男で、街で商売をしていた。昭和25年6月長女を出産、昭和27年6月長男が生まれた。以後、次女、三女、次男、四女をもうけた。
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昭和25年
朝鮮戦争。6月25日、北朝鮮は韓国に宣戦布告。
『ジャングル大帝』(手塚治虫)
昭和26年
8月8日 都は国電御茶ノ水駅下の谷間にある集合バラックや、上野寛永寺墓地"葵町"、隅田公園内"アリの町"などのバラックを、今年中に取り払うことを決め、仮小屋対策協議会を設け、各バラック代表を招き方針を伝え、今月中に一集合バラックに、平均二、三百坪の替え地を世話することになった。
11月27日 厚生省は、乳児と結核の死亡率が減り、平均寿命が男六十、女六十四年と発表。総死亡数の一五㌫以上を占めた乳児死亡は、出生千につき今年は五十七前後に、昭和十年に比べ十三年長寿。
昭和27年
『鉄腕アトム』(手塚治虫)
昭和28年
『君の名は』(松竹) 『ひめゆりの塔』(東宝)
昭和29年
『七人の侍』(東宝) 『二十四の瞳』(松竹) 『ゴジラ』(東宝)
昭和30年
『浮雲』(東宝)
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昭和27年、九州商船は長崎―福江間に椿丸(526トン)を就航させる、大型船時代を迎えた。
昭和29年4月1日、福江町、奥浦村、崎山村、本山村、大浜村が合併して、福江市制発足。第1回の国勢調査が行われた大正9年の本市の人口は、27297人。昭和5年は、27699人。昭和30年の40257人をピークに減少し始め、昭和45年は33442人であった。
ハツノの家は一階が店で、二階を住宅とした。二階の一間に両親と四人の子どもが並んで寝た。寒い冬の夜、子どもたちが布団に入ってブルブルふるえると、ハツノが一人ずつ順番に、熱いお湯の入った金属製の湯たんぽを布団の中に入れてあたためてくれた。そして、ハツノは下に仕事に戻った。子どもたちは眠りにつくまで、枕の下から聞こえてくる店の仕事の音を聞いていた。
夜遅く店の仕事が終わってからも、ハツノは後片づけと朝の準備をした。しなければならないことは、あしたの朝に回さず、その日のうちにしておくと決めて、きつくてもそうした。夫は、子どもたちの寝顔を見ながらひとり酒を飲んだ。この子たちを浮浪児にさせるものか、させてたまるか、そう言いながら歯をくいしばった。
ハツノの姉妹はみんな仲がよかった。よく誘い合って、子どもを連れて集まった。春は花見に行った、レンゲソウ畑の中に座って一日遊んだこともあった。夏は海水浴に行った、お盆の夜には実家に集まった。秋、畑に行って芋掘りを手伝った。冬、餅つきに、そして正月に集まった。
子どもたちは小学生中学生が多かった頃だった、家に入りきれないほど大勢だった。歩いてきて家に着くと、まずごちそうを腹いっぱい食べさせてもらった。ばあちゃんは、ご飯をおわんと同じぐらい高く山盛りについで食べさせた。そして、食べ終わると外に出て遊んだ。
ただ、ハツノの長男だけは外に出ず、ハツノのそばにいた。みんなから甘えん坊と冷やかされても、黙って母親のそばに座っていた。
――わたしはわかっていた、息子がわたしにいつもくっついているのがどういうことか。わたしを心配してそばにいるんだ、わたしが何かあったらかばおうとしているんだ。その小さい心で一生懸命にわたしのことを思ってくれている。
店の仕事がうまくいかず、姉さんたちにお金を借りている、その負い目で夫もわたしも親戚の中で小さくなっている、それが息子はわかるのだ、そしてどうしたらわたしたちが喜ぶか、自分に何ができるか考えている。
わたしが姉さんたちと話すことをじっと聞いている、みんなが一番に子どものことを話しているのを聞いたんだ、わたしが子どもの自慢ができるように、姉さんたちに自慢話ができるようにとがんばっているのが、わたしはわかった、それがうれしかった。
わたしが一日じゅう店に出ているから、子どもたちはそばによれない、こうして親戚が集まるときだけが、外出するときだけがそばにくっつけた。わたしも子どもたちとくっついているのがうれしかった。
かあちゃんも、そうだったんだろう、わたしがいつも遠くから見ていたのを知っていたんだろう、そばにくっつきたくてもがまんしていたのをわかっていたんだろう、いま初めてそう思う。
ニシの長男が泣きながら、ばあちゃんのところにやって来た。
「何ば、泣いちょっとか」
「ニワトリにつつかれた」
「泣くくらいなら、やりかえせ、ほらっ、そこんナタで首ばちょんぎってこい」
ばあちゃんの言うことには逆らえなかった。その命令で、すぐに泣きやんだ、そして、つついたニワトリを追いかけて、うしろから一振りで首を切った。ニワトリは、首がないままトットットッと五六歩走って、コロッと倒れた。
同じように、孫たちはけんかして負けて泣いて帰ってきたら、もう一度けんかしてこいと追い立てられた。そんな気の強い一面があった。
ハツノは子どもを連れて、街から歩いて実家に行った。30分ぐらいの道のりだった。まだ車がほとんど通っていない時代だった。馬や牛が荷台を引いて往来していた。子どもたちは喜んで母親について行った、母親といっしょの楽しい里帰りだった。
かあちゃんは、ハツノに話して聞かせた。かあちゃんの話し方は、静かなぼくとつとした話しぶりだけれど、シンの強さを感じた。
「貧しい人たちのことを考えるんじゃ、貧しい人たちはきょうもあしたもわからない暗闇の中で生きている、明かりをみつけようとしている、それを考えるんじゃよ、それを考えて、おまえも自分の明かりを見つけるんじゃよ」
「かあちゃんは強い、だから強かったんやねん」 ハツノがつぶやいた。
「わしは、少しずつでも成長しないと、成長できんでも、わからんでもじゃ、せめて成長しようと思わないと、歳早くに亡くなった人たちに申し訳ないと思うんじゃ」
かあちゃんがこんな話をするようになったのは、ハツノが子どもを連れて遊びにいくようになってからだった。
「自分のことだけを考えている人は、明かりをもたないんじゃ、見つけていないんじゃ、見つけようともしないのかもしれん」
「そうね」 ハツノは黙って聞いていた。
「明るいところにいたら、自分の明かりは見つけきれん、疑問や痛みをもたんかったら、生きていく明かりを見つけきれん」
ハツノは、かあちゃんが泣いたりかなしんだりしているのを見たことがなかった。いつも毅然とした顔で立ち動いていた、気の強い人だと思った。とうちゃんは、気のいいおとなしい人だった、怒ることも大きな声をあげることもしなかった。
「明るいところだけにいたら、いつまでも右往左往している、だらしのない生き方をしている、そして悪いことをしてしまう」
自分も気が強いのは、かあちゃん譲りだと思った。でも、自分は泣いたりかなしんだりしている、かあちゃんみたいには強くない。
「考えることを教えてくれるのは、疑問を教えてくれるのは、貧しい人たちじゃ」
ハツノは、かあちゃんが自分を励ましてくれていることはわかった。
かあちゃんの、このからだはどれだけ働いたろう、そして、かあちゃんの心の中はどれだけ辛抱をしたろう、どんなに大変なことだったか、ハツノはそのことを思うと、自分の苦労はちっぽけに思えてくる。
「貧しい人たちから目をそむけて楽な道を歩く人もいる、そして貧しい人から目をそむけないでいっしょに苦しんでいる人もいる、なぜ、貧しい人がいるのか、なぜ、苦しみがあるのか、答えはわからん、わからんから考えていくんじゃ」
話し声がだんだん小さく弱くなっていった。かあちゃんが話すときのくせみたいなものだった。
「かあちゃんが強いのは、その明かりをみつけたんから、いや、みつけようとしたから、いいや、みつけてるんよね」
「小さいけんどな」
お膝をして、背中を丸めて、自分の手元を見ながら話す。ついこの前までは、座っているときでも手が休んでいることはなかった、何か仕事をしていた。
「人はからだが大きくなるんじゃが、心も大きくならんといかん、心も成長せんばいかんと思うた、そうじゃないと、幼くして亡くなった、二人のにいちゃんに申し訳がねえ」
小さい小さい声は、話し相手に言っているのではなく、自分に言っているようだった。
「自分のことばかり考えていたら、心は大きくならねえ、お金のことばかり考えて、お金を自分の懐に蓄えて何になる、わしはつまらん生き方じゃなあと思う」
「かあちゃんが考えたん?」
「いや、二人のにいちゃんが教えてくれた、仏壇のにいちゃんだ、そしてなあ、わしのまわりのかなしんでいる人や苦しんでいる人が教えてくれたんよ、わしはそれがなかったら、こんなに強い気持ちはもてんやったろうと思とる」
「そう」 ハツノは話でしか亡くなった兄のことは知らない、それもほんの少ししか知らなかった。しかし、兄としての存在は心の中にあった、そしていつもかなしく思った。
「貧しい人たちのために使わんやったら、何がお金じゃ、貧しい人たちのために考えんじゃったら、何がえらいもんか、そんなもん、へのつっぱりにもならん」 珍しく、かあちゃんの声が大きくなった。
「何ね、へのつっぱりって?」 ハツノは笑った。
「へのつっぱりは、へのつっぱりたい、・・・へを出さんようにする、蓋にもならんちゅうこったい、・・・ちごうとるかな? へは出さんばいかんしな、出るもんは出さんとからだに悪かろうのう・・・」 かあちゃんは首を傾げた。
「ふふふ」
とうちゃんは街の商店にタバコを配達していた。ふろしきに包んで背負って歩いた。ときどきハツノの店に寄った。靴を脱いで上がらずに、いつも土間に座って話した。ハツノはお茶代わりに湯飲みに酒を入れて、盆にのせてそばに置いた。とうちゃんはうれしそうに一気にのみほした。
大好きなお酒は、とうちゃんの肝臓を悪くした。からだの具合が悪くなり病院で診てもらったときには、医者から家族に手遅れだと告げられた。商店街の端に、赤十字病院があった、そこにとうちゃんは入院した。ハツノの店のすぐ近くだった、ハツノは毎日病室に顔を出した。
子どもを連れて、いつも小さいヤカンを持って行った。病室で、そのヤカンから湯飲みに注いでとうちゃんに手渡した。
「はいっ、とうちゃん、お茶よな」
とうちゃんはニヤッと笑って受け取ると、グッとひと息で飲み干した、お酒だった。ハツノは誰に言うでもなく、相談するでもなく、自分でそうした、何の迷いもなかった。病室の前には小さい花壇があって、ハツノについてきた子どもはそこで遊んでいた。
昭和37年7月23日、とうちゃんが亡くなった、77歳だった。かあちゃんは、ハツノに話した。
「ハツノ、がんばって生きていれば、いつかうまくいく、いつかはわかんねえけれど、それでも、いますぐよりは後のほうがええぞ、わしは一番最後がいいと思う、おめえが女の中で一番最後だから、そう言うんじゃねえ、だけど、一番最後にうまくいくと思ってみろ、一番最後にみんなよくなると思ったら、楽しくねえか。一番最後に願いがかなうんじゃ、しあわせになって終わるんじゃ、そう思ってもう一度がんばってみろ、のう、これを誰も違うとも言えねえ、そうだろ」
ハツノは、自分がしっかりしなければと思った、かあちゃんを見守ってやらなければと思った、でもかあちゃんのほうがハツノを励ました。
同年9月26日、午前2時10分頃、市街地の北端から出火し、波浪注意報下にあって、約十メートルの強風にあおられて、またたく間に繁華街を焼きつくし、計604戸を焼いて、6時間後の午前8時10分ごろ鎮火した。福江大火である。
ハツノの家も燃えた、しかし、夫が掛けていた火災保険で借金が全て返せた、そして大きな三階建てのビルを建てることができた。夫は、家計が苦しい中でも父親の言いつけを守って高い火災保険だけはかかっていた、くどいくらい忠告してくれた父親に感謝した。これを機会に商売は好転して、繁盛の軌道に乗った。
ハツノは暇をみつけては、いつでもかあちゃんに会いに行くことができるようになった、そしておみやげをもっていくことができるようになった。かあちゃんの必要な物を買っていくこともできた。いっしょに連れてきた子どもたちは、隣のニシの子どもたちと遊んだ。ニシの子どもたちが年上で、よくかわいがってくれた。
「やっと、かあちゃんがわたしのことをいっぱい思ってくれる」
ハツノはそう言って、おどけるようにかあちゃんの顔をのぞきこんだ。その顔は、子どもの頃の表情になった。
かあちゃんは、部屋の隅に座ってじゃまにならないようにして、孫たちが遊んでいるのを見ている。からだが太って顔はしわだらけになっていた。目を細めてうれしそうに笑っている。
「順番なんだろうね、そしておまえが一番最後だったんじゃな、おまえが一番待ったんじゃな、ほんにようがまんしたなあ」
かあちゃんが真面目に話した、それでハツノはしんみりとしてしまった。
「わしが40のときに生んだんじゃもんなあ、上に五人の姉ちゃんとすぐ上に兄ちゃんがいたからのう、おめえはいつも後回しにされたのう、一番最後やったのう」
「そう、一番待ったの、わたしは待つことから始まったの、がまんすることから始まったの」
小さいときは、かあちゃんだけをみていた、かあちゃんが思いのすべてだった。かあちゃんが座っているところを見たことはなかった、いつも働いていた、いつも動いていた、見ていて大変だなあと思った、かわいそうだと思った、えらいと思った、自分を見てくれなくてもしかたがないと思った、そう思ってがまんした。
大きくなって、だんだんと視野が広がっていく、いろんな人やいろんなものを見る、そして考える、かあちゃんの他にいろんなことを考える、恋をして相手のことがいっぱいになる、そして結婚して子どもができて、子どものことがいっぱいになる、・・・そんな今までの自分が思い返される。
「ハツノ、人間はどこかを見て生きていかんと、まちがったことをするようじゃ、ハツノ、生きていく先を考えておくんぞ、自分はどう生きるか考え続けるんぞ」
ハツノは、生活に余裕ができた自分のことを言っているということはわかった。
「わしは、子どもたちのことでいっぺえじゃった、他のことは考える余裕などこれっぽっちもなかった、それでよかったんじゃ。余裕があったもんが悪い方へいったのを何人も見てきたよ」
ハツノは、ゆっくりとうなずいた。
ニシは、ハツノが来て三人で話しをするとき、よくかあちゃんに言った。
「ハツノは、べっぴんに生んでもろてよかったなあ、わたしは羨ましかあ」
「おまえには、丈夫な歯ばやったろが」 かあちゃんはその度にこう答えた。
「わたしは、べっぴんの方がよかったよな」
「わしが決めれるこっじゃなかけんなあ」 かあちゃんはそう言って笑った、ニシもハツノも笑った。
あるときかあちゃんが、いつになく感情を出して話した。
「ハツノ、わしはもういっぺん雪景色を見てみたいと思っとるんじゃ、山も野原もみんな白くなってきれかったなあ、もう今じゃあ見れんようになった、昔はよう積もったもんじゃがなあ、どっか雪が積もるとこに行ってみたいなあ」
「かあちゃん、わたし連れて行けるよ」 ハツノはすぐに言った。
「まあ、言うてみただけたい、わしの幼友達が金沢にいてな、金沢は雪がたくさん積もってきれいじゃろなあ、でも、地元の人は大変じゃろうなあ、ながめるひまもないかもしれんなあ」
「かあちゃん、行こう、わたし連れて行くよ、その幼友達に会いに行こう」
はじめて聞くかあちゃんの望みだった、ハツノは驚きと興奮を押さえきれなかった。
「よかとよ、こうしておまえと話しているだけで行ったような気分になる、その友だちも、もうだいぶん前に音信が途絶えた、どうしとるかわからん」
「でも、行こう、行ってみよう、ねえ、二人で行こう」
かあちゃんは笑って、そして丸めていた背中を伸ばした。ハツノの気持ちを静めようとちょっと間をおいた。
「やめとこう、できんでもいいんじゃよ、またずっと思っているよ、ほかにもな、おまえといっしょに遊んだようすを思いうかべるんじゃよ、できんじゃったことを心の中で思いうかべる、いま、いっぺえ時間ができて、いっぺえ、小さいおまえと元気だったわしが遊んでいるのを思いうかべるんじゃよ、いいのう、考えるだけでもいいのう」
「かあちゃん」
――かあちゃん、わたしも、仕事が忙しくて、わたしの子どもたちと遊んでやれない、いつかいっしょにいっぱい遊んであげようといつも思っている。ハツノはそう心の中で打ちあけた。
「かあちゃん、心残りじゃなか?」
「ハツノ、心残りじゃないとよ、できんでも、思うだけでもいいんじゃよ」
「うん」
トシオは長崎市外に出て、仕事を転々としていた。かあちゃんは実家に一人で住んでいたが、隣にニシがいたし、市役所の職員であるコウイチも、離れたところに借家住まいであったが、いつでも様子を見に行けた。そしてハツノもいた。
ハツノが、何かの用事で夜にかあちゃんのところに行ったときのことだ。歩きながら、道路から見た家の中はまっ暗だった、急ぎ足になり畑の間の小道を歩いているときに、部屋の中にほのかな明かりが見えた。
玄関を開けて、「かあちゃん」と声をかけた。
「おう、ハツノかあ」 奥から返事があった。
部屋のまん中に、かあちゃんがお膝をして座っていた。その前に、ろうそくが一本あって火がついていた。小さいろうそく立ての上に、仏壇の白い細長いろうそくが立っていた。
「どうしたの、電気もつけんで」
「なあに、こうしてろうそくの明かりを見とったら、昔ば思い出すんじゃ」
「でも」 ハツノは、何かこの様子を考えようとした。それをわかって、すぐにかあちゃんは教えてくれた。
「蛍光灯は部屋じゅう明るくする、ろうそくの明かりはまわりに暗闇も見える、わしは、暗闇の中に明かりが見えるっちゅうのが、いい心もちになる、わしの生きてきた思いじゃ」
ハツノは立ったまま、黙ってゆっくりとうなずいた。
コウイチが長崎の県庁に転勤になった。ハツノが声をかけて、兄弟姉妹でコウイチの送別会をした。街の割烹料理店にコウイチの家族と、シノブとハツノと、ハツノの四女が集まった。広い二階の宴会場で、食事の後にマイクをもって歌を歌った。楽しかった、心の底から笑えた。コウイチが、その様子をいっぱい写真にとった。
生活が安定しているからこういうこともできる、騒ぎながらでもハツノはそう思った。よくここまでがんばってきたと思った。でも、まだハツノは店に入って仕事を続けていた。
かあちゃんが、ハツノに話した。
「ハツノ、わしは思うんじゃ、今頃の親は炊事も掃除も洗濯も楽ばしすぎとる、電気も水も使いすぎとる、楽な生き方をしたら、そばで見ている子どもはどうなる、子どもは親を大変だと思わん、親に感謝しなくなる、わしはそう思えて気持ちが萎えてくる」
かあちゃんは足腰が弱くなっていた、動くことがきつくなっていた。
「かあちゃん、わかっちょっよな、わたしはかあちゃんば見てきたっよな」
「そうかえ」
「はい、わたしはまちがいはしません」
「ああ、おまえは大丈夫じゃ」
ハツノも思った、親が自分のことより子どものことを先に思わなかったら、子どもはどうなるんだろうかと。
ハツノは、仕事が終わって風呂からあがってから、ビールを飲むようになった。大ビン一本をひとりで飲んだ。夜11時を過ぎていたが、ゆっくりした時間があるときは、子どもをつかまえて話し相手にした、いつも昔話になる。
「かあちゃんは子どものとき、ばあちゃんの目を引こうとした、そればかりを考えていた、・・・」
子どもたちは、半分聞いて半分聞いてなかったが、ハツノはそれでよかった。
「かあちゃんは、女学校で成績が二番だった、・・・」 ハツノの自慢の話だった、何度も話した。
「ばあちゃんは何でも一番が好きだった、何でも一番になったら褒めてくれた、・・・」
ハツノは、学校の成績が一番になって、かあちゃんに褒めてもらおうと思った。一生懸命勉強した、それでもいつも二番だった。一番は、ずっと同じ子だった。最終学年になったときだった、もう一年しかないと、教室でその子を見ていた、どんな勉強の仕方をしているのか、どうしてわたし以上にがんばれるのかと、そしてふっと思った、あっ、この子もわたしといっしょなんだと。わたしと同じで、成績が一番になって、親か誰かに褒めてもらおうとしているんだ、そうでなくても、何かそんな理由があるんだと。
わたしといっしょなんだ、そう思ったら、自分は一番にならなくてもいいと思った、二番でもいいと思った。
そして、子どもたちに話す。
「かあちゃんは、女学校で成績が二番だった、一番の子はすごくてねえ、かあちゃんはどうしてもかなわなかった」
やさしい笑顔で、なつかしそうに話した。そして、心の中で、子どもたちに教えていた、――二番でもいいんだよ、何番でもいいんだよ、やさしい心をもつんだよ。
「かあちゃんはその子と友だちになった、いい人だった、そして仲のいい大好きな友だちの一人になったんよ」
コウイチが長崎に転勤してから二年後、コウイチがかあちゃんを引き取ると言った。いつまでも姉さんたちに迷惑をかけれないと言った。トシオはまだ仕事が不安定で、いっしょに住むのは無理だった。
ハツノは、夫の母親といっしょに暮らしていた、父親は亡くなっていた。商売は順調で金銭的には余裕があったが、自分の母親をひきとることはできなかった。ニシもいっしょに住む余裕はなかった。それよりも、かあちゃんは娘のところには行かないことはみんなわかっていた。
かあちゃんは、コウイチのところに行くと言った。歳とってから、生まれ育った土地を離れることが、そして住んだこともない都会で暮らすことが、どんなにつらい思いをするのか、ハツノは考えただけでたまらなかった。
かあちゃんが話した。
「ハツノ、わしゃあ、いま何を考えて生きとると思うけえ、わしゃあ、おまえさんや、おまえさんの子どものことを思って生きとる、なしてかというと、おまえさんや、おまえさんの子どもがわしのことを思ってくれとるからじゃよ、それでいいんじゃよ、ハツノ、他はいらないんじゃよ、本当じゃ、それだけでわしは生きらえる」
「かあちゃん」 ハツノは言うことばをみつけきれない。
「おまえがわしのことをいっぺえ心配してくれる、それを見ておまえの子どもたちもわしを大切にしてくれる、おまえの子どもたちがおまえをいっぺえ心配しとるんじゃよ」
「かあちゃん」 ハツノは涙を流した、かあちゃんはやさしくほほ笑んでうなずいた。
ハツノが子どものときの分を取り戻そうとでもするように、かあちゃんに会いに行く。かあちゃんは、うれしいやら、いじらしいやら、かわいそうやらで、胸がいっぱいになる。
――誰一人、気持ちが通じ合う人がおらんやったら、とてもさみしいことじゃと思う。人間の一番のつらさ、かなしさは、自分がひとりぼっちだと思うことじゃ。おまえがわしのことをわかってくれている、おまえがいっぺえわしのことをかなしんでくれる、それでわしは十分じゃ、他に何もいらねえ、おまえ一人だけでも、わしの気持ちがわかってくれている、それだけでいい。
かあちゃんといっしょにいて、かあちゃんを目の前にして、ハツノはいつも思う。心の中でいつもつぶやいてしまう。
――とうちゃんは、しあわせじゃったっかな? そう聞いても、――どうじったじゃろかのう、と答えるだろう。
――かあちゃんは、しあわせじゃったっかな? ――しあわせじゃったんじゃろうのう、と曖昧な返事しかしないだろう。
ハツノはかあちゃんといっしょに長崎に行った。朝八時発の汽船に二人で乗った。四時間の船旅だった。一等客室にゆったりと座った。かあちゃんは二等でよかったのにと恐縮した、その他人行儀のような言い方に、ハツノはかあちゃんがもう萎縮しているのがわかった、きょうから知らない土地で、都会の小さいアパートで暮らしていかなければならない、そう思うとかわいそうでしかたなかった。
(かあちゃん、かあちゃんは、しあわせじゃったっかな?)
そう聞きたい。
(かあちゃん、行きたくないんじゃろう?)
そう聞きたい、かあちゃんが一言、「行こごちゃなか」と言えば、わたしは連れて帰る、うちの家でひきとる。わたしはどんなことをしてもひきとる。でも、わたしは口に出して聞けない、かあちゃんは行きたくないとは言わない、それがわかっている。
船から降りて、大波止の近くで昼ごはんを食べた。かあちゃんは、道路の広さや車の多さに、不安な顔をして歩いている。ハツノの腕を両手で握って歩いた。ハツノは、浜の町やめがね橋を見物させようかと思ったが、やめてタクシーに乗った。
かあちゃんは、ずっと子どものことだけを考えて生きてきた、自分のことなんか考えなかった、夫と子どもの世話だけをやってきた、自分の楽しみは何一つなかった、そんな人生でよかったんだろうか、そんな一生でしあわせだったんだろうか。ハツノは、となりに黙って座っているかあちゃんのことを思った。
わたしもいま同じ道を歩いている、わたしは子どものことだけを考えて生きている、だって子どもたちはわたしのことを考えている、わたしの心配をしてくれる、その小さい心であふれ出るほどいっぱいの心配をしてくれている、わたしのために何かしようと考えている。このことをどう考えればいいのだろうか、何かを知りたい、でもわからない。
ハツノは考えることをやめて、かあちゃんを見た。かあちゃんもハツノを見た、そしてほほ笑んだ、ハツノもほほ笑んだ。
コウイチの家に着いた。かあちゃんは自分の家にいるときと同じように、部屋の隅に座った。いつも座る部屋の角だった。男の子二人がうれしがった。かあちゃんは、目を細めてその二人のようすを見ていた。
ハツノは一晩泊まって、翌日の昼の便の船に乗った。客室の壁に向かって、横になった。出航してしばらくすると、まわりの人たちもみんな寝転がって静かになった。
ハツノはかあちゃんの顔を思いうかべた、かあちゃんの話を思い出した。
結婚して、ずっと生活が苦しかった。何度も泣いて実家に帰った。かあちゃんはかくまうように、わたしを家に入れてくれた。かあちゃんは、いっしょにかなしんでくれた、自分もつらそうに話した、小さい小さい声で、わたしが傷つかないように、わたしががんばる気持ちをもつようにと話してくれた。
──誰でもそれぞれ、自分の生きていく道を探さんといかんようじゃ、自分のめざす明かりをみつけんといけんようじゃ、そしてつらいけんど、明かりは暗闇ん中にしか見ることができんとよ、明るかところでは見つけることができんとよ。
わたしはすすり泣きながら聞いた、そして、またとぼとぼと街に向かって歩いて帰った。
──暗闇の中でもがんばるんじゃよ、苦しさにほほ笑むんじゃよ、苦しさだけじゃないんだよ、ほのかな明かりがそこにあるんじゃよ、その明かりを見つけるんじゃよ、豊かさの中には見つけることができないんじゃよ。
大火の後、商売が繁盛して生活に余裕ができてきた。そんなときも、かあちゃんは昔と変わらない小さい声で話して聞かせた。
──子どものときのおまえの笑顔は輝いていた、わしは見ていたよ、わしをいっぱい慕っていた、それはわかっていた、でも姉ちゃんたちが先だった。おまえが嫁いで苦しい生活をしていた、おまえの笑顔が消えていた、いまくらしがよくなって、おまえの笑顔が戻った、昔の、子どもの頃の輝いた笑顔になった、おまえはがんばって苦しみを乗り越えたんじゃよ。
(かあちゃんは、ずっとわたしの気持ちをわかってくれてたんだね、わたしが小さかったきも、かあちゃんはわたしの気持ちをわかってくれていた、わたしが気づかなかったんだね)
──おまえは、ずっと暗闇の中で明かりを求めたんじゃよ、暗闇の中でがんばったから明かりを見つけたんじゃよ。おまえががんばったから、おまえの子どもたちも、その小さい心の中で明かりを探して、そして見つけるんじゃよ。
(わたしが苦しかったとき、まだ若かったから夢中でがんばることができたと思っていたけれど、かあちゃんが見守ってくれていたんだね、かあちゃんが黙って教えてくれていたんだね、かあちゃんが、ちゃんと明かりを灯してくれていたんだね)
──わしは、つらいときはおまえを見たよ、おまえはいつもニコニコと笑いかけた。おまえがいつもわしが見るのを待っているのはわかっていた、痛いぐらいにわかっていた。それができない自分も責めた、でもできなかった、そしてわしはがんばろうと思った、いつかおまえをずっと見てやれるときがくるまでがんばろうと思った、おまえのためと思えばがんばれた、何でそんなおまえの望みを叶えてやれないでおれようかと。
ハツノは嗚咽するのをこらえた。まわりに気づかれないようにむせり泣いた。そして、泣きつかれて涙が止まった。そうしたら、かあちゃんが笑った、ハツノも笑いかけた、照れ笑いになった。
かあちゃんが言った。
――おまえの明かりは、何だえ。
(わたしの明かりは、かあちゃんだ) ハツノは答えた。
――そうかえ、でもわしはいなくなるぞ。
(それは、言わんで)
――わしの明かりは、おまえだよ。
「・・・かあちゃん」