彼女に告ってフラれて教室で落ち込んでいたら、授業開始のチャイムと共に彼女がやって来て――
「明美さん……好きです!」
告白。
「ずっと前から好きでした!」
僕のはじめての告白。
「お願いします! 僕と、僕と、つき合ってください!!」
小泉祐史、男として、初めての交際の申し出。
彼女に向かって、僕は力一杯叫んで頭を下げた。
目の前の女の子に向かって、明美さんに向かって。
つき合いたい。明美さんとつき合いたい。
好きだから。ずっと好きだから。
本当に、大好きだから。
お願いします。
お願いします。
お願いします。
お願いします、明美さん――!
――キーン、コーン。
その瞬間、朝のチャイムが――。
「………………ごめんなさい!!」
――カーン、コーン。
鳴ると共に、明美さんは走り去っていった。
その音が鳴り響く校舎裏に、僕一人だけを残して。
…………終わった。
終わった。
チャイムと共に。彼女との思い出と共に。僕の初めての恋は終わった。
さよなら、明美さん、さようなら。
――キーン、コーン。
ところで、
――カーン、コーン。
学校のチャイムってこんなに虚しいものだったけ……?
――それから、どうしていたのかは、よく覚えていない。
どこかはわからないけれど、幽霊のようにずっとさまよっていた気がする。
恨みたいのは、僕自身だ。
チャイムと共に、教室に戻ってこれたのは、三時間目の開始直後だ。
だけど授業中、ずっと机にうずくまっていた。
四時間目になってもだ。
僕の席は教室の一番前で教卓がすぐ右にあるから、先生たちにすぐ近くから見下ろされていたことになる。
そして昼休みになっても、僕は起き上がれなかった。
「おい、祐史、飯食いに行こうぜ」
教室が賑わう中、右後ろの席から気軽に声をかけられる。
昼飯なんて食えるわけないだろう。
「……なあ、いい加減、元気出せよ」
うるさいよ。放っといてくれ。
口から出せず、体も動かせない。
情けなかった。
「そのうち、いいことあるって」
やり方はうまくないけど、慰めようとしてくれているのがわかる。
「……放っといてくれ」
やっと声が出せたけど、絞りカスだ。
「そう、言うなよ……」
友達にこんな姿を見ないで欲しかった。
もう何も聞きたくない。もっと惨めになるだけだ。
僕は自分の世界に逃げ込んで、その中に閉じこもる。
もう何もかも忘れたい。思い出したくない。
なのに思い出すのは、やっぱり彼女のことだった。
初めて会ったのは、高校生活が始まって間もない頃。
授業が終わった後の休み時間、僕は廊下で友達と話している彼女を見かけた。
肩まで伸びた長い髪、型は豊かなロングボブ。
丸い顔に丸い瞳、鼻は小さく、幼さが残る顔立ち。
おっとりとしていて、からかわれると見るからにパニクるから、友達にいつもイジられる。嬉しい時に見せる笑顔は、ひまわりのように明るい。
可愛いけれど、一目惚れというわけではなかった。
僕と気が合う人かもしれないと、心の中に強く残ったんだ。
それから僕は学校に行く度に、彼女のことを知っていく。
名前は、赤林明美。
隣のクラスの女の子。
気が小さい僕のように、普段はおとなしい性格。
身長は僕よりほんの少しだけ低い。
勉強は僕と同じく平均的で、運動神経は苦手な僕よりよかった。
決定的だったのは、熱い一面があると知ったこと。
大事なことには一生懸命になって、止まらなくなる。
時にやりすぎて、謝る羽目にもなってしまう。
そんなギャップの可愛さと自分にはない行動力に、僕はたまらなくなる。
僕は、赤林明美さんのことが好きになった。
それから口実を探しては、彼女のクラスに行く。
僕の友達と彼女の友達を通じて、知り合いになれた時は喜んだ。
メアドと電話番号を交換できた時の嬉しさといったらない。
僕と彼女は、よく話す知り合いからちょっと仲のいい友達の間の関係になれた。
それがしばらく続き、そんな中途半端を変えたいと思って、僕は決意する。
そうして今日の朝、一世一代の大勝負に出て、無残に玉砕したというわけだ。
今朝まで、本当に楽しい時間だった。
それも、もう終わったんだ――。
――キーン、コーン、カーン、コーン。
昼休みの終わりと授業開始を告げるチャイムが鳴る。
「よし、それじゃあ授業――」
先生が左側にある机から立ち上がった。
僕はやっぱり起き上がれない。
その時だ。
キーン、コーン。
「――始める……ぞ?」
カーン、コーン――。
チャイムと共に、右の扉から誰かが走って来る足音がドタドタッと響いた。
聞こえたのは、ほんの少しの間だけだ。
その足音は、机にうずくまっている僕のすぐ前で止まる。
誰かが慌てた様子で、教室の中に駆け込んで来たみたいだ。
「……おい?」
その証拠に、右後ろの友達が驚いていた。
教室のみんなはどよめいている。
なにがあったんだろう?
それにどうしてだろう?
誰かの足音は、僕の耳に心地よく響いた。
きっと女の子だ。
そう思うと、僕の胸に淡い期待が湧いた。
そんなわけないのに。
そうだよ、そんなわけないのに。
そんなわけ――。
「……あの」
――彼女の声!
僕の上半身は条件反射で、勢いよく起き上がった。
「……明美さん?」
僕は机の椅子に座ったまま、目の前にいた彼女の顔を見上げる。
僕の机の前に立っている明美さんは、今にも泣き出しそうな顔で、肩をわなわなと震わせ、制服のブレザーの裾を両手でぎゅっと握りしめながら、僕の方に向かって俯いていた。
「……祐史くん」
小さくて、つらそうな声で、明美さんが呼んだ。
「……なに?」
つらくて、小さな声で、僕は返した。
「…………ごめんなさい」
「…………えっ?」
「……朝」
「……朝?」
「……逃げちゃって、ごめんなさい!」
彼女が、一転して、大きな声を出した。
「『ごめんなさい!』って言っちゃって、ごめんなさい!!」
泣き叫びたいかのような大声で、僕に謝った。
「……勝手ですけど、『ごめんなさい』って言ったの……許してもらえませんか」
次に、せつない声で。
「私……ああ言われるの初めてだったから……なんて言えばいいのか……わけわかんなくなっちゃって…………」
それから彼女の口は止まって、すすり泣く。
明美さんが、もうメチャクチャ泣いている。
「明美、ガンバ!」
彼女の友達の声が、右側の廊下から聞こえる。
「……だけど、これだけは」
その応援をきっかけに、彼女が涙を呑んで再びしゃべり出す。
「これだけは、言いたいってわかるから、あなたの前に来ました!」
「……言いたいこと?」
「……はい!」
「なに……?」
「……私も……好きです」
僕の心が――、
「……大好きです」
――締め付けられる。
「ずっと、ずっと、一緒にいたいぐらいに、あなたのことが大好きです!」
「……君も?」
「……はい!」
信じられなかった。
「だから……だから……もし許してくれるなら……」
明美さんが、僕に、僕に、思いっきり頭を下げた。
「祐史くん! 私と、つき合ってください! お願いします……!」
僕の中で、いろんな思いが渦巻いた。
悲しみ。憤り。
今更、勝手だよ! 僕が、どれだけつらかったことか!
そんな怒りが、僕の中から湧き上がる。
――だけど、彼女は泣いていた。
僕が泣いたのと同じぐらいに、明美さんは泣いていた。
だからわかった。彼女の気持ちが。
明美さんが、どれだけ僕のことを想っていてくれるのかが――!
ガタッ!
くだらない想いを椅子と一緒に吹き飛ばして、僕は立ち上がった。
彼女に、答えるために。
「明美さん!」
明美さんに、答えるために。
僕は、涙顔になっている明美さんと向かい合う。
「大丈夫! 全然気にしてません! 僕も、あなたのことが大好きだから!」
そして、彼女が伸ばしてくれている右手を自分の両手でギュッと握りしめる。
「だから、だから……よろしくおねがいします!!」
「……はい!」
僕は、明美さんと見つめ合う。
明美さんの表情はとても眩しい笑顔になって、両方の瞳が嬉し涙で輝いた。
周囲から歓声が上がる。
教室でずっと見ていた僕のクラスメートたちや、ドアや窓から覗き込んでいた他のクラスの人たちだ。
みんな楽しそうに騒いだり、ヒューヒュー言ったり、拍手したり、口笛を吹いたり、からかったりして、僕と明美さんのことを喜ぶ。
だけど、僕と明美さんの世界にいたのは僕たちだけだった――。
「はーい。おめでとー、おめでとー」
先生までもが両手をリズミカルに叩いて、僕たちのことを祝ってくれる。
「じゃあ、授業はじめるぞー。お前ら、席つけ。廊下にいるやつらはさっさと教室戻れー」
そして先生の呼びかけで、僕たちは現実に引き戻された。
そうだよ……。チャイム鳴ったんだから、今、授業中だ……!
教室のみんなが、はしゃぎながら机の中から教科書やノートを取り出す。
廊下から見ていた人たちは、楽しそうに笑って自分の教室に戻り始めた。
「先生、ちゃんと授業するからなー。お前ら、ちゃんと聞けよー。後で覚えてなくても自己責任だぞー」
僕はまだドキドキして明美さんの手を握ったまま座ることができない。
明美さんも手を離せず、僕の前に立ったままだ。
ああ、一緒に授業を受けることができたらな……。
「それから、小泉と赤林、お前ら二人とも放課後、生徒指導室なー」
……ですよね。
授業、邪魔しちゃったんだもん。
僕と明美さんは恥ずかしくなり、互いの手を引っ込めてその場に立ち尽くした。
今更だけど、授業開始間際にみんなの前で告白だなんて、大胆すぎる……。
これって、大人になってからもネットや飲み会とかでずっとイジられるよね。
「二人とも、ちゃんと教室の前で待ち合わせて、一緒に廊下歩いて来いよ。生徒指導室の前で待ち合わせなんてなしだぞ。先生、生徒指導室の前で、立って見てるからな」
先生、やめて! そんなこと言わないで! みんな、ワアワアキャーキャー騒いでる! 廊下歩いてるとこみんなに見られちゃうー!
つうか、なにニヤニヤしながら言ってんの、あんた!?
止めなかったのは、ありがとうございます、だけどさー!
「……教室で待ってるから」
その言葉を聞いて、僕ははっと振り向く。
明美さんが涙目で、僕をまっすぐ見つめている。
「迎えに来て、くれますか?」
僕と明美さんは立ったまま見つめあった。
僕たちの恋の授業は、これからはじまるんだ――。




