吸血姫~混ざりもの~
もうすぐ日付が変わるという頃、冷房の消えた部屋で寝ていた少女、若月ひらりは暑苦しさと喉の渇きを覚えて目が覚めた。
部屋の電気は全て消していたがカーテンから漏れる月明かりだけで彼女には充分で、つまずくことなく冷蔵庫の前まで歩いていく。
喉を潤すために水を取り出そうと冷蔵庫の中身をみるがどこにも見当たらず、そういえば寝る前に飲み干していたことに気が付いた。
買いにいかなければと思いながら結局寝てしまったため飲むものが全くない。
出掛けるのが億劫で一瞬だけ水道水を沸かして飲んでしまおうかと考えたが冷めるのを待つのも時間がかかるため結局買い出しに行くことにした。
寝間着から着替えて財布を持って外に出ると、空には欠けていない月が登っていてまるでこちらを見下ろしているようで目をそらしてしまう。
「……嫌な感じ」
こんな月の綺麗な日はいつも胸騒ぎがする。
単なる気のせいなのかそれともこの体に流れる化け物の血がそうさせるのか…。
私にはよく分からない。ただ…
「喉が、渇いたな…」
ぽつりと呟いた言葉はひっそりと闇に溶けていった。
「ありがとーございました~」
近くのコンビニで飲み物を買った私は店を出ると喉を潤すために水を少し口に含んだ。
火照っていた体に冷たい水が通っていくのが心地いい。
そのまま歩きながらちびちびと水を飲んでいるとふと、嗅ぎ慣れた匂いがした気がして足を止めてしまった。生温い風とともにその匂いは街灯のない路地の方から漂ってきているようだった。
胸騒ぎがする。
単なる気のせいであればいい。
そう願いながら路地へと足を踏み入れるが、進むにつれ濃くなる匂いに私の体は気のせいではないと訴えてくる。
そして夜目がきくこの目がとらえたのは、壁を背にして立つ女性とその女性を抱きしめている男性だった。
更に言うと男性は女性の首もとに顔を沈めており、女性は何だか虚ろな目をしていて、顔色が悪い。
そして周辺に濃く漂う匂いは、血の匂いだった。
ドンッ!!
2人の姿を認識した私は考えるよりも先に体が動いていて男性を蹴り飛ばしていた。男性の支えを失い崩れ落ちそうだった女性を私がとっさに支えてゆっくりと地面に座らせる。
彼女の首からはまだ新鮮な血がたらりと流れ続けていた。
「え……、何?…痛い、…血?」
急な事にびっくりしたのか虚ろだった目が徐々に戻り始めてきたが首もとから流れる血と痛みに気付いて彼女はパニックを起こしているようだった。
止血しなければと首もとに触ろうと手を伸ばしたが振り払われてしまい、彼女から怯えた目で見られてしまう。
「やだ、何これ…痛い、血がっ」
「大丈夫、落ち着いて?止血するだけですから」
「いやっ、来ないで…化け物!!」
「!!」
私はとっさに顔を下に向けて目を手で覆ってしまった。
彼女は今、はっきりと私の目を見て怯えていた。
自分では確認できないから分からないが彼女の怯え様からして私の目はさっき蹴り飛ばしたあの男性と同じ目をしているのだろう。
化け物の赤い目に…。
きっと彼女の血に体が反応してしまっているのだ。
「いや、来ないで!!」
「…っ」
抵抗する彼女の首もとからは今も血が流れており、早く止血しないと彼女が危ない。
手段を選んでいられないと思い、私は両手で彼女の顔をとらえて視線を合わせた。
「…大丈夫。私を見て」
「いや、離して…っ」
「大丈夫、大丈夫だから…ほら、ね?」
「あ……」
最初は抵抗していた彼女が段々とまた虚ろな目になっていく。
振り上げられていた腕はぺたりと下ろされてようやく大人しくなった。
「私はあなたに害を与えたりしない。絶対に」
ぼーっとしている彼女に言い聞かせながら私はその首に顔を近付けた。
そして血を流すその傷口にそっと口付ける。
柔い肌に牙が当たらないよう舌で押さえるように舐めればゆっくりと血は止まっていった。顔を上げて傷口を指で撫でて止血を確認する。
上手くいったことにホッとしたがかなりの量の血を失っているはずだ。
早く病院へ行かなければと腰を上げた時、何かがぶつかる音と視界がぶれて気が付いた時には私は壁に打ち付けられていた。
遅れてきた痛みにどうやら誰かに腹を蹴られたのだと気が付いた。壁にぶつかった部分もじんじんと痛みを訴えていてうずくまっていると視界に誰かの靴が入り込んできた。
言わずもがな先ほどの男性だろう。視線を上げると男が怒りのこもった表情でこちらを見下ろしていた。
「よくも邪魔をしてくれたな…」
彼はゆっくり屈むと私の髪の毛を強く引っ張った。何本か髪の毛が抜ける音がして痛みに顔が歪む。
「お前、混血か?はっ、混ざりもの風情が邪魔をするとはな」
「……」
「だんまりか?まあいい。ただで済むとは思うなよ」
「……化け物が」
「はっ、この私が化け物だって?全く笑えないな。人間よりも優れている我々が化け物など所詮弱い人間共が言う戯れ言だろ?」
「…その人間がいないと生きていけない癖に」
キッと睨み付けると男はつまらなそうに私の顔を殴った。
「これだから混血は嫌なんだ。人間は我々のために存在する家畜でしかないというのに。それなのにたまにいるんだよ。その家畜を恋人と勘違いする奴がさ」
さらに男は先程とは反対の頬を殴る。
「お前みたいな混血はな、存在してはいけないんだよ」
そう言って冷たく笑った男はそっと私の首に手を回すと力をこめた。
「……ぁっ」
「可哀想に。お前は産まれてきてはいけなかったんだ。だから私がなかったことにしてやろう」
「……っ」
徐々に絞まる力が強くなり息ができなくなる。
「さようなら」
男の声をかすかに聞きながらついに意識が薄れる。その時だった。
鈍い音とともに急に圧迫が失くなった私は咳き込みながら息を吸い込んだ。息を整え、ひどい頭痛を感じながら目を開ければ、目の前にいたはずの男は地面に倒れていた。
胸にナイフが突き刺さった状態で…。
「あっれー、もう終わり?弱すぎでしょ、こいつ」
聞き覚えのある声に視線を向けると、私と同じ年頃の青年が男を踏みつけながら突き刺さったナイフを抜いていた。
「どうしてここに…」
「あれ、オレの事知ってるの?まあ、話したことないけど何度か顔を合わせたことはあるもんね。じゃあ、知ってるのかな?」
ニコニコと笑う彼、蜜川晃仁は私に手を差し出してきた。しかし私は彼のものではない血で汚れた手を取る訳でもなくただじっと見つめていた。
彼の事はよく知らない。知らないが一つだけ分かることがある。差し出された手には、その瞳には…
「あれ、口元が汚れているよ?」
彼が私の口元についていた血を拭う。それが私の血なのかそれともあの女性の血なのかはもう分からない。
それよりも拭われた瞬間に来た激しい痛みで私は地面を転がっていた。的確に鳩尾を蹴り上げられて思わず上がってきた胃液を吐いてしまう。
「…ぁっ、……うっ」
「うわ、汚いなあ。大丈夫?」
大丈夫なわけあるか。そう言いたいが苦しくて言い返せない。
目の前に屈みこんで覗き込んでくるが彼の瞳の奥にあるのは心配ではなく明確な殺意であった。
「君ボロボロだねえ。花霞の坊っちゃんが見たらどんな反応するんだろ。君はあいつのお気に入りだろ?」
気になるなあと彼は新しいナイフを取り出して嗤っていた。
いつもそう。私を、吸血鬼を見つめる彼の瞳にはいつも憎しみと殺意がこもっていた。
だから私は彼を避けていたのだ。殺されたくなかったわけではない。
私を化け物のように見つめる目に耐えられなかったのだ。
「……やめ、て」
「なんで?」
首に冷たいものが当たる感触がしたとともにピリッと痛みが走った。ナイフを当てられたところから血が流れ出しているのを感じる。
「君、さっきもだけど死にたいんでしょ?いいよ。うっかり手が滑っちゃったってことにしておいてあげるから」
「……」
「安心して死んで?」
「…ぁん、しん…?」
「そう。オレに任せてよ」
…そっか。
そっか。
私、今から死ぬんだ。
もう私は………
そう思った瞬間に体中の痛みが遠のいていく。力が、抜けていく。
「…り、が……ぅ」
「え…?」
霞む視界の中で彼の目が僅かに見開いた、ような気がした。
完全に真っ暗になった世界ではもう確認することはできず、私はそっと闇に溶けていくのだった。
「これはどういうことだ?」
「いっ……つぅー………」
血の匂いが充満する路地で倒れこむ人々を見下ろすかのように佇む男、花霞紫郎は今しがた蹴り倒した蜜川晃仁を睨み付けていた。
蜜川は痛む鳩尾を押さえながらゆっくりと立ち上がる。口の中に広がる鉄の味に顔をしかめながら花霞を見れば、彼はぐったりとした黒髪の少女、若月ひらりを抱き抱えていた。
その横顔は無表情で何を考えているのかは分からないが、殺気立っているのだけは分かる。彼が本気を出せば今頃自分はこの程度の怪我では済まなかっただろう。
「何をしている。早く動け」
「……はいはい、分かりましたよ」
蜜川は口の中にたまった血を吐き出すと気を失ってしまっている被害者の女性を担いだ。
推定52キロぐらいか…早めに止血はしていたが500ml以上は失っているだろう。
顔は青白いし脈は弱くかつ早くなっており、蜜川は思わず顔をしかめてしまう。
つい吸血鬼に固執しすぎて守らなければならない人を危険にさらしてしまった。いつもの悪い癖だ。
とにかく病院に行かなければと女性を担ぎ直した彼はスマホで連絡を取りながら歩き出すのだった。
蜜川が去った後、意識のないひらりを抱えた花霞は彼女の頬にそっと手を当てた。両頬とも赤く腫れており、また首には絞められた跡がはっきりと残っていて痛々しい。今は見えないが服で隠された場所にも多くの傷があるのだろう。
「ひらり」
こうして目を閉じていると顔色の悪さも相まってまるで死んでいるかのようだ。
実際、彼女はそれを望んでいるのだろう。俺がそんなことを許す訳ないというのに。
「勝手に傷をつけられて、いけない子だな…」
乱れた髪の毛を整えるように手で梳かしていると小さな呻き声とともに彼女の目がゆっくりと開かれた。彼女はぼんやりとこちらを見つめており、目が合っているのに合っていないように感じさせられる。
「ひらり」
「……」
「ひらり」
「…………だ、れ…?」
ぽつりと、彼女の口からこぼれた。
この俺に向かって誰かと…。
「全くお前は素直じゃないやつだな」
口角が上がっていく。喉の奥から押さえきれない笑い声が闇の中で響き渡った。
「忘れられる訳がないだろう?」
自身の親指を噛み、そこから流れ出す血をそのままに彼女の唇に押し当てると薄く開いた口の中に血が少しずつ入り込んでいくのが見えた。それと同時に焦点の合わない瞳がやっと俺を捉える。
「遅いお目覚めだな?」
「あ……いや…」
押し当てられた指から流れる血に気付いた彼女はそれから逃れるために身を捩る。しかし動くと同時に訪れる痛みに思わず呻いてしまい体が固まってしまっていた。
「痛いか?」
「……っ」
「よその男につけられた傷が痛むのか?」
殴られた時に切れたのであろう口の中の傷に親指を当て力を込めると彼女の肩がわずかに震えた。
「俺以外につけられた傷で感じているのか」
「いっ………」
「いけない子だな、ひらり」
「や、ぁ…」
彼女の後頭部に手をやり引き寄せ、自身の首もとへと近付ける。彼女が牙をたてやすいように。
「ぃ、や……」
しかし彼女はわずかに首を振りながら弱々しく抵抗をする。
ただでさえしばらく吸血をしていないところに怪我を負ったのだから血が欲しくてたまらないだろうに。
「もぅ……ゃなの……」
掠れた声で彼女は言う。
「…バケ……モ……は、ぃや……の…」
その言葉を最後に彼女の体から力が抜けていった。滑り落ちないように彼女の体を抱え直してから一つため息を落とす。
くたりと意識のない彼女の顔色は未だ悪く、かすかに聞こえる呼吸音がなければ死んでいるかのように見えた。
「…馬鹿だな、ひらり」
するりと彼女の髪をすいた彼は待たせていた車へと乗り込んだのだった。
フルボッコだドン!
0(`・ω・´)=〇