正義の女神
ズゥンッ、と激しい爆発音とともに、二人の間を遮るようにレーザー光線が落ちる。
鼻先を掠るレーザー光線は、アヤメの鼻先を消すように削り、咄嗟に避けたはずなのにホログラムの断面を作り上げる。
「なっ!?」
「〜〜〜〜っ!」
鋭い痛みに顔を顰め、ちょびっと涙を溜めながら、アヤメは光の落ちた空を見る。――そして、驚愕する。
相対するのは黒いベールで顔を隠し、背中に大きな純白の翼を生やした有翼の少女。腰に身の丈に合わない大きな剣を提げており、黒いベールの下から見下すようにアヤメとチトセを見下ろしている。
思い出されるトラウマ。
蘇る屈辱の痛み。
乱れる呼吸。
自然と、アヤメの視線はその女神へと向いた。
「――何を、している?」
ネームタグには『Astraea』。
初めて『ギガントレオ』が壊滅した日。
壊滅に至る原因である女神。
バラバラに斬られたトラウマの相手。
アヤメにとっての、因縁の相手。
「何故、ここにいる。アストライア――!」
「――?」
アヤメが怒りに任せて叫ぶと、女神の視線がアヤメを貫く。その視線に対抗するように、アヤメは必死になって睨みつける。
女神は一瞬逡巡したかと思うと、やがて何かにたどり着いたのか目を見開いた。
「……不撓、そして不屈の放浪者と共にいた暗殺者。何故、ここに?」
「それは此方の台詞です! あなたはなぜ此処にいる!」
「何故? 馬鹿な事。此処は――我が神殿だ」
女神が指を指した方角は、ダンジョン予定地のある場所だ。おそらくジェネシスが戦っているであろう方角だ。
それを指差すと言うことは、やはりあのダンジョンは『乙女座』か『天秤座』と言うことで間違いなさそうだ。
しかしそれはそれとして、何故ここにアストライアが出てきたのかがわからない。神の気まぐれで、たまたまアヤメとエンカウントするなど、とんでもない確率だ。
これが予定されていない出来事で、まさしく神の気まぐれの乱数であるのならば、ジゼルも言っていた通り、やはりクソ乱数の致命的失敗だ。
運気なんてとんでもない。アンラックだ。
「ああ、嗚呼! 愛しの女神! 麗しの女神! 絶対正義のわが女神! ようやく我が前に降臨なさったのですね! 私は信じておりましたよ!」
(ロールプレイ……。すごい熱意ですね)
チトセの狂信者RPに呆れるアヤメ。
こんな絶望的な状況においても、未だ信者ロールを続けるチトセに呆れ……ふと、彼女の瞳を見て硬直してしまう。
(演技……ではない?)
瞳をキラキラと輝かせ、アストライアを見上げるチトセは、とても微笑んでいるとは思えないくらい、歪に笑っていた。
にぃ、と笑う笑みをアヤメに向けて、
「今こそ我が信心、我が忠心を見せる時! 手始めに、背神者めを殺めて見せましょう!」
「なるほど」
疑問に思っていたのだ。
一つのギルドの長にしては、なかなかに手応えがない。つまるところ弱かったのだ。
『信司隊』は精鋭ばかりが集う、大規模精鋭ギルド。その中でギルドの長が、アヤメ如きに抑え込まれるほど弱いなど、あってはならないことだ。
では何故、アヤメよりも弱かったのか。
「やる気がなかった、ってことですか」
やる気とはプレイに繋がる感情と共に、最もゲームのプレイスタイルに直結する概念だ。
やる気がなければプレイは鈍る。プレイが鈍れば己の弱体化に繋がる。チトセは弱体化した状態で、アヤメとの一騎打ちに挑んでいた。
まさに、ピクニック気分で。
今度こそ、アヤメは本当に呆れた。
自分の生きるか死ぬかの瀬戸際で、まさかやる気がなかったなんて余裕をかましていたチトセに、イライラする感情をない混ぜにして希釈する。
これはどう解釈したら良いのだろう。
自分程度では死ぬとは思わなかった?
死んでも良い理由があったのか?
おそらく前者なのだろう。舐めプをかましやがった修道女に、アヤメはガンつける。
「――私の、信者?」
すると、アストライアはチトセの存在に気が付いたのか、見るも寒い極寒の視線をチトセに向ける。
「関係ない」
断罪の光が漏れ始める。
ジェネシス、ユーリン、ジゼルの3人を焼いた光が、再びアヤメとチトセを焼くために輝き始める。
「え――?」
「危ない!」
「『正義の天秤』」
光が落ちる。
堕ちた光が大地を焼いて、おそらく無機物有機物を問わず、そこにいるだけでこの世から消滅していただろう。
正義とは元来そう言うものだ。
アストライアの持論を絶対化するために、あらゆる事象、あらゆる万象を焼き尽くす。
だからこそ、離れておくのが最善手だったりする。
「…ふぅ。なんとか避けましたが、次がどうなるかわかりませんね」
「なんで、助けたのです?」
アヤメの腕には、お姫様抱っこで抱えられるチトセ。チトセは不満そうに顔を顰めた。
「ぶっちゃけ助けなくてもよかったのですが。此方としては、動ける駒を増やしておきたい所存でして」
「……私が、死んでもあの方に付く、と言っても?」
「貴女は付きません。絶対に、です」
アヤメは断定する。
答えなくてもわかる、と宣う程度に。
「貴女が知っているのは正義の女神のはず。ならば貴女が見聞きし、信じているのは正義の女神の後ろ姿のはずです。……なら貴女にもわかるでしょう。あの、目が腐るほどの邪悪の姿が」
アヤメの問いにチトセは答えない。
答えは言わずとも伝わる。まるでそう言っているかのようだ。
「どうする?」
「私と貴女では勝てません。それはわかりますね?」
「では、どうする?」
「撤退です。勝てません」
「わかった」
短略化された了承。
それは、チトセがアヤメの側に付くことを、事細かくまで明確に表したことになる。
「逃すか」
しかしアストライアは逃がさない。
アヤメとチトセを仕留めんがため、天秤の剣を輝かせる。集い凝縮し、凝結させた光を掌に灯し、再びアヤメとチトセに光を放つ。
「『空拳』殺法術――『稲妻』ァアッッ!」
光は。
光は突如現れた稲妻によって相殺される。
凝結した光と拳の間に轟音が弾けて響き渡り、同時に発生した暴風が吹き荒れる。その暴風の中心にいた男は、すぐさま立ち上がって女神を見上げている。
「不屈……!」
「よォ女神サマァ。アイツらじゃなくて、俺と殺り合おうやァア!」
「ジェネシス殿!?」
ジェネシスの目が、一瞬だけアヤメの目と合う。
その間にジェネシスから託された言葉。
『今だ。逃げろ』
アヤメは瞬時に理解する。
あの凶戦士は女神と戦いにきたのではない。自分を助けにきてくれたのだと。
「――ありがとうございます、ジェネシス殿!」
お礼を伝え、チトセと共に走った。




